チャーハン
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フライパンに油を引き、溶いた卵と切った具材を炒めた後、上からご飯を乗っけて掻き混ぜる。そして醤油と塩コショウで味付けした。俺も自炊には慣れている。三食キッチンで作って食べているのだが、抵抗はない。大抵、炊飯ジャーに残っていたご飯でチャーハンを作ることが多い。その日もその通りだった。
街にある1Kの自宅マンションでパソコンに向かい、小説の原稿を打ち続けている。別に変わりはなかった。この仕事を始めて結構長い。大学を卒業する年に出版社に原稿を持ち込み、デビューを果たしてからだから、もう十年以上経つ。ゆっくりする間はなかった。複数の出版社と契約していて、原稿の依頼は絶えず来る。
大学時代、芸術学部にいて、ずっと作家志望だった。在学中から原稿を書き溜めていたので、ストックはかなりあったのである。それらを残らず世に出してしまってから、また新たな原稿を打ち続けた。健筆家タイプだ。夜は午後十時前に眠り、翌朝は午前六時過ぎに起き出す。そしてトーストと野菜サラダで簡単に朝食を取り、コーヒーをブラックで一杯飲んだ後、パソコンを立ち上げて作品を書き始める。
締め切りまでには原稿を書き終え、出版社に入稿しないといけない。だが俺のように年中執筆し続けている人間は慣れてしまっていた。デビュー当時は習作を連発していたのである。部数こそあまり出なかったのだが、まとまった原稿料は入ってきていた。今でも文芸雑誌などに月七本並行して連載を持っていたのだし、金は結構もらっている。
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「桑島君、筆を絶やすなよ」
俺の文芸の師匠だった野澤彰人はいつもそう言っていた。二年前に肺ガンで亡くなったのだが、野澤がいなかったら俺もずっと書き続けることが出来なかったもしれない。実際野澤の書くミステリーを読み尽くしていたので、俺も自然とデビュー作からハードボイルドを手掛けていた。
桑島保彦という俺の本名兼ペンネームが文芸界に浸透し始めたのは、ちょうどデビューしてから二年ほどが経った頃だ。まだ二十代で、野澤や他の作家たちが俺に半分悪ふざけで長編を書かせて、それで俺も名実ともにいくらか売れ始めた。当時、東京から撤収してきて、地元の街でマンションを一つ借り、そこで書くようになっていたのである。
他作家とはメールなどを通じて交流があった。デビューしてからだから、今から十年ほど前だったが、パソコンを使い原稿を書いていて、ケータイも持っていた。受賞作は部数があまり出なかったのだが、支払われる賞金五百万を使って生活していたのである。推理系の文芸賞は賞金額が大きい。しばらくは地味にやっていた。賞金を小出し小出しに使いながら……。
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とてもじゃないが、お弁当を買ったり、外食したりする余裕はなかった。だが、あの出会いがきっかけで人生が変わったのである。そう、恋人の河村春香だった。彼女は休日、俺のマンションに来てくれる。事前にメールしてからだ。
「保彦、今お腹空いてない?」
「ああ。ちょっとだけな」
「料理作ってあげるから。何が食べたい?」
「そうだな……じゃあチャーハン。具をたくさん入れてね」
「そんな簡単な料理でいいの?」
「うん。いつも自炊してるし」
俺もいくら現役の作家として原稿料が入ってくるとはいえ、普段は食事を作っている。大概自転車に乗って近くの量販店に買い物に行き、食材などを買ってくるのだ。普通自動車の運転免許は持ってない。だがいいのだった。ここは街の中枢である。自動車がなくても平気だった。自転車を飛ばせば、買い出しも出来る。前に付けている籠に買ったものを載せて。
春香も料理は慣れているらしい。いつもは会社に勤めているのだが、必ずお弁当を持っていくようである。コンビニなどで買ったりすることはないらしい。彼女も生活感覚は結構しっかりしていた。俺も春香が無駄なものを一切買わないことは知っている。それだけ徹底して節約しているのだ。
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大学入学後、一度も実家に帰ってない。オヤジと仲が悪かったからである。別にいいのだった。意見が合わないからである。親子の縁など切れたも同然だった。それで構わない。どうでもよかったのだし、今、街でこうやって春香と一緒にいられれば不足はなかった。
チャーハンが二人分、リビングのテーブルに運ばれてくる。熱々で美味しそうだった。俺もスプーンで掬い取って食べながら、彼女が作った料理を味わう。合間に熱々のコーヒーを飲みながら……。
食事が済んだ後、洗面台で歯を磨いて口の中を綺麗にする。そしてリビングへと戻った。確かに俺も執筆で疲れているのが現状だった。だがそうも言っていられない。ずっと仕事は続くのだし、実際締め切りに追われているのが現実だ。
「保彦」
「何?」
「今からエッチなことしない?」
「ああ」
端的に言ってベッドへと向かう。そして抱き合い始めた。気が済むまで体を重ね合って愛し合う。人間の本能なのだった。人を愛するというのは。やがて達した後、春香が、
「今からお風呂入ろうよ。体汚れちゃってるし」
と言って、俺を入浴に誘った。頷き、共にバスルームへと歩き出す。彼女は取っていた下着類を持ち、幾分冷え込む風呂場へと向かった。入っていき、シャワーの温度調節をして浴びる。さすがに冬場は入浴が大変だ。だが俺も寒い風呂場に慣れてしまっている。ここに住み始めてから、まるで抵抗がなくなっていた。二人で温かいシャワーを浴び、髪や体を洗い合って、しばらくの間寛ぐ。
