最後の戦い
眞澄の精神が、鎧となって顕現する。
山吹色の、骨ばった爬虫類のような甲冑が、一瞬で彼の全身を覆った。その姿は、太陽の光を浴びて輝く騎士のようだった。
右手には剣が握られており、完全に一体化している。眞澄は、片手でそれを構えた。
「そうか、お前……病原菌か」
異形が傷口を蠢かせながら、笑った。
「私達の邪魔をする、病原菌かぁあああああああああ!」
両手首から伸びた刃が、眞澄を襲う。激情に任せて繰り出される攻撃を、眞澄は丁寧に剣で受け流していく。
異形は奇怪な嬌声を上げながら、その手を一向に緩めようとしない。
「その手、左手! 動かせないんだな?」
眞澄は動揺を悟られまいと努めたが、剣を構える右手が一瞬鈍った。
その隙を突いた異形の膝蹴りが、眞澄の腹部を強襲した。
「ぐぅっ……」
思えば、人核装甲を装着しての実戦は、これが初めてだった。そして今の一撃が、初めて受ける攻撃。シミュレーションルームでは、感染者からの攻撃まで再現することはできない。
それは、想像を絶するものだった。骨は折れていないが、息が詰まるほどの衝撃に襲われる。
だが、眞澄は倒れなかった。ここで倒れるわけには、いかなかった。
――そもそも、負けなんて許されない
痛みが、眞澄の精神を研ぎ澄ませていく。
――俺は守る、彼女を守る。
眞澄のことを、日常に繋ぎ止めてくれていた彼女――岸谷真理。真理は今、とても理不尽な目に遭っている。感染者絡みの事件に巻き込み、巻き込まれ、きっと何かを失ってしまった。
――これ以上、そんな不幸があってたまるか!
彼女を守るため。世界の平和に比べれば、どれほどちっぽけな理由だろう。
しかし、世界の平和以上に、眞澄は彼女の平穏を望んでいた。それを守るために、人核装甲を装着することもできた。
「でもね、人は世界の平和なんかのためにって理由なんかじゃ、戦えないんだよ」
今なら、如の言っていたことがよくわかった。彼女もまた、自分自身の、自分勝手な理由で戦っているのだろう。世界の平和のためではない、もっと小さくて、わがままで、それでいて強靭な覚悟。
異形の攻撃は留まることを知らない。しかし、決して防げないものではない。
冷静に斬撃をいなしていく眞澄に、異形が吼える。
「貴様ぁあああああ!」
再び、異形の膝が飛んでくる。眞澄はそれを右肘で受けて、相殺した。
今度は、異形の方に隙ができた。
「同じ手は、食わない!」
眞澄の剣が、横一線に閃いた。
異形の胸に、大きな一文字の傷が生まれる。
「がっ――ぎゃぁあああああああああああああ!」
異形の絶叫と共に、胸から鮮血が噴き出した。
だが、眞澄は手応えを感じてはいない。
もっと踏み込みを深くすれば、異形を両断することもできた――が、眞澄にはそれができなかった。
真理を守るために戦うことはできる。
しかしそれは、異形を殺せることとは別問題だ。願わくば、殺したくはない。それが彼の本音だった。
異形の出血が収まる。眞澄が切ったのは、人間の姿を覆っている外側――異形の装甲だけだ。
「甘いよ……お前は……」
異形が嗤う。眞澄が負わせた傷を、見せびらかすかのように体を反らしながら。薄紅色の大地にできた裂け目のような傷は、何故か底なしの黒に染まっている。
「殺す覚悟もなしに、私の戦うのか?」
「――!?」
その言葉から発せられた殺気に、眞澄は距離を取っているというのに、刀身を盾にするようにして剣を構えた。
それよりも僅かに早く、異形の裂け目から、同程度の幅をもった巨大な刃が飛び出した。
眞澄は剣で、それを受ける。今までの攻撃とは、速度も重さも段違いだった。まるで列車が突っ込んできたかのような衝撃に、眞澄は宙に放り出される。
異形が、彼を追いかけるようにして跳躍した。空中で、眞澄の真上に陣取る。
「次もかわせるかい?」
異形は無防備にも、両手両足を広げた。薄紅色の体に走る無数の傷が、瞼のように見開かれる。
