第百六十九話 平手 中務丞 政秀
長島で領地経営に専念することになった。
と、その前に平手のじい様に会いに行くかぁ。
平手のじい様は市姫様が懐妊した報せを受けて衝撃のあまり寝込んでいるそうだ。
幸い業務は既に後人に任せているので心配ない。
あのお説教じい様に会うのはちょっと嫌だが、倒れた原因を作ったのは俺に有るのだから会わなければならないだろう。
それに信光様からも言われている。
逃げるわけには行かない。
それと右筆衆にも顔を出した。
平手のじい様に突然会いに行く訳には行かない。
先に人をやってからそれから伺うことにした。
その間に『右筆衆奉行所』で時間を潰す事にする。
そうそう、俺が留守の間に右筆衆の仕事部屋は奉行所と正式に言われるようになった。
元から右筆の仕事以上の事をやっていたのだ。
今は奉行所として立派に機能している。
俺が雇った小者達は奉行付きとして働いている。
彼らから何時か右筆衆に抜擢される者が現れるだろう。
いや、既に現れている。
俺が留守の間に三人程小者頭にしておいたが、その三人のうちの一人が俺の業務を担っていた。
名を『増田 仁右衛門』中々出来る男だ。
歳は十六で少々小利口なところが有るが見所がある。
姓を聞いた時、五奉行の一人『増田長盛』だと直感した。
こいつは後で俺が引き抜こうと思っている。
貞勝殿には申し訳ないがこいつは俺に必要だ。
そしてその仕事ぶりを目にして改めて欲しいと思った。
「木下様。こちらをご確認下さい」
仁右衛門の持ってくる処理された物は見やすく分かりやすい。
大分この仕事にも慣れたようだ。
うん、俺の小姓に抜擢して家臣団に加えよう。
そして俺は仁右衛門の持ってきた書に目を通す。
ほう、これは良い物を見つけたぞ。
「よくやった。仁右衛門!」
「は、はあ?」
俺は仁右衛門の頭を撫でて誉めると仁右衛門は不思議そうな顔をしていた。
「仁右衛門。お前は明日から俺の預りだ。明日その方に迎えをよこすから家で待つがいい」
「ほ、本当ですか!」
「明日から頼むぞ」
「は、はい!」
仁右衛門の顔に喜色が浮かぶ。
そして他の小者達が羨ましそうに仁右衛門を見ている。
仁右衛門、明日から宜しくな。
それから俺は貞勝殿と信定殿に正式に長島に赴任することが決まったと報告した。
「当分は清洲と長島を行ったり来たりになると思いますからこれからも宜しくお願いします」
「いやー、良かった。藤吉殿と仁右衛門が居なくなるとまた仕事の量が増えるところでした。まだまだ藤吉殿と仕事が出来て良かったですよ」
「藤吉殿も大変ですな。長島とここの仕事で休む暇もないですな?」
「ははは、引き継ぎをしっかりやらなかったので姫様に怒られました。春までに後任を誰か決めておきますよ」
まぁ、市姫様に会いに行く口実だけどな?
既に俺の後任は決まっている。
信光様から俺の後任は『平手 監物 久秀』と教えられていた。
久秀は平手のじい様の嫡男で勘定方に居た。
当初は左遷かと思ったがそうではない。
右筆衆奉行所は勘定方の上になっていたのだ。
これは俺が小者を雇い入れた時から勘定方の仕事が徐々に右筆衆に移されていたのだ。
おかしいとは思っていた。
なんで経理関係の仕事が右筆衆に送られていたのかと思ったら、平手のじい様が勘定方を縮小して右筆衆に合流させようとしていたのだ。
知らなかったのは当の俺達右筆衆だけ。
なんでこんな事をしたのかは当人に聞くのが一番だ!
俺は手早く仕事を終えると平手屋敷に向かった。
そして平手のじい様が居る部屋に案内された。
「お久しぶりです。平手様」
「ふん、やっと帰って来おったか?」
「これは堺土産です。皆様でどうぞ」
俺は宗易から貰った金平糖を渡した。
甘いものでも食べてちっとは甘くなれ!
「うむ、頂いておこう」
ふ、顔がにやけてるぞ。
「それで私に話とは?」
「話だと? 話ならたくさん有るわ!」
それから怒涛の説教が始まった。
くどくどと更にねちねちと市姫様の事で責められた。
くっそー何も言い返せない!
そしてある程度話終えたのか。
独り言のように話始めた。
「信長様と姫様はわしには孫のような者だ。信秀様から信長様を託され、そして信長様から姫様を託された。わしは信秀様と信長様の期待に応えることが出来たであろうか?」
俺は何も言わず黙って聞いていた。
「信長様は幼少から手がつけられん程の悪さでな?あれで将来は大丈夫だろうかと思った。そんなある日信長様がわしを呼んでこう言ったのだ。『俺は家督を継いだら尾張を統べる。じい、俺に付いてこい!』とな。びっくりしたわい。あの信長様が尾張を統べると言ったのだ。あの悪さばかりする信長様がぞ。それからは信長様は表では歌舞いた格好をしておったが、人の居らんところでは書を読み耽っておった。他人には見せん姿をわしだけには見せてくれたのだ。それが嬉しゅうて嬉しゅうてな。涙を見せた事もあった。そんな時、信長様の心配する顔は本当に優しい顔じゃった」
信長はじい様には本当の自分を見せていたのか?
