クリスマスの平和は俺が守る!
投稿日が出遅れた……
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見上げた空は白い。覆い尽くす濃い雲は殆ど動かず、そんな曇り空からはぱらぱらと粉雪が桜のように舞い散る。道と街並みを駆け抜ける冷風に目を瞑りながら、重たい足取りを無心で進ませた。
下がったマフラーを口元に被せて可能な限り暖を取ろうと心掛ける。ホッと漏れた吐息は同色の景色に溶け込んだ。手袋に包んだ両手を摺り合わせ、気安め程度だが摩擦力を信じてみる。
寒い。
たった一人でこのような難行苦行に挑まなければならかった彼──水代結季は重く溜め息を吐いた。
高校一年生。青春真っ只中にも係わらず交際経験ゼロ、彼女一人いなく寂しく街を歩く。いや、別にどこかずれているけど優しい両親と一家団欒することができるけども。
学校の友人達も続々とカップル化していく中、結季はそれを結び合わせるキューピッドに過ぎなかった。お助けキャラな友人Aその人である。結び合わせた仲介人に感謝の意を込め、デート風景を文章写真にしてメールで送信してくる彼等に決して悪意は無いのだ。
ここ半年は疎遠な幼馴染みが浮かぶ。
冬期休暇に入る前に噂話で聞いたが、何でも好きな人がいるとか。恋に恋する乙女さんは告白は上手くいったか。今頃、二人仲良く手を繋いでいるだろうか。
下手すれば目的地にいる可能性もある。
それはそれで何か微妙。顔を合わせ辛い。
少し遅めの到着時刻を装う為に、時間を潰して出直すか。
春から秋に掛けては武道に明け暮れて暇を潰すが、態々寒空に飛び出して滝に打たれる程の修行者でもない。いや、この際だから海に飛び込んで寒中水泳して遊んだって心配してくれる女子もいないし良いか。両親はきっと健康の為にと喜んで見送る。
落ち着け。
今日は聖夜クリスマスイブなんだぞ。
「ケーキ買って帰ろ」
目的地に到着。住宅街に溶け込む、どことなく質素な小さいケーキ屋だが、記憶に残る幼少期から毎年購入に訪れる思い出の場所だ。誕生日ケーキもここに頼む。
店内をぐるりと見回せばホイップクリームケーキの他にもチョコレート、フルーツ、クッキーなど多種な品物が店頭に陳列棚に納められていた。子供連れの母親が柔らかい声色で相談しながらケーキを選んでいる。
そして、いた。
「すいません、ケーキ注文してたんですけど」
「はいこれ、水代さん家の分ね」
「流石に早過ぎる!」
「今後ともウチをよろしくぅ!」
親指を立てて片目を閉じ、キラーンとウィンクする店員。色素が薄く茶味のある滑らかな長髪を纏め、私服のエプロン姿で接客している。快活で元気一杯、面倒見の良いお姉さんのように明るい。
実際、幼少期は同級生ながら姉貴分としてよく結季を引っ張っていたものだ。この幼馴染みの少女──花折美琉が。
「お久しー。ていうか同じ学校なのに何で顔すら見せないのか」
「クラス違うしな。それに今年は部活で忙しかったんだろ? 大会準決勝まで行ったんだったか」
「まあね、新人マネージャーだけど付いてった」
男勝りな性格だった小学生の美琉は、結季と他の男子に混じって鬼ごっこやら野球が休み時間の日課だった。中学生になりサッカー部のマネージャーとなって、選手のトレーニングの手伝い、活動の補佐に関わり、高校生でもそれは繰り上がっただけ。
その頃、結季も部活として武術を修練し始めたが、周りと差異を感じるようになり幽霊部員化。昔馴染みの、謎の拳法使いのジジイが師範を務める怪しい武道場に今でも変わらず通い詰めている。
通学路も離れている以上、時間がまるで合わないのだ。
他愛もない会話が続く。
つい、滑った口が訊いてしまった。
「あ、好きな人がいるって?」
「……え、あ、うん。誰に聞いたのー?」
「いやクラスの女子にね。……で、そのハートの矢は誰に向ける? 何ならこの恋愛仲介人で有名な俺が、お前達を結んでくれようぞ」
「確かにそれは有難い。だが大丈夫、ヒロ君とはもう付き合ってるのだよ。あ、ヒロ君は二年生の木島大夢先輩のことね。明日、デートなんだっ」
「あー、サッカー部の」
「ヒロ君とも約束してるし、皆には内緒でね?」
校内でも人気のある有名人で、結季もその容貌は記憶に残っていた。長身痩躯で部活の鍛練による引き締まった身体をし、濡れ羽色の髪と泣きぼくろが特徴。甘い笑み一つで、廊下にいた女子達が黄色い声援を送っていたのを覚えている。
人気者と交際中、普通に凄くない?
美琉は確かに可憐な少女であり、その性格も大変好ましい。
美男美女カップルがまたここに。
「結んでばかりで自分のこと疎かになっておるぞー?」
「ぬうう……、忠告感謝しまーす。じゃ、そろそろ行くわ。またな」
「あ……。結季、また昔みたいに遊んだり……できる、かな。なんてね」
「馬の蹴りが恐いんで自重します。では、失敬」
ケーキを入れた箱を片手に飲んだくれのような動作で店を出る。フラフラの勢いのまま離れたところで肩を落とした。
承知していたが思いの外ダメージは深い。精神力ゲージがぐんっと減少し状態異常『低体温』に『悲しみ』が追加される。
親同士も仲良しな幼馴染みが、好きな人に昇華したのはごく普通、当たり前のようだった。いつも隣で笑い、互いに喜怒哀楽を分かち合う間柄を言葉に出来ず、手遅れに過ぎたところでそれを恋と理解する。
普通に敗れ去った。無念。
一度諦めれば胸の内がスッキリした。美琉とは今後も親しい友人として関係を保ちたい。
新たな恋との出会いを求めるばかりである。そうだ願い事だ。
「クリスマスプレゼントで女の子に──ぐはっ」
阿呆な事を呟こうとした結季を天罰が強襲した。
最早プレゼントをせがむ年齢でもない。毎年恒例の家族パーティーだけが本日のメインイベントである。
料理自慢な母親がその腕を遺憾なく振るう年に数度の機会。こうなれば存分に食欲を満たし、たまには親父の背でも流して晩酌に付き合ってやるとしよう。
「見っけた見っけたよー。可愛い子供っ」
眼下に広がる長閑な街並みに満足した少女はムフフと怪しく笑う。足を重ねて一本立ちする少女は、テナントビルの避雷針の先で腕を組んだ。冷風になびく白銀の長髪を押さえながら涼しげな表情で視線の先を見つめる。