刹那――異形の体中から、刃が伸びた。とても剣一本で防ぎきれる量ではない。
「ぐああっ……」
異形の持つ傷と同じ数だけ、眞澄の装甲に刃が突き刺さった。受け身を取ることもできず、眞澄は地面に体を打ち付けた。刃の幾本かは、装甲を貫通している。
「要君!」
真理が叫ぶ。
彼女の声が、眞澄を奮い立たせた。
山吹色の装甲からは、所々血が滲み出ている。装甲を貫いた刃は、中の肉体にまで及んでいた。
異形は、容赦なく眞澄に斬りかかる。先ほどと同じ二刀流の連撃を、しかし眞澄はもう受け流すことができない。
「手加減なんてしなければよかったんだよ! こんな風にさ!」
右手の刃が、眞澄の左腕を打った。刃の平たい面を叩き付けるようにして、骨の折れた個所を正確に狙ったのだ。
「くっ……」
装甲越しでも、激痛を招くことに変わりはない。眞澄の動きは、鈍る一方だった。
○
「要君!」
目の前で繰り広げられている戦いは、およそ現実のものとは思えなかった。
だが真理は知っている。昨日の放課後も似たような戦いを目撃しているが故に、現実だと認識できている。
これが漫画やアニメなら、どんなに盛り上がっただろう。
しかし、傷つく者は本当に傷ついている。眞澄が変身した姿からは、本物の血が流れ出ている。彼女や時貞が流したものと同じ血が。
どうして眞澄が戦っているのか、真理には理解できなかった。そもそも、何故ここにやって来たのかすらわからぬまま、彼は戦い始めた。
仁美の攻撃には、殺意がはっきりと見て取れる。防戦一方の眞澄は、いつ力尽きてもおかしくない状態まで追いやられている。
真理は願った。
この戦いが終わりますように、と。
二人とも、死なずに。
時貞の死が、ここにきてぶり返してきた。血と、死の臭い。心に穴を空ける、残酷な香り。
彼女は、もう二度と誰かの死を見たくなかった。足元で眠る時貞は、正体が怪人だったとはいえ、彼女にとって大切な人だった。それは仁美も同じである。命を狙っているとしても、仁美と過ごした時間はかけがえのないものだった。学校での彼女の態度が演技だとは、とても思えない。
「やめ、て…………」
真理は、両手で顔を覆った。これ以上、戦いを見ていられなかった。
「やめてよ、もう……」
暗闇に逃げ込むと、段々と意識が遠のくような気がした。頭がぼうっとし、両手が少しずつ冷たくなっていく。
「目を逸らすな」
突然、背後から声がした。驚いて振り返ると、そこには男が立っていた。見覚えのある、男が。
「あいつは、お前のために戦ってる」
ライダースジャケットに履き古したジーンズ、ぼさぼさの髪――昨日の放課後の事件に突如現れた男だった。
「あなたは……!」
真理は思い出した。彼もまた、時貞と戦う際に姿を変えたことを。そして、眞澄を拉致したことを。
四の五の質問している場合ではなかった。真理思わず、縋るようにその男の手を掴んだ。
「お願いです! あの二人を止めてください!」
男が、真理を見た。彼は、虚ろな目をしていた。極限まで精神を擦り減らし、それでいて力のある――まるで限界まで減量した格闘家のような目だ。見つめている真理の方まで、焦点が定まらなくなってしまうほどに。
「止めて、どうする? お前が代わりに死ぬのか?」
男は冷酷に言い放った。あまりにも淡々としていて、それが逆に恐ろしかった。
真理は、言葉に詰まる。
誰かが死なないと終わらない――男は、そう言ったのだ。
「じゃあ、あなたはどうして……どうして、ここに来たんですか?」
「……そのうちわかる。今は、あいつらの戦いを見届けるだけだ」
そこで、男の視線が真理の足首に向けられた。そこで真理は、自分自身が怪我をしていることを思い出した。同時に、痛みも帰って来る。
「お前、怪我してたのか」
男は真理の前に回り込んでしゃがむと、彼女の足首に顔を寄せた。しばらく観察しながら、男は一人で頷く。
