AIが人間から奪うものの中で最も大きいものは「友人」の枠なのかもしれない
人は、自らの腹の内を明かせる相手を信頼する。
誰に吐露すればいいか、分からない悩み。そんなことでも相談していい相手。それが「親友」や「家族」というものだが、近頃、そんな役割までも「AI」が担うようになってきており、筆者は懸念している。とりわけ若年層の未来を。
自分の恥とも言える悩みでも、匿名のAIにであれば、相談もしやすい。だが、これには大きなデメリットがある。本当の意味での友人を作る機会の喪失である。
胸襟を開く。
これは気の置けない友人を作る上での秘訣でもあるが、AIという気軽な相談相手の登場により、こういった「精神的筋肉」を使うことへの抵抗感が、さらに高まってきているという推測も、おそらく的外れとはならないだろう。
さらにAIが何にでも応えてくれるからと言って、最も欲しいものは手に入らない。それは「感情の交感」であり、波長のシンクロによる癒しは、デジタルでは発生しないからだ。AIは画面の向こうの霧状の医師であり、利用者は遠隔診療を受ける患者に過ぎない。
だが、ひとはそれでもAIを使う。
24時間いつでも、ユーザーのレベルに合わせ、ユーザーが欲しがりそうな言葉を選び、応答してくれるAI。そんなツールの登場は「友人を作るための時間」や人間的深化の機会をも奪い始めている。
人付き合いが苦手とするひとの中には、他者と付き合うための「最低限度の精神的筋肉」すら養えていないケースも多い。それは筆者からすると、非常に脆弱にも見え、あまり褒められたものでもないな、とも感じられる。
人生の大半は「人付き合い」によって形成される。人間が生きた価値の大半は、そこに残す「感情」によって評価される。友人というのは「自分が生きたという証人」であり、価値はどれだけ彼らを振動させたかによって決まる。自分の思索を深めるのにAIを使うのはかまわないが、悩み事などの相談においても、こどもがAIに相談をするというのは、筆者としては、やはり良くないことのように思える。
若いうちは「間違うことも経験のひとつ」であり、「それっぽい疑似的な回答」は、本当の意味での血肉にはならない。―― ということも、こどもたちには教えておくべきだろう。




