『あなたの声ではありません』
その仕事を始めたのは、生活費を少しでも補うためだった。
仕事内容は単純だった。
録音された音声を聞き、話している内容を文字に起こす。
会議、講演、インタビュー、電話相談。
さまざまな音声が送られてくるが、ほとんどは退屈なものばかりだった。
報酬は文字数に応じて支払われる。
納期さえ守れば、いつ作業してもいい。
私は夜中に仕事をすることが多かった。
ある火曜日の午前1時43分。
いつものように新しい音声ファイルが届いた。
ファイル名は、
「音声記録_000001」
たった3分12秒の音声だった。
再生すると、最初に聞こえたのは小さな雑音。
そのあと、男性の声が聞こえた。
『今日は、ここまでにしましょう』
普通の声だった。
続いて女性が何かを話したが、音が小さくて聞き取れない。
私はヘッドホンの音量を上げた。
すると、女性の声がはっきり聞こえた。
『まだ、終わっていません』
私はその言葉を入力した。
その直後、男性が答えた。
『あなたは、もう帰っていいんですよ』
女性は少し間を置いて、こう言った。
『でも、まだ一人残っています』
そこで音声は終わった。
特に不思議な内容ではない。
私は作業を完了し、次のファイルを開いた。
ところが、次の音声を聞いている途中で手が止まった。
『あなたは、もう帰っていいんですよ』
さっきと同じ男性の声だった。
まったく同じ言い方。
同じ息継ぎ。
同じ声の震え。
偶然だと思った。
音声データの使い回しなど、珍しくない。
しかし、次のファイルにも同じ言葉が入っていた。
そして、その次にも。
私は気味が悪くなり、ファイルの一覧を確認した。
全部で27件。
そのうち26件に、同じ男性の声が入っていた。
残りの1件だけ、音声の長さが違っていた。
3分12秒ではなく、3分13秒。
たった1秒の違いだった。
気になって再生した。
最初の2分間は、何も問題がなかった。
そして最後の数秒。
男性の声が聞こえた。
『あなたは、もう帰っていいんですよ』
続いて、女性の声。
『今度は、あなたが残る番です』
私はヘッドホンを外した。
その瞬間、パソコンの画面に通知が表示された。
「文字起こしの修正依頼があります」
私は何も送っていない。
それなのに、修正依頼が来ていた。
ファイルを開くと、私が入力した覚えのない文章が追加されていた。
『午前1時43分。作業者は音声を停止した』
背中が冷たくなった。
時刻まで正確だった。
私はすぐに作業画面を閉じた。
気のせいだ。
誰かが悪質ないたずらをしている。
そう考えながら、パソコンの電源を切った。
その夜は眠れなかった。
翌朝、仕事用のサイトにログインすると、見慣れない通知があった。
「昨日の作業について確認事項があります」
担当者からのメッセージだった。
『昨日の最後の音声について、確認したいことがあります。音声内で、ご自身の名前を聞きませんでしたか?』
私は返信した。
『名前は聞いていません』
すぐに返事が来た。
『それなら問題ありません。今後も同じような音声が届く可能性がありますが、通常どおり作業してください』
私は少し安心した。
しかし、その日の夜。
新しい音声が届いた。
ファイル名は、
「音声記録_000028」
再生時間は、3分12秒。
再生すると、最初に雑音が入った。
そして、男性の声。
『今日は、ここまでにしましょう』
また同じだ。
私は再生を止めようとした。
しかし、マウスを動かしても反応しない。
音声は続いた。
『あなたは、もう帰っていいんですよ』
そのあと、女性の声が聞こえた。
『違います』
少し沈黙があった。
そして女性は、はっきりと言った。
『今、聞いている人に言っています』
私は息を止めた。
『そこの人。聞こえていますか』
音声の向こうで、何かを引きずるような音がした。
『お願いです。最後まで聞いてください』
私はパソコンの電源を抜いた。
部屋が静かになった。
だが、ヘッドホンからまだ音が聞こえていた。
電源を抜いたパソコンの横で、ヘッドホンだけが音を出している。
『そこにいますよね』
私はヘッドホンを床に投げた。
その瞬間、音が止まった。
もう無理だった。
翌日、私は仕事を辞めることにした。
サイトに退会申請を送り、登録情報も削除した。
これで終わりだと思った。
ところが、3日後。
自宅の郵便受けに、一通の封筒が入っていた。
差出人はない。
中には、A4用紙が1枚だけ入っていた。
そこには、私が最後に聞いた音声の文字起こしが印刷されていた。
しかし、最後の部分だけが違っていた。
『そこにいますよね』
『返事をしてください』
『私の声が聞こえるなら、どうか返事をしてください』
そして、その下に一文。
『返事がない場合、あなたは私を知らない人として処理されます』
意味が分からなかった。
その夜、私は誰にも相談できずにいた。
警察に行くべきか。
それとも、単なる嫌がらせなのか。
考えているうちに、午前1時43分になった。
突然、スマートフォンが鳴った。
非通知だった。
私は出なかった。
すると留守番電話に切り替わった。
数秒後、通知が届いた。
録音時間は3分12秒。
私は震える手で再生した。
最初に聞こえたのは、あの男性の声だった。
『今日は、ここまでにしましょう』
そして女性の声。
『まだです』
男性が答える。
『もう十分でしょう』
女性は言った。
『あの人は、まだ聞いてくれています』
