第百九十九話 晴信と語りて候う
京に入って数日、不気味なほど静かな日が過ぎた。
そして俺は軍勢を率いて武衛屋敷を囲んでいる。
なぜそんな事をしているのかと言われると数日前に戻らなくてはならない。
信虎が帰った翌日、俺は晴信に呼び出された。
「御所巻き?」
「そうだ。我らの兵で武衛屋敷を囲み、将軍にその座を降りて頂く」
ふ、ふーん。
御所巻き?
何それ?
後で半兵衛に聞いておこう。
「その時、次郎とお主は武衛屋敷を取り囲む役だ。そして我の合図で中に入ってこい。そこで父上を捕らえるのだ」
「合図とはどのようなもので?」
中に居るんだろう。
外に居る俺達にどうやって知らせるんだ?
「それはその時になれば分かる。手筈は次郎が整える。お主は次郎の采配に従え。良いな」
「は、分かりました」
はぁ、家族を質に脅されてるとは言え、まるで子分や配下扱いだな。
だが、外でお留守番なら危険はないな。
これなら霜台に頼んだことも必要ない。
後で霜台に連絡しておこう。
だが、分からない。
なぜ信虎は将軍に拘る?
なぜ晴信を忌み嫌うのか?
聞いてみるか?
「一つ聞いても?」
「なんだ?」
「信虎はなんで貴方を嫌っているのです。殺そうするほど憎まれることが有ったのですか?」
晴信は目を閉じる。
何か思い出しているのだろうか?
少しして目を開けると俺を見る。
「知ってどうする?」
「ここまで来たなら知りたいと思うのが普通じゃないですか?」
この後、晴信と信虎は完全に別れる。
この二人に何が有ったのか。
それを聞く機会はもうないかも知れない。
「……何もない」
「は?」
「何も、ないのだ」
へ?
「我と父上の間には何もない。いつ頃嫌われたのか。皆目検討もつかん。我が気づいた時には、そうなっていた」
「つまり、初めから疎まれていた?」
「……そうだ。我は父上から誉められることも抱き上げられることもなかった。ああ、太郎が産まれた時に良くやったと言われたかな?ふふ、それだけだ」
寂しげに笑う晴信。
ますます分からん!
産まれた時から嫌われたとは言わないだろうが、それでも肉親を嫌うにはそれなりの出来事がないと殺すとか言わない筈だ。
「……和解は」
言って後悔した。
和解が出来るならこうなってはいない。
「ふ、家督を譲られた時、我は初めて父上に認められたと思った。我に厳しく当たっていたのはこの時の為だと。だが違った。我に家督を譲り国を出る時に、はっきりと言われたのだ。『今は国を預ける。我の命に忠実に従え。出来なければ死ね。後は次郎にやらせる』とな」
それを聞いて背筋が寒くなった。
晴信が何もないと言ったことが分かった。
信虎は晴信を自分の子供だとは見ていない。
言うことを聞く機械か何かだと思っているのか?
「そして我は父上の命に従った。義兄を殺し姉の子を殺し、国を奪い。ただ盲目に従ったのだ。父上の命は的確だった。まるでこれから起こることを知っているのではないのかと疑った」
ドクンと心臓が高鳴った。
先を知る者?
ま、まさかな?
「だが、そんな中でも我は抗った。父上が付けた家老の板垣、甘利を戦のどさくさで殺し。父上の監視の目を弱め、兄弟と話し徐々に自由を手に入れてきた。そして、そんな時にお主が現れた」
え、俺?
