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贖罪装甲  作者: 饂飩粉
第三章:鋼鳳
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夢と過去

 要奈津子。

 如にとっては、大して親しくもない同僚でしかなかった。あの時までは。

 当時起こった事件は、到底忘れられるものではない。その場に居合わせた誰もが、そう思っているだろう。

 どこまでも続く瓦礫の山。むせ返るほどの砂埃。憎たらしいほど澄み渡った青空。かすり傷程度で済んだのが奇跡であることを、崩壊した研究所のなれの果てが物語っていた。

 室内にいたはずなのに、如は瓦礫の上に横たわった状態で目を覚ました。確実に死んだと思っていただけに、自分の置かれている状況を理解するのに手間取った。

 生きている。そのことをはっきりと自覚する間に、空は夕焼け色に染まっていた。

 それから、誰かのすすり泣く声が聞こえてきた。

 振り返って、如は絶句した。視界に捉えたそれが、とてもこの世のものとは思えなかったからだ。

 肉塊のオブジェ――そうとしか表現できない。膨れ上がった腹のような肉が、ひっくり返した葡萄の房のように聳えている。所々から、研究所の壁や床の巨大な破片や、精密機械類などが飛び出していて、グロテスクなSF映画のセットのようにも見えた。

 すすり泣きは、そのオブジェの前で立ち竦んでいる男から聞こえた。

「奈津子……」

 男がそう呟くのを聞いて、如は全て理解した。

 彼女の悲鳴が、他の生存者たちの目を覚まさせた。



 ○



 また、あの夢を見た。

 夢というより、過去の映像がフラッシュバックしたと言うべきか。どちらにせよ、まだ三時間しか眠れていない。

 蓮はワンルームのアパートの床に寝そべっていた体を起こした。

 奈津子のことは、忘れるはずがない。一度目に焼き付いた光景だ。あの日から、両の瞳は色を失った。

「……」

 感傷に耽っていると、感染者の気配がした。その独特の感覚は、例えるのも難しい。感染者がある電波を出しているのだとするなら、さしずめ彼はそれを拾うアンテナだ。電波の感覚など、蓮は知らないが。

 だが、また『アンチドゥーム』の連中が仕掛けてきた可能性もある。如の一件は単なる実験にすぎない。対策を練った状態で待ち伏せされれば、恐らく何の抵抗も許されないだろう。

 それでも、構わない。蓮は覚悟を決めている。

 感染者ならば戦えばいい。『アンチドゥーム』ならわざと捕まり、そこから奈津子の居場所を探ればいい。

 時刻は午前七時。何をするにも、早すぎる時間だ。



 ○



 夜、眞澄はベッドに入っても眠れなかった。

 エレベーター越しに如に言われたことが、頭の中で澱になって残っている。

「でもね、人は世界の平和なんかのためにって理由なんかじゃ、戦えないんだよ」

 では、どうすればいいのか。彼女に聞くことはできなかった。それに、答えはおぼろげながらわかっている。

『アンチドゥーム』が世界の平和を守るための組織なのは間違いない。だが、組織の人間が全員世界の平和のために戦っているはずなどない。眞澄とて、それを理解していないわけではなかった。

 ただ、改めてその事実を突き付けられてしまったことが、彼にとっては辛かった。

 ギプスをはめた左腕が、放課後の事件を思い出してか脈打つように痛んだ。

 少なくとも自分は、世界の平和のために戦えるという自信――今となっては自惚れだが――があった。そんな強がりは、放課後起こった事件で左腕もろとも完全に打ち砕かれてしまっていた。そこに追い打ちをかけてきたのが、如の言葉だ。彼女を恨むつもりは毛頭ないが、眞澄はこれからどうべきかが全くわからなくなってしまった。突然、狭くて暗い部屋に閉じ込められてしまったかのような気分だった。

