第百五十六話 龍千代の客人にて候う
「ははは、それは散々な目にあったな、龍殿。ははは」
「笑い事ではないぞ。確かに危うい橋を渡ったと私も思っているが……」
「将軍様の頼みなど、まともに聞く必要も無かったであろうに?」
「今回は色々有って断れなかったのだ。その、色々有ってな」
「色々、のう?」
龍千代と話していた男が口元を扇子で隠しながら俺を見ている。
その目がなにやら怪しく光って見えた。
うう、背筋がぞくぞくする。
この人なんかヤバイよ!
六角と浅井の戦から一月が経とうとしていた。
あの戦の結末を説明しよう。
結果を言えば六角と浅井は各々負けた。
勝ちを拾ったのは武田だ。
武田は東近江一帯を支配することになったのだ。
俺達が兵を退いた後に六角と武田は争った。
六角勢八千に対して武田は三千余り。
佐和山辺りでぶつかった両軍は当初は数の多い六角勢が押しまくったが、六角のある国人衆の裏切りにより形勢は逆転。
最終的には六角勢は無様に敗走した。
その後武田は周辺の国人衆に帰属を促し、東近江一帯の国人衆は武田に付いた。
そして浅井の救援に来たと思われる朝倉は武田が来る前に六角と一当てしてからさっさと兵を退いている。
その後は浅井小谷城に居座っている。
朝倉は何がしたかったんだ?
この一月余りは京に残って情報収集を行っていた。
東近江を手にした武田の動向と浅井に居座る朝倉の思惑、そして負けた六角。
この三者の動きを把握しなくては動けない。
まあ、動けないのは上杉であって俺ではないのだが?
時が経つほど続々と報告が上がって来た。
それを俺と長姫、半兵衛が分析していた。
「武田はまた乱取り目的だったのか?」
「はい。東近江一帯はかなりの被害が出ています。武田にとっては近江は天国のように見えたかもしれません」
てっきり上洛前の露払い的な意味での侵攻だと思ったら乱取りが目的だったとはな。
乱取りが主目的で支配が次いでかよ。
武田はそれほど食糧難なのか?
そして半兵衛の言葉は皮肉ではないだろう。
六角の治めていた南近江と東近江はここ数年は戦乱が起きていない。
それに最近の凶作被害を受けていないとなれば、乱取り大好きな武田から見ればさぞかし美味しい狩場だっただろうな。
「裏切りがあったと報告が有りましたが、実際は違った見たいです。戦場で流言が流れて一部の兵が逃げ出した為にそこを突いて六角が敗走したようです」
「ふぅ、兵が少なくて二倍以上の敵を相手にしたのに完勝かよ。 化け物か?」
それに戦場での流言飛語か?
桶狭間でも今川はこれをやられて敗走している。
武田と戦う時はこれの対策が必要だな。
それにしても武田は蝗か何かなのか?
食糧を求めてあっちこっちと噛みついている。
さっさと同盟話を持っていったのは正解だったんだな。
同盟してなかったら尾張が真っ先に被害に有っていただろう。
「朝倉の目的は浅井の実質的支配みたいね。前当主浅井下野守は幽閉されてて、現当主の新九郎は怪我を負ってて動けないそうよ?」
「それで朝倉は善意の押し付けをしているのか?」
「既に多くの朝倉家臣達が浅井領に入っています。当主を守れなかったとして多くの国人衆の当主が隠居させられているようです」
はぁ、浅井は終わったな。
浅井新九郎賢政は怪我で動けない。
下野守久政は幽閉中。
力のある浅井の国人衆の力は削がれている。
浅井が今後浮き上がることはないな。
朝倉義景、結構侮れないな。
今後の動きは要チェックだ!
負けた六角はどうなったかと言うと?