「今まで父上が言って来たことで外れたことはなかった。だが、藤吉。お主が現れてから変わったのだ」
「え、その、はい?」
「ふふふ。今川義元、織田信秀、その息子信長。そこまでは父上の予定通りだった。しかし、その後は違った。義元の後は長得が継ぎ、信長の後は市が継いだことは父上の思惑から外れたのだ。そして、父上の言葉とは逆の結果になった」
「逆とは?」
「父上は尾張は纏まらず、長得はいずれ除くと言っていた。だがその後はどうだ。尾張は統一され、長得は戦の後も生き残った。父上の予見は外れた。この事は家中の動揺を誘った。父上に盲目に従っていた者達がうろたえ始めた。お陰で我はやり易くなったな」
尾張統一に長得の生き残り。
俺がこっち来た時の最初の一年か。
「そこで我は考えた。父上の予見が外れた原因がある筈だとな。我は勘助に命じてその原因を探させた。そこでお主に行き着いた。尾張統一の頃に織田市の側に居た男。木下藤吉。長得を救ったのもお主だ。お主の存在が全てを狂わせた」
「それは、その、……たまたまではないでしょうか?」
「そうか。ではたまたまお主は織田家に仕官し、たまたま主の近くに仕え。たまたま、長得を救ったと?」
「ええ、全部たまたまです。はい」
嘘は言っていない。
本当にたまたま何だよ!
偶然なんだよ!
「ならばお主は相当な運の持ち主だな。だがその運の強さで我は助かった訳だな」
運が強いのは認めよう。
色々あって助かったのは運が強かった部分もある。
「だから我は父上に対抗する為にお主が必要なのだ」
「俺が?」
「そうだ。勝と山縣をお主に預けたのもその為だ。どうだ。勝は気に入ったか?」
うえ、こいつ自分の娘を俺に差し出したのか?
「気に入ったも何も、勝姫はそんな対象じゃない」
うん、違う。
ここで否定しないと後で押し付けられる。
「だが、お主の大事な者にはなっただろう?」
く、嫌な笑みを浮かべやがって。
「我が父上に勝つためには、父上の予見を外したお主が必要不可欠だと我は思う。ここまで話したのだ。藤吉。嫌とは言わせんぞ」
凄む晴信。
ああ、こいつと信虎は似てる。
有無を言わせない凄みがある。
あんたらやっぱり親子だよ。
「事が終われば勝を嫁にしろ。それでお主は我の身内じゃ。家中はそれで黙る。なんなら美濃をくれてやってもいい」
え、美濃をくれるの?
それは、非常に魅力的な提案だ。
美濃は交通の要所でここを手に入れる事が出来れば、あわよくば天下も……
いやいや、取らぬ狸の皮算用と言うではないか。
ここは慎重に、慎重に。
「それ、本当ですか?」
「証文でも書くか?」
証文は破るために有るからな。
それにこいつなら平然と破る可能性がある。
「事が終わってからで良いです。はい」
ここは謙虚に行こう。
貰う物が物だからな。
まずは生き残ってからだ。
「よかろう。では、頼むぞ」
「はい」
そして、晴信に言われた通り俺は武衛屋敷を囲っている。
半兵衛に御所巻きについて聞いたら、足利尊氏を部下の高師直が屋敷の周りを囲って脅迫した事があって、その事を言っているのだとか?
要するに言うことを聞かないと殺すぞと脅したわけだ。
俺はてっきり将軍と信虎を屋敷ごと焼き払うのかと思っていた。
だがそれをやると将軍殺しの悪名を背負うことになる。
それは晴信も回避したいようだ。
でも将軍義輝って京では不人気なんだよね。
露骨に言えば嫌われてる。
龍千代と近衛前嗣は義輝は朝廷を守っていないし、いたずらに戦乱を起こしてけしからんと言っていた。
今生天皇も義輝を嫌っているそうで、京とその周辺では将軍義輝は嫌われ者だ。
そんな嫌われ者の義輝が死んでも誰も悲しまないんじゃないだろうか?
それどころか喜ぶ人が居てもおかしくない。
あ、信虎は喜ぶだろうな。
孫の太郎義信を将軍にしたいと言っているのだから。
しかし、暇だな。
屋敷を囲ってから結構時間が経つ。
合図はまだかな?
ふと、隣を見てみる。
信繁は泰然自若。
目を閉じてその時を待っている。
ひょっとして寝てるんじゃないの?
と思っていたらダーンと銃声がした。
「合図だ。行くぞ藤吉。護衛を連れて付いて来い」
信繁はすぐに反応した。
俺は信繁に遅れて付いていく。
そして、火縄と硝煙の匂いのする部屋に着いた。
中では単筒を持った信虎と撃たれて倒れている晴信の姿があった。
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