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それはきっとブドウ糖でできていた

作者: むじな

 

 とあるマンションの一室で、重いまぶたをこすりB君はベッドから這いおきました。

 彼は緩慢な動きでそのまま窓際へと向かっていきます。

『おはよう、B君』

「おはよう。君は今日も僕の視界一面に広がっているね、そんなに君は僕に観てもらいたいのかな?」

『もうっ、B君のばーか。貴方が広げたんじゃない』

「はは、ごめんよ。カーテン子ちゃん」

 B君は朝の日差しを中途半端にさえぎっている薄緑色のカーテンをつかみ、勢いよく開けました。

『こら、もう少し優しく開いてよ』

 カーテンから可愛らしい批難の声が聞こえてきます、けれどその声には嫌な素振りは感じられません。

 リビングにでるとテーブルや冷蔵庫、テレビといった部屋中の家具がいっせいにB君へ朝の挨拶をしてきました。B君は片手をあげてそれに簡単に応じます。

『今日はいつもより目覚めが遅かったね、そんなにゆっくりしていて大丈夫?』

「溜まった仕事はないからね、心配しないでキャビネット君」

 B君はキャビネットをコツンと軽く叩いてあげました。

「テレビテレビっと、あれリモコン何処に置いたっけな」

『ここにいるぞ!』

「ああ、新聞紙の下に隠れいていたか。助かったよ、リモ子ちゃん」

『Bよ……わしゃもうそろそろ引退時だ。そろそろ次世代機へとうつし変えたほうが良いんじゃないかね』

「まだまだ現役じゃないか、そんな悲しいこと言わないでよブラウン管TVさん」

 リビングにはB君一人きりしかいません、しかし大勢の家具たちが彼をとりまいていました。

『坊主。いい加減にでかける準備をしてはどうだ、それともママがいないと何もできないのか?』

「朝から手厳しい一言だな、すぐに済ませるさ。掛置兼用目覚まし時計(ヒヨコ型)さん』

『ふん、俺は別にどうだって良いのだがな。坊主が仕事に遅れるせいで迷惑がかかる奴がいるんだピヨ』

 B君はほんの少しだけ人と変わったところがあります、そう、彼は物の声が聞こえる力を持っていました。もともとB君にはそんな力がありませんでしたが、あるきっかけにより物達の声が聞えるようになったのです。

 それはほんの少し前の日の事です。




 その日、B君は遅くまで残業していたせいで終電を見逃してしまいました。途中までは帰れてはいたのですが、乗り換え先の私鉄電車の営業が終了してしまったのです。

 本来ならばタクシーで帰るなり最寄の漫画喫茶等で時間を潰す、といった選択肢があるのでしょうが、毎日のようにある残業によって妙なハイテンションになってしまったB君は、途中の駅から自宅まで徒歩で帰ることにしました。

 コンビニエンスストアで発泡酒を大量に買い込み、あおるようにお酒を飲みながらB君は深夜の繁華街を練り歩いていきます。

 何回目かの課長への愚痴を叫び終えた際、レゲエ風の若い男が道端で夜店露天を開いているのにB君は気づきました。現在進行形で酔っ払っているB君は人恋しさもあったのでしょうか、いきおいに任せレゲエ風の露天商に絡むことにきめました。

