0:a few moons ago
いきなりネタバレ&グロ注意です。
僕が、この子を守ろう。自分を犠牲にしても、全てを敵に回しても。
そう思うのはおかしくなんてないさ。僕にとって彼女こそが、世界そのものだったんだ。それ以外がどうなろうと僕の知ったことではない。だけど、彼女にはそうじゃなかった。
妹には、僕以外に大事な物が出来て……僕は気付いてしまう。何時か僕だけが、取り残されてしまうって。
(アルドール、君は何も悪くない。だけど、僕はお前を許せない!! )
僕からこの子を取らないでくれ。どうせお前にはギメルを幸せになんか出来ない。興味本位で近付くな。君と彼女が思い合うのを知っていて、僕は二人を引き裂いた。彼女のためだと言い聞かせ、自分の弱さを守るため。
報いだったと言うのだろうか? こんな所に来てしまったのは……
「君達は、実に美しい混血だ。しかしその美しさには保証がない。永遠とは言えないのだよ」
「だから私は、二匹とも加工してしまうのが宜しいと言っているの」
「しかしこの美しさだ。他の貴族のやり方に倣わずそうしてしまうのも勿体ない。そこで君たち自身に選ばせようと思うのだ」
不自由の中、与えられた自由がある。正解を選ぼうと思った。だけど僕にはそのどちらが正解なのかが解らなかった。
「さぁ、どちらを選ぶ? 君が決めて良い。どうする……イグニス? 」
僕と妹が売り飛ばされた、悪趣味な貴族の家で、突きつけられた選択肢。それは、死ぬか生きるか。無垢か穢れか。考えれば考えるほど、僕は言葉を紡げない。
ギメルは大事な妹だ。こんな腐れ変態貴族共に遊ばせるなんて許せることじゃない。だからって可愛い妹に死ねというのか? そんなことも出来ない。じゃあ僕は? こんな奴らに何かされるなんて冗談じゃない! それなら今すぐ死んだ方がマシだ。僕がこう考えるなら、妹もそれが幸せ? それじゃあ僕が、生き残る? でも、僕にそれが言えるのか? いつもすぐ泣く妹に、「死ぬ方が幸せだから、死んでくれ」など。
「ギメル…………」
選んでくれ。どちらの結果であっても、僕は君を呪わずに受け入れるから。
「私は……」
「麻酔はどうする? 先に毒で殺すか? 」
「なるべく新鮮な内に取り出したいですわ。生きたままが宜しくて? 」
「繁殖させるならどちらを残すべきか迷ったが、混血は一代きりの消耗品との噂。男も女も関係あるまい」
か細い彼女の声を掻き消す、楽しげな夫婦の会話。今すぐ数術で逃げられないか? 駄目だ。奴隷商に付けられた僕の首輪には、最悪の数式が施されている。僕が数術を使うのに反応し、ギメルの首輪が爆発する仕掛けが。ギメルの方にも同様の仕掛けがあるが、彼女の力では簡単に捕えられてしまう。僕ら二人が、生きてここから逃れる術はない。
(あの変態共っ……そんなの、痛いに決まっている。それなら屈辱でも、生きて居れば……いつか)
生きてくれ、ギメル。そう言おう。君に何があっても、君を愛してくれる人は居る。自信を持ってくれ。僕の妹は世界一可愛い。あの馬鹿が君を捨てるというのなら、僕が祟って呪い殺してやるから安心して、君が生きてくれ。
(言おう、言うんだ。言わなきゃ……)
何度も口から呼吸を繰り返す。漏れる息は震えていて、満足な言葉にならない。君を守らなきゃ、そう思うのに……
「見て下さい貴方! 磨いでおきましたの! 」
「ほぅ……また腕を上げたな。すばらしい切れ味だ」
目先の恐怖に負けてはならない。聞こえない振りをしろ。痛みはきっと喜びだ。僕が死ねばこの子が生きて居られるんだから!