「そんな信長様をわしは心の底から支えて見せると思うた。生きて信長様の作る尾張を見たかったのだ。しかし、信長様は亡くなってしまった。信秀様を亡くした時よりも愕然としたわい。いっそわしも死のうかと思うた。だが信長様に頼まれたのだ。姫様を奇妙丸様を『自分に代わって二人を頼む』と ……死ねんかった。わしの残り少ない生をお二方に捧げると誓ったのだ」
確かに後を託されては死ねないよな。
「藤吉。わしはお前が好かん。だが、心底嫌いにもなれん。お主は姫様を好いておるのか? それとも利用しようと思っておるのか?」
じい様が俺の目を見て話す。
俺は市姫様を嫌いじゃない。
好きかと聞かれれば好きだと答えるだろう。
でもじい様はそんな答えを期待していないだろう。
それに俺は市姫様を利用なんかしてない。
どちらかと言えば俺が利用されてると思うぞ?
「おれは……」
「ああ、よい、よい。答えんでも分かる。お主は姫様が理解出来んのだろう?」
おれが市姫様を理解してない?
う、う~ん。それは考えたことなかった。
確かに俺は彼女を理解してないのかもしれない。
「わしも信長様が理解出来んかった時があった。しかし今は理解出来る。あの二人はよう似ておる。時に直情で、時に優しく、そして時に冷酷じゃ。だが根っこは情が深いのだ。一度好いた者には情を注がずにはおれんのだ。それを周りは理解出来ん。側近達も理解しておらんだろう。藤吉、お主はそれを知っておるのではないか?」
……情が深い。それは ……分かる。
俺がこっちに来た時、初めて優しくしてくれたのは彼女だった。
そして事あるごとに俺を庇い引き上げてくれた。
市は俺にずっとサインを送っていたのだ。
それを俺は見て見ぬふりをしていた。
俺は怖かったのだ。
彼女の想いが違ったらと思い、そして身分差を理由に避けていた。
踏み込んでくる彼女を俺は避けた。
それでも彼女は俺に近づこうとしていた。
「わしはもう長くない。のう、藤吉。わしはお主に姫様を託しても良いのかどうかと考えておった。お主の才覚は姫様に必要じゃ。しかしお主には姫様は必要か? わしにはそうは思えんかった。信行様の時、わしはお主が織田家を去ると思っておった。だがお主は残った。その時の姫様の喜びようをお主は知っておるか? 知らんであろう。わしはそんな姫様を見ておるのが不憫じゃった。姫様には幸せになって欲しいのだ」
それは知らなかった。
あの時は斎藤今川との戦いでそんな事気にする暇がなかった。
あ、犬山で迫られた事が有ったな。
あの時はまだ覚悟がなかったんだ。
「姫様がお主を好いておるのは見ておれば分かる。わざわざ二人きりにもした。まさか懐妊するとは思わなかったがな。ふふふ、そう言う抜け目ないのは信秀様や信長様に似ておる」
あ、やっぱりそうだったのか!
それに危険日に俺を誘ったのか?
なんて用意周到な!
「藤吉。姫様を頼めるか? あれで可愛いところもたくさんある。わしにとっては可愛い娘なのだ。頼む藤吉。わしに代わって姫様を、頼む。後生じゃ!」
俺に土下座するじい様の姿はいつもより小さかった。
そんな姿を見せられて俺が断れる筈がない。
断るつもりもないがな。
「俺の生涯を掛けて姫様をお守りします。幸せにして見せます!」
「おお、そうか。そうか。……そうか」
俺はじい様の両手を持って誓うとじい様の目から涙が溢れていた。
「ならば、わしの後はお主に託す。おい、入れ!」
そう言うとじい様はパンパンと手を叩くと戸が開かれて見た事のある人物が入ってきた。
「平手 監物 久秀。藤吉殿、以後宜しくお願い致しまする」
「は?」
「わしの息子では織田家の筆頭家老など出来ん。本人も嫌じゃと言っておる。お主にはわしの派閥を率いて貰うからそのつもりでな。それと監物にお主の後任をさせるのはお主が監物の上じゃと内外に知らしめる為じゃ。ふむ、良かったの監物。藤吉は快く引き受けてくれるそうじゃ」
「ありがとうございます藤吉殿。私には平手家だけで十分です。他の家の世話など出来ません。困ったことが有れば父が相談に乗ってくれます。私もまだまだ未熟者ですが藤吉殿をお支えしますので、宜しくお願い致しまする」
いやいや待て待て。
なんで俺が平手派を率いる話になっているんだ?
「おお、こうしては居れんな。稲葉殿にも報せんとな? 監物。お主は急ぎ派閥の者に藤吉がわしに代わったと報せよ。事を急がせよ。跳ねっ返りの者共が行動せんうちに先手を打つのじゃ」
「は、分かりました父上。では、藤吉殿。いえ、木下様。失礼致しまする」
そう言うと監物はそそくさと逃げるように去っていった。
「え、ちょっと。あれ? 何が、どうして?」
「ほれ、お主も明日は長島に向かうのじゃろう。早う、帰れ、帰れ。それから派閥の者達を纏めたら連絡をよこすでな。なんぞ話を考えておれ?」
「あ、いや、なんで俺が派閥の長なんだ!」
「姫様と婚姻するには最低限織田家での立場を固めんとな。これも姫様の為じゃ。分かったら早う帰れ」
俺はじい様に急かされて家路に着いた。
なんだこれ?
なんで俺が平手派のトップに?
それに稲葉殿に連絡って?
なんなんだよ、これー!
平手派のトップにさせられました。
それと増田長盛は尾張生まれと言うことにしてます。
多分、近江生まれが本当だと思いますがね?
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