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贖罪装甲  作者: 饂飩粉
第二章:UNKNOWN
6/22

人核装甲

 ○


 ――いずれ、戦いの時が来る。

 眞澄はそう教えられた。そのための戦闘訓練も受けた。

 彼は他の高校生のように、学生の身分を楽しむことも、おぼろげな将来について考えるような真似もしない。既に道は決まっている。決意もした。最終的には自分で選び、掴み取った答えだ。

 高校に通っているのは、訓練では得られない学力を補うためでしかない。それ以上のことなど、彼は学校に求めていない。だから、学校では孤独でいようと決めた。一人の女子生徒を除けば、もう誰も話しかけてくる者はいないだろう。

 部活に所属していない眞澄は、帰りのホームルームが終わると同時に教室を後にする。競っているわけではないが、クラスの中で一番帰るのが早い。

「あ、要君、また明日ね!」

 喧騒に紛れて真里の声が聞こえたが、無視する。彼女には部活だか同好会の活動があるので、それ以上は何もない。

 校門を出たところで、ようやく眞澄は解放された気分を得ることができた。授業の合間の休憩も、昼休みも、彼にとっては学校に拘束される余計な時間でしかない。

 学校の最寄り駅である千川駅から副都心線で新宿三丁目へと向かう。新宿三丁目から新宿駅までは地下道を使い、大型家電量販店が軒を連ねる通りを抜ける。

 そこに、彼の住む高級マンションが建っていた。オートロックの入り口を鍵で開け、見慣れたロビーを通過する。ロビーの受付には、同じく見慣れた顔の管理人が座っているので会釈を交わす。

 ロビー奥の通路の先に、エレベーターが四台並んでいた。丁度右端の一台が、一階に停まっていたので、駆け寄って中に入る。

 エレベーター内には、行き先階のボタンが並ぶパネルが扉の隣に設置されている。自室は十一階にあるが、彼が押したのは「5」という表示のボタンだった。エレベーターはほとんど振動することなく五階に到着する。

 眞澄は、廊下に出てすぐのところにある五〇一号室へと向かった。鍵は、開いている。扉の先には、彼がこのマンションに来て初めて案内された、真っ白で生活感のない空間が広がっていた。

 マンションの五階の部屋は、扉こそ別々にあるものの、実は全て室内で繋がっている。

 この広々とした空間こそが、要眞澄の所属する組織、仮称『アンチドゥーム』の支部の一つだ。五〇一号室にあたる部屋は、巨大なシステムキッチンと居間が一つになっている。

「お帰りなさい、真澄君」

 聞き慣れた女性の声が、彼を迎えた。

 声の主は、正方形の大きなテーブルを囲うようにして並ぶソファに座って、コーヒーカップを口にしている。ブラウスの上から白衣を羽織っているので、丁度休憩中だったようだ。

 切れ長の瞳に、四角いレンズの眼鏡。艶のある黒髪は琥珀色のバレッタで留められており、癖のある前髪は右眉の辺りでくるんとカーブしている。年は三〇を越えているものの、清潔さと色気は若者にも引けを取らない。

「ただいま戻りました。蒲生司令長官殿」

 眞澄は玄関の前で姿勢を正し、はきはきと返事をする。

「もう、そういう堅苦しいのはいいって言ってるのに」

 女性――蒲生晴香がもう はるかは顔を綻ばせながら言った。

「でも、他の方々がそうしているのに、自分だけ特別扱いというのは……」

「いいのいいの、真澄君はいいの」

 手をひらひらさせる晴香の言動は、確かに年相応と言えなくもなかった(しかし眞澄は決して口には出さない)。眞澄はそのまま晴香に促され、向かい側のソファへと腰掛ける。

「それで、学校はどうだった?」

「どうだった、って言われましても……」

 眞澄には苦笑するしかなかった。話すことなど、何もなかったからだ。誰にも話しかけず、誰の話にも乗らず、ただ教室で勉強しているだけの毎日に、変化などない。

「相変わらず、友達とか作ってないの?」

「俺には、やるべきことがありますから」

 自らの決意を口にするときだけ、眞澄の表情は自然な笑顔になった。それを見た晴香はしかし、どこか残念そうにする。その理由はわかっていた。彼女は、自分に学校生活を楽しんでほしいと望んでいる。だが眞澄は、来るべき時のことを考えると同意はできない。二人ともはっきりと口にしたことはないが、互いの気持ちは理解している。

「そうね。元より誘ったのは、私たちの方だもんね」

「いえ、俺が選んだんです。この世界のために戦う覚悟は、できてます」

「大袈裟なんだから」

「大袈裟なんかじゃありませんよ」

 世界が危機に瀕していることを眞澄に教えたのは、晴香たち組織の側だ。

 その危機に対抗しうる戦力として、眞澄は選ばれた。初めてここに来た際に打たれた、二本目の注射器に入っていた可能性が、彼の体内で花を咲かせたのだ。

「そんなことより、今日も訓練しないと」

 眞澄は、これ以上は無駄話になるとでもいうかのように立ち上がった。晴香も、丁度コーヒーを飲み終えたところだった。

「……わかったわ。じゃあ、行きましょうか」


 部屋番号にして五〇六と五〇七、六〇六と六〇七を一つにした、巨大な正方形の空間がある。玄関はなく、五〇八号室からしか出入りすることはできない。名称はないが、組織の人間は全員「シミュレータールーム」と呼んでいる。