「よ! 兄さん、売れてますかなー」

「いらっしゃいませっと、全然かな。まあ趣味でやっているから構わんのですがね」

 レゲエ風の若い露天商はそう言うと両手を広げ、さあ見ていってくださいとアピールしました。

「アクセサリーばかりだなぁ、あれか、あれか? 手作りって奴か? 凝ってるねー」

「ちょっとした小遣い稼ぎにはなるんでね、気に入ったのがあれば安くするよ」

「うーん、アクセサリーは興味ないなぁ」

「そりゃ残念」

 そもそもB君は冷やかすつもりで声をかけたので買う気なんてまったくありませんでした、露天商もそれを十分に察しています。

「なあ、兄さん。なんか面白い物ないの?」

「面白いの、そういわれると困るなぁ」

「ダメダメ、良い若者がそんな事言ってたら。今の時代は娯楽が山のようにあるからね、そんな事じゃ時代に取り残されますぜ? 今日も課長がそれでさー」

「あー、面白い物と言っていいのかわからないけど、こういう物が」

 露天商はそう言うと鞄の中から小瓶をとりだしました。

「それが面白い物?」

「これを飲んで一晩たつと。なんということでしょう、物の声が聞えるようになるのです」

「うわぁ、嘘くせぇ。兄さんもうちょっと笑える冗談言おうよ、今日もさー課長の冗談がまたひどくて……」

「ま、嘘としか思えないよな。だから無料で一本あげますよ」

「無料? タダか? うーん、それなら騙されたつもりで一本貰おうかなっ」

「はい、どうぞ。『物の心わかる薬』です」

「兄さん違う違う、そういう便利アイテムを取り出すときに決まった口調があるよね? はい、もう一度! はい! はい! はいはいはい!」

 えてして酔っ払いというものは性質が悪いものです、しかしこれは客商売。露天商は必死に自分の負の感情を制御しました。

「もーののーこころーわーかーるーくすりー」

「テーッテテーレ、テレレレレーテッレ」

「それは発明家の方だ」

 こうして薬を飲んだ次の日の朝、B君は物の声が聞こえるようになっていたのです。




 物の声が聞えるようになりB君の生活はガラリと様変わりしました。

『おはよう、B君』

「おはよう、カーテン子ちゃん。今日も相変わらず中途半端に日光を遮断しているね、その透き通るような布は美しいとさえ思えるよ」

『むー、B君のばーか』

 B君の朝はかならずカーテンへの挨拶からはじまります。

『あんちゃん、消費期限がきれる食い物があるぞ! はやく片さなきゃ!』

「本当かい? それはすぐに処理しないとな、ありがとう冷凍冷蔵庫【エコポイント対象商品】」

『やけた、パンたべろ、すぐたべろ』

「そう急かすなよ、ミラーガラスオーブントースター君」

 ガヤガヤとした食卓はB君を中心とした大家族そのものでした。



「B、大体お前というやつはな……」

 会社へと出社したB君は以前までに頼まれてていた仕事が片付けられていなく、課長のデスク前まで呼び出されました。

 主な原因はB君の処理能力以上の仕事をわりふったからでもあり、責任の所在は管理能力を問われる課長にもあるのですが、B君は黙って説教をうけていました、そんな時です。

『髪の事でお悩みならばー♪ 髪は○□■-○■□にお電話一本お待ちしておりますー♪』

 課長の頭から軽快な歌がもれてきました、B君はたまらずふきだしてしまいます。 

「B! 何がおかしい!」

「課長の髪の毛がです!」

 同僚達の視線がいっせいに課長の頭へと収束します。居心地が悪くなったのでしょうか課長は説教をおえB君を解放しました。


 会社のエントランスホールでB君はエレベーターを待っていますがなかなかやってきません。お昼はいっせいにエレベーターが使用されるので仕方ないことなのですが、同僚達は口々に愚痴をこぼしています。

 けれどB君は違いました。

『ふふ、はやく私に乗りたいの? でもダーメ、B君にはまだまだ我慢して貰うわ』

「エレベーター様……くっ、これが焦らしプレイという奴なのか」

 押しボタンがそうB君に語りかけてくるからです、些細な日常のストレスもB君にしてみれば上級者プレイへと様変わりしました。


 仕事に疲れ意気消沈となって自宅マンションへと帰ってきたとき、家具たちはB君をやかましく、けれど温かにでむかえました。

『坊主。悲壮な顔してんじゃねぇよ、てめぇの辛気臭さがこっちにもうつっちまう。さっさと温かい風呂にはいって飯でも食べるんだピヨ』

「掛置兼用目覚まし時計(ヒヨコ型)さん……」

『B! 今日の料理は何にするカ! インスタントもいいガ、バランスの良い食事もダイジ!』

「はは、そうだな。ワンタッチ開閉圧力なべ君にしたがって今日は自炊でもするか」

『B君、おかえり。私はカーテンだから皆みたいにあなたに何もできないけど、元気エネルギーを貴方に送るね』

 B君は窓際まで近づくと薄緑色のカーテンにぼふっと包まりました。

『キャッ! なにするのよ、B君』

「元気でた。ありがとう、カーテン子ちゃん」

『……B君のばーか』


 物の声が聞こえるようになり日々の生活を充実しておくれるようになったB君は、貧弱だった坊やが今はこんなにモテモテに! 