 道があるなら、そこをゆけばいい。今の彼には、その道すらないのだ。

 その暗く狭い部屋の鍵を持っている人物に、眞澄は心当たりがある。

 真田蓮だ。

 彼は『アンチドゥーム』に属していないが、重要な何かを知っている。晴香や如が知っていて、自分が知らない何かを。

 全ての元凶だと、蓮は確かに言った。そして彼と晴香、如は知り合いらしい。

 更に蓮は、奈津子という女性を探している。聞き覚えのない名前だが、その女性も恐らく関係しているのだろう。

 晴香も如も、蓮のことだけでなく、感染者が二人いるという事態に忙殺されている。

 そうなると、蓮に直接会って話を聞く以外に、全てを知る方法はない。

「…………よし」

 そうと決まれば、今は少しでも多く睡眠時間をとるべきだ。

 如は今頃、蓮との接触に成功したのだろうか。同じ方法を使えば、自分も彼に会えるかもしれない。



 ○



 ひんやりとした固いものに、時貞は寝そべっていた。

 ――ここはどこだ?

 初めにそう思ったが、すぐさま記憶が蘇ってきた。

 真理に近づいている者を片っ端から殺すために、学校まで足を運んだこと。

 そこで一人殺し、もう一人も同じようにしてやろうと思った矢先に、邪魔が入ったこと。学校に行く前にも邪魔をしてきた男だ。自分と同じような異形の姿を隠し持った、謎の男……。

 それからのことが、記憶にない。確か男の攻撃を受けて――そこまで考えた瞬間、全身が痛みを訴えてきた。

「うぐっ……」

 自分の両手を見ると、どうやら人間の姿に戻っているらしかった。だが時貞はもう、人間と異形どちらの姿が本来のものなのかわからなくなっていた。

 周囲に視線を走らせる。巨大な倉庫の中にいるようだ。入り口である壁の一角にはシャッターが下りている。四隅、には鉄骨材やドラム缶などが置いてあった。どうやら今は使われていないらしい。

 見上げると、割れた天窓から薄っすらと光る月に目が留まった。既に夜になっていたらしい。周辺にガラスの破片が散らばっていることから察するに、自分はあの天窓を割ってここに逃げ込んだのだろう。

 しかし、そうする余力が残っていたのか、彼には自信がなかった。

 あの、緑色の異形の男には、恐らく勝てない。今後また邪魔をされれば、こうして生きていられるかどうかも怪しいくらいだ。時貞はぶるっと身を震わせた。倉庫の中は少々蒸し暑いくらいなのに、背筋を這う恐怖は容易くそれを上回っている。

「気分はどうですか?」

 突如、背後から声がした。

 振り返った先は倉庫の奥に続いていて、月明かりだけでは先が見えない。

「誰だ!?」

 時貞は声を荒げた。目に見えない恐怖と警戒心が、体に動けと命じているのに、痛みがそれを許さない。

「安心してください。私はあなたの味方ですよ、先生」

 声の主がそう呼んだことに、時貞は一瞬混乱した。自分のことを先生と呼ぶ人間は少ない。教え子達か、それとも会社の同僚か、その二択のはずだ。

 足音が、暗闇から近付いてくる。やがて姿を現した人物に、時貞は見覚えがなかった。

 その人物もまた、異形の姿であったからだ。 薄紅色の全身に、切り傷が無数に走っている。それらの傷全てが口のように見えて、時貞は「こんなグロテスクな異形もいるのか」と場違いな感想を抱いた。

