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贖罪装甲  作者: 饂飩粉
第三章:鋼鳳
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決断の、時

 人体実験、教授から発せられたその言葉に、助手達が一様に顔を見合わせた。

 研究室には、この研究所にいる者全員がいる。他の動物のように、人間を調達することなど、少なくとも日本ではできない。たとえここでの研究が世間一般に秘匿されているとしてもだ。

「これまでの研究や実験においては、安全が保障された試験体だ。危険がないとは言い切れないが、誰かに立候補してもらわねばならん。強制はできん」

 教授の言葉が、全員の心に圧し掛かった。

 ――ということは、この中にいる誰かが実験台にならなくてはならない。遅かれ早かれ、助手達もその結論にたどり着いた。

 そして、蓮を除く全員が奈津子を見た。恐る恐る窺う者、当然だという風に睨む者――そのどれもが「お前が立候補しろ」と無言で語っている視線だった。

 最初からこれが狙いだったのだ。蓮は、今まで自分が気づきもしなかったことを激しく後悔した。感情は、すぐに憤りへと変わっていった。

 研究の内容を念頭に置けば、全ての辻褄が合う。

 精神の異常を治すウイルス――その効果を確かめるには、実験台の精神に異常を来すような環境を整えなければならない。動物実験も同じだ。わざとストレスの溜まるような環境で飼育したウサギを用意した。

 この居住施設も兼ねた研究所は、いわば巨大な檻だったのだ。奈津子は、最初から実験台にされるために、教授の手回しによってここに閉じ込められた。果たしてその目論見はまんまと成功し、たっぷり半年以上かけて彼女を精神的に追い詰めていった。教授にとってみれば他の助手達は教授の手足であり、ストレスを溜めるだけの仕掛けに過ぎなかったというわけだ

 目の前で堂々と研究の成果をひけらかす男は、初めから父親としての情など持ち合わせていなかった。

 この男は、実の娘でさえ研究に利用する悪魔に他ならない。

「てめえ……」

 蓮は震える拳を隠そうともしなかった。怒りの矛先目がけて詰め寄り、その胸倉を掴む。

「ふざけんな! こんな研究は中止だ! 外に出て、洗いざらい吐いてやる!」

「蓮、やめて!」

 振りかぶった拳を、奈津子の声が止めた。振り返ると、彼女は今にも泣きそうな顔をしていた。

「私、なるから。実験台になるから」

「そんな、奈津子、お前」

 蓮の口から、言葉が零れ落ちる。

「嫌じゃないのか? お前だってわかってるだろ。全部このジジイの仕組んだことなんだぞ? 実の父親にこんな仕打ちをされて……」

 他の助手は、黙ってその様子を見ているだけだった。まるで観客のように、手出しも口出しもしようとしない。

 奈津子は全身を震わせている。その頬を涙が伝うまでの沈黙が、長く、重く、突き刺さる。

「わかってるよ。人体実験をするって言われたとき、気づいた。私は、そのためだけにここにいたんだって」

「だったら――」

「でも、辛いの。とっても辛い。このままだと、潰れちゃいそうなくらい。それが治るなら、研究の成果で治るなら、私は縋りたい」

 蓮を遮って出た彼女の言葉に、彼は教授の胸倉を掴んでいた手の力を失った。

「蓮が私のために頑張ってくれたことは、すっごく嬉しい。でもそれだけじゃ、駄目だった。空を見上げているときも、どこかで誰かが見ていないか、不安で不安でしょうがなかった。蓮、ほんとにごめん……」

「奈津子……」

 蓮にはもう、かけてやれる言葉がなかった。奈津子がその場で泣き崩れても、肩を貸してやることもできなかった。彼女の笑顔を見ただけで、彼女を救っていた気になっていた自分がひどく滑稽に思えた。

 なんて思い上がりだろう、なんて愚かなのだろう。まるで力になってやれていないではないか。彼女の苦しみを、ほんの僅かですら理解できていないではないか。

 蓮は助手達の方を見た。如を、晴香を、他の者達を。

 誰もが、目を逸らした。彼の味方は、一人もいなかった。

「私、早く解放されたい……」

 彼女の悲痛な声が、いつまでも蓮の中で響き続けた。


 二時間後、蓮と奈津子は研究室の隣の、無菌室にいた。壁の一角がガラス張りになっており、周囲とは隔絶された空間になっている狭い部屋だ。

 最悪の事態を考えた上でここを実験場としただけで、二人とも除菌どころか防護服も身につけていない。

 奈津子は先ほどから、そこに運び込まれたベッドの上に横たわっていた。今では大分落ち着きを取り戻しており、笑顔も垣間見られる。しかし蓮は、上手く微笑み返すことができない。笑顔の奥でどれほど彼女が苦しんでいたのかと思うと、やりきれなかった。

 蓮の手には、注射器と小さなビンがそれぞれ握られている。ビンにはMファージを浸した液体麻酔が入っている。Mファージは空気中でも活動ができるのだが、投与するにあたっては液体に入れてからの方が都合がいいのだ。