そして、ジーンズの尻ポケットを探りながら、真理に向き直ると、
「悪いが、今救急車を呼ぶことはできない。これで我慢しろ」
男が取り出したのは、銀色の水筒だった。一般的なものではなく、容器そのものが平たく、僅かに婉曲している。西部劇などで見かけるウイスキーボトルだ。
「あ、ちょっと……」
男は真理の制止も聞かず、彼女の靴と靴下を素早く脱がした。手際がいいのか、痛みは感じなかった。そのまま、男は自らの膝に踵を乗せると、ウイスキーボトルの蓋を開け、躊躇いなく真理の傷口目がけて中身を垂れ流した。
「痛――っ!」
案の定、中にはアルコール飲料が入っており、傷口に痛いほど沁みた。悶え、のたうち回る真理を、男は足首だけを掴んで制する。
「じっとしてろ。出血性のショックで死ぬぞ」
ぼんやりとしていた真理の頭は、「死」という言葉に反応した。男は、ジャケットの内ポケットから筒状に巻かれた包帯を取り出した。
「ハンカチ、あるか」
「あ、あります……」
「貸せ」
男は乱暴に真理の手からハンカチをかっさらうと、それにもアルコール飲料を垂らしてから傷口に当てた。
「っ……!!」
やはり、沁みる。だが、我慢できないほどではなかった。
男はハンカチを当てた上から、丁寧に包帯を巻いていく。
――お医者さん、なのかな……
「お前は横になってろ」
男はジャケットを脱ぐと、それを乱暴に畳んで台替わりにして、彼女の足を乗せた。それでは足りないと見るや、彼女の靴を両方とも使って、更に高くする。
言われたとおりにすると、血が流れ出る感覚が薄らいだ。
「ありがとう、ございます……」
真理は男に視線だけを送った。男は立ち上がって、眞澄と仁美が戦っている方を振り返っていた。
「さっさと終わらせねえとな……」
○
もう何度倒れただろう。
受け身は、一度も取れなかった。訓練したはずなのに、体が言うことを聞かない。
どうしても、感染者を殺す覚悟を決められない。
感染者を治療する方法は、今のところ確立されていない。そうなると、殺害する他に手段は残されていない。
現に如は、既に何人かの感染者を殺めている。その後の処理は、全て『アンチドゥーム』の別働隊が行い、事故や病気に見せかけられる。
だからといって、人を殺すことに変わりはない。感染が病気なら、異形の姿はいわば症状にすぎない。
眞澄は、それを恐れていた。
誰にも糾弾されない殺人――それは、一人で罪を抱え込むことと同義ではないのか、と。
「そろそろ死んでくれよ、お前も」
異形が、眞澄を見下ろす。
この期に及んでもまだ、眞澄は探していた。
感染者を殺さずに、戦いを終える方法を。
「うあっ…………」
異形の刃が、眞澄の腹部を刺し貫く。カッターナイフを取り込んだ傷だらけの感染者は、明らかに戦いを――殺戮を楽しんでいた。おそらく自傷癖を持っていたのだろう、すぐには殺すつもりがないように見える。傷つけること自体に、何か意義を見出しているのかもしれない。
ふと、視界の隅にある人物が目に入った。横たわる真理の隣に、男が立っている。
――真田、さん……?
真田蓮が、ここに来ている。感染者の気配を追える彼なら、この場に駆けつけることも容易だったのだろう。しかし、黙ってその場に立っているだけだ。戦いに介入する様子はない。
確か蓮は、全ての感染者を倒すと言っていた。ならば、何故すぐにそうしようとしないのだろうか。
隣にいる真理は、足首に包帯を巻いていた。蓮が手当てしたのだろうか。
そう考えただけに、眞澄の胸には何か、熱いものが込み上げてきた。自然と、体に力が入る。
――岸谷さん……
「っ!?」
異形が突き刺そうとした刃を、眞澄は剣で受け止めた。異形の方を見ることもなく、攻撃を見切った。
――岸谷、さんは……
眞澄は体のバネを利用して、立ち上がった。
「このっ――!」
異形が腕を振り回すよりも早く、眞澄の剣は動いていた。
――俺が守る!