 といった事もなく、はたから見れば一人でぶつくさ言っている怪しい人物なので周囲から避けられるようになっていました。けれどB君自身は友達がたくさん増えてとても幸せなので今の状況に悲観するといったことはありませんでした。

「おはよう、カーテン子ちゃん」

『おはよう、B君……あのね、聞いてもらいたいことがあるの』

「なんだい?」

『……ううん、やっぱり何でもない』

「なんだよ、気になるじゃないか。言わないとこうだぞー、目一杯にひろげちゃうぞー」

『もー、B君のばーか』

 B君の心の拠り所はいまや家具たちのなかにありました。



 そんなある日のことです。

 深夜に小腹が減り、B君は近所のコンビニエンスストアにでかけました。駄菓子を数個購入して自宅のマンションへと帰りながら歩き食いをしています。

『人間、我達を食べるのか。ふむ、それは人の摂理だ仕方がなかろう、だが人間よ一つ頼みがある。我を食べても構わん、しかし妻だけは助けてくれぬか口うるさく怒ればすぐに固くなる面倒な奴だがこれでも長年付き添ってきたのでな、どうかこの頼みを聞き入れてくれぬか』

『あんた……うわぁぁぁぁぁ』

「うーん、寒空の下で食べる雪眺だいふくはうまいなぁ」

『き、きさまそれでも人間か! 人の情というものを知れ! おのれこの恨み決して忘れぬぞ! さあ、我を食べてみろ! 貴様の胃をこれでもかというぐらいに冷やしてくれるわ! う、うわわわああぁぁぁ』

 二個一セットのアイス駄菓子をB君は綺麗にたいらげました。

 物の声が聞こえる、それは何も家具だけにかぎらず食べ物からも聞こえてきました。B君も最初はそれに戸惑い、食べることに抵抗をかんじていましたが、それではB君は生きていけません。

 弱肉強食の掟にしたがいB君は彼らを食べることにしました、それは万物の理を知ることに繋がります。そうして知らず知らずのうちにB君は成長していきます、間違った方向へと。



 と、自宅マンションまで近づいてきたとき周囲が騒がしいことに気づきました。

 これは何事かとB君は家路までの歩みをはやめます、するとどうでしょう自宅付近におおきなひとだかりと消防車がとめられていました。

 B君はあわててマンションの高層部、自室付近をみあげます。

 自分の部屋の隣から、夜空を彩る紅色の炎と黒煙が天高くたちのぼっていました。はやる動悸をおさえつつ野次馬をおしのけB君はマンションへとかけこんでいきます。

 しかしそれを消防士にがっしりと止められました。

「おい! あんた何はいろうとしてんだ! 立ち入り禁止のロープがみえないのか!?」

「ぼ、僕の隣の部屋が燃えてるんですよ!?」

「出火部屋の隣人か……あんた一人暮らし、誰か他に住んでる人間はいないよな?」

「そんなものいません! でも家具が燃えるんですよ!? テーブルが冷蔵庫がテレビが燃えちゃうかも知れないんですよ!?」

「幸い早期発見だ怪我人はでていない、だからあんたに怪我されたら困る。被害は最小限におさえる、危険だから近づかないでくれ」

「離してください!」

 消防士をふりはらいB君はマンションへと飛び込んでいきました。

「カーテン子ちゃん! みんな! 無事でいてくれよ!」



 避難用の階段をB君はかけあがっていきます。黒煙が充満する廊下のなか鼻を袖元でおさえながら自室への扉を乱暴にひらきましす。火がB君の部屋で燃えはじめていました、パチパチと弾ける音をかなで炎は蛇のように周囲をはしりまわっています。