 他の部屋とは違い、壁も床も天井も特殊な金属で覆われている。厚さにして六〇〇ミリ。たとえここで十キロのC4爆弾を爆発させても、外部には音どころか振動一つ伝えないだろう。精製工程や加工が非常に困難なため、使用されているのはおそらくここだけという稀少な合金だ。

 その核シェルター並に安全な部屋の中心に、眞澄は立っていた。学校の制服を着たままで、両目を覆うバイザーを取り付けている。バイザーは透明で、視界に変化はない。

「準備はいいかしら?」

 右耳に差し込んだ、バイザーと一体化している通信機から、晴香の声が聞こえた。無線は、シミュレータールーム天井の四隅に取り付けられたカメラを通して、隣の五〇四号室――モニタールームと繋がっている。

「いつでも大丈夫です」

 通信機から口元へと伸びているマイクが、眞澄の声を拾う。

「オーケー。それじゃあ、始めるわよ」

 通信が切れると同時に、眞澄の両目を覆ったバイザーが起動した。

 視界に、目の前にあるはずのないモノが映る。バーチャルの映像だが、その解像度や距離感にはリアリティがある。まるで突然その場に何者かが現れたかのようで、眞澄の体が意識とは無関係に反応する。

 目の前に映し出されたのは、一匹の異形だった。一見すると、泥でできた人間大の人形にも見えた。

 しかし、その泥人形には、人間で言うところの頭が存在しなかった。その代わり、両の肩から眼球が飛び出していて、腹部には巨大な口のような裂け目が走っている。

 バイザー越しに、何度か目にしてきた異形だった。しかしどれだけ経験を積んでも、その怪物が元は人間だったなどとは信じられない。とある病原体――ウィルスに感染するだけで、人類が人類の敵と化してしまう。その事実を眞澄が知らされたのは、中学三年生になったときのことだ。

 そのウィルスは、人間の細胞とほぼ同じサイズである。元は、医療目的で極秘に開発された人工生命体らしい。

 人間の心に作用し、あらゆる精神病を快方に導く。脳の神経系を操り、患者の意思を強引に書き換えてしまうのだ。患者にとってみれば、いつの間にか悩み事がなくなるようなものだ。病気から回復した、そもそも自分が病気であったという自覚すら感じさせない――はずだった。

 その人工生命体による人体実験の段階で、大きな事故が起こった。後の調査によって、人工生命体は癌細胞のような特徴を隠し持っていたことが明らかになった。その時点でウィルスと認定され、Mファージという名前がつけられた。

 Mファージは脳の神経系に作用し、感染者の精神――心の奥に秘めた本心を知る。普段思っていても口にしない、行動に移さないような危険な衝動を助長させ、感染者を突き動かす。

 そして体内で自らを増殖させ、その危険な衝動に見合った外観を作り上げる。その外観こそが、異形と呼ぶに相応しい姿なのだ。普段は細胞に擬態しているものの、一度感染者が衝動に負ければ即座にその外観――鎧を内側から放出する。

 その鎧を形作る際に、手近にあった物質を吸収するのだが、原因は不明だ。眞澄の視界で蠢く泥人形は、泥を吸収した感染者である。

 実験の失敗により、Mファージは日本へばら撒かれてしまった。

 この事態を表沙汰にすることなく収拾するために、政府によって秘密裏に結成された組織が『アンチドゥーム』だ。

 異形と化した感染者に対抗するために『アンチドゥーム』が用意した戦力こそ、要眞澄のようなMファージ適合者である。Mファージに改良を加えたものを投与し、その力を己のものにした少数精鋭。毒をもって毒を制すとはこのことである。

 泥人形が、眞澄の方へゆっくりと歩み寄ってくる。

 彼は集中した。泥人形に対する、明確な敵意を心に形作る。

 ――世界の平和のためには、あいつを倒さなくちゃいけない。

 ――俺は選ばれた。世界の平和を守るために。

 ――あいつを倒す。この手で、倒す。

 眞澄の中で、改良されたMファージが覚醒する。彼の心に生まれた決意を助長させ、鎧を精製する糧とする。

 改良Mファージの稼働率が臨界に達した瞬間、眞澄は叫んだ。

「人核装甲、アカツキ!」

 眞澄の精神が、鎧となって顕現する。

 山吹色の、骨ばった爬虫類を模したような甲冑が、一瞬で彼の全身を覆った。改良されたMファージは、周囲の物質を吸収することはない。

 右手には、一体化した剣のようなものが生成されている。その姿は、まるで太陽の光を浴びた騎士のようだ。

 便宜上、改良Mファージによって得た鎧は人核装甲と呼ばれている。個々の人核装甲には、さらに決まった名前がつけられており、眞澄の場合は暁である。

 イメージを言葉にして発することは、いわば人核装甲を装着するための儀式だ。そのために、名称が不可欠なのである。初めは少し恥ずかしかったものの、もう慣れた。異形の感染者の映像を用いるのは、意思の形成を行いやすくするための補助的な措置にすぎない。