彼の心に芽生えたのは、些細で、ともすれば醜いほどの、嫉妬だった。真理は自分が守らなくてはいけない。他の誰でもない、自分が。
「かはっ……」
眞澄自身も、己が剣戟を目視できなかった。ただ、自分が何をどう斬ったのかを、手応えのみで感じた。
異形の両肩から、血飛沫が迸る。一瞬、異形の両手がだらりと垂れ下がる。
その隙に眞澄は異形の真横へと回り込み、小さく跳躍した。
右手に力を込めて、吼える。
「うおおおっ!」
振りかざした剣が、異形を叩き斬った。
確かな手応え。
異形の体は、前後に両断された。その内の前方が、力なく地面に伏した。人の形そのものをしている断面から、血がどくどくと溢れ出している。
「あっ…………がっ…………」
しかし、異形は生きていた。眞澄の目論見は、成功した。彼が斬り落としたのは、異形の外側だけだ。表面を走る無数の傷ごと、異形を斬った。
「傷口一つからは、一つの刃しか出てこない」
「貴、様……」
異形の顔が、眞澄に向けられる。赤く、平たい断面には、目も鼻も口も、それに相当する細長い傷もなかった。それでも喋れているのは、中にいるであろう人間に傷が及んでいないからだ。
異形の腹部から、再び巨大な刃がせり出した。しかし、僅かに伸びただけで、すぐに引っ込んでしまう。
「お前の、負けだ」
異形は、その場に膝をついた。刃を出すことすらままならない。
その様子を確かめた眞澄は、人核装甲を解除した。装甲が、体の内側へと吸い込まれるようにして消え、人間の姿に戻る。正直、これ以上装甲を維持していたら、倒れそうなほど疲労がたまっていた。
「ならば、殺せ」
「それはできない。だから約束してくれ、もうその姿にはならないと」
異形は、首を振った。
「それこそできない。この姿が、本来の私だ」
「そんなことは……」
「私の一番の欲望に従い、それを反映して生まれたこの姿が、純粋な私なんだ」
眞澄は反論できなかった。異形は、傷ついた姿のまま元に戻ろうとしない。
感染者にとって、人間の姿こそが異形なのかもしれない。欲望以外にも様々な雑念を抱えた人間の方こそ、濁っている――眞澄はそのことに、心のどこかで同意していた。
「お前が殺せないなら、私がやらなくてはな」
ずるりと、異形の体から再び刃がせり出した。それは伸びることも引っ込むこともなく、短い刃物として地面に落ちた。
「おい、やめろ!」
眞澄が止めようとするも、異形の手に払い除けられる。今度こそ受け身を取ってすぐに立ち上がったものの、人核装甲のない状態では、異形に勝ることなどできない。
異形は刃を拾い上げると、それを逆手に持った。そのまま、首元へと近づけていく。
「やめろ!」
異形に駆け寄ろうとした眞澄はしかし、肩を何者かに掴まれて動きを封じられた。
「後は、俺がやる」
真田蓮が、眞澄を押しのけて異形へと近づいていく。
蓮は躊躇いなく、その手で異形の顔を殴った。その拍子に、異形の手から刃が落ちる。
「悪いな。こうしないと、俺は姿を変えられない」
蓮の姿が、緑色の装甲に包まれていく。
「真田さん!」
まさか――と眞澄は思う。
「眞澄!」
突如上空から、声がした。
「如さん!?」
一対の翼を羽ばたかせて、鋼鳳を纏った如が舞い降りてきた。
如は素早く周囲を見渡すと、装甲を纏い始めた蓮と異形に目を留めた。
「一体、何がどうなってるの?」
「説明は後で! 如さん、真田さんを止めてください!」
「…………」
如はそれだけで、大方の事情を把握したのだろう。やがて、小さく息を吐いた。
「それはできないわ。あの感染者は、君が倒したんでしょう? 人核装甲に剣を有しているのは、知る限りでは君だけだもの」
「っ……」
「君ができなかったことを、真田先輩がやってくれるだけのことよ」
「でも……俺は、そんなこと望んでません」
「感染者は殺すしかない。眞澄だって、知ってるでしょう?」
如は、人核装甲を解除した。それが、眞澄に対する答えだった。
同時に、蓮が完全に装甲に包まれる。骨ばった爬虫類のような緑色の全身に、所々管が走っている。
蓮の手が、異形の首を掴んだ。もう片方の手は右肩を抑えている。中指の付け根から赤い突起が伸びて、注射針のように異形の中へ沈んでいく。
「眞澄、目を逸らさないで。ちゃんと見ていて。適合者がすべきことを」
知らず知らずのうちに俯いていた眞澄は、顔を上げた。