六角義治の国人衆の信頼は地に落ちた。
現在は武田への反撃を計画しているものの配下の国人衆が国内を纏めるのが先であるとして反対している。
元々若い義治に対して六角国人衆はいい感情を持っていなかったようだ。
義治も国人衆を煙たい存在と見ていたようで、一部の重臣を重用していた。
今度の敗戦は六角にとって致命的なものに成りつつあるようだ。
「六角は持ちそうかな?」
「無理ね。国外は三好、武田に挟まれて、国内は国人衆と内輪揉め。これで持ちこたえられたら名君どころか英雄よ」
「六角にはある程度持ちこたえて貰わないと行けません」
「何か有るのか?」
「はい。右衛門督を暗殺するのが一番かと」
「ちょっと待てー!」
「ほえ、駄目ですか?」
どうしてこいつは暗殺やら放火やら平気で口にするんだ?
「良いわね。それなら弟がいたからそれを当主にして纏まるかもしれないわ」
こいつも同類かー!
「暗殺って簡単に出来るのかよ?」
「難しくはないと思います」
「今なら出来るかもね?」
出来るのかよ?
「却下だ、却下!」
暗殺なんて成功する確率の低いものに頼る必要はない!
「いい案だと思ったんですけど」
「頼むからそこから離れなさい」
半兵衛と長姫の考え方が当たり前なのか。
それとも俺がおかしいのか。
どっちなんだろうか?
とにかく一、二年は六角に耐えてもらいたい。
その間に対武田包囲網を作りたいからな。
だが、肝心の上杉との同盟話は龍千代が何かと理由を付けてはぐらかすのでまだ出来ていない。
そしていつの間にか俺達は上杉の定宿に居着いていた。
利久は景家とすっかり仲良くなって毎晩晩酌を共にしている。
俺も朝信と一緒に付き合わされたが何度も潰されてたので今では近寄らないようにしている。
俺は俺で政景や朝信と親交を深めている。
政景は龍千代の言動に振り回されている苦労人だ。
俺とはよく気が合う。
政景は龍千代の義理の兄に当たり龍千代に代わって色々と代行業務をしている。
織田家で言えば信光様のような人だ。
信光様よりは若いのに苦労している。
本当ならこの人が長尾家を継いだ方が良いんじゃないかと思う。
朝信は龍千代のお気に入りの側近で、俺と同じくこれまた難題を課せられる事が多いそうだ。
食事の席などでよく俺に愚痴っている。
勝三郎や俺に近い人物だ。
いつか胃に穴が空くんじゃないのかと思う。
こうして長く上杉家の面々と生活するのは中々楽しい。
しかし、これ以上仲良くなるのはどうなんだろうか?
俺の当初の目的は上杉との同盟を纏めることだ。
いい加減早く帰りたいのに龍千代がそれを許してくれない。
小六、犬千代。もうちょっと待っててくれー!
そして、ある日のこと。
俺は龍千代に呼ばれて離れの茶室で人に会うことになった。
茶室には既に客人が来ていた。
その姿は武士ではない。
待ち人は公家だった。
「ほほほ、お久しぶりでおじゃるな。龍殿」
「気色悪い公家言葉を話すな。先左大臣殿」
へ、先左大臣?
「そうだな。俺もこの言葉使いは嫌いだ。何時ものように話すかな?」
「まったく困ったお方だ」
「ははは、ところで隣は誰だ。見たことが、いや。確か先の任命式で見たような?」
「はは、私は木下 藤吉と申します。上杉弾正様の客将にございます」
素直に名乗っておこう。
龍千代に部下だと言われるとややこしくなるからな。
それにしても先左大臣か?
誰だっけ?
「ふうん。木下か?」
先左大臣は口元を扇子で隠している。
そして注意深く俺を見ている。
なんか背中がムズムズするな?
そして、この人イケボだな。
それにイケメンだ。
イケボでイケメンに地位も高い。
三拍子揃っている。
「藤吉。この方は先左大臣で近衛前嗣殿だ」
近衛前嗣?
ひょっとして近衛前久か!
お読み頂きありがとうございます。
誤字、脱字、感想等有りましたらよろしくお願いいたします。
応援よろしくお願いします。




