First Contact 11
「マラリアの患者さん、ようやく退院できますね」
「そうだな、…世話になった」
「誰がですか?いえ、はい。こちらこそ」
二人で並んで歩きながら神尾がいうのに。
少し横を向いていう滝岡に笑んで神尾が視線をあわせる。
「こちらこそ、臨時に雇っていただいて無理をいろいろいいました。ありがとうございます」
「…いや、――これから、どうするんだ」
滝岡がいうのに神尾が少し真面目な顔になる。
「それなんですが」
「何だ?」
渡り廊下に足を留めて滝岡が視線を向けてくるのに。
手にしたボードにちょっと視線を落として神尾がどうしようかな、という顔をする。
「つまり、――うちに来るのか?どうして?」
驚いて問い返す滝岡を前に、神尾が休憩コーナーのソファに座ってみあげながらいう。
「事務長さんが」
「事務長が?」
中庭からの光が射す床まで硝子になっている窓の傍に。背もたれの無い四角い黒い革張りのソファが幾つも硝子窓と壁に添って置かれたコーナーに腰掛けて滝岡が眉を寄せる。
「おまえ、…JCDCに戻るんじゃないのか?」
「この一週間、病院のことも解ってきましたから」
「それは、…」
「看護師さん達とも仲良くなれましたしね」
「それは大事だけどな?チームワークは。けどな?」
「内科や外科の先生達とも知り合いになることができましたし、事務に技師の人達とも」
にっこり、微笑んで見返す神尾に滝岡が詰まる。
「それは、…だが、」
「事前に、こうして仕事ができる機会を得られるなんて、滅多にないことですしね」
「それは、…―けど、おまえ、第一おまえ、研究がしたいんじゃないのか?それで感染研にいたり、感染症の研究の為に海外で医療活動までしてきたんだろう?」
黒瞳が真直ぐ疑問を浮かべて見返してくるのに、神尾が、ふ、と息を吐いて。
「どうした?」
眉を寄せる滝岡に笑む。
膝に置いたボードに手をおいて、
「いえ、…僕は確かに臨床での経験も積みましたが、それは研究をする上で必要と思ったからでした。実際にとても役に立ちましたから」
「そうだろうな、…だったら」
「だったら、どうして臨床に、ですか?どうして民間病院の内科医になろうとするのか」
真直