「――――!!」
異形が、声にならない声で絶叫した。蓮が首を絞めているのだろうか。ならば何故、異形は大声を発しているのだろうか。
蓮の装甲に生えている管が、大きく脈打っていた。
「やめ、ろ……」
異形が、蓮の手を掴んでもがく。だが、彼の手は離れない。
「奪うな……私から、この姿を…………」
管が脈打つ度に、異形の体が大きく震える。
「これは、あのときの……」
「如さん……?」
その様子を見守る二人にも、異変が起きていることだけは理解できた。少なくとも蓮は、異形を殺そうとしているわけではない。
やがて、異形の足元や手の先から、人間の姿が覗き始めた。異形の体が、少しずつ人間の姿へと戻っている。
しかし、体の内側に吸い込まれているようには見えない。むしろ異形の鎧は、蓮が掴んでいる首と右肩に向けて、徐々に縮んでいた。
管が脈打つ。異形が苦しみ、その姿が人間へと戻っていく。
「感染者の装甲を、吸収している……?」
如の言葉は、到底信じられるものではなかった。改良したMファージ、それを利用して生み出す人核装甲に、そんな力などない。
だが、蓮のMファージは……そこまで考えが至って、眞澄はある結論を思いついた。
「取り込んでるんじゃ、ないですか?」
「え?」
「Mファージの感染者は、自らの鎧を構築する際に、何かその場にあるものを一つ取り込むんでしたよね。『アンチドゥーム』が改良したMファージにはその機能が残っていませんけど、真田さんが独自に改良したものには、そういった機能が残っているんじゃ……」
「まさか……じゃあ、真田先輩の人核装甲は、感染者の鎧を取り込めるの?」
眞澄の至った結論は、ただの目測にすぎない。
だが、如も反論しようとはしなかった。目の前の現状を鑑みるに、それが一番妥当な考えだと思われたからだ。
蓮の管が、一際大きく、強く脈打った。首元と右肩に残っていた異形が、彼の両手に吸い込まれていった。
異形の中にいたのは、女性だった。真理とは親しい間柄だったらしいが、近くで見ると随分と大人びているように見えた。
「あっ…………」
女性が、力ない声を上げて、後ろに倒れた。如が駆け寄って、彼女を抱き起こす。眞澄も慌てて後に続いた。
「大丈夫、気を失っているだけみたい」
「そうですか、よかった……」
眞澄は心の底からほっとした。誰も、死なずして、戦いが終わった。
いや、そうではない。眞澄は、真理の横たわる方へ視線を流す。
「…………」
そこにはもう、死体はいなかった。男性の服を残して、人の形に象られた黒い砂のようなものが積もっている。
感染者は死後、取り込んだ物質を残して完全に消えてしまう。予め聞いていたとはいえ、まるで存在そのものが消えてしまったようで、虚しい思いがする。眞澄は、真理を庇って死んだ男性のことを何も知らない。それでも、悲しい。
蓮が、装甲を解除した。その瞬間に、少しだけよろめいたが、踏み止まる。
「さて、後のことは任せた」
「真田さん」
グラウンドを後にしようとする蓮を、眞澄は呼び止めた。
「その力で、奈津子さんを元通りにするんですか」
「……そのために、俺は戦ってる」
「取り込んだ鎧は、どうなったんですか」
「知らん。だが、そいつが何を思っていたのか、何を望んでいたのか、なんとなくわかるようになる」
蓮は振り返って、如が抱えている女性を顎で指した。
「真田先輩……」
如が、か細い声で彼の名を呼ぶ。眞澄は、そんなに寂しそうな彼女の声を、初めて聞いた。
「お前らのことは、今日だけは見逃してやる。次会ったら、お前らの鎧も俺が取り込む。Mファージは、俺が根絶する」
蓮はそれ以上何も言わず、他の誰も、彼を止めることはなかった。
眞澄は、ついていくべきか迷った。
『アンチドゥーム』に所属していれば、いずれまた感染者と戦うことになる。そのとき、また殺すか殺さないかの選択を強いられることになる。
ならばいっそ、辞めてしまってもいいのではないか。
だが、ついて行ったとして蓮と同じ力を得られるか、そもそも彼が同行を許すのか、保証はどこにもない。
如の話声が耳に入った。恐らく、晴香に電話しているのだろう。
まずは、何が起こったのかを話さなければいけない。
それよりも……
眞澄は、真理の元へ向かった。
――彼女を守れて、良かった
今は、それでいい。
眞澄は、微かな寝息を立てる彼女の顔を見て、そう思った。