「ねぇ、それって本当に本当? ずっと綺麗でいられるの? 」
「おお! 君は見る目があるな! そんなことを言う子は初めてだ!! 」
「まぁまぁまぁっ! 私達の美学が解るなんて殺すのが勿体ないくらいですわ! 」
(ギメルっ!? )
僕が言葉を吐き出す前に、妹は目を輝かせて狂人会話に身を乗り出した。
「私がとびっきり綺麗にお化粧してあげますわ! それに、完成後には最高の衣装を仕立てさせましょう!! 」
「おおおお! そうだともそうだとも!! 君は最高の作品になるぞ!! 」
「えへへ……」
嬉しそうに笑うな。妹は、馬鹿だ。シスコンの僕から見ても、知能が高いとは言えない。だけど、それでも……人の心には敏感だ。特に、親しい人間の変化には。
「ギメルっ!! 」
僕が恐れたのを見て、君が選んだ。何食わぬ顔で、何も知らない振りで……君はいつもの笑顔を演じているんだ。
「待って、行くな……いかないでくれ、ギメル!! ぼくが、代わりに……っ! 」
何も解らない君が、全てを知った目で微笑んだ。
「大好きだよ、お兄ちゃん……! “お兄ちゃんが、しあわせでありますように”」
数術がなければ僕なんか、非力な子供だ。閉じた扉を破る力もなく、叩き続ける余力もなく……悲鳴一つ上げずに彼女が終わっていくのを待つしか無かった。
そしてまもなく……僕の世界は終わりを告げた。それでも僕は呼吸をしている。僕以外の、他の奴らだってそうだ。ただ一つ変わってしまったことは、“彼女”がそうではなくなったこと。
何が間違っていたのか、何が悪かったのか。毎日そればかりを考える。彼女は犠牲者だ。身内の贔屓目抜きにしたって、彼女に悪い点など何もない。それじゃあ誰が悪かったのか。考えれば……考えなくとも答えは見つかる。
狂っていると言われたらその通りだと思うし、いかれていると言われたらこれもまた否定はしない。
*
万物は数。人も大気も自然も全て、数字の集合により構成されている。その数に働きかけることが出来るのが、数術使い。要は魔法使いのような物。正確には違うけど。
精霊との契約による数式や、混血はこの法則に当てはまらないが、数術における回復の使い手は、奇数を操る奇神の加護を受ける壱の数術使い。彼らは外部の数値を用い、魔法……のような数術を引き起こす。それに対して偶数を操る偶神の庇護を受ける零の数術使い。僕らは、破壊の力に優れ基本的に回復数術を扱えない。また、触媒や精霊以外の外部元素を用いての奇跡は引き起こせないから、自らの数を犠牲に奇跡を起こす。零は使い勝手が悪いってこと。
僕の妹は、少々特殊だ。多くの混血は数術の才に恵まれているが、僕らの場合……それが僕に偏り過ぎた。彼女が扱えるのは少しの回復数術と、正の言霊数術のみ。
だというのに彼女の才能を喰らって生まれた僕は、申し訳ないくらいチートな力を持っている。情報数術、攻撃数術、精霊数術に未来予知。その代償はと言えば、妹以外の生きた者が、全て数字に見えること。
そこに何があるかは情報として伝わるが、この眼で妹以外の世界を認識することが出来ない。美しさも醜さも、老いも若きもデータとして理解するだけ。
妹以外に、色はない。それでも自然物がまだまとも。空には数値が刻まれていて、その時々の色を表す数値が並ぶ。人が作った人工物はそれより数値が目立つけど、まだ辛うじて形を保つ。だけど生きた物だけ、駄目だ。シルエットくらいは解っても、それがうじゃうじゃ動く数字の群れで、見ているだけでも気持ちが悪い。
「探したぞ、ギメル! 」
「お兄ちゃん! 」
彼女の手に触れ、受け取る情報数術。彼女の目を通じて見える世界は、僕の知るそれとは違い……とても美しい物だった。
方向音痴で迷子になった妹を、探しに出かけたその先で……僕は一人の少年に出会う。自分が何者かも知らない、馬鹿で愚かな貴族の玩具、養子奴隷のカーネフェル人。
