第百六十話 新たな目標にて候う
『織田家を乗っ取れ』
長姫の囁きに俺は耳を傾けなかった。
今の俺があるのは織田家の、織田市が居たからだ。
彼女が居なければ俺はこの世界で生きていけなかっただろう…… 多分。
彼女を助けた事が始まり。
尾張統一の中で親族を次々に亡くした彼女は悲嘆にくれる事なく立派に陣代を勤めている。
そんな強い彼女に俺は惹かれた。
最初はそんな事なかったのにな。
いつの間にか想っていたのだ。
そしてそれは長姫も同じ事だ。
今の俺には彼女が必要不可欠な存在だ。
頼りになる参謀で良き相談相手。
彼女が俺を想っているように俺も彼女を想っている。
心が通じているのが分かる。
だからこそ長姫から乗っ取りの話が出た時、彼女に俺の心の声を聞かれたと思った。
俺の夢は一国一城の主に成ること。
それはほぼ達成されたと言っていいだろう。
長島の地を与えられた俺は伊勢湾の経済圏の一部を押さえている。
いや、服部友貞の服部水軍と佐治水軍を傘下にしている俺はもっと大きな影響力を持っている。
そして蜂須賀党の存在がある。
蜂須賀党の蜂須賀小六は美濃での影響力が大きい。
彼女が傘下にしている川並衆の影響力も大きい。
それに稲葉と氏家の美濃国人衆は秘密裏ではあるが俺の傘下に入っても良いと言っている。
つまり、俺は俺を頂点に独自の派閥を持つ事が可能なのだ。
そしてそれは俺が織田家を乗っ取る為の最低限の下地を持っている事を表す。
道三のじいさんも俺を唆す。
美濃を取ったじいさんのアドバイスが有れば俺が尾張を手に入れるのは容易いかもしれない。
道三と長姫、半兵衛という強力な参謀に蜂須賀党による諜報集団。
友貞の水軍衆による海上貿易。
これに稲葉、氏家らの美濃国人衆が加われば。
俺が独立するのも夢ではないのかもしれない。
その過程で織田家を乗っ取る。
邪魔な尾張国人衆を一掃して織田家から嫁を取る。
市姫は無理でも犬姫が居る。
そうして尾張を俺の物に……
まさに甘い誘惑だ。
だが、無理だな。
今俺が独立してもそれを喜ぶのは武田だ。
俺が独立する動きを見せれば信虎の手の者が接触してくる。
そして織田家と俺は仲良く信虎に食われて終わりだ。
こんな危ない状況で独立やら乗っ取りやら出来る訳ない!
そうだ。
独立なんて危ない危ない。
織田家の乗っ取り?
夢を語る前に現実を見よう。
市姫様が俺に懸想していたとしても、俺と市姫が結ばれる可能性は低い。
既に肉体関係を持っていてもそれとこれとは別だ。
俺が織田家の当主に成ることはない。
まぁ、可能性としては市姫様の内縁の夫扱いがせいぜいだ。
それも織田家臣達からの嫉妬と羨望を集めて殺される未来しか見えない。
そんな未来は嫌だ!
俺はこのまま織田家にいた方が良いのだろうか?
最近はそんな事ばっかり考えてしまう。
龍千代の上杉家の連中は良かったな。
でもあそこはあそこで大変なんだよな?
家中で謀反が頻繁しているし。
長姫を連れて今川に行こうかとも考えた。
だがあそこは名門源氏の血を受け継ぐ名家。
そこに農の出の成り上がりがやって来て上手く行く筈がない。
やはり成り上がりは周りにやっかまれるのが定めか?
ゲームや小説だと敵対した連中を端から綺麗に掃除するように潰していけば良いが、現実はそうもいかない。
もっと世の中単純だったら良かったのにな?
でもその理屈だと俺は排除される側の人間だ。
今の混沌とした社会だからこそ、身分差が曖昧に成っているのかもしれない。
だからこそ下剋上を肯定する戦国時代は面白い!
うん、少し元気が出てきた。
俺は俺なりの方法で成り上がる。
目指すは国主だ!
今決めた。
よし、なら早速行動だ!
先ずは尾張に戻ってミッション達成の報告と小六と犬千代の婚儀を終える。
それが今年の最優先目標だ。
そんなやる気を出した俺に千宗易がやって来た。
「藤吉殿。一つ頼まれて欲しい事が有るのだが?」
最優先目標……
「何簡単なお使いだ。帰る前に寄って貰えればいい」
帰って結婚……
「私が懇意にしている者と会って欲しいのだ。きっと藤吉殿の助けになる筈だ」
俺の助け?