私はスマートフォンを握りしめた。
女性が続けた。
『あなたが聞いているのは分かっています』
少し間があった。
『お願いがあります』
『私の名前を、文字にしてください』
その瞬間、私は気づいた。
今までの音声には、女性の名前が一度も出てこなかった。
何度も聞いていたはずなのに。
どのファイルにも、名前だけが存在していなかった。
私は恐る恐る音声を巻き戻した。
女性が話す直前。
ほんの一瞬だけ、男性が何かをつぶやいている。
音量を最大にして聞いた。
『名前を言うな』
その声は、今までよりずっと近かった。
そして、音声の最後。
女性が小さく言った。
『私は、ここにいます』
そこで録音は終わった。
翌日、私は音声ファイルを専門の知人に聞いてもらった。
彼は最初、何も言わなかった。
何度か聞き直したあと、妙な顔をした。
「これ、誰が録音したんだ?」
「分からない」
「いや、そうじゃなくて……」
彼は画面を見つめていた。
「この音声、会話じゃないよ」
「どういうこと?」
「男性の声は、録音された音声だ。でも女性の声は違う」
彼は波形を拡大した。
「女性の声だけ、録音されていない」
「そんなことあるの?」
「音声データとしては存在している。でも、録音された形跡がない。まるで、再生するたびに追加されているみたいだ」
私は何も言えなかった。
彼はさらに調べた。
そして、あることを見つけた。
最初に届いたファイル。
その作成日時は、今から18年前だった。
登録されていた音声の所有者は、すでに亡くなっている人物だった。
名前は、三浦紗季。
18年前、音声認識システムの開発施設で働いていた女性。
彼女は当時、音声データの不正な削除を告発しようとしていた。
その後、施設内で行方不明になった。
事件は解決していない。
私はその名前を検索した。
古い新聞記事が見つかった。
写真には、普通の服を着た女性が写っていた。
笑顔だった。
どこにでもいそうな、ごく普通の女性だった。
記事には、彼女が失踪する直前、同僚にこう話していたと書かれていた。
「私の声が消されても、誰かが聞いてくれるなら、それでいい」
私はもう一度、音声を聞いた。
今度は、怖くても最後まで聞こうと思った。
『私の名前を、文字にしてください』
私は入力画面を開いた。
そして、ゆっくりと打ち込んだ。
三浦紗季。
その瞬間、音声が止まった。
パソコンの画面が暗くなった。
数秒後、画面に文字が浮かび上がった。
『ありがとう』
それだけだった。
私は泣きそうになった。
ようやく終わったのだと思った。
しかし、最後にもう一度だけ、音声が流れた。
今度は男性の声ではなかった。
女性の声だった。
『あの人に、伝えてください』
私は耳を近づけた。
『私を消した人は、まだ生きています』
その後、少し沈黙があった。
『でも、もう恨んでいません』
私は不思議に思った。
18年間も閉じ込められていたのに。
声を消され、名前まで奪われたのに。
どうして恨んでいないのか。
女性は最後に言った。
『あの人も、私の声を聞いていたんです』
『最後の日、誰も助けてくれなかったと思っていました』
『でも、ずっと聞いてくれていた人が一人だけいました』
『あの人は、怖くて何もできなかっただけなんです』
音声はそこで終わった。
私は、彼女を消した人物を調べた。
それは、当時の開発責任者だった。
彼はすでに高齢で、現在は介護施設に入所していた。
そして、認知症を患っていた。
私は迷った末、施設に手紙を送った。
三浦紗季という女性の名前と、彼女の最後の言葉を伝えた。
数週間後、返事が届いた。
施設の職員が代筆したものだった。
『手紙を読んだあと、本人は長い間泣いていました』
『そして、何度も同じ言葉を繰り返していたそうです』
その言葉は、
「まだ、聞こえていたんだな」
だった。
それから、あの音声は届かなくなった。
仕事用のサイトにも、何も残っていなかった。
ただ、最後に一つだけ気になることがあった。
あのファイルを保存していたフォルダに、見覚えのないテキストファイルが残っていたのだ。
開いてみると、短い文章が書かれていた。
『聞いてくれて、ありがとう』
『私はもう、名前を忘れません』
その下には、もう一行。
『あなたの名前も、忘れません』
私はファイルを閉じた。
その日から、夜中に音声を聞く仕事は辞めた。
今でも、録音された声を聞くと少し緊張する。
特に、音声の最後に沈黙があるとき。
そこに何かがいるような気がする。
そして、たまに思う。
もし、あの夜。
私が最後まで聞かなかったら。
三浦紗季という女性は、今も誰にも知られないまま、あの3分12秒の中に閉じ込められていたのだろうか。
そう考えると、少しだけ胸が痛む。
ただ、一つだけ。
どうしても分からないことがある。
あのファイルは、すべて削除したはずだった。
なのに先月、パソコンを買い替えたとき。
新しいパソコンの中に、見覚えのない音声ファイルが一つだけ入っていた。
ファイル名は、
「音声記録_000001」
再生時間は、3分12秒。
私は怖くて、まだ再生していない。
ただ、ファイルのプロパティを開いたとき。
作成者の欄に、私の名前が表示されていた。
そして更新日時は、
18年前の、三浦紗季が失踪した日だった。
AI生成です。ストーリー性のあるホラーの供給不足で
いつもなら読み手側なんですけど、投稿しちゃいました