僕らも髪は母さん譲りでカーネフェルの金髪だ。だけど彼とは目が違う。
カーネフェル人の瞳は青、その血が薄まったシャトランジア人が緑。成金貴族は、見栄えの良い跡継ぎを求め、青目の男奴隷を欲しがった。その訳は……僕の耳元でろくでもないことばかりを囁く“神様”って奴の仕業なんだけどさ。
《神子よ、救う価値なんて、ないとは思わないか? 》
(黙れ、話しかけるな零の神。僕は神子様なんかじゃない)
ストーカーのようにまとわりつく声から逃れるように、僕はいつも妹を探している。あの子は壱の神の加護を受けているから? 傍に行くと嫌がって、あいつは声をかけてこなくなる。それでも僕が深く悲しんだり傷付いたりした時は、妹の前でも奴は声をかけてくる。
《信じる価値など無いと、思うだろう神子? 》
「おに"いちゃん……」
泣きながら、僕を呼ぶ声すら濁ってる。鼻水なんか垂らして情けない。それでも可愛い妹だ。僕は服の袖で彼女の顔を拭ってやった。両手は枷と鎖で動かし難いがこればっかりは仕方ない。
(“奴隷”なんだ、僕らは)
数日前まではそうじゃなかった。だけど貴族の恨みを買ったお陰で、売り飛ばされてこんな境遇。誰が悪かったと言えば、運が悪かった。そう諦めるには単純な話ではない。
僕の妹は可愛い。多少馬鹿だけど、そこも含めて可愛い。そんな僕の妹が、貴族の家の養子奴隷である少年と出会った。その馬鹿男が僕のギメルに惚れたりなんかしたものだから、彼の養母は怒り狂った。
正義の法に守られて、世界で一番平和な国……そう謳われた宗教国シャトランジアでは、僕らのような混血という種族にも人権はある。あるにもかかわらず、その貴族……トリオンフィは僕らを奴隷商人に売り渡したのだ。
《そうだ。憎めば良い。楽になれる。お前には何の罪も無いのだ、だから……》
僕を惑わすな零の神。思い通りに動いて堪るか。嗚呼、だけど……僕が悪くないのなら、一体誰が悪かった?
(アルドール……)
あいつは何の力も無い癖に僕らに近付いて、僕らの日常を、生活を……人生を奪った男。あいつさえいなければ。あいつに出会わなければ……何度だって僕の中で甦る言葉がそれだ。
あいつ自身は嫌な奴じゃない。それは僕も嫌だけど認めてやる。でもだからって、あいつが招いたことを許せるか? そう考えたなら、僕は絶対に許せない。どうせ結果が同じなら、嫌な奴だったら良かった。僕がお前を呪うことを、もっと心から喜べるような男であって欲しかった。それなのにあいつは……思い出す姿は頼りなく、だと言うのに敵意を飛ばす僕にすら親しみの心を寄せた。お前を思い出す度、憎もうと思う度、辛いんだ。呪いの言葉を浮かべる毎に、同じ痛みが僕を襲ってくるようで……怖い。
(助けられなんか、しない癖に)
助けようとするな。助けたいと思うな。その顔が、その目が何より許せない。僕と妹を救うのはお前なんかじゃない。僕だ。僕が助ける。守ってみせる。
「大丈夫だよギメル。お前に何かする奴は、僕がぶっ飛ばしてやるから」
不安がる妹の前で、僕まで変にはなれない。冷静になれ。取り乱すな。彼女を安心させることだけに全力を注ぐんだ。
いつもの口調、態度も不貞不貞しく……僕らしく言えたと思う。不思議な物でいつも通りを演じる内に、少し気持ちに余裕も出来た。だから、笑えたと思うよ。彼女だけに向ける、表情で。
「うん……」
良かった。ギメルがやっと笑った。笑ってくれた。その顔を見て僕もほっとする。
「ほら、おいでギメル」
「うん! 」
拘束された両腕に輪を作れば、そこに彼女が僕へと飛び込み頭を出した。
「あったかい……んと、暑い? 」
「夏だったね、今……」