 異形に対する警戒心は、なぜか薄れていた。それに、大して驚いてない自分が少しだけ気味悪かった。

「味方だって?」

「ええ、味方です。共通の敵を持っている、とも言えますが」

 異形は時貞の前にくると恭しく一礼した。その光景はひどく奇妙で、どこかおかしかった。これがTV画面の向こうで起こっていたなら、笑えたかもしれない。

 それ以前に時貞は、異形の言う共通の敵という言葉が引っ掛かった。時貞が敵対視しているのは、真理に近づく者全員である。この異形と共通している存在など――

「……共通の敵というのは、あの、緑色の?」

「ええ、その通りです」

 異形は笑った、ような気がした。頭部はあるものの、目や口に相当するものは見当たらない。ただ、傷口のようなものがいくつか蠢いた。

「私達は、どうやらその敵達に感染者と呼ばれているようです。ですが我々は、人間の本来あるべき姿は、むしろこのような姿であると考えます」

 異形は両手を広げて、自らを誇示してみせた。

「我々、ということは、他にもいるのか」

「さすが先生、察しがよろしいですね」

「…………」

 先生と呼ばれても、こちらは向こうの正体を知らないので何とも言えなかった。

「先生の言う通り、私達のような存在は何人も存在します。現在は日本にしかいないようですが、これからどんどんと増え続けていくことでしょう。我々の敵が感染者と呼ぶくらいですから、この姿になれる原因は何かに感染して広がっていくようです――まあ、そんな話はこれくらいにしておきますか」

 異形の言っていることは、にわかには信じられないことだった。自分のような存在は他に大勢いて、これからも増え続けていく。そもそも、異形の姿を手に入れた理由が、何かに感染したからだとは――てっきり時貞は突然変異か何かだとばかり思っていた。

「単刀直入に申し上げます。我々の仲間に、なっていただけますか?」

 予想通りの誘いがやってきた。異形はなおも言葉を続ける。

「異形の姿を手に入れた方ならお分かりかと思いますが、我々は心の奥底にある衝動に突き動かされ、行動します。たとえ犯罪であれ、殺人であれ、普通の人間ならば考えるだけに留めるようなことも平気で行えるでしょう。そのための姿であり、力を得ているのですから。

 ですが、それを阻む者がいます。我々を感染者と侮蔑し、感染者であれば問答無用で行動を阻害する病原菌のような存在が。それがあなたの出会った緑色の異形です。彼のような人物は他にもおり、我々のことを見つけては即殺害に追い込んでいます。事実、我々の仲間も何人かが犠牲になりました」

 異形はいったん言葉を切った。まるで演説のようだと、時貞は思った。こういう場でなければ、取っつきにくい人物だろう。時貞は苦手だ。愚痴や文句ばかり垂れる上司を思い出す。

「そこで我々は一つになることを決めました。個々の目的を遂行するために、まずは団結して共通の敵を滅ぼそうと考えたのです。先生にも目的がおありでしょう? そして、それを邪魔されたのでしょう?」

 時貞は思い出す。肝心な時に、いつも邪魔をしてきた緑色の異形のことを。段々と怒りがこみあげてくる。怒りは、痛みすら忘れさせる。

「勿論、普段は目的の遂行を第一に考えてくださって構いません。他の仲間に助けが必要な時、力を貸してくださればいいのです。あなたを助けた、私のように」

「……そう言われると、断れないな」

 とはいえ、初めから時貞は断るつもりなどなかった。利用価値があるのなら、利用するべきだ。

「ありがとうございます、先生」

 先生と言われても、もう気にならなかった。

「仲間になるよ。これも真理ちゃんのためだ」

「真理ちゃん、それがあなたの目的ですか」

「そうだよ、女性が目的ってのは問題かな?」

「いえいえ、私も同じようなものですから……では、早速ですが十二時間後にこちらの場所へ来ていただけますか? まずは邪魔者から排除しましょう」

 そう言って異形が差し出したのは、時貞も知っている公園の書かれた地図だった。どうやら市販されている地図帳のページを切り取ったものらしい。

「わかったよ。感謝する」

「こちらこそ……」

 異形はそう言い残して、闇の奥へと姿を消した。

 時貞は腕時計をチェックした。盤面を覆うガラスに罅が入っていたが、秒針は動いている。時刻は、午前三時半といったところか。半日後となると、丁度放課後の時間だ。

 確か明日――日付では今日だが――は土曜日。仕事を片付ければ、また彼女に、真理に会える。

 時貞は、口元を綻ばせた。醜く歪んだ笑顔になったが、もう彼には関係のないことだった。


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