「奈津子、本当にいいのか?」

「うん」

 彼女は即答した。

 ――早く解放されたい。先ほどの言葉が、蓮の心の中ではまだ反響している。

 彼は奈津子から目を逸らすようにして、ビンを見つめた。この中に、奈津子を救える唯一の可能性が入っている。

 実験には失敗がつきものだ。だが動物実験の段階においても、被験体が死亡するなどという結果にはならなかった。効果の個体差はあれど、投与したウサギのほとんどが、ストレスが溜まっているような素振りを見せなくなった。

 失敗するかもしれないとは、今更言えなかった。これ以上彼女を闇雲に引き留めても、逆効果だ。蓮にはもう、選択肢は残されていない。

 ガラス張りになった壁の向こうには、二人を除く全員が立っていた。この実験が、今後に大きく関わってくるのだ。期待と不安の入り混じった目が、こちらのことを見つめている。

 蓮は、ビンの蓋に直接注射針を差し込んだ。蓋は密閉されているが、注射針を通せる仕組みになっている。ピストンを引いて、中を液体で満たす。

 空中で少しだけピストンを押して、針の中の空気を抜く。ビンは、白衣のポケットにしまっておく。

 仰向けに寝ている奈津子の左腕を握り、袖を捲る。

 と、彼女の右腕が蓮の手首にそっと触れた。

「蓮、大好き」

 無菌室内の声は、外には漏れない。

「ああ、俺もだよ」

「なら、蓮も大好きって言ってよ」

「……後でな」

「絶対にね。約束」

「わかった、約束する――」

 蓮は思わず顔を綻ばせた。そして、彼女の腕の血管を探り、注射針を刺した。



 ○



「そして、事故は起こった」

 蓮は事故の直後のことも詳しく話した。片時も忘れたことのない四年前を、昨日のことであるかのように。

「奈津子は異形の姿へ変わるとき、俺たちを守った。守りたいという願いが、彼女をあんな姿に変えてしまった。でもそのおかげで、俺を含めほとんどの奴らが助かったんだ。奈津子は崩壊していく壁や床、天井を片っ端から吸収したんだよ」

「…………」

「代わりに、ほとんどのMファージが空中に撒かれて、今に至っているわけだ」

 話を聞いていた眞澄は、立ち尽くす他なかった。目の前の真田蓮が、嘘を言っているようには思えない。

 だがそうなると、晴香や如は――そもそも自分のことを養子にした要家とは…………。

「付け加えておくと、事故の後全ての責任を負わされた要正元が『アンチドゥーム』を発足した。元々研究も、政府の要人から言い渡されたものだったらしいからな、それぐらいの金は用意できたんだろう」

「じゃあ、その、要奈津子さんは……」

「場所はわからねえ。だが、『アンチドゥーム』の本部に移送されたのは間違いない。そこで奈津子は今も、あのジジイに利用されている」

「どういうことですか?」

「奈津子が吸収したものの一部にコンピューターや電子機器類があった。奈津子は遠くでMファージに感染した者を感知すると、まず声を上げてそのことを周囲に報せる。次にコンピューターを経由して、特殊な暗号をこちらに送ってくる。それをあのジジイが解析した結果、地球の座標を示していることがわかったんだ」

 眞澄は絶句した。『アンチドゥーム』がどうして感染者の場所を特定できるのか。その理由にすら、先ほど聞かされた話が絡んでいたとは。

「俺は許さない。ジジイも、奈津子を変えてしまったMファージも。だから戦う」

『アンチドゥーム』の組織にいても、彼女――奈津子のことは全く聞かされなかった。その理由が眞澄にもようやくわかった。

 そもそもの原因は、『アンチドゥーム』が作っていたのだ。晴香や如も含めて、その責任を取らされているにすぎない。

 蓮はポケットから小さなビンを取り出した。中身は残っていないが、当時奈津子に注射した麻酔が入っていたものなのだろう。

「俺はこの中に残っていたMファージを解析、加工して、オリジナルのウイルスを作った。だから『アンチドゥーム』側のものとは、少し性能が違う」

 蓮は眞澄に歩み寄った。眞澄は動けない。まだ頭の中が混乱していて、それどころではないのだ。

「別に責任逃れしたいから『アンチドゥーム』に入らなかったわけじゃない。あのジジイはまだ奈津子のことを利用してる。俺は一人ででも戦って、絶対に奴の居場所を突き止める。そして奈津子を救う――!」