くっついて居る内に安心したのか、妹が暑がり始める。心細さで震えていたが、夏の夜の船内は……こんなに密着すれば蒸し暑い。離れようとする僕に、それでも妹はピタリとくっついたまま。彼女はまだ少し震えている。
僕は、この子の全てで在りたかった。兄であるだけではなく、父の代わりに、母の代わりに……その他、例えばこんな毛布変わりでも。
無条件で愛せる存在。何に替えても慈しみたい、そんな相手だ。妹が彼と出会ってから僕は、お払い箱になったと思っていたから、こんな風に頼られるのが少し嬉しい。
「ギメル……」
一つ思ったこと、伝えようか悩む内、腕の中から静かな寝息が聞こえ始める。幸せそうな顔。明日には何があるかも解らないのに。
彼女が眠って居る内に……無理矢理僕の手枷を外し、彼女の拘束も消して……その時点でまだ生きて居たなら共に海に見でも投げようか。そうすれば、これ以上の最悪はない。
(駄目だな、僕は)
出来ないのだ。こんな安心しきった妹を、手にかけることなんて……。それが一番の幸せだと理解していても。それなら、この船がこのまま何処にも辿り付けなければ良い。何処にも行けず戻れず、永遠に海を彷徨う藻屑となろう。
下らない願いを浮かべたところ、……窓から差し込む月明かり。それが檻の中まで伸びてくる。惨めな境遇にあっても、見上げる夜空は美しい。人がこんな最悪の中にいるんだ。雨雲と雷鳴でもあれば良いのに。
美しい物を美しいと思える余裕がない。自分の惨めさを知る瞬間、目にする“綺麗”は皮肉か嫌味だと思う。
(ギメル……)
数値まで光に掻き消されるほどの“綺麗”を。空の色が見えたのは、この子に触れていたからか。
(ギメル。あれは……君みたいだ)
あれはとても、君の髪の色に似ている。それとよく似た姿をしていると、人から言われて僕を知る。月は、そういう意味じゃ結構好きな部類に入る。
「大丈夫だよギメル……僕は死なない。何があっても、僕はまだ」
まだ使いこなしていないけど、僕にはもう一つ切り札がある。その切り札が言うに、僕は二年後シャトランジア聖教会の最高権力者になるのだそうだ。それって僕が生きている前提だよね? だから多少の無茶は平気。僕が二年後まで不死身なら、妹を守る方法というのもあって然るべき。
二人で生き延び無事を確かめ合った時、その時は……僕は思えるだろうか? 今日のような欠けもしない丸い月を、美しいと思うことを。
(まだ、大丈夫。まだ僕は……)
屈したりするものか、滅びの声に。僕にはまだ愛するものも、守りたいものもあるのだ。生きていられる、それだけで。
*
「“セネトレア数術”って知ってるかい坊や? 」
同じ説明を、捕まった時にも聞いた。船旅を終え商業国セネトレア……王都が奴隷通りの檻の中、僕らは又同じ話を聞かせられている。
大人しい振りで、手枷を外される瞬間を僕は待っていた。体の自由を取り戻し、僕が数術を紡ごうとしたところで……奴隷商がそう言ったのだ。妹に刃物を突きつけながら。
「混血は厄介な生き物だ。だからそれをどう制御するかが問題でね。暴れたら片割れがどうなるか解るな? 」
「ッ……! 」
「負けん気が強いガキだな。そういうのが好きな手合いも多いが、そんなんじゃ悪戯に苦しむだけさ。それともそれを見越しての計算か? 健気なもんだ、そうまでして守りたいかいこの子を」
「だ、誰が……っ! 」
「お前達はこれから愛玩動物に家畜になるんだよ。飼い主のご機嫌取ってりゃ美味い飯食えて雨風凌げて一生生活に困ることもない。今までより良い生活が出来るんじゃないか? 可愛がって貰えるように少し躾けてやろうかね? 」
服に手を入れられ、体が強張るのを見て、奴隷商はくくくと笑う。
「冗談だよ冗談! 折角の商品の価値が下がらぁ! 買い手からは傷一つ付けるなとの申しつけだ。ったく、残念だなぁ」
やっと僕から離れてくれたが、違和感はまだ残る。違和感は触れられた場所よりも、何故か首?
