第一話 大衡冬助(二)
大衡冬助の言葉はいくらか演劇臭かったと思う。何しろ言った本人が少しの間ののち赤面したほどだから。間のあいだ、砂丘さんも米子先輩も一言も話さなかったが、その沈黙はやけに赤面を促すもので……。
「あの、『巡る季節』の大衡先輩ですよね?」
「うん。実は君に会いに来たんだ」
君とは砂丘さんのことだ。砂丘さんの緊張はここで一息に緩んだ。「うん」とか、「君」とか、「会いに来たんだ」とかいった一言一言が、砂丘さんをいちいち安堵させた。体が柔らかくなる感じが僕に伝わってきた。
「正しく言えば、君を見つけに来た、かな。俺は宇宙部を探しているんだよ」
「宇宙部はここですよ」
米子先輩は丁寧に示した、宇宙部の部室はここ理科室である。指で教室の床を差した。
僕は米子先輩の言葉に納得した。何故なら僕は、米子先輩の発言を聞くまで、大衡先輩の言うことが理解できなかったからだ――宇宙部の元に来ていながら、宇宙部を探している、なんて言うのはおかしいと思ってしまったのだ。
しかし、僕の違和感は正しかった。
「ごめん、違うんだよ、俺が探している宇宙部は君たちじゃないんだよ。俺が探しているのは宇宙部なんだ」
「あの、もしかしてからかってます?」
砂丘さんは迷惑ではないようで、落ち着いて尋ねた。
「ごめんね、説明が難しくてね。難しいなりに一番簡単に言えば、宇宙部っていうのはクラブではなく自我を持った生き物のことなんだ」
砂丘さんに会いに来たと言いながら、君たちじゃなく宇宙部を探していると言ったり。宇宙部はクラブではなく生き物だと言ったり。砂丘さんがからかわれていると結論したのも当然だった。
「あー、とにかく難しいんだよ。ちょっと待ってね」
開いた手をこちらに向けて腕を伸ばし、待つことを求めた。そして、先輩はさらに砂丘さんたちを困惑させた――大衡先輩はここで目を閉じた。
まぶたの下の瞳は、実は砂丘さんを捉えていた。精霊に祝福されている大衡先輩には、『目をつむることで見えてくる世界』があるのだ。僕が後々知った範囲でより正確に述べれば、大衡先輩は『宇宙部の痕跡を探そうとして』目を閉じ、まぶたの下から部室を眺めようとした矢先に、砂丘さんを『見て』驚いた。砂丘さんの体から、視覚的に言うところの『糸』が一本出ていて、それが窓から外へと出て伸びていた。なお、砂丘さんの体の周りには、霧のような、電子の分布のような、大衡先輩にしか『見えない』何かがまとわれている。
同様に、後々の知識から述べるが、大衡先輩は、目を閉じなくても砂丘さんのまとう『霧』が感じられるのだ。そしてそれが先輩の驚きにつながった。『霧』は常に感じられるが、『糸』はそうではないし、また『糸』は先輩にとって前例が無かった。
大衡先輩は目を開けて、砂丘さんに言った。
「しばらく、君のことつけ回してもいいかな?」
「へ?」
困惑し続けてだるさすら覚えていた砂丘さんは、相手が先輩ということで表情に出さないように気を遣いはじめていたのに、大衡先輩は意に介さなかった。いきなりストーカー宣言までされた。それで砂丘さんはだるさからまた困惑に戻ったが、今度は肩に手を置かれてしまった。
大衡先輩は、砂丘さんの肩に置いた手を、肩を揉むように、あるいは撫でるように動かして、親しげに笑った。そして、まるで糸を指に巻きつけるかのように、人差し指だけ開いた手を肩の上の宙でくるくる回した。
「とんぼでもいるの?」
米子先輩が訊いた。無表情だが、無関心そうでありながら、おかしそうでもあった。
「いないよ。とんぼは好きだけど」
先輩は一旦目を開けて答えた。それからまたつむった。
「俺は精霊に祝福されているんでね、他の人が見えないものが『見える』んだ。君の肩から、糸みたいのが出ていて、それがずっと伸びているんだよ」
大衡先輩は目を閉じたまま窓へと歩いていった。暗闇の中でも周りが見えているかのような、迷いのない歩みだった。
「僕からですか……、もしかして、その糸って死の兆候だったりします?」
砂丘さんは、自分で思い付いた可能性に対して半信半疑らしく、本気で心配しながらもぼんやりした不安を感じている。
「そんなことないよ」
振り返って、先輩はそう答えた。目は開いていた。
「精霊とつながっているかもしれない」
大衡先輩は呟いた。
ここまで、僕は別のことを考えていた。糸は精霊ではなく、僕につながっているのではないか?
僕は興奮した。ひどく不安になり、また一方では期待も抱いた。期待もとはいえ、汗をかきそうなくらい焦っていて、気持ちはどこへ行きもせず揺れ動いた。
ピンポーン。
玄関のチャイムが鳴った。
僕はびっくりした。もう大衡冬助がやってきたのかと思った。しかし、驚いて開いた瞳を再び閉じてみれば、砂丘さんの知覚はいまだに理科室を捉えている。大衡さんもいる。
そこで僕は思い出した。夕方に僕の家を訪れる客は一人しか思い付かない。叔父さんが来たのだ。