お眼鏡に適う者を運勢任せに見回して捜索していたが、半日足らずの割りと短時間で発見できるとは思わなかった。選択条件もかなり厳しかったにも係わらず、難無く合格したかの少年に当たりを付けた。
手にしていた双眼鏡で再確認する為、不安定なこの場所で腰を曲げ更に不安定な体勢で見下ろす。微動だに揺れないレンズの奥に、帰宅途中であろう少年が映った。寒かったのかクシャミをし、その反動で横転している。
「ふんふふーん♪ ふんふふーん♪」
ご満悦。
楽しみの余りに鼻歌を奏でながら、担いでいた白いトートバッグをごそごそと探り始める。取り出したモノを愛おしそうに摩り、優しく笑いかけた。
「あなたのお相手よ、マフュー」
『ふぇ? ホントなの!』
「すみません、お嬢さん」
鬱蒼としていた雲も無くなり満天の星空が煌めく。ビルやデパート、建造物からの電光に照らし出された街を多種多様な人々が行き交う。家族に孝行する親子連れや、今日も忙しく働いた仕事帰りのサラリーマン。赤と白の柄をした衣服に包むサンタコスチュームの客引きがプラカードを掲げ、ケーキの露店売りもしていた。
同じ学校に通う友達グループで出歩いていた少女達に、彼は背後から声を掛ける。
呼称も聴き取れず少女達は皆が自然と振り返り、息を呑んだ。
彼は輝いていた。
傍のショーウィンドウから漏れ出る灯りが気配すら残さず霞むように、足の指先から髪の毛の末端の全身からキラキラ光るオーラが溢れ出している。
厚手のコートから伸びる長くスラッとした足に目が向き、腰に手を当てればモデルさながらに様になった。……ニコッと笑みを浮かべれば、少女達のハートはキュンキュンして一気に紅潮する。
そんな少女の一人は自分の恋人のことなど記憶の彼方に忘却し、彼に走り寄った。
「は、はい! 何でしょう! 私で良ければなんなりと」
「ちょっと、この人は私に言ったのよ! はい、何でしょうかっ!」
奇特な状況。異常事態極まりないが、少女達は誰一人として自分達を疑問視せず我先にと彼へと縋り付いた。
その目で私を見て。その口で私を呼んで。その手で私の手を取って。──愛する人へ純粋に甘える。
「君達、可愛いね。こんな僕のプレゼント代わりに彼女になって欲しいな」
「「「「「はい! 喜んで」」」」」
愛する彼へのクリスマスプレゼントである。差し出した手に皆が騒がしく群がった。お礼で笑顔を返せば少女達はキャーキャー興奮しだす。
妙な状況だが、通行人も見向きしない。
やがて彼が去って暫くしても、少女達は変わらず湧き上がる熱に浮かれてぼんやりしていた。
『つまらんことに能力を使うのだな。契約者よ、不要な真似は慎むことだ。自ら望んで墓穴を掘るなど、被虐に悦楽を求めるか』
「恋は良い。金は形に代えられるけど、恋は見ることができない。でも確かにこの心に感じるものさ!」
『否定しない。あの女達は確かに“美味だった”』
哲学風にを宣う彼だが、今にも涎を垂らしそうな緩んだ顔で少女と戯れた手を眺める。そんな不審な姿を道行く人々は“当然避けて視界に映さないようにしていた”。
『此度はその手をどうするのだ』
「……今日のプレゼントは恋の温もりだよ、フフ……。僕はホント運を持ってモテてるよぉ」
『いつも自らへのプレゼントなのだな。飽きることを知らないのか。人間の欲は大変に興味深い』
「僕には毎日がクリスマスなの! ごちゃごちゃうるさいぞ悪魔、身体に入れてやってるんだ口出しするなよ!」
『それが契約だ』
彼とは似つかない低く厳かな響きは、彼にしか聞こえない。胸の奥からの苦言を呈す声に、舌打ちして切り捨てた。
イライラが募り簡単に血が上った彼だが、視界の先に可愛らしい女性を見つけると躊躇も我慢もする事無く駆け出す。手に持つ、先程の少女達から貰ったアクセサリーを丸めて上着のポケットに詰め込み、幾らか零しながらも既に眼中に無かった。
「おほ、タイプ! あの子も攻略して彼女にしちゃおうかなぁ?」
意識が覚醒した時、最初に感じたのは寒さである。カーテンとの隙間から差し込む朝日より、真っ先に肌を刺すような冷たさが脳を一気に活性化させたのだ。
季節は真冬真っ只中で到底仕方ないことではあるが、意外と寝覚めは悪い。起きた時は少々ぼんやりした意識のままでいる微睡みタイムを満喫したい性な結季である。
寒さに顔をかしめながらも起床して上体を起こした結季は、聖夜を明けた自室を少し感慨深く見回した。
『メリークリスマス! なのっ』
何か変なのがあった。
ベッド脇の低い棚には読書用のランプと目覚まし時計があるのだが、その傍に妙な物が鎮座している。
雪のデザインをした青い紙で包装された正四方形の箱をリボンでラッピングした物。また、同様の大きな物が棚に立て掛けられていた。ご丁寧にもメッセージカードまで添えられている。
まさかと思いつつも自然と手に取ったカードを開けば、ラメ入りのデコレーションインクのペンで『メリークリスマス! サンタクロースより』と筆記体で書いてあるのだ。
衝撃である。
何がというと色々と。
この年齢にもなれば、毎年世界の子供達へ真夜中に贈り物をする伝説の超人、その存在を是非拝見しようという意欲も無い。だが、そんな贈り物が今になって高校生に何故渡されるのか。何かの間違いではないのか。
いや、恐らくいたずら好きの両親による犯行だ。下手すれば現在、驚愕と興奮を隠せないでいる自分の姿をビデオカメラで撮影している可能性もあり、再度周囲を見渡す。
声が聞こえたのだ。起床直後により半覚醒状態だった為言語として理解していないが、何らかの台詞がこの耳には聞こえた。きっと両親だ。
警戒を怠らず、結季はプレゼント(?)を分析する。小さい箱と大きい箱。はてさて何故に二つあるのか。小さい箱は手乗りを越える程度のサイズで、ビックリ箱を彷彿させる。一方、大きい箱は長方形で腰高までは長さがあった。
怪しすぎる。
しかしこのままでは朝が始まらない。聖夜明けにとんでもないドッキリだが、ここは息子の孝行で墓穴にスイマーさながらに飛び込もうではないか。
もしかすると、本物のサンタクロースからのプレゼントだったりするのかもしれないし。なんちゃって。
大きな箱から手に取る。
包装を、分解──
そしてその中には──
小っちゃな女の子向けの魔法のステッキが──は?