「!?」
やられた!! 気を取られている隙に、僕の体には新たな拘束具を仕掛けられていた。
「まぁ、そんな買い手にはあれと同じ首輪で吹っ掛けるのさ。折角馬鹿高い金で買った奴隷に逃げられるより、それよりはサービス価格の数術拘束具をカスタム注文した方が良いからな」
手枷と同じ物を、購入者が決まったところで首へと付けられる。そこに刻まれる数術は、それぞれの弱みをついた物。妹を庇おうとする僕は、奴らに初めから弱点を知られてしまっていた。
僕が数術を使えば、妹の首輪が爆発して妹が死ぬ。拘束具は拘束者の数値を読み取っていて、同じ人物がそれを外そうとしても同じ結果になると言う。
首輪の制御装置が買い手に送られ、屋敷の主人が出かける際は妻の手に。二人揃って出かける際は、何処かに隠される。主人の指輪から指定距離を離れても爆発。一人で屋敷を抜け出しても爆発。首輪にはそんな設定が施されていると説明された。
この僕が……数術が使えないだけで、何も出来なくなるなんて。そう思うと悔しい。唯一僕に残された力と言えば、呪いの言葉。
(言霊数術は、使えていた)
憎むべき男にそれを告げたあの時も、既に拘束具は付けられていた。所詮は金の亡者の国。セネトレアなんかに、あれを理解することが出来なかったのだ。これは切り札。今に見ていろ。きっと、いつかは隙が作れる。
(でも……)
あれだって万能ではない。強い効果を発揮するには、それを直接本人に伝える必要がある。こんな境遇でそんなことをしてみろ。事象が引き起こされる前に反感を買い、痛い目に遭う。最悪死ぬかも……妹が。駄目だ、それだけは駄目だ!
「お兄ちゃん! 」
「ごめん、ギメル……」
「ううん、いいの……よかった、お兄ちゃん無事で」
手枷が外れ体だけは自由になった。数日ぶりに思いきり抱き付いてくる妹は泣いていた。
「ごめんね……わたしが、いなかったら………」
一人だったら逃げられるのに。自分が足手纏いだと泣いている。そんな彼女を見るに忍びなく、涙を堪えて僕は言う。
「そうじゃない。お前が居るから僕は……お兄ちゃんは、強いんだ」
「美しい!! 何て素晴らしいんだ君たちは!! 私は感動したよ!! 」
「……は? 」
僕らを買ったという男は、嘘のない表情、数値で手を叩く。感情数に偽りはなく、彼は本当に感動を味わっている様子。
(善人に救われた? いや、そんなことはあり得ない)
僕らは混血だ。一人頭何億という金が動く。それも“双子が欠けずにいる”のは珍しく、二人揃って買おうとする輩がまともな人間であるはずがない。この感情に嘘はなくとも、僕らを待っているのは幸せな現実だとは思えない。警戒は解かずにおこう。
(良い人そうだよ、お兄ちゃん)
(馬鹿……お前は僕だけ信じていれば良いんだ)
ああもう、これだから僕の妹は。どうしてそうすぐ人を信じてしまうんだ。檻から連れ出される前に、僕は小声で妹に言い聞かせてやった。
(いいかいギメル。この国でお前を裏切らないのも騙さないのもきっと僕だけだ。それを絶対に忘れるんじゃない。いいな? )
(……うん)
(僕が絶対、守るから)
(うん……、ありがとお兄ちゃん)
*
《本当に、それで良いの? 》
《正気か、神子? 》
戸惑う“神”という物を嗤い、動かなくなった“それ”を僕はその場に横たえる。
(殺せって言ったのにな、僕は何度も)
結局は詰めが甘い。そんな所も僕の胸を締め付ける。懐かしさと親しみと……何だろう。
繰り返しても、変わらない。犯した罪はそう簡単には償えないもの。僕はそれを知っていて、それを知らない。