 あと一歩というところまで眞澄に接近した瞬間、蓮は拳を真っ直ぐに突き出した。いきなり肩に鈍痛が走り、眞澄は後ずさりする。丁度、折れている左腕を狙ってきていた。

 蓮の右手から、異形への変貌が始まっていた。彼にとっては、対象を殴ることが人核装甲を装着するために必要なことなのだろう。

「Mファージの感染者はもちろんだが、お前らも同様だ。『アンチドゥーム』の戦力を削げば、向こうから出てきてくれるかもしれねえからな」

「そんな、俺達が戦う必要なんて……」

「おいおい、まさか話聞くだけで帰るつもりだったのか?」

 蓮の全身が、緑色の装甲に覆われた。眞澄は左腕を抑えながら立ち上がる。

 だが、精神的な疲労は確実に彼の中に蓄積していた。蓮を呼び出すために、何度も人核装甲を装着しては解除を繰り返したせいだ。

「全ては、奈津子に注射をした俺のせいだ。俺が終わらせる」

「くっ…………」

 覚悟を決めるしかない。眞澄は、擦り減った精神に鞭を打つようにして、研ぎ澄ませる。

 だが、うまくいかない。ただ疲れているのが原因ではなかった。余計な雑念が、あまりにも多すぎるのだ。

 今まで世界の平和のために戦っている組織だと思っていた『アンチドゥーム』は、ただ責任をとるための、罪滅ぼしのための組織に過ぎなかった。

 眞澄は、今まで騙されていたのと同じだ。ずっとずっと、騙されていた。誰も真実を教えてくれなかった。

 考えなくてもわかる。養子を貰っていたのは、単なる戦力増強のためだ。眞澄は、たまたま改良したMファージの適合者だった――ただ、それだけのこと。今となっては、運が良かったのか悪かったのかすらわからない。

 たとえこの場を凌いだとして、自分はどうすればいい? 『アンチドゥーム』に戻って晴香らを非難する――それも考えた。だが、それ以上のことにはならない。下手をすれば、口封じされる可能性だってある。

 装甲を纏った蓮からじりじりと後退していくうちに、背中がフェンスとぶつかった。もう、後がない。

 ――どうする? もう誰も信じられない!

「ほら、さっさと変身しろ。俺と戦え」

 そこでふと、眞澄は気づいた。

 誰も信じられない。それはきっと、彼も、蓮も同じなのではないかと。だというのに、彼は真実を眞澄に話した。たとえ話さずとも、隙だらけの眞澄を潰すタイミングなど幾らでもあっただろうに。

 眞澄は、蓮を見据えた。装甲に覆われているため、その表情まで知ることはできない。

 今更、何のためかと問い返すのは無駄だろう。

 だとすれば、今眞澄に残された選択肢は――

「……俺は、まだはっきりと決めることはできません」

「あん?」

「きっと『アンチドゥーム』に所属してる方々も、あなたと同じくらい迷い、そして決断したんだと思います。ただ、あなたほどの勇気がなかっただけで」

「…………」

 蓮の足が、止まった。

「俺にはまだ、これからどうすればいいのかなんてわかりません。全てを知って、それですぐに決められる人間じゃありません。俺はあなたほど強くないし、大切な人も……まだいません」

 眞澄の脳裏に、一瞬だけ如の顔が思い浮かんだ。だが、彼はそれを振り切った。

「こんなこと言うのはおかしいかもしれませんが、俺はどんな理由であれ、手に入れたこの力を、正しく使いたいんです。そのためにどうすればいいのか、考える時間をください」

「はあ?」

 蓮は大仰に聞き返してきたが、何かを思案しているようだった。今更気づいたが、眞澄は彼から殺気を全く感じなかった。彼に拉致され、問い質されたときもだ。

 やがて、蓮が装甲を解除した。眞澄はほっとしたが、表情には出さなかった。

「……まあいい、お前らのいう人核装甲ってのを装着する気がねえんなら、勝手にしろ」

 眞澄の疑念はますます募った。感染者同様に殺すのであれば、人核装甲を要求する必要はない。真田蓮には、何か別の目的があることは、間違いない。

 それを聞く前に、彼は眞澄の丁度反対側にあるフェンスをよじ登っていき、その裏側へと姿を消した。

 少なくとも、もう一度彼に会わなければならない。

 だがその前に、これからどうするのかを、決める必要がある。

 眞澄は、空を見上げた。

 ――いい天気だ。

 彼の話を聞いた後では、素直にそう思えた。空は青い。太陽はまだ昇ったばかりだ。

 そこで、いつも「いい天気だね」と自分に話しかけてきたクラスメイトのことを思い出した。確か名前は、岸谷真理。感染者との騒動に、巻き込んでしまった。

 そういえば、彼女からは事故について詳しい話を聞く予定だったのだ。しかし、眞澄は彼女の連絡先など覚えていない。

 だが、事故現場が近いと言っていたことは覚えている。

 なぜか眞澄は、散々無視し続けてきた彼女と話をしたくてたまらなかった。事件の話ではない。とりとめのない、教室の喧騒に紛れてしまうような、ささやかな話を。

 感染者の覚醒した場所が事故現場だとするなら、彼女の家はその近くにあるはずだ。

 根拠はなかったが、彼女と話せれば、何かが変わる気がした。

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