「いや俺高校生男子なんですけどこれ絶対配送間違いだろサンタさぁぁぁあああんんん!!」
衝撃である。二度目。
咄嗟にサンタに向けて突っ込んでしまったがこれは頂けない。
そうだろ。ヒーローものから離れて幾数年、この歳になってこの贈り物はマチガッテル。せめて変身ベルトとかだったら苦笑しながらも身に付けて親の前でポーズを決めてやろうと思ったのに、このステッキは、ステッキだけはアリエナイ。
全長は約三尺三寸、新金属らしきプラスチックや木材とはまた違う材質をしていた。淡い蒼と空色に彩られ、先には雪結晶に似たデザインをした装飾がキラキラ光っていた。
幼い女の子向けのアニメのCM、またはデパート玩具売り場等で似た物を見掛けたことがある。こんな物、通常であれば持っているだけで社会的外傷を負う。店頭に並んでいるグッズを手にした時点でアウト。
「父さん、まさかアンタがこいつを買ってきたというのか……? だとすれば、本物……真の勇者として讃えるべきなのか。──むっ」
現実に戦慄していた結季だが、もう一つの異常事態に気づいた。
ガタガタ……、ゴトッ。
小さい箱が携帯電話の振動とは比較にならないレベルで揺れていやがる。僅かだがポンと跳ねているその箱から『むー、むー?』と、何かの鳴き声も漏れ出していた。怪しさ万点大爆発大炎上である。
噓だろ、まさか、何かの生き物でも入れたのか。サンタよ、プレゼント箱にペットをぶち込むのは流石に駄目だろう。子供達への情操教育世間一般常識その他諸々を含めて。
何らかの拘束を受けていては可哀想なので即刻救出することにした。小さい箱の包装を少々手荒に剥がし、中身の真っ白な箱の蓋を更に開く。
そして中から少女が飛び出してきた──は?
「改めて、メリークリスマス! なのっ!」
「オー、マイ、サンタぁぁぁあああああああああ!!」
衝撃である。三度目。
ペットどころか誘拐!? 誘拐どころか妖精!?
身長二十センチメートル足らずの妖精みたいな少女は、勢いそのまま結季の腕にペタンとしがみつく。手足を突いて無念に崩れ落ちるしかない。
クリーム色に近い鮮やかな金髪は光沢を放ち、柔らかく背裏まで流れている。くりくりっとした目に、瞳は珍妙な澄んだブルー。モコモコの毛綿のような衣服に身を包む少女の頭には雪結晶の髪飾りがチョコンと乗っていた。
ジーッと胡乱な目で睨みながら分析する結季に、少女は疑問符を浮かべて可愛らしくコテンと首を傾げる。
「……どうしたの、スノウ?」
「やっぱり人違いだったー! 誰だよスノウちゃん! ……ゴホン、あー、俺は水代結季と言います」
「?? スノウが変なこと言うの」
駄目だ。未知との遭遇、異人類との初邂逅は失敗を喫した。日本語が通じることは幸運だが、会話が成り立たない不運。何か泣きたくなってきた。
ステッキといい、謎の少女といい。まさかクリスマスに浮かれて変な夢でも見ているだけか。本当はまだ自分はベッドに包まって凍えて震えながら悪夢に堕ちているだけなのか。その可能性の方が遥かに高い。
……あれ。
いつの間にか妖精少女の姿は視界から消えていた。やはり、あれはたちの悪い夢に過ぎず、自分の逞しい想像力と、出会いを求める憐れな欲が生み出した可愛いモンスターだったのだ。自室のドアが勝手に開いてるのも気のせいだったりしないかな。
「良い匂いなのー」
「うおおおおおおッ!!」
理屈不明、ふよふよと浮遊して移動する少女は一階リビングに配膳された母親の料理に釣られたのだ。嗅覚頼りに階段を降り始める。
いかん。この正体不明で謎だらけの少女と我が家最大の災害人間が遭遇した時、どんな化学反応が発生するか予想ができない。絶対に阻止しなくては現実がより混沌へと重く沈んでいく。
ダイビングキャッチ……!
ぐああああああああああ。
凹凸激しい階段を滑走し、最下段の奥にある壁へと顔面から衝突して停止。朝っぱらから体力ゲージは尽きた。間に合わなかった。無念、気絶させてくれ。
──。
────。
「……それで、そのスノウちゃんはどこにいるのか」
「マフュー、言ってる意味わかんないの。スノウ意地悪ーっ」
「おかしいな。被害者って誰だっけか……?」
母親と件の妖精少女、マフューはまさしく運命的な出会いをを果たした。母親は有り得ない事に平然とした態度で「あら妖精かしらー」「初めましてお母様。私マフューなの」と、文明的に遥か高度なやり取りを交わしたのだ。
使えないストッパーこと父親は仕事場に出勤しており、マフューは母親とそれはそれは平和的な交渉もとい世間話をしていた。どうやら詳細な事情とやらを問答したらしい。ヒトが気絶していたというのに。
どうせ暇だから外出して趣味の本でも買いに行く予定だった。
本日の予定は変更し、『マフューとスノウ、冬道のお散歩』とする。マジかよ。
ダウンジャケットにマフラーを巻き、下にはジーンズの控え目なファッション。昨日と同様の装備で背にはミニリュックを下げている。中には魔術とやらでアクセサリー化した例のステッキが入っており、人目を避けることに成功した。ただ、マフューはジャケットのフードを拠り所として運搬せざるを得ない。
「……私は、サンタさんからスノウへのプレゼントなの。代わりにスノウにはお手伝いして欲しいの。スノウにしかできないの」
「へえ……。それってどんな?」
「雪精霊である私とスノウの魔術が合わされば悪いヤツらを殲滅できるの。つまり、魔法少女っ」
うわ本物か。この自称精霊の能力の一端は確かに目撃してきた以上、語ることは少なくともマフュー本人は本気である。このステッキを使って魔法少女をやる気なのだと。
非常にマズい。このままではスノウちゃんとしてキュートでファンシーな魔法少女をやらされそうだ。そうなったら最後、高校生男子の水代結季として社会的に抹殺されかねない。
舌と口を十全に発揮してこの状況を乗り越えないと、休暇明けに同級生や世間からヤバい視線を全方放射で受けることになる。
やるぞ、俺。
「……マフュー? 何でお前がプレゼントなんだ。マフューが来るとスノウちゃんは何か幸せになるのか?」
「そうなの、と私も聞いたの。私は一緒に戦ってくれる子を捜してたんだけど、それがスノウなの」
「……よし、まず仮定として俺がそのサンタ曰く、スノウだとしよう」
「スノウはスノウなの」
「断じて仮定ッ。スノウは魔法少女な訳だが、俺は魔術を知らないし、俺は立派な男な訳なのだよ」
「そうなの?」
「そうなの」
なんてこったい。そこからか。
教育科目としては保健体育と理科だろうか。男と女、異質でありながら愛を育む性別という名の壁を一体この精霊ちゃんにどのように説明すれば。
痛む頭を押さえ、重たい溜め息をついた。
ふと見上げる。どこまでも遠く広がる晴天に、流れる小さな雪雲。細かく少なく散る粉雪はどこか儚く、心が清浄に洗われる。
