第百四十二話 納屋に参りて候う
朝日が俺達から離れている間に『今井 彦右衛門』と『田中 与四郎』と出会っていた。
今井彦右衛門は『今井 宗久』
田中与四郎は多分『千 宗易』
計らずも朝日は俺が接触したい人物と知古を得ていた。
我が妹ながらなんたる強運か?
それに与四郎は半兵衛の事が気に入っているようだ。
「なんでまた魚屋に行くことになったんだ?」
「それはですね」
半兵衛が言うには……
半兵衛が買おうとした器は千宗易の作品ではないことを半兵衛は直ぐに分かったそうだ。
半兵衛は冷やかしのつもりで値を下げさせようとしたら、商人がそれに食いついたので偽物だと確証を得たそうだ。
もちろん半兵衛は千宗易の事は知らない。
しかし、商人が話した内容が本物なら尚更値下げなどしないはずだ。
この世界での千宗易は既にかなりの有名人だ。
彼の作品は畿内の実力者『三好 長慶』がお墨付きを与えている。
信長が茶器の価値を上げたと言われているが、俺は元祖は長慶だと思っている。
それが証拠に長慶の家臣『松永 久秀』の持つ『平蜘蛛』は信長が欲する前から有名な茶器であり、それに価値も高い物だ。
だからごく一部の茶器はこの時既に高級品に成っているのだ。
そして茶器の価値を高める事に一役買っている人達が大名であり、その中で現在一番の実力者である長慶が宗易の作品を認めているのである。
その為に宗易の作品はちょっとやそっとでは手に入らないのである。
半兵衛はその偽物を買い取って宗易にその偽物を見せようと思ったらしい。
そこへたまたま田中与四郎が現れた。
与四郎は器を割った後に半兵衛になぜ器を買おうとしたのかと聞いたので、半兵衛は正直に答えた。
それを聞いた与四郎は大変喜んで半兵衛達を魚屋に招いたと言うことだ。
後は朝日が話した内容通りで間違いなかった。
「金平糖は甘くて、落雁は歯ごたえが有って美味しかったです」
これを言わなかったら誉めても良かったのに。
しかし、情報は得られた。
与四郎と鉢合わせたのは偶然ではないだろう。
おそらく宗易の作品の偽物があちこちで売られていて与四郎はそれを探していたのかも知れない。
なぜ本人が探していたのかは知らないがそのお蔭で与四郎と彦右衛門、二人と繋がりが持てたのだ。
これは朝日のお手柄だな。
明日、朝日達を別行動させたらもしかしたら『津田 宗及』が釣れるかも知れないな?
いや、朝日を危ない目に遭わせる訳には行かない。
なるべく目を離さないようにしよう。
その後、長姫と明日の予定の変更を話した。
「と、言うわけで明日は今井彦右衛門と会うことになった」
「はぁ、藤吉と二人きりで買い物を楽しみたかったのに……」
いや、二人きりは無理だろ!
護衛が付くし!
しかしここで馬鹿正直にそれを言えば長姫は機嫌を損ねるだろう。
「ごほん。彦右衛門との話が済めば二人で堺見物をしよう」
「本当ですの!」
両手を胸の辺りで組んで目を輝かせる長姫。
「ああ、約束する」
「嬉しいですわ!」
そう言うと長姫は俺に抱きついた。
まあ正確には二人きりとは言ってない。
護衛は少しだけ距離を取ってもらう事にしよう。
「今日はこのまま一緒に……」
耳元で俺に囁く長姫。
えっと、それは、良いのかな?
既に俺は市姫といたしている。
それならば長姫といたしても良いのではないか?
よし、据え膳は食べる為に有るのだ!
タタタタ、スパーン!
「お兄ちゃん。一緒に寝よう!」
朝日が戸を開けると同時に俺と長姫は瞬時に距離を取った。
「う、うん。そうだな」 「そ、そうね。一緒に寝ましょうか?」
「うん!」
くそー! 今日はお預けかよ!
そして俺達は仲良く川の字になって寝た。
チャンスはこれからいくらでも有るんだ。
悔しくなんかないからな!