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風呂から上がり、タオルで洗い髪を拭きながら、リビングへと歩いていく。先に春香の方がバスルームから出ていった。俺も今日は仕事の事を忘れて、彼女と過ごすつもりでいた。たまにはこうやってゆっくりもいいのである。普段はパソコンに向かい続けているのだし……。
「春香」
「何?」
「これからも変わらず付き合おうな」
「ええ。……何で急にそんなこと言い出すの?」
「いや。俺の悪い癖なんだけどな。先の事が不安になっちゃうっていう」
「そう……」
彼女が言葉尻に微妙な含みを残した。俺も髪を拭いていたタオルを汚れ物入れに入れてしまってから冷蔵庫を覗き込み、冷えているミネラルウオーターのボトルを二本取り出した。そして片方を春香に渡す。キャップを捻って呷った。ゆっくりと喉の奥が冷やされていく。
リビングに佇み、二人でしばらくの間、話をした。冬で寒いにも拘らず元気だ。何も抵抗はない。パソコンの電源は切っていて、お互いスマホは持っていた。彼女も時折スマホの画面を見つめる。俺も外出するときは欠かさず持ち歩いていた。メールなどもパソコンだけでなく、スマホからすることがあるのだ。その夜、春香は泊っていった。遅かったので、そうするしかなかったのだ。
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翌朝、彼女が早い時間帯に起き出し、コーヒーをホットで一杯淹れてくれた。俺も起きてきて、キッチンへと入っていく。そして淹れてもらっていた熱々のコーヒーをカップに一杯飲んだ。
それから数日経ち、一年が終わって新年になる。無事年を越せた。メールで欠かさず連絡を取り合っていたのだが、やはり会いたいと思う気持ちが先行する。春香のスマホに電話を掛けてみた。
「もしもし、俺。保彦だけど」
――ああ。……新年明けましておめでとう。今年もよろしくね。
「ああ。こっちこそよろしくな」
――今からご飯でも行かない?あたし、今年もおせち買ってないし。
「分かった。何時頃がいい?」
――そうね。……今日も起きるのが遅かったし、今、午前十一時前でしょ。だから正午に街の目抜き通りで待ち合わせでどう?
「うん、それがいいね。俺も約束の時間に来るから」
――待ってるわよ。しっかり着込んできてね。外は相当冷えてるし。
「ああ。じゃあまたね」
電話を切り、もう一度鏡を見てから、スタイリング剤で髪に癖付する。大雑把だったが、それでもよかった。特にお洒落をする気はない。単に見栄えがある程度整えば、それでいいのだ。外出準備を整えて部屋の鍵などを持ち、自宅を出る。まだ時間には余裕があった。
マンションを出、外へと向かった。さすがに寒い。シャツの上からコートを羽織り、防寒して街の目抜き通りまで歩いていく。正午前に待ち合わせ場所に辿り着き、間に合った。これから食事だ。いつもは自炊していたのだが、今日は久々に外食する。俺もちょうど締め切り間近の雑誌の連載原稿を書き終えて、メールで入稿していたので一安心だった。
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「何食べたい?」
「俺?そうだな……中華料理がいいよ」
「いつもチャーハンとか食べてるから?」
「うん。まあ、そうだね。俺も健康面では全然問題ないし」
言った後、思わず笑ってしまう。間食などは一切しなかったのだし、年に一回近くの内科の病院で血液検査をしてもらっている。異常はなかった。作家という職業柄、家にいることが多くて、運動不足気味ではあったのだが……。
その日の昼、街の中華料理店に入り、互いにラーメンとチャーハンのセットものを頼んで、飲み物には熱々のウーロン茶を用意してもらった。ゆっくりし続ける。店内は昼時とあってか、賑わっていた。俺も食事を待つ間、ずっと春香と話し続ける。互いに飽きてしまうまで。
元日の昼はゆっくりと過ぎ去っていく。今年もまた、たくさん仕事がある。多分、目が回るぐらい忙しいだろう。俺も現役の作家としてしっかりやるつもりでいた。書斎にこもりがちになるのだが、仕方ない。物を書く人間は自然とそうなってしまうのだ。
食事が届き、ラーメンを伸びないうちに啜る。彼女も同じだった。互いに食事を取り続ける。別に変化はなく、いつもの昼のような感じだった。普段自炊していたのだが、今日だけは外食だ。
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「原稿進んでる?」
「ああ。しっかり書いてるよ。もう雑誌の連載原稿はいくつか、先の分まで書いて入稿してるし」
「きつかったら休んでね」
「うん。だけど基本的に創作活動はずっと続くよ。俺も師匠の野澤先生から言われたことは忘れてないし。筆は絶やさないから」
「そう……」
春香が言葉尻を濁らせながら、言った。俺も彼女が何を思ったのか、分からなかったのだが、一瞬のちに表情をにこやかにし、
「今年もよろしくね」
と言って笑顔を作る。春香も笑う。食事を取り続けた。お互い仲良く。
そして食事が済み、しばらくスマホの画面を見つめていたのだが、やがて、
「そろそろ出ような。……今から俺の部屋でどう?」
と言ってみた。彼女も、
「ええ」
と応じ、二人で揃ってレジへと歩き始める。空腹が満たされた後で、何も言うことはなかった。食事代を清算してもらい、店外へと歩いていく。チャーハンは家で作って食べても、こうやって外で食べても美味しい食べ物だ。それから二人で俺のマンションに行き、二〇一三年の元日を過ごした。ゆっくりと時を送る。憂さなどは何もかも忘れてしまって。今年は最高に面白い年になるような気がしていた。予感――、当たればいいのだが……。
(了)