クリスマスムード一色に彩られた公園では小さな祭が開催され、暖かい食料や飲料を用意した売店や、屋外ステージにて鑑賞の雪だるまを並べていた。
視界の各所で熱々の恋人達が手を繋いでデートしていようと、ベンチの上で食べさせ合いをしていようと、木陰に隠れて濃密な口吻で繋がっていようと。
……と、
「マズい、隠れろ!」
「ふぇ?」
反射的に建物の壁に沿って隠れる。気配を殺した忍者さながらの、完全に消音された素早い動きで、難なくデート中のカップルをやり過ごした。
男女のクリスマスデートとしては、どうやら他のカップル達と違い何やら冷たい空気を醸し出している。会話が殆ど続かず、態度で寂しさとつまらなさが丸分かり。
幼馴染みの美琉を見間違える筈もなく、であればその隣で肩を寄せて歩く美男子は学校で噂の彼である。写真集のモデルさながらの美しさと格好良さがマッチングした、微笑みの貴公子。
木島大夢。
男は見た目じゃねえ、中身だ! と語るのは嫉妬と憤怒にまみれた言い訳にしか変換されない。他を圧倒し屈伏させながら、救いの手を差し伸べるように引き付けるカリスマ的オーラ。
え? あれ本当に人間? よく見たら綺麗過ぎる。
「ヒロ君、それで……今度はどこに行こっか」
「美琉の行きたいとこならどこでも。二人ならどこでも楽しいさ」
「いや……、ヒロ君に聞いたんだけど? って、ちょ、ここ人多い……、待って!」
「場所なんてどこでもいいだろ? くふっ、美琉も本当に可愛いなぁ」
いちゃいちゃ。子猫同士がじゃれ合うように絡む木島。美琉はというと恥ずかしさから真っ赤になって、滑らかなその手を必死に拒む。公園の出口という人の往来が激しい場所で何をやらかしているのだか。
イライラ。最早隠れようとはせず腕を組んで仁王立ちになる結季。その額に浮かんだ青筋が彼等の動きに合わせてやばく軋むむ。美琉の表情が羞恥から嫌悪に移り、結季の目つきが般若のそれになった。
理由は分からないが、美琉は木島のちょっかいに嫌気がさしている。とうとう、頬を片手で握りキスを強要し出した木島に対し、美琉が涙混じりに拒否の意を示した。
これはもうあれだ。
とりあえず通りすがりの幼馴染みYとして乱入するしかない。
「……あの人から何やら邪悪な気配がするの。スノウ、職務質問なの」
「寧ろ現行犯逮捕だ。あの野郎、地面に叩き伏せて捕縛──待て、様子がおかしい」
道路を跨いで反対側にて争っていた美琉達だが、続々と女性メンバーが増えだした。女子高生らしき数名から多種多様な姿、年齢層の女性は皆が身を乗り出し木島に縋り付いていく。
何だあれは。悪魔儀式か何かか。ホラーでヒステリックな叫びが舞台の演目のように時折響き渡る。
「ヒロ君、クリスマスの日にある用事って、まさかデートだったの!? 私がいるのに、どういうことなの!!」
「ちょっと何よアンタ達、ヒロ君は私の彼よ! ヒロ君も何とか言ってよ、ねえ!?」
「ヒロ君、私との思い出は……遊びだったの?」
終わったな。
学校の先輩、成績優秀で運動神経抜群。でもその性根はとても尊敬しかねる。あれは一体何股だろうか、計測不能。女性同士で突っかかり合いを始め出した。
「心配しなくても僕は君を愛してる。……やあ、待たせたね、これからケーキでも買いに行く? ああ、約束なら覚えてるよ、ランチのことなら予約なんてしなくても大丈夫さ」
山に取り囲まれ、クルクルと独楽のように回転しながら少女漫画の王子様みたいなキザな台詞を吐いていく木島。無意味どころか火に油をぶっ掛けるとんでもない真似をしでかした。
ビンタ。ビンタ。ビンタ。
四方八方から振り抜かれる掌に独楽の回転速度が増していく。加速加速、急加速からの逆回転。顔面が風船みたいに腫れ上がるどころか、首の骨が捩れて屈折粉砕しかねない。
木島は自業自得だが、美琉も今回は本当に見る目が無かった。
人混みの中でもしっかりと幼馴染みを見つけ出す結季は、とりあえず助け出すことにした。ちゃっかり紛れ込んでその凍えて冷たくなった手を握って引っ張り出す。
「わ、わわっ……あ。結季、どうして」
「お助けキャラだからな。まあ、今回はご愁傷様。…………昼飯ぐらいならプレゼントするぞ」
結季の冗談半分の文句に、くしゃと顔を悲しみに沈める美琉。
木島を叩きのめしたい気持ちになったが、それは被害者が直接返すもので、結季が手を出せばただの暴力になってしまう。自分の拳を汚す真似だけはできなかった。
こんな場所では美琉には心情的に辛いだろうと、結季はさり気なく連れ出すことにした。そこに待ったを掛ける呼び声。
「スノウ待って、大変なの! あの人を早く捕まえるの!」
「奴を捕まえて裁くのは彼女達だ。男の出る幕ではない」
「違うの違うのー! あの人、悪魔か何かと契約してるの! このままでは危険、レッドゾーンぶっ千切りなの」
「……はい?」
「ゆ、ゆゆ、結季…………肩に、何か……っ」
あ、美琉にマフューが発見された。今朝の自分と同様に現実崩壊の感覚に激しく動揺している。下手すれば、こっちの方がショッキングではなかろうか。どの様に説明するべきやら。
と、結季が悩ましげに首を傾けた時だ。
『────契約は満ち終えた』
体の奥底に向けて響く厳かな低音。心臓が飛び跳ねるように鼓動を加速させる。全身から吹き出した冷や汗と、武術の修行で培った感覚、いや獣、動物が本来持ち得る危険信号が脳に警鐘を激しく鳴らす。
ヤバい。これは、普通の人間より強い。“こちらを狩り、捕食するモノの声だ”。
結季が振り返るのと、女性達が悲鳴を上げて倒れ込むのは同時だった。頭を抱えて蹲る少女等の奥に、彼はいた。
丸い。
前髪と後ろ髪を同じ高さで切り揃えた坊ちゃん刈りは、ボサボサに飛び跳ねている。サツマイモさながらの分厚い豚鼻に、脂でベタベタな二重顎の丸顔。少女向けアニメのイラスト入りセーターと、膨れた肉が内側から押し出しパンパンに張り詰めたフリースズボン。
“見覚えのある木島大夢先輩の姿だ”。──あら?
先程まで妙に格好良く見てた気がするが、“それは間違いだ”。
木島大夢は、運動嫌いの癖に何となくカッケーからという理由で入部したサッカー部の幽霊部員で万年補欠。学力も特筆するものが無く下の上。学校内でも何か問題をやらかしたという話で語られる有名人。休み時間も隠れて趣味の恋愛ゲームに没頭している。
恋愛のお助けキャラクターさながらの結季の情報力が、木島本来の正確なデータを分析していく。先程までどういうわけか、そのデータを誤認して出力していた。
『契約として、お前へ異性に好かれる時間を与えた。我は餌として女の夢を喰らい、そして潜む場所として肉体の内へといた。…………腹は満ちた。最早お前のような人間の魂など不要』
「は、……は? 待てよ、そんなのズルいぞ! まだ僕は本当の彼女を見つけてな──」
『契約は果たされた』
答えはいた。
半透明な──お化け?