次の日。
彦右衛門の居る『納屋』に朝日達を連れて向かった。
招待されて居るのはあくまでも朝日達だ。
俺ではない。
店に着いて直ぐに店の者に声をかけると、すでに話が通して有ったのか。
店の奥屋敷に通された。
そして少し広い部屋に通されてお茶とお茶請けを出されて待たされた。
営業では商談が決まるまでは相手から出された品には手を出さないのが基本だ。
お茶を飲むくらいは良いがお菓子に手をつけるのは駄目だ。
そして俺は黙って彦右衛門がやって来るのを待っているのだが……
「おお、これは甘いな! どうした藤吉。食わないのか?」
「朝日、金平糖が大好き! うーん!美味しい!」
「これ、はしたないですよ朝日。でもこれはいいわね。後で作り方を教えて貰えないかしら?」
「あ、半兵衛さん。そんなに食べないで、私の分も残してください」
「モグモグ、モグモグ」
……連れてくるんじゃなかった。
俺が後悔していると静かに戸が開かれた。
姿を見せたのは二人。
「あ、彦右衛門さん。それに与四郎さん」
朝日が二人の名を呼んだ。
「これはこれは、だいぶお待たせ致したようで申し訳ありません。与四郎を呼びに行っていたもので遅くなりました」
「いえ、早くに押し掛けてしまい。こちらこそご迷惑をおかけしたようで」
「いえいえ、こちらは構いません」
二人は穏やかな顔で俺に語りかけた。
さて、どちらがどちらだ?
「手前はこの店の主で今井彦右衛門と申します。以後よろしくお願い致します」
「私は魚屋の主をしております。田中与四郎と申します。よろしくお願い致します」
二人が俺達に頭を下げる。
俺から向かって左の男が彦右衛門で右が与四郎か。
今井彦右衛門は至って普通の男だな。
少しばかり横に大きいようだ。
良いものを食べているようで体重が気になるな?
田中与四郎は史実ではかなり大きいらしいが、目の前の男も大きい。
利久と同じくらい大きな!
それに肩幅も大きい。
商人と言うより武士と言った方がしっくりくる。
二人が名を名乗ったので俺も名を名乗る。
嘘を付いてもいつかバレるので名前だけは正直に名乗る。
「私は朝日の兄の木下 藤吉と申します。先日は朝日達がお世話になりました。お礼を申し上げます」
「これはご丁寧にありがとうございます」
「私は半兵衛殿と話が出来て楽しゅう御座いました」
ふむ、好意的に受け取って貰えたようだ。
ならば……
「先日は朝日様に手前どもが扱っている品の一部を御見せ致しました。本日はそれらの他にもご所望の品が御座いましょうか?」
おっと、いきなり先制された。
俺は長姫を見る。
長姫は頷いて彦右衛門に声をかける。
「そうですわね。妹の朝日は簪を欲しておりますけど、わたくしは別の品を見せて頂きたいですわ?」
「そうですか、そうですか。ではどのような品を?」
「そうですわね?」
さて、彦右衛門は長姫に任せよう。
俺は与四郎に当たるとしようか?
「買い物は女性に任せた方がいいですな。そう思いませぬか、与四郎殿」
「そうですな。しかし決めるのに時間が掛かるのが玉に傷ですがな。ほほほ」
「半兵衛に聞いたのですが与四郎殿は茶を点てられるとか? よろしければ私にも点てて貰えないでしょうか?」
ちょっと図々しいお願いだが俺の考え通りなら大丈夫なはずだ。
「おお、これはお耳汚しを。私のような者の点てた茶でよろしいのでしょうか?」
「是非に」
与四郎は少し考えたそぶりを見せたが、直ぐに微笑んで答えてくれた。
「では、別の部屋にて点てましょうか?」
「ありがとうございます」
「では、こちらにどうぞ」
与四郎は立ち上がり彦右衛門に二、三、言葉を交わすと戸を開けてスタスタと出ていった。
俺も後を追って出ていく。
与四郎は屋敷の中庭にぽつんとある小さな建物に入っていった。
これがもしかして草庵って言われる建物だろうか?
俺は恐る恐るその建物に入った。
中は四畳ほどの広さで茶釜が置かれている。
その茶釜の側に与四郎が座っている。
「どうぞ。お座りください」
俺は言われるままに腰を下ろす。
しかし、なんだ。
さっきから周りの空気が重いような気がする。
いや、この部屋に入ってから重くなったような気がする。
そして、与四郎が俺を見て手を突いて挨拶する。
「改めて挨拶を。私は茶人。千 宗易と申します。織田家の木下様で間違い御座いませんでしょうか?」
目の前に居る男はやはりあの『千 宗易』だった。
お読み頂きありがとうございます。
誤字、脱字、感想等有りましたらよろしくお願いいたします。
応援よろしくお願いします。