「場所は紀伊。雑賀庄だ。藤吉殿は鉄砲を知っているだろうか?」
紀伊、雑賀、鉄砲……
「鉄砲! 良く知ってます。行きます。行かせてください!」
「良かった。藤吉殿なら安心して頼めます。宜しくお願いします」
おお、これはもしかしてもしかするのか!
戦国最強の傭兵集団『雑賀衆』と縁を持てるかもしれない。
いや、絶対に持つべきだ!
よし、ますますやる気が出てきたぞ!
俺達は千宗易のお使いを頼まれて紀伊雑賀庄を訪れる事になった。
ちょっとしたお使いイベントだが、これは結構重要なイベントだ。
絶対に失敗出来ない。
でも届け物をするだけだ。
何ら難しい事ではない。
紀伊雑賀庄には魚屋の弁才船で向かった。
初めての弁才船は大きくて安定しているように感じた。
いや、単に船旅に慣れたのかもしれない。
今回は船酔いに悩まされなかった。
そして紀伊雑賀庄に着いた。
雑賀庄は海に面していて水田が少なく農業で民を養うことが出来ない。
代わりに海の幸と塩田、そして交易によって富が蓄えられている。
そして雑賀庄は近畿の戦に傭兵として参戦している。
そんじょそこらの雑兵とは練度が違う。
雑賀庄に近づくと轟音がそこかしこで鳴り響いていた。
そう、鉄砲の音だ。
雑賀衆が鉄砲を扱っているのはこの世界でも変わらないらしい。
しかし派手に鉄砲を使っているな?
鉄砲を扱うには銭が掛かる。
大量の銭がな。
そして鉄砲を使うには火薬がいる。
黒色火薬だ。
黒色火薬の原料は『木炭』『硫黄』『硝石』の三つを配合して作る。
割合は確か…… 木炭1硫黄1硝石4ぐらいだったと思う。
まぁとにかく火薬を作るには硝石が沢山いるという事を覚えている。
そして、木炭硫黄は国産に頼れるが硝石は国産物が少ない。
いや、ほとんど無いと言っていいだろう。
戦国時代では硝石のほとんどを海外に依存していたと書いてあった。
南蛮貿易を盛んに行っていたのは硝石を得る為だったと言っても過言ではないだろう。
そして硝石は高いのだ。
元は硝酸カリウム、つまり人間や家畜の糞尿が元に成っているが、日本では厠の土で代用していたが取れる量が少ないので海外の天然硝石に頼っているのだ。
そして南蛮商人はその硝石の値段を吊り上げて儲けている。
何とも汚い連中だ。
しかし賢い連中でもある。
そしてこれだけ派手に鉄砲を使っていると言うことは何らかの方法で硝石を大量に確保している証拠だ。
これは雑賀の連中硝石の製法を知っているのかもしれない。
残念な事に俺は硝石の作り方を知らない。
それに硝石自体見たことも触ったこともない。
そんな俺に硝石作りなんて出来ない。
餅は餅屋だ。
硝石を作るならこの時代の専門家に任せるのが一番だ。
雑賀衆と縁を持ったら硝石の製法を知っている連中をスカウトして長島で作らせよう。
次いでに鉄砲鍛冶もスカウトしよう。
見れば鉄砲による煙だけではないのも見える。
おそらく自前で鉄砲を作っているに違いない。
ふふふ、この土地は正に人材の宝庫だ。
絶対に手に入れてやる!
「げほ、げほ。なんて煙だよ! 炊事でもこんなに煙は出ないぞ!」
利久、お前は炊事なんてしないだろう。
「お兄ちゃん。目が痛いよ」
「ほら朝日。濡れた手拭いよ。目に当てて」
朝日が目を擦っていると寧々が手拭いを渡している。
用意がいいな?
「凄いです。こんなに種子島が有るなんて信じられません。藤吉様」
半兵衛は大量の鉄砲に興奮しているようだ。
鉄砲自体は見た事があるがこんなに多くの鉄砲が使われているのは見た事がないのだろう。
だが見えるのは煙だけで鉄砲自体はまだ見えない。
「ふぅ、なんて煙たいのかしら。嫌だわ、煙の匂いが着物に付いてしまうわね」
長姫は硝煙の匂いが着物に付くのを心配している。
確かに匂うな?
俺達は魚屋の人間が渡りを付けるまで案内された広い広場で待っていた。
そこに風で流された煙がやって来たのだ。
何かの嫌がらせかと思った。
これから会うのは雑賀庄でも一、二を争う実力者。
『鈴木 佐大夫』だ。
だが、俺の本命はその息子の『鈴木 重秀』だ!
かの有名な『雑賀 孫一』と言われる人物だ。
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