 ちなみにバイザーは、人核装甲の装着と同時に弾け飛んでしまう。最悪の場合壊れてしまうのだが、今回は無事のようだ。

「人核装甲の装着を確認したわ。もう訓練の必要はないんじゃないかしら?」

 晴香の声が、四方から聞こえてきた。天井の四隅のカメラにはスピーカーが備え付けられている。バイザーに通信機がついているのは、耳元まですっぽりと覆ってしまうデザイン上の問題を解消するためだ。

 眞澄は晴香の声を聞いて、少しだけ安堵した。高校生になってからは一度も暁の装着は失敗していないが、毎回不安が募っているのは事実だった。

 暁の姿を得た眞澄は、軽い準備運動を行った。人核装甲を装着すると、体が何倍も軽くなったような気がする。それだけ、身体能力が向上しているのだ。軽く跳躍するだけでも、二階分の高さを誇る天井に手が届くどころか、落下が始まるまでの間に五十メートルほど走ることもできる。

 眞澄は主に、右手と一体化した剣を使いこなすための修練を積む。剣道で行うような素振りに始まり、敵がいることを想定した剣捌きを何度も繰り返す。彼は剣術の指南は受けなかったので、型の一つも知らなかった。とはいえ、文字通り身体の延長である剣の軌道は鋭く、そして速い。

 人核装甲が、鎧と同時に武器を形成することは珍しいことではない。ただ、人核装甲を成功させるまではどんな得物を持つかわからない。とにかく我流で剣を振るい、その感覚を身に染み込ませる。

 その間も眞澄は、意思の炎を絶えず燃やし続けなければならない。

 目の前に明確な敵がいないのに、戦うという意思を保ち続けることは難しい。彼の人核装甲装着時間は、長くて三〇分が限度だった。その短い時間の中で、できる限り鍛錬を積んでいく。

 意思が弱まれば、装甲は脆くなる。

 意思が途絶えれば、装甲は実体を失う。

 眞澄はまだ、実戦経験がない。その時、自分がどこまで戦えるのかはわからない。

 だが何よりも大切なのは、戦う意思を保ち続けることだ。そう彼は教わった。意思を失えば、折角の力を扱うことすらできなくなる。

 結局、その日のシミュレータールームでの訓練は二十八分で終了した。頭ではわかっていても、やはりこれが限界だった。

 人核装甲が、眞澄の体の内側へ吸い込まれていく。汗はかいていない。ただ、精神的な疲労は避けられない。一度人核装甲を解除すると、再び装着できるようになるまで時間がかかる。

 シミュレータールームを出ようと扉を開けると、目の前に一人の女性がっていた。

 目鼻立ちの整った顔に、肩甲骨まで伸びた茶色の髪。ヒールを履いているわけでもないのに、背は一七四センチの眞澄よりも高い。パンツスーツが似合っているものの、ビジネスマンとは到底思えない。

 見上げる格好となった眞澄に向けている視線は、何かを企んでいるかのようだった。

「雪岡さん、こんにちは」

 言ってから眞澄は「しまった」と思った。

「如さん、でしょ」

 訂正する暇を与えず、女性――雪岡如ゆきおか きさらは眞澄の頬をつまんでぐりぐりする。

「痛い、痛いです雪岡さん!」

「んん~? 何だって~?」

 如はぐりぐりする速度を上げてくる。眞澄が上下関係を重んじる正確だと知ってて、いつもこうして楽しんでいるのだ。

「わかりました如さん! 勘弁してください!」

「よろしい。今後も気をつけるように。それに、敬語じゃなくたっていいって何度も言ってるのに」

 眞澄を解放した如は、彼の横を通り過ぎてシミュレータールームに入っていく。

 彼女もまた、眞澄と同じ改良Mファージの適合者だ。

 既に何度か実戦も経験していて、その度に成功を収めている実力者である。眞澄にとっては先輩のような存在なのだが、彼女は眞澄に下の名前で呼ぶように強制するし、敬語も不要だと言う。

 この支部で一番年下である眞澄にとっては、昔からの敬語が習慣づいてしまっている。如には、ここに住むようになった当初からの付き合いで、彼女曰く「適合者同士なんだから対等でしょ」ということなのだが、つい雪岡さんと苗字で呼んでしまう。

 眞澄は、女性を下の名前で呼ぶことに抵抗があった。単に、恥ずかしいのだ。

 特に、如のような美貌と性格を持った女性に対しては。

 当時、右も左も分からなかった眞澄に優しく接してくれたのは、如だった。彼女がいなければ、自分はこの支部で「一番若い適合者」として、今も浮いた存在になってしまっていただろう。彼女にとっては、弟のようなものなのかもしれない。

 嬉しいと感じるのと同時に、それ以上の関係が望めないことが、少しだけ悲しかった。

「……」

 気がつけば、シミュレータールームの扉を背にして立ちすくんでいた。眞澄は慌ててそれまでの考えを振り払い、自室へと向かった。

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