「みんな!」

『B君!』『B!』

 家具たちがいっせいにB君の声にこたえました。

 けれど反応のない家具、断末魔をあげる家具、炎が家具たちを恐ろしい勢いで食い尽くしています。

『B君! なにやってるの! 私達のことなんて置いてはやく逃げて!』

「カーテン子ちゃん! だって、だって、君燃え始めているじゃないか!」

 薄緑色のカーテンがまたたくまに炎によって短くなっています。

『この、B! おまえは本当に馬鹿だな! 自分の命を大事にするんだピヨ!』

「時計さん! そんな、もう既に原型が残ってないじゃないか!」

『俺が皆をささえているうちにはやく脱出するんだ!』

「防災・火災対策用タンスストッパー(設置タイプ)君! 皆を置いて僕だけが逃げるなんてできないよ!」

 B君は家具たちを懸命になって消そうとします、しかしたった一人の力ではどうすることもできず。炎はついにB君の退路をふさいでしまいました。

 炎があやしく彼の前でゆれうごいています、それはまがまがしい悪魔の表情のようにみえました。

『お前も蝋人形にしてやろうか! ウハハハハハ』

 炎は魔王となりてB君に覆いかぶさるようにおそいかかってきます。

「ちくしょう!」



『そんなことはさせない!』

 その時です、高層マンションの設置基準法に従い天井に取り付けられていたスプリンクラーが叫びました。

『愚かな、スプリンクラー如きが魔王であるこの俺に勝てるおもうてか。また返り討ちにしてくれようぞ』

 炎がB君の部屋に飛び火した時、スプリンクラーは果敢にも魔王に立ち向かいました。けれど魔王の炎の勢いに勝てず以後は沈黙を保っていたのです。

『以前までの私と思わないで! 水も補給された、圧力も調整された! 見せてあげるわ、スプリンクラーの本当の恐ろしさを!』

 スプリンクラーから滝のように水がふきでます、水は魔王の炎を消火してあたりに霧として四散化させていきました。

『そ、そんなっ、この魔王が! このインフェルノ・ゴッデスが消化されるというのか! き、きさまあああああぁぁぁぁぁ』

『貴方の敗因はたった一つシンプルな理由よ。あなたは、わたしを、なめすぎた、たったそれだけね』

 スプリンクラーの活躍により魔王は退治されました、しかし周囲は凄惨たるありさまで炭化した家具たちがちらばっています。

『B君……』

「カーテン子ちゃん! しゃべっちゃダメだ! しゃべってどうにかなるわけでもないと思うけども!」

 炎によりほとんど焼けてしまった薄緑色のカーテンは、いまはもう切れ端しかのこっていません。B君はしっとり水で塗れたそのカーテンを力強くだきしめました。

『ううん聞いて、これで良かったのよ、B君。貴方は私たち家具に深入りしすぎてしまった、それは素晴らしいことで、とても悲しいこと。だって貴方は人間なのよ』

 B君の耳にカーテンのか細げな声がとどいてきます。

『気づいてる? B君、私たちと話すようになってから人間同士で会話することなくなっちゃったよね。私はそれでも幸せそうな貴方を見ているのが辛かった……』

「そんな事言わないでよカーテン子ちゃん! 初めて僕達が出会ったときのこと覚えてる? 君は近所のホームセンターで税込み千円の大特価品として売られてたよね……僕、そんな君を見て思ったんだ、〈あ、安いな〉って」

『貴方は迷わず私を買っていったよね』

「ここに住み始めてからの長い付き合いじゃないか! ずっと僕の側にいてくれよ! いつもみたく中途半端にお日様のひかりを遮っていてくれよ!」

『ふふ、B君ってば……ああ、何度同じことをいったかな……B君のばーか……』

「カーテン子ちゃん!」

『忘れないで、貴方は人間であることを……そしてどうか、私たちのことを覚えていてくれると、嬉しいな……』

 B君とカーテンの上にぱらりぱらりと火の粉が優しくまいおります、それは家具達の最後の別れの挨拶だったのでしょうか、今となってはもう知る由もありません。




「へー、それは大変だったな。もう物の声は聞えないの? よければもう一本あげようか」

 B君は仕事帰りにまたあのレゲエ風の若い男の露天商にでくわし、物と話せるようになってからこれまでの事を彼にこと細かく説明しました。

「いいえ、僕にはもう必要ありませんから」

「そう、何だか悪いことしたね」

「僕はそう思いません。あいつらは現実をしっかりと見つめさせ、僕に前向きに生きるきっかけを与えてくれました。けど……でも、家具達はとんでもない物を盗んでいきました」

「うん、それ以上はもう良いかな」

 B君はこれ以上の名言はないのにといった表情を露天商にぶつけてきます、露天商はこみあげるものを必死におさえ笑顔でそれに応じました。

 そうして言うだけ言い終えたB君は鼻息をあらくし力強く闊歩していきます、その背中には悲しみというものは感じられません。B君の背中を黙って見送った露天商は『物の心わかる薬』がはいった小瓶を手に取りしげしげと眺めていました。



「これ、ただの水なんだけどなぁ」



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