長髪の濡れ髪の奥に、怜悧な双眸で人を見下ろす男。引き締まった上裸に体格の線が浮き出る黒いコートを羽織っており、柔らかい裾の細袴を下に履く。頭部から突き出た天を突く禍々しい双角と、背裏から仰々しく顕れた暗黒色の翼。剥き出しの胸元と動作一つが蠱惑的で艶めかしい。
本当にヤバいのが出た。
『……契約者よ。履行された今、もう一つの契約によりお前の命は我が物となる。まずは肉と骨を差し出せ』
「うえっ!? や、やだ、いやだぁぁぁあああ!!」
地面を張って逃げ出す木島を、男は絶対零度に等しい目で見やる。その足元で喉を掻き毟ってのたうち回る少女達が、息苦しさに喘いでいる。
傍にいた美琉も、木島や男のいる光景に口元を押さえて崩れ落ちた。
巡るめくる思い出のフィルム。蒼天の真下で汗水を垂らしてサッカーをする先輩。合宿所で人目を盗んで夜に抜け出した。二人で浴衣を着て出かけた夏祭りと、最後に河川敷から見た綺麗な花火。夕方の教室での暖かい告白。そしてヒロ君と触れ合った青春の一ページ。
今日のデートは妙に違和感があって、全く楽しめなかった。“まるで初めてのデート”。“本当は別に恋人でもないみたい”。
ヒロ君も恋も全て──夢? 幻?
「ぐあああ」
「だ、大丈夫か美琉! しっかりしろ美琉、美琉ーーッ!!」
「ぐ、ぅぅ……まだだ、まだ唇は、ファーストだけは死守に成功している……。この程度、掠り傷だ」
戦場のど真ん中にいる傷病兵のように片膝立ちで汗を拭う美琉だが、その表情は半端なく青白い。木島により自分を恋人として見るよう洗脳されていたとするならば、この場の女性全員がそうなのだろう。
仇は討つ。
ほうほうの体の木島を負う悪魔らしい男。その傍らを走って追い抜き、無様に逃げ惑う豚の「ひっ、なんだお前──ぶひぃ!?」尻の穴に爪先をねじ込んでやる。鍛えた脚力を存分に振るい「ぶ、ぶひぃぃい!!」街路樹に向けて弾丸シュート、見事にゴールイン。
よしっ!
「駄目なのスノウ! その人はあの悪魔──いや、幻魔の器。契約儀式の元で完成された、現世に顕現する為のゲート。渡してはいけないの!」
『器よ、我が骨肉と成れ。我は現世に……』
木の枝にぶら下がり目を回す木島に男が手を──ねじ込んだ。
そして、
「……っ。痛たた……! まじかよ、おい」
唐突な暴風に吹き飛ばされた結季。体勢を起こした時に映る光景に驚愕から目を見開き、その身を震わした。
“木島の肉体をねじ込んだ腕が飲み込み、男は実体となった”。
凹凸も無い光を飲み込む黒い球体を生み出した男は、その身から更に翼を四枚を生やし宙に浮く。球体から伸びる幾つもの黒い糸──腕が先程の女性達に巻き付き、尚もその数を増やしていった。
球体を中心として黒い靄を纏った風が円周に広がる。煽られた人間達が次々と犠牲となって倒れ込み、女性達と同じ靄に包まれた。
意識を失った犠牲者の分、球体はより大きく風船のように膨らみ禍々しい光を帯びていく。
咄嗟に反応できた結季だけが、身を屈めて躱すことができたのだ。
公園周辺の一帯がドーム型の光に取り囲まれ、出口無き結界に閉ざされた。ものの数十秒で騒然とした悲鳴やら鳴き声が止み、重く冷たい静寂が場を包み込む。
阿鼻叫喚からの地獄絵図。クリスマスの明るいムードはものの数秒で崩壊した。
「人を恋の悪夢に引きずり込んで更に負の感情を生み、それを食べてるの。多分、人の中で恋の夢を食べてるうちに病みつき中毒になったの。……あのままだと死ぬまで悪夢の中」
「────────あー、わかった。そうかそうか。つまり、“俺にアイツを倒せと”??」
「気づいたの」
「うわああああああ、やっぱりかああああああ」
いや、状況が如何にもだ。
結界に覆われた以上、救援は期待出来そうに無い。仮に間に合ったとして化け物退治に警察機構やら軍隊の力をお借りしたいが、まともな重火器が効果的には思えない。下手すれば犠牲者が余計に増加傾向となるだけだ。現に、崩れた建物の外壁を球体が無動作でバキバキ咀嚼している。
であれば、対抗策としてはやはり特殊能力──つまり、魔術とやらが大変便利だと思ってしまう。
「ヒーロー、来ないかな。幼気な一市民を助けてくれ」
「ここにいるの。立派な魔法少女」
「男! 仮に俺がコスプレやってみろ、それこそ職務質問──あの豚と同類になりかねんぞ」
「違うの。──────さっさと、諦めるの」
冷酷無比な一言に泣きそうな結季は息を呑む。
相棒は恐怖で氷結しかねない昏い笑みを浮かべ、緩やかに指で差し示す。釣られて見た先は──無惨な様相へと変わり果てた白い世界。
男、幻魔の足元で踏み潰されたクリスマスのグッズ。
一年に一度巡ってくる聖夜と、それを楽しみにしていた沢山の人々。心を込めて盛大に祝おうと装飾品や笑顔で溢れていた街が、今目の前で悪意に磨り潰されていた。
この日が待ち遠しい一年を過ごしただろう。ある人はこの日を人生一番のモノに、愛する人と幸せになる為に頑張ったのかもしれない。子供達は夢を一杯詰め込んだプレゼントを、サンタクロースに願っていたのだ。
そんな人が、皆、こんな突然現れたクソ野郎に食われていく。
そうか。そこにはもう結季の、クリスマスをどこか面白味に欠ける思いでいた少年は関係が無い。誰がこんな楽しくて暖かいクリスマスを“嫌いなものか”。
“俺だって、恋をしてデート一つぐらいしてみたい”。
“俺だって、サンタさんがいるなら願い事をしてみたい”。
“クリスマスを台無しにした、あいつが許せない”。
「スノウ。本当に、何もしなくていいの?」
「あー。“舞台が整ってしまった”。ヤケクソだ畜生。女装だろうとコスプレだろうと────魔法少女は、このスノウに任せとけ!」
背に掛けていたリュックからアクセサリーを取り出した。雪結晶のデザインをしたヘアピン(どう見ても女子用)が瞬時に光る粒子となって弾ける。再び一条の形に集束し、魔法のステッキへと変化した。
俄然やる気に燃え上がる結季に、マフューは花満開の笑顔で応える。肩から浮かび、クルクルと周囲を旋回してから隣に止まった。──ようやく相棒と認められたことが、泣きたい程嬉しかったようだ。
と、そこで今まで猶予を与えていた黒い腕が襲い掛かる。若干ビビりながらも、こんな時に役立つ、謎の道場で修得した武術が見事に回避させた。
「何だお前は。この魔力はどういうことだ」
ただ一人、立ち向かってくる少年に幻魔は訝しげな表情をし、腕による攻撃を停止する。こちらを注視しているがどうやら手を出さないらしい。油断大敵という日本語を教えてやろう。
やってやる。例え何が来ようとも……!
