第百四十三話 千 宗易
目の前の男『田中 与四郎』は自ら『千 宗易』と名乗った。
さっきまでは商人田中与四郎であり、今は茶人千宗易となったわけだ。
そして俺が織田家の人間だと知っている。
俺って結構有名人なのかな?と思ったが、多分、半兵衛が話してるかもしれない。
聞かれたことは素直に答えるのが半兵衛の良いところでもあり、悪いところでもある。
あいつ余計なことを話してないだろうな?
さて、先制パンチを食らったところだが、今回は練習試合みたいなものだ。
牽制するだけで、深く踏み込むのは止めておこう。
俺の手札を容易に晒すことはしない。
切り札は最後まで取っておく物だ。
そして最後まで使わないでおくのが理想的だ。
まあ、それも相手次第だがな?
『茶人 千 宗易』
茶聖と呼ばれる現代茶道の創始者のような人だ。
実際は違うが茶道に大きな影響を与えた人物で間違いない。
信長が上洛してから茶頭として仕えている。
その後は秀吉に仕えて外交的な面で力を発揮していた。
しかし、最後は秀吉に切腹を命じられてその生涯を終えている。
つまり、秀吉とは因縁浅からぬ間柄だ。
堺に来て今井彦右衛門と接触する時にこの男と会う可能性は考えなくもなかったが、いざこうして対峙すると狭い部屋なので宗易からの威圧感をひしひしと感じている。
「私の事をご存じでしたか?」
「私は商人であり、茶人でもあります。私の耳は事の他、遠くの出来事を聞くことが出来るのです」
情報収集は商人としては当たり前。
そして茶人として招かれることも多いので知らず知らずに情報を得ることも出来ると言うことか?
「では、私達をこうしてもてなした理由を聞いても?」
今回どうにも腑に落ちない点があった。
なぜ宗易は朝日達を持てなしたのか?
しかも貴重なお菓子を使っての歓待だ。
会って直ぐの人間にやるようなことではない。
「そうですな。お詫びと感動、ですかな?」
そう言って宗易は茶の用意を始める。
お詫びに感動?
なんの事か全く分からない?
「お詫びとは朝日達にですか? それに感動とは誰に対してですか?」
宗易は黒い湯呑みを取りだし、それに茶入から杓を使って抹茶を入れる。
抹茶の入った湯呑みにお湯を注ぎ、茶筅でかき回す。
一連の動きに全くの無駄がない。
俺はその動きに感心していた。
俺の祖母は茶道を少し嗜んでいたので違いが少し分かる。
祖母は近くの人達を集めて茶道教室をしていたのだ。
俺は小さい時にたまに付き合わされた事があるが、祖母は茶筅でかき回すまでゆっくりと行っていた記憶がある。
それは祖母が教師として教えているからという理由もあるが、それでも祖母は間違いないがないように確認しながらゆっくりと手順を踏んでいたのだ。
しかし目の前の宗易はおそらく目を瞑っていても、全く同じ事が出来るのではないのかと思えるほど迷いなく茶を点てている。
「どうぞ」
宗易が湯呑みを俺にそっと差し出す。
俺はそれを片手で持ち上げて空いた手で底を支える。
くるりと回して両手で口に持っていく。
一口、飲み。二口目を飲む。
そして、三口目で全て飲み干した。
俺は湯呑みを置いて宗易にそれをスッと返した。
「見事なお点前でした」
「ありがとうございます」
俺は素直な感想を述べた。
一口、口を付けた時は熱くないか確かめた。
二口目で味を確かめる。
抹茶が濃いと飲むのに苦労する。
三口目で全てを飲み干した。
のどごしが良く俺は胸元から懐紙を取り出して口元を拭う。
そしてそれを懐にしまう。
ゴミを出すのは失礼だからね。
「先ほどの質問ですが、私の名前を騙って商売をする者が増えていたのです。私は最近まで堺を離れていて知らなかったですが、かなりの被害が出ていたようで……」
確かにぱっと見て本物か偽物なのかなんて素人には分からない。
かなり吹っ掛けられたのだろうな?
そしてその偽物が宗易の手元にやって来たそうだ。
本物が分かる人が直接持って来て説明を求めたのだ。
宗易はそれに驚き、謝罪をした後に代わりの器を送って事なきを得たそうだ。
自分の作品の偽物が出回っている事を知った宗易はこれに大変怒り、その偽物を作った者を直接探すことにしたそうだ。
噂を集めてその偽物が出ているお店を探しだし、直接乗り込んだ時に朝日達と出くわした。
買おうとした器を割られたことで朝日達が怒ると予想した宗易であったが、朝日達は怒ることもなく事の成り行きを黙って見ていた。
それを訝しく思った宗易は、半兵衛に問い質すと返ってきた答えがこれだ。
『偽物だと知っていました』
これを聞いた宗易は大いに笑い。
そして、幼さが残る半兵衛が違いの分かる人物だと感動を覚えたそうだ。
そして宗易は詫びを込めて店に招待し歓待した。
「簪くらい魚屋でも扱っているでしょう。なぜ納屋の彦右衛門殿を呼んだのですか?」
「彦右衛門には犯人を捕まえるのに協力してもらったので、お客さまを紹介したまでです」
彦右衛門はおまけだったのか?
まあ、なんとなく納得が行ったような行かないような?
「それにしても藤吉殿は茶の心得がお有りとみえる。どなたに習われたのですかな?」
「私には色々と教えてくれる者が身近に居るのです。誰とは言えません」
まさか現代で亡くなった祖母に習いました、なんて言えない。
「そうですか。どなたに習ったのか教えて貰えないのですね」
心底残念そうな顔をしている。
やはり茶道にかける情熱が強いのだろう。
「ですが尾張にも茶の道を解する者が居るのが分かりました。それを知れたのは良かった」
中々にポジティブな人のようだ。
そう言えば俺の知っているこの世界の人はだいたいポジティブだよな?
ネガティブな人を見たことがないような?
その後は俺も茶を点てて宗易に飲んでもらった。
しかし、久しぶりだったので少し熱かったので、水を少し足してから改めてかき回して再度出した。
「中々に筋が宜しいですな。良ければ私が少しお教えしましょうか?」
おお、宗易から直接指導して貰えるなんて願ってもない!
「よ、宜しくお願い致します」
「はい、こちらこそ宜しくお願い致します」
こうして俺は千宗易から直接茶道を教えて貰う事になった。
ついでに礼儀作法も教えて貰おう。
京に着いたら龍千代さんだけじゃなくて公家を相手にするかもしれない。
そんな時に茶を点てさせられるかも知れないからな?
しかし俺は思いもよらず宗易の弟子になった訳だが、史実のような事にならないようにしないとな。
俺と宗易が対立するのか?
それとも宗易が俺を見下すようになるのか?
はたまた俺が宗易を疎ましく思うのか?
この先どうなるかは分からないが仲良くやっていこう。
それが一番だ!
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