第百十七話 織田武田同盟成れり
美濃奥屋敷にて晴信、信繁が下座に座っていた。
当然上座には誰かが座っている。
その人物は……
「なぜ、あの場にて治部を斬らん」
赤く濁った目をした男が晴信達に詰問していた。
「あの場にて斬れば武田は話を聞かぬ愚か者と言われかねませぬ。左様な事になれば服属せしめた国人衆の離反を招きかねませぬ」
「賢しいのう、太郎よ。そんな物を気にしてどうする。刃向かう者おれば直ちに斬れ。押し潰せ。人を支配するは恐怖よ。情等要らぬ。よいな?」
晴信達に念押しする男。
「それでは国の統治が成り立ちませぬ。我らだけでは人が、ひぃ」
そして、反論する晴信に似た男を睨み付けて黙らせた。
「揃いも揃って甘い事を抜かす。次郎よ。そなたは違うな?」
「兄者の言も、孫六の言も正しく思われます。なれど事を荒立てるも、また一興」
「おお、次郎は良く分かっておるわ。うむうむ」
信繁の言に笑みを浮かべる男。
「なれば上洛はいつ頃よ? 太郎」
「長尾と和し、今川とも話をつけました。北条は長尾と今川に任せ美濃の統治を進めまする。遅くとも五年。早ければ三年で」
「遅い。遅い。遅すぎる! 来年の春先には上洛をせよ」
「無茶が過ぎまする。それほど早くは」
「黙れ。次郎よ?」
晴信は下を見て唇を噛み締めている。
「されば来年の秋から春に掛けては如何と?」
「ふむ。太郎よりはましか。良かろう。しかしそれ以上は待てぬ。よいな」
「「「はは」」」
「下がれ」
晴信達が部屋を出ていく。
「後少し、後少しよ。我が武田が武家の棟梁と成るのだ! ふふふ、ふははは」
この者、名を『無人斎道有』と言う。
またの名を『武田 信虎』
彼こそ真の『甲斐の虎』である。
※※※※※※
「父上はますますおかしくなったのではないのか? 来年にも上洛等と」
「兄者。今しばらくの辛抱です。父上もそう長くは有りますまい」
「次郎兄上。私はそうは思いませぬ。前より元気に見えました」
「孫六。そなたはもそっと考えて物を申せ。父上の病は心の病よ。外見で物を見てはならぬ。だから、長姫にからかわれるのだ」
「確かにな。あれでは私の影とは言えぬ。如何に苦手な相手とは言え。ああも感情を出しては?」
「あ、あれは態とです。態と挑発に乗っただけです」
「それで相手につけ入れられてはな?」
「うぐ」
「その話はもうよい。それよりも美濃の統治よ。我は一旦甲斐に戻る。次郎と孫六はここに残って処理をせよ」
「そんな! 太郎兄上だけ戻るのですか? 私も連れて行って下さいよ?」
「はぁ、孫六。そなたは兄者の影なのだ。兄者が美濃に居ると思わせなければならぬ。だから私と残るのだ」
「そ、そんなー」
「ははは。しかし、武田が天下を狙う等な? 我は甲斐の民が穏やかに過ごせれば良いのだ。それだけでな」
「兄者」 「太郎兄上」
武田三兄弟は父信虎の思いを否定していた。
「あ、太郎兄上。あれで本当に良かったのですか?」
「うん? 四郎の事か」
「私もあれで良かったとは思いませぬぞ。第一四郎は……」
「ふ、良いのだ。四郎には良い経験になろう」
「俺は四郎が可哀想だと思うけどな?」
「兄者の深い考えは私には分からぬ」
「ふ、次郎に分からねば、父上にも分かるまい。ははは」
「絶対に四郎は怒ると思うけどな」
孫六の独り言は晴信には聞こえなかった。
そして、信繁はただ苦笑するのみであった。
※※※※※※
尾張織田家と甲斐武田家は同盟を結ぶ事になった。
同盟の対価として織田家は武田家に姫を差し出す事になった。
武田晴信の四男『武田 四郎 勝頼』の嫁だ。
そして、武田家からは晴信の娘『菊姫』が織田奇妙丸様の嫁になる。
縁戚関係を結ぶ事でより強固な同盟関係を結ぶのだ。
それと後は細々としたやり取りが残っているが概ね交渉は終了した。
しかし、これってさ?
「な、な、何でそんな事になってるのよ!」
はぁ、やっぱりねえ。
「まあまあ。落ち着いてね、市」
「これが落ち着いて居られるもんですか? 貴女『わたくしに任せなさい』と大見得切って行ったのに、結局縁談を纏めてきただけじゃない。それも相手は年下の四男じゃないの!」
「あら、嫡男の義信が良かったかしら?」
「どっちもお断りよ!」
どうどう、落ち着いて下さいよ市姫様。
声に出すととばっちりを食いそうなので出さない。
君子危うきに近寄らずだ。
いつもの部屋に俺と市姫様と長姫が居る。
会談の内容を話しているのだ。
信光様と平手のじい様は勝三郎達が説明している。
俺と長姫が市姫様を説得する係りだ。
「誰も貴女の縁談を纏めた訳じゃないのよ。ちゃんと奇妙君の縁談も纏めたんですのよ」
「当たり前よ。その為に貴女に頼んだんだから」
「だったら良いですわよね? それともこの話が御破算になって武田と一戦交える? わたくしはそれでもよろしくてよ」
「ぐぐぐ」
市姫様が唇を噛んで悔しがる姿はちょっと可愛いな。
「まあ、来年の話ですわ。それに向こうも準備がある訳ですし」
「当たり前よ。今年中に来られてもこっちが困るわ! それに奇妙にもちゃんと話さないと」
え、奇妙丸様に話してないの?
「大丈夫なのかしら? ちゃんとしなさいな」
「分かってるわよ! それと確認するけど。その四男の嫁は向こうがこっちに来てから決めるのよね?」
「そうよ。そう言う話になってますわ。わたくしもちょっと意外だったのですけど。まあ、こっちに不都合はないのですから大丈夫ですわ」
「全然、全然大丈夫じゃないわよ! ああ、もし私が選ばれたら…… その時は戦よ! 良いわね藤吉」
近い、近い、近いです市姫様。
「そうならないように御祈りしますよ」
「うん、祈って」
俺の手を取って話す市姫様。
それを無理矢理引き離す長姫。
「そうはならないから安心しなさいな。全く、自信家なのは質が悪いですわね」
さらっと毒は吐くのね長姫。
それにしても武田はかなり譲歩したな。
いや、息子と娘を送り込むとは何を考えているのか?
俺なら息子の嫁だけ貰って終わりだよ。
なのに人質を二人も送り込む。
まあ、息子の四郎勝頼は嫁を決める為に来るんだけどさ?
ああ、来年は奇妙丸様の婚姻と四郎勝頼の婚姻が重なるのか?
これはまた、右筆衆は忙しくなるな。
あ、そうだ!
俺の恩賞はどうなるんだろう。
「あの、市姫様。ちょっと宜しいでしょうか?」
「何?」
「えっと、その、俺の恩賞はどうなりますか?」
「え、あ、そう、そうね。もう少し待ってね。そうもう少しだけね」
「はぁ、そうですか」
まだ領内が片付いてないから無理なのか。
「ふふ、もう少しよ。藤吉」
何で嬉しそうなんです長姫?
結局はまだ右筆のままなのか。俺は?
永禄二年 九月某日
織田家 右筆 侍大将 木下 藤吉 書す
これにて五章は終了です。
全然出世してないな? おかしいなぁ?
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