「今こそ好機! マフュー、どうすれば良い! ヤツを倒す!」
「私に続いて呪文を唱えて、そして祈りの舞いを捧げるの! ──変身する!」
「わかった。さあ、来い!」
「マジカルるんるん♪ マジるんるん♪ マジでマジックるるるんるんっ♪」
「マジカルるんる──って、やっぱりできるかぁぁぁああ!! 何だそりゃ修得レベルが地の底まで高過ぎるわ!!」
「気持ちを込めるのがミソなの」
そんな、腰と尻をフリフリ振ってウィンクな笑顔と投げキスを咲かせるような真似、往来でぶちかましたら本気で終わるぞ。ちびっ子精霊のマフューなら可愛いかもしれないが、この年齢男子であれば公開処刑の執行。
ただでさえ羞恥心で爆発しそうだというのに、おのれサンタぁ!
「……終わりか? つまらんな。お前の夢も貪り食い尽くしてやろう」
幻魔が手を翳す。黒い球体が悲鳴にも絶叫にも聞こえる怪音が軋み出した。腕の数は有に十本越えで、モジャモジャと気色悪い揺れ動きを見せる。
それらが一斉に絡み合い複雑な動きをしながら迫り来る。時速に換算する暇すらない。回避行動を取ったところで柔軟に追い付かれ直撃する。
ええい、ままよ!
「ま、マジカルるんるん♪ マジるんるん♪ マジでマジック、るるるんるんっ♪」
「スノウ可愛いの♪」
「どこが!? って、わ──」
ピカーン! 一瞬の眩い閃光が視界を無色に塗り潰す。圧倒的な光量は人外である幻魔の目すら眩まし、世界を輝きに染め上げた。
「……………………あの、」
『改めて、宜しくなの。私の半身、魔法少女スノウ』
激しく鳴り響く心臓の鼓動とは別に、身の内より広がる暖かく安らぐ声。灯火がついたような熱がもどかしく、胸に手を当てれば膨らんだ柔らかい感触が返ってきた。
妙な事に、違和感が無く低下した視線を確認したく、クリスマスセールで売り出ていた売店の窓を見る。そして、思考の活動停止。隙だらけではあるが、幻魔も人間臭く呆然と此方を見据えていた。
雪景色の中で光沢を照らすクリーム色の金髪に、潤いあるしっとりした白雪の薄い肌色。ちょこんとした小さな顔は精巧な造りをした人形のようで、くりくりと大きな瞳は清く澄んだ蒼玉色。
頂に綿のボンボンが付いたニット帽に、頭に巻いた両眼ゴーグル。首にはほかほかのマフラーが風になびき、手足には手袋と長靴を模した金属防具が填められている。薄手ながらも防寒のスキーウェアのような異装は純白と蒼に彩られ、クールとファンシーがどこか両立していた。
手に持つは、雪結晶が装飾されたブルーのステッキ。魔法の願いが込められた贈り物。
それより何より。
発達途上で未成熟、小っちゃな女の子である。──……噓。
「え、えと……マフュー、あのね、あの、……女の子、なんだけど……」
『そうなの。スノウは私との同化に成功した正義の魔法少女! とっても強くて、優しくて、可愛い女の子なの」
「俺、男……」
『────もうずっと一緒。逃げられないし、逃がさない。諦めて、女の子始めるの』
「そ、そんなのあんまりだよーーーーっ!!」
あーん、と両手で顔押さえてマジで泣き出す少女。服装とかだったらまだ着替えれば何とか誤魔化しが効いたのに、肉体骨格性別が変化するとかめちゃくちゃ過ぎる。水代結季は社会的、いや物理的にも消失しているではないか。
どことなく人間として成長したマフューを想定した外見なのは、偶然でも何でも無いのか。
人生乗っ取られた。騙された!?
あれ、これ悪魔の契約と然程違いない気がする。
でも、幻魔を倒さないと人々も──幼馴染みの友達すら守れない。そんなのよりマシだと、半ば無理矢理納得した。文句は後回しにする。
「ひぐ、ぐすっ…………全部全部、あの幻魔と豚のせいだ。ブッコロス」
『さあ一緒に行くの、スノウ!』
「スノウ……。そう、俺は結季じゃない、──魔法少女スノウなの!」
「…………精霊と、契約儀式により、融合? 何だ、何が起きている──がはっ!?」
少女、スノウの姿が雪煙に消えた。
ステッキを槍と構え、いつも道場で稽古するように自然体で突撃をかました。背が縮んだこととは別の理由か、羽毛みたいに軽量な身体は超高速の突きを試し撃ち無しで成功させる。
道場独自の教えである歩法を行った時に、普段では微塵も感じなかった“何か”がそこにあった。これは圧縮して爆発した魔力であると知識が脳内に文章で溢れてくる。
『さすがスノウ、魔術の基礎がしっかりと出来上がっているの。そのままあのバイキンを掃除しちゃうの』
(…………魔術って、あの師匠一般人に何とんでもないモン教えてるのかな。……あれれ、もしかして、“道場で習ってきた武術って”)
痛む腹部を苦しげに押さえて体勢を整える幻魔は、すかさず球体より生えている腕を操作。十本越え、いや計二十五本の腕が溶けて、混じり、泥津波と化して襲い掛かる。
雪の積もった道を掘削しながら猛然と迫る悪夢に、悠然とステッキを両手で構える。扇風機の羽根を彷彿させる、残像が傘のように見える程の速度で回転させた。
道場でジジイと喧嘩しながら覚えた棒術は、向かってきた怪物の触腕を粉微塵に分解して散らしていく。幻魔本体は一時無視して、まずはこの腕を生み出す球体を片付ける。
スノウは勢い踏み出し、ステッキを回しながら地面を滑走していく。スノーボードもフィギュアスケートも経験は無いが、見様見真似で成功させるのが魔法少女。
球体と幻魔は各自が独立した形を持つ敵である。その距離が開いていた今が狙い目。後方から幻魔が迫り来る間に棒術で、奴隷の枷のように巻き付く腕や、靄を千切り飛ばし、人々を解放した。
「美琉、今助け──にょわあっ!?」
『スノウ、後ろなの!』
「伝えるの遅っ! あ痛っ!?」