「僕には僕の目的がある。そのためには誰に恨まれても構いません」
後読みの記憶には、苦しんでいる少年が見える。僕が居なければ、その子はやがて救われる運命にある。聖教会の次代の神子として、丁重に扱われ……彼は爪を研ぎ復讐の時を待つ。だけどそれでは“僕”が困る。
それを防ぐにはどうすれば良いか。簡単な話だ、僕が先代と彼より先に出会えば良い。それから救える者を見捨て、彼が助けたはずの強力な駒を、先に僕が救い出す。これで奴の権力、戦力を削ぎ、戦いを有利に進められるという物だ。
「決めたよ。僕の願いは、……あの日のあの場所へ行くことだ」
血を浴びながら辿り着いた塔の上、願うのは願い続けたものとは違うこと。
君が誰より大切だった。その言葉に嘘はない……だけど。
「僕は、ギメルを生き返らせない」
*
「最近は、そんな格好も嫌がらなくなったか。つまらないな」
「貴方、そんな趣味がおありでしたの? 」
「何を言う、お前も知っているだろう? この子は強がる顔が三番目、嫌がる顔が二番目に、絶望し泣き叫ぶ様が一番美しいのだ」
「うふふ、それは私も同感ですわ」
「ご主人様方、もうお茶は下げても宜しいですか? 」
「他人行儀はいかんな“アイギス”」
「ええそうよ、語尾にはハートをと命じたはずでしょう? 」
「おお! その顔だ!! 」
「きゃっ! 可愛らしいわ!! 誰かっ! 今すぐ画家を呼びなさい!! 」
ここは商業国セネトレア、奴隷貿易の中心地……。王都ベストバウアーでこの変態夫婦に買われた僕は、こうして愛玩動物として飼われている。
大嫌いな家。その家の中、好きな場所がある。
悪趣味な貴族の家の離れには、不釣り合いな程美しい彫像がある。少女の背には翼があり、眠るよう目を伏せ祈る天使の像。この世の物とは思えぬ美しさだ。そう……こんなものが、あってはならないのだ、本当は……この世の何処にも!!
「あの子よ、あの子! 」
「居なくなったと思うといつもあそこ」
「暇を貰うとすぐにね。ずっとあそこから離れないらしいの」
「あら、可愛い。今度の“ご養子様”はいつまで保つかしら? 」
「何言ってんの! “奴隷”の間違いでしょ? それにしても……“アイギス”とはね」
「何? 旦那様が名付けた名前に何かあるの? 」
「あぁ、あんた入る前だっけ? 坊ちゃまが居た頃の話よ」
最初は祈った。でもそれが無駄だと気付いてから呪い始めた。それでも何も変わらないと知ってからは……唯、彼女を見上げるだけを繰り返す。この場を離れればまた、僕は全てを乗ろうけど……“彼女”の前でだけは、そんな醜い心を晒したくなかった。そうして彼女を見上げて何日? いよいよ僕も、おかしくなった。幻聴だろう、彼女の声が聞こえて来るんだ。
「お兄ちゃん」
(黙れ、僕のギメルを汚すな)
これは、彫刻ではない。剥製なんだ、人間の。僕の、妹だった……子の体を使って、作られた………。痛かっただろう、苦しかっただろう。彼女の辛さを思うと枯れたはずの涙が再び甦る。
(だけど……)
見上げた先に飾られたあの子は、今日も笑っている。最期の時を、そこに留めて……
というわけではじまりました。6章恋人【逆】の掘り下げのため、自分の中でどうしても必要になり執筆しています。設定や流れは決まっていても、細かい部分の矛盾を解消するための作業で、新たに新キャラも登場し、こんな奴いたのかよ!!!危ない……これ知らないで書いていたら本編えらいことになっていた……。と早速ハラハラしています。