第十六話 わりと忙しく候う
さぁ、気合いを入れて行きますか!
…………数日が過ぎた。
俺は未だに仕事部屋で、紙、紙、紙の山と戦っていた。
とにかく多い。
無茶苦茶多い。
何でこんなに多いんだよ!
俺が取り組んでいる仕事は織田家直轄地から上がってくる報告書、陳情書、嘆願書、ご機嫌伺いの書、等々、多岐に渡る。
それだけならいい。
他には裁定関係の書や経理関係の書まである。
本来俺が扱っていい物ではない!
しかし先の出来事で俺は名実ともに市姫様の右筆になった。
そこで今まで貯まっていた内政関係の書物がこれでもかと送られてきたのだ。
平手のじい様がいい笑顔で俺に言うのだ。
「良かったの。これがお主の仕事じゃ。まだまだたくさんあるから速く終わらせて、わしらに持ってくるのだ。そうせんとわしらの仕事が終わらんからの。ほーほっほっほ」
ああ、とってもいい笑顔だった。
初めて見せてくれた、とても、いい、笑顔、だった。
今思い出してもムカついてくる。
ふう、落ち着け。
いつか、いや、近いうちに俺のいい笑顔を見せてやる。
そして俺はそれら書物を写したり簡素な書面に直したりする。
少し書いては削り、また書き足したりする。
長い長い書もあれば簡潔な書もある。
綺麗な文字で書いてある物はいい方で中には、これは字なのかと問いたい物もある。
たいへんなんだな、右筆って。
しかも俺が一人で書物の山と殺りあっている側で利久が寝っ転がって居やがる。
一応、手元には筆と硯がある。
何をしているかというと古今和歌集を写本しているのだ。
「おい暇人。ちっとは手伝え」
「うーん、友が頂いたせっかくの仕事を取り上げるのは忍びない。俺に構わず仕事を続けたまえ」
「てめえ、犬千代に言いつけるぞ!」
「は、大丈夫だ。犬千代にはすでに根回し済みだ。今頃は市姫様と茶菓子を食べているはずだ。残念だったな藤吉。はっはっはっは」
勝ち誇った大きな笑い声を出す利久。
は、バカめ。
かかったな愚か者。
俺の真の謀を食らうがいい!
スパーンと部屋の障子が開かれる。
「利久ここに居たのか! さあ行くぞ。兵達が待っている」
「くそ、勝三郎。何でここが?」
「あんなデカイ笑い声がすれば嫌でもわかる。すまんな藤吉。邪魔をした」
「いえいえ大丈夫ですよ。あ、そうだ。これを平手様にお願いします」
処理の終わった書物を勝三郎に届けてもらおう。
きっと泣いて喜んでくれるはずだ。
荷物持ちはここに居るからな。
「こんなに沢山。分かった。おい利久。これを持って行くぞ。」
「てめえ藤吉。後で覚えてろー」
ふん、サボっていた貴様が悪いのだ。
俺は何も悪くない。
俺は悪態を吐く利久と、利久の尻を蹴って進ませる勝三郎を笑顔で見送った。
平手のじい様の下にお土産を持たせて。
せいぜい説教でも食らうがいい。
ある意味ストレスを発散させることができた。
それもこれも勝三郎が居てくれるからだ。
ありがとう勝三郎。
そして負けるなよ勝三郎。
俺は知っている。
平手のじい様の所に行った勝三郎が、その後市姫様に説教している姿が。
きっと平手のじい様も一緒にお小言だ。
俺にばかり書物仕事をさせるからだ。
持たせた書物には市姫様が読んで決裁する書物を沢山渡している。
本来なら俺の所にないはずの書物だ。
市姫様が犬千代と利久に渡して俺の所に持ってくるのだ。
気づかない俺と思ったか!