背後から突き出された幻魔の手。その物理的な衝撃と込められた魔力の波動で吹っ飛ぶスノウ。錐揉み状に地面へ叩きつけられバウンドしていく。総距離は約二十メートル。生身の少年、結季ならば全身の骨が粉々で瀕死状態だっただろう。
ステッキを杖代わり(?)に、痛みに震えてヨロヨロ立ち上がるスノウ。何の、これならジジイの鉄拳の方が命を削ってくるもの。
追撃する幻魔は再び手に魔力を込めて飛行、急降下からの突撃を敢行する。
直撃は非常にマズい。一体どうすればいいのか。
『スノウ、魔術を使うの! ステッキに魔力と思いを込めて、光を放つの!』
「ステッキに力を込めて……ぶっ放す────こうか!?」
ステッキの末端を両手で握り締め思いっ切り振りかぶり、飛来する幻魔の美しい顔面に向けて全力で叩き込む。鼻先から頬へとめり込み顔面に対し破壊と暴虐の限りを尽くすステッキを、そのまま勢い付けてフルスイングで振り抜いた。
カウンターのダメージは恐ろしい程に深く、真紅の血飛沫と涙の水滴、背に生やす翼の羽根をシャワーみたいに撒き散らして天高く舞い上がる。べしゃりと頭部から白い地面へと墜落する幻魔。
『今のは魔力で叩いた力技。違うの。……こう、ステッキを上手く使って光を出すの』
「でもね、今の一撃結構必殺技だったよ」
振ってきた流れ星がそのまま帰っていくようなイメージ映像。
と、呑気な事をしている内に重傷の怪我を短時間で治癒する幻魔。外見は皮膚、内蔵、骨格の再生により何とかなるが魔力攻撃により破壊された自身の魂だけはどうにもならない。餌と時間が確実に必要である。
血反吐を垂らしながら立ち上がる幻魔は、先程とは違い本気の殺意を以て睨み付けてきた。この小娘は脆弱な捕食対象ではない、自らに拮抗した戦闘力を持った怪物だ。
靄となって弾ける球体。腕に繋がれ靄に捕らわれていた人々は解放されたが、依然悪夢に囚われたまま。
靄が渦を巻いて幻魔へと纏わり付き、その身をより獣に、悪魔へと近く変じていく。しなやかな腕と脚は黒い体毛に覆われ、爪が鋭く厚くなる。甘い口元から覗く牙と、半身に浮かび上がる刺青のような毒々しい模様。
本来の幻魔としての姿。
「……少女よ、お前は何者だ」
「誠に不本意ながら、魔法少女スノウ! お前をぶっ飛ばす者の名だ。冥土の土産に覚えとけ!」
「そうか。スノウ、その希望を宿した心、この耳を擽る美声、未来が見物な小さき身、実に良いぞ。お前を我がものにする。悪夢と共に我が色に染まれ」
「…………ひっ」
「お前を存分にいじめたい」
「ひええええええっ……!」
こいつ、まさか、変態か!?
ぞぞぞっ、と背筋から全身へと走る冷たい怖気にスノウは肩を抱いて震える。場を包む寒気がまだマシな波が、幻魔の穏やかな声から響いた。ニヤリと酷く愉悦を感じる笑みに、こちらは一気に真っ青になる。
マフューも同様にガクガクブルブルで小さく悲鳴を上げていた。二人して目の前に立つ男に全身全霊で嫌悪と恐怖を抱いて喚いている。
こうなったら、殺るしかない。
ステッキを肩に乗せ、半身で掲げる。振り下ろしによる突撃、縦横無尽に振り抜く迎撃、攻防共に可能とする変則の八相の構え。冷や汗が止まらないが、それでも勝利宣言をかまして──。
暗黒のオーラを放つ幻魔が、今までよりも数倍を越える速度で飛来する。瞬時に眼前へ現れた顔にビビって、反射的にステッキを振り下ろした。ズガンッ! と、頭蓋骨を爆砕したかに見えた一撃を、今度は両足で耐え、踏み留まった。
そこからは連撃の応酬。
「ぐぶっ、はあああああああっ!!」
「ぬおおおりゃあああああああっ!!」
お淑やかな少女らしさからは掛け離れた発声でステッキで殴りまくるスノウ。全身から滲み出る悪夢のオーラを、そのまま拳で力任せに叩き付ける幻魔。互いに紙一重で防いでいなし、すかさず攻撃へと転じる。
それは、隙を突いた幻魔の膝蹴りが終わらせた。
体格の差から腹部へとめり込んだ膝が内臓へと衝撃を伝え、口から逆流する息と苦しみに一瞬意識を飛ばす。浮き上がった小さな身体に向けて、幻魔は拳に溜めた魔力を解き放った。
売店へと吹き飛んだスノウの身に、崩壊した瓦礫が降り注ぐ。頭を小突く破片に意識を起こされたところで、幻魔が超高速で特攻。ステッキを手放していたその身に向けて、己の頭部の双角で貫かんと翼を広げた。
終わる。その確信を得た笑みを、鈍い衝撃が襲う。
本日何度目か分からないカウンターにて、幻魔は四肢を投げ出して地面を抉りながら戻っていった。耐久性も回復力も上昇している今の幻魔は、傷だらけの身で売店の穴を睨む。──今度は何だ、というところか。
額にあった両眼ゴーグルを下げ、視界を保護していた。その内で光輝く眼光。
突き出されていたのは、拳。少女の小さなお手々一つ。
手袋を意匠とした籠手には蒼い光が灯っており、瞬時に凍結させる極冷気と尋常ではないパワーが宿る。──これこそが起死回生の奥義、拳法だ。
『もうどうにでもなれなの。殴るの大好き野蛮人スノウちゃん』
「男なら、拳で語れ……。奴もまた拳を使う以上、俺はそれに応えたい」
よく分からないがジジイ流の武術に魔力が反応を示す。ならば、ジジイの最終兵器である拳もまた、魔術であると見た。ステッキの捜索は後にして、スノウは拳を掲げて飛び出した。
幻魔は苦しみに呻いて、それを阻止せんと魔術を振るう。
闇から現れたのは数多くの新たなる人影、分身か。いや──違うッ!?
濡れ髪の美しい毛並みと、胸元を晒したシャツに質素なズボン。整った鼻梁に女性を虜にする甘いマスク。それぞれが額に当てたり、胸を逸らしたりと輝けるポーズを取っている。──全員が、木島大夢(幻惑バージョン)だとッ!?
