第十話 右筆となりて候う
利久から殺されそうになって七日が経った。
右筆として城に上がり近習筆頭である勝三郎に一室を宛がってもらい書に埋もれている毎日。
同じ右筆である『明院 良政』殿は市姫の側で代筆を。
俺は書の写しと直しを永遠やりつづける毎日。
たまに利久がからかいに、犬千代が休憩にと茶を持ってきてくれる。
実は利久は字が俺よりも綺麗なのだ。
実際からかいに来たとき自分も物を書いていると見せられた時は驚いた。
何を書いているのかというと、万葉集や、古今和歌集を写しているのだ。
大層整った字で俺が書いた物より芸術性が高い物だ。
一目見れば分かる。
これだけ書けるなら自分で書けばいいものをと言ってやれば。
自分の書き物はオナゴを口説く為の物とはっきりと言いやがった。
それ以外は書かんと言うのである。
利久から聞いた話によると。
まず、気に入ったオナゴを見つけると万葉集や、古今和歌集を真似たりそのまま使った歌を相手に送るのだとか。
相手は無論、字の読める士分以上の武家の娘や、豪商の娘等だ。
娘達も嫁入り前に教養を積んでいる。
歌の内容は恋文だ。
どこの時代も相手に伝える為の言葉を文に託すのは当たり前のようだ。
しかし、この時代の恋文はストレートな内容が多い。
例えば『あなたと二人朝を共に出来れば』とか。
自分の心情を乗せて『あなたの閨で語りたい』等々。
とにかく、ド直球、ど真ん中、ただやりたいだけの欲求を優先する内容なのだ。
そしてこの内容がまたはまるらしい。
その後、文を渡した相手から返事の文を返してもらう。
利久の書いた上の句に相手の下の句が返事になるそうだ。
女性も返事はストレートだ。
『あなたが我が家を訪れるのをお待ちします』とか。
『あなたの心を射止めたい』とか。
男も女も凄いね!
欲望に忠実なんだもの。
利久はこの手の内容で夜這いしまくったそうだ。
そして前田家はこの放蕩息子に散々振り回されてるらしい。
後に犬千代に確認してみたら半分以上はこの問題で家を追い出されたらしい。
羨ましいぞ利久!
万葉集、古今和歌集は凄いよ!
特に古今和歌集は悶絶もんだ。
俺ももっと詩歌や和歌を勉強するんだった。
ちなみに俺もやってみたいと言ったら利久はちゃっかり犬千代にチクリやがった。
夜通しの説教をくらい、朝日が眩しく仕事にならず居眠りして勝三郎に怒鳴られた。
しかし、右筆の仕事はわりかし楽しい。
この時代特有の言い回しや、作法等々、勉強になる事が沢山ある。
学生時代は歴史学専攻で古文には慣れていたつもりだったがこっちではさっぱり分からない。
しかし、利久や犬千代、勝三郎の指摘で何とか理解出来るようになった、と思う。
惜しむらくは現代に帰ってお世話になった教授達に教えられない事か。
非常に残念だ。
そして先輩と言うより上司である明院利政は、俺の書の先生である。
彼は元は僧侶である。
還俗しても坊主のまま。
年は四十を越えて見える。
信秀の代から仕えていて、信長、市姫の右筆を勤めている。
他に何人か居たのだが市姫が陣代になると他の者は辞めてしまい利政だけが残ったそうだ。
そんな気骨のある御仁だ。
紹介してもらって直ぐに見本を見せてくれたのだが、大変美しい字だった。
現代なら、七、八段くらいの腕前だろうか。
いや、それ以上に感じた。
利政は常に市姫に付いている訳ではなく暇な時間もある。
大抵は書を読んでいたり写本をしていたりする。
俺は利政のしない雑用をしている訳だ。
それを不満に思っている訳ではない。
それよりも利政はふらりと現れて俺の間違いを指摘し修正してくれる。
無口な利政は声をかけたりしない。
さりげなく間違った箇所を筆で指し隣で修正した書を見せてくれる。
「ありがとうございます」
とお礼を言うと、何事も無かったようにすっと立ち上がり居なくなる。
最初は役に立たない奴と思われたのかと思ったが、勝三郎に言わせると大変喜んでいるとのこと。
「利政殿は無口で無愛想だ。だから誤解されがちだが、藤吉のことはよく誉めているよ」
「本当ですか。呆れられているのかと思ったんですけど。間違ってばっかりですし」
事実、けっこう間違っていたりする。
だってあまりにもいい加減な字が多くて翻訳するのに苦労するのだ。
だから俺が間違っていてもおかしくない。
「利政殿は間違いを指摘したりしない。それよりも自分で書いてしまうものだ。だから心配しなくていい」
なるほど、あれは指導なのか。
それを聞いてからは俺は利政を先生と呼ぶことにした。
先生と呼ばれた利政は、ちょっとびっくりした顔を見せたがその後はポーカーフェイスを貫いた。
ちょっとは素直になっても良いのにと思うが、こればっかりはしょうがないだろう。
だが、距離は縮まったと思う。
ただ心配なのは雑用でも右筆が扱う書類は大抵重要な物が多いのだ。
そんな重要書類を扱う俺。
十分に信用されていない今の現状では大変危うい。
利久は一旦は俺を信用してくれたみたいだが、平手のじい様と勝三郎は違う。
平手のじい様と勝三郎は帯刀しているので、いつか切られるのではないかと思ってしまう。
特に平手のじい様は忌々しげに俺を見ているのでかなり怖い。
仕事中は良いのだが仕事が終わった後に殺されるなんて事が、と思ってしまうのだ。
仕事が終わり、毎日、毎度、毎度の食事を共にする利久に確認してしまう。
その度に利久は笑い、犬千代は大丈夫だと言い、寧々は小首を傾げるばかり。
そして七日目の夜。
「明日になればお主がどうなるか。分かる」
と、利久に言われた。
「そうか。明日で俺は死ぬのか」
冗談で返したのだが……
「そうだな。明日で死ぬな」
「冗談じゃないのか?」
「さぁ、どうかな?」
「兄上。嘘は止めてください」
「嘘ではない。藤吉は明日死ぬかもしれん」
……マジか、俺、死ぬのか。
「藤吉様は死んでしまうのですか?」
半分涙目の寧々が上目遣いで俺を見ている。
「あ、に、う、え~。いい加減にしてくだい! 寧々が本気にしてしまうでしょう」
「あ、いや、何、大丈夫だ。多分死なんから、な」
必死に寧々を宥める利久。
でも全否定しないんだな。
……明日、どうなるんだ俺。
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