処理した後から増えて行ったらおかしいと思うだろう。
特に犬千代と利久が来た時は明らかに書物が増えているのだ。
困った事に市姫様は書類仕事がお嫌いらしい。
平手のじい様が信長も嫌いだったと言っていた。
兄妹で似てほしくなかったと嘆いていた。
市姫様頑張って。
俺にふらないで利政様にふってください。
お願いします。
さて、気を取り直して仕事にかかろう。
部屋に戻って書物の山を見てやる気が萎えた。
その日の夜。
俺は勝三郎から渡された尾張領内の城の名前と、城主の名前の書かれた書物を写本している。
俺の隣では利久が歌を作っている。
気に入った女中に渡すらしい。
くそ、こいつ。
俺が予習してる側で恋文かよ。
手酷く振られてしまえ。
内心で罵ってやった。
……虚しい。
そして、入り口の近くで犬千代と寧々が利久の古今和歌集を読んでいる。
「私もこんな歌を歌ってみたいわ」
「犬千代ちゃんには似合わないよ。こっちが良いよ」
「えー、でもこっちが」
「これが良いよ」
とキャッキャ、ウフフとやり取りしている。
和むね、ほんと。
そんな団欒の一時。
隣で声が聞こえた。
隣は利久の家だ。
「おーい、利久居るか? 寝てるのか?」
「利久君呼んでいるよ」
「何で利久君なんだ? 気持ち悪い」
「おーい、利久」
「呼んでいるぞ。利久兄さん」
「だから、何で兄さんなんだ。もしかして、犬千代と一緒になる気になったのか?」
何でそこで嬉しそうに反応するんだ。
それに犬千代が耳まで真っ赤になったぞ。
「何でそうなる。それよりも客みたいだぞ。出なくて良いのか?」
「ああ大丈夫だ。出なくていい。無視しろ」
無視とか穏やかじゃないな。
そんな邪険に扱わなくても。
俺が利久に声をかける前に家の戸が開いた。
「ここか利久!」
何でこの世界の奴らは。
ノックはともかく、声くらいかけろよ。
俺が応対しようと立ち上がると、利久を探していた人がずかずかと部屋に入って来た。
「おい、俺の」「内蔵助。何のようだ?」
俺の部屋に勝手に入るなと言いたかったのだが、先に利久が答えていた。
分かってるんなら出ろよ!
うん、内蔵助?
もしかして『佐々成政』か。
「裏が取れたぞ。奴で間違いない」
「そうか奴か。やはりな」
おーい、お前ら知ってる。
この部屋、俺の部屋なの。
俺を無視するな。
「あの内蔵助様」
「うん、犬千代殿か。何だ?」
利久と内蔵助が話ている中に声をかける犬千代ちゃん。
カッコいい。
そしてそんな犬千代にぞんざいな態度を取る内蔵助。
カッコ悪い。
「この部屋は木下藤吉殿のお部屋です。せめて本人にご挨拶してから……」
「うん、そうか。すまん。速く知らせたかったのでな」
「そうだぞ内蔵助。挨拶しろ、挨拶」
何でそんなに偉そう何だよ。利久。
「うるさい利久。 すまんな。俺は佐々内蔵助成政だ。そうか、お前が木下藤吉か。勝三郎殿から聞いている。」
「あ、どうも、木下藤吉です。藤吉と呼んでください」
「分かった藤吉。俺のことは内蔵助と呼んでくれ。年も近いし、よろしくな」
お、案外ちゃんとはしてないが話ができる。
良かった。俺様じゃなくて。
「では、内蔵助とお呼びしても」
「あっ」
うわ、めっちゃメンチ切ってきた。こわ。
ゴチンと頭を叩かれる内蔵助。
「藤吉をおどすな。内蔵助」
「ぐ、すまん。つい」
「まったく、しょうがない奴だ。そう思うだろ藤吉」
フレンドリーな会話が出来るのか。
こいつと?
「それよりも何の話をしていたんだ? さっき」
「ああ、赤塚で市姫様を襲った犯人の目星がついたんだ」
なんと、本当か!
「なんと、本当か!」
思わず声に出ていた。
「ああ本当だ。そいつは」「一益だ。滝川一益だ」
利久が答える前に内蔵助が答えてくれた。
滝川一益。
織田家四天王の一人。
進むも滝川、引くも滝川の、滝川一益か?
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