『ふふふ……、さあおいで?』
『僕と素敵な今日を過ごさないかい』
『今夜は、寝かせないよ?』
「気持ち悪いわ!!」
粉砕される自称イケメン軍団。十数人の木島をその両手で殴って飛ばし、宙に打ち上げたり、ボーリングのピンみたいにして弾いたりと手加減無用で撃沈させる。全てに於いて一撃必殺。
まさか突破されるとは思わなかったのか、ここで初めて幻魔は狼狽えた。いじめる側は、いじめられることに弱かったのか。
「馬鹿な!? 女達はこの男を愛していたはず!! 故に、幸福からの裏切りがより黒い悪夢へとなった!! 何故お前は平気で殴れるのだッ!!」
「当然だ、俺の心は今……貴様等に対する怒りで爆発し続けている。お前の顔面なんぞボロボロのサンドバッグにしか見えない……!」
「……くっ、ふはは……、はははははは……っ。────また会おう、魔法少女」
魔力は充分には残してある幻魔だが、その目的と至上である悪夢が完膚無き迄に打ち砕かれ、戦意を完全に消失した。だが、この男を倒さなければ人々の夢は返ってこない。
躊躇など不要。
繰り出した左掌打が幻魔を捉え、衝撃による麻痺がまるで時が停止したが如く封殺した。
「悪い夢は、さようなら」
零距離まで肉薄したスノウがありったけの思いと魔力──夢を詰め込んだプレゼントを叩き込む。全身の筋力を全開で放ったアッパーは悪夢を粉砕し、その存在ごと氷塊へと凍結させた。
天高く、青空へと、何度でも舞い上がる。
勢いのまま跳躍していたスノウの手に、回転して戻ってくるステッキ。着地して填めていたゴーグルを頭にずらす。地面に柄を突き刺して、パチンッと軽く指を鳴らした。
「クリスマスの平和は俺が守る」
──氷塊は光となって散り、雪となった。
「……はっ、そういえば木島は……?」
『大丈夫なの。幻魔が消えたから、世界は悪夢から覚めていくの。きっとどこかに…………あ』
妙な息遣いを感じた。
危機は去った筈なのに感じる怖気と、頭で鳴り止まない赤い回転灯の警報。恐る恐る背後へと振り返ったスノウは戦慄した。
興奮して顔を真っ赤に染めた木島が、冬場で薄着だというのに汗水を垂れ流して躙り寄る。ワキワキと握って閉じる指が、暴れるイソギンチャクの触腕のようにうねうねした。
がばさぁっ、と覆い被さるようにスノウを抱き締めた木島が、そのセーターの身に押し込めようと力強く密着してくる。匂いを嗅ぐ間もなく、顔のすぐ傍で、悪魔みたいな笑みに歪む目と合った。
「ああ、見つけた……、僕の彼女……」
「『ひ、ひいいぃぃぃぃいいいッ!?!? ……かくっ』」
脂の浮かんだ手が髪を梳いた感触に、スノウも同化したマフューも思考回路を停止させた。衝撃、途轍もない破壊力を秘めた攻撃に精神が自己防衛機能を働かせる。
人形のように大人しくなったスノウを抱き、お持ち帰りしようと歩き出した木島────を、どこからともなく現れたスノーボードがブレーキ無しで撥ねた。螺旋を描いて林へと消えていく“加害者”に、“被害者”は大変ご立腹なようで腕を組んでムッとする。
上へ投げ出されていたスノウは、そんなボーダーに優しく抱き止められた。起こしながら、小さな身体をそっと地面へ降ろす。目を回してフラフラしながら、感謝の意を述べた。
「あ、ありがとう、ございますぅー……?」
「いえいえ、どういたしまして……ふふっ」
『ふみゅ……。あ、──サンタさんなの!』
「何だとッ!?!?」
かつて無い衝撃。
傍で爆弾が大爆発したぐらいに意識を一気に覚醒させ、スノウは慌てた目を摩る。世界を股に掛ける伝説の超人が、今目の前にいるのだ。──まさか。
冬季の世界に映える輝く白銀の長髪。雪色白膏の潤いある肌に、可憐で幼げな顔立ち。毛糸の三角帽子に綿のボンボンを頭に揺らし、暖かそうなブーツを晒した艶めかしい素足に履く。白い装飾がされた赤いコート。
可憐な笑顔を浮かべる美少女は、トートバッグを掛けた片腕に木製のボードを寄せた。
女の子!? 皆のおじいちゃんはどこだ!!
「貴様、何者だ!」
「ふふふ……、何を隠そう私はサンタクロース! お母さん、もしくはママと呼んでね」
「おのれ……、何故俺をこんな姿にした?」
「才能も相性もバッチシだし。予想以上に可愛いよー」
一度降ろしたスノウの脇に手を回し、自分の胸へ抱き寄せるサンタ。突然の抱擁に顔を真っ赤にしてアワアワ慌てる小さな少女に、自称母親は大変ご満悦の表情で頬擦りする。
「それに、お願い事したでしょ? 女の子になりたい──って」
「言ってない言ってない言ってないよー! 降ろして!」
『ふわぁ……。眠たいのー』
「マフューさん!?!?」
「マフューは素直だねぇー。ほらほらスノウ、ママの胸でおねんねだよー」
そんな馬鹿な事があるか。
と、口腔から捻り出そうとしたスノウだが、胸の奥に灯るほんのり暖かい何かに目蓋がトロンと下がりだす。眠たいわけないのに、でもここは世界で一番安心できる“自分の居場所”でとても心地良くて、綺麗で優しい母親がいて──あれ?
「また一人私の可愛い息女が増えたわー」
「どことなくする黒幕の気配ぃ……」
思考回路が乱れているようだが、眠気の誘惑が強すぎて何もかもが気にならなくなる。暖かくて、気持ち良くて──
「おやすみ、スノウちゃん……」
「うゅ……、おや……すみ……」
すぅ……すぅ……。早朝からのゴタゴタに続き戦闘が重なった事による疲労もあったか、穏やかな寝息がすぐに聞こえてきた。優しく撫でれば擽ったそうに笑顔を浮かべる。
サンタは顔に上った血に気をつけて、鼻を一度大きく啜った。プレゼントを貰ったのは果たして、スノウかサンタか。
ニヤニヤとだらしない笑みのまま振り返り歩き出す。
その先に、周囲を見回しながら人捜しをしている美琉がいた。幻魔が消えた事で異常発生の前後の記憶が朧気で、何が何だか事情その他諸々事情を問い詰めようと息巻いているようだ。
「結季ー! ……どこ行っちゃったんだろ?」
「ねえ、ちょっといい?」
「え? …………何か」
「はい、あなたに可愛い妹をプレゼントよ」
腕に抱いていたスノウをそっと美琉に押し付ける。唐突な事態に反応が遅れた美琉は訳が分からず、とりあえず胸に小さな少女を受け取った。疑問符を浮かべて首を傾げる。
「え、え? ちょっと何、何?」
「じゃあ、その子をヨロシク。可愛い娘に育ててね?」
「????」
「じゃあねー」
スノーボードに乗ったサンタは、笑顔のウィンクで手を振りながら平地を車のように滑っていく。公園の曲がり角に消えたところで、美琉は咄嗟に伸ばした手を諦めた。
一体これはどういうことか。
呆然と立ち尽くす美琉の胸で、少女は身じろぐ。
同化したマフューの寝言につられて、スノウもまた無意識に呟いた。
『メリークリスマス……なの』
「メリー……クリスマス……」
本日、世界は年末ムード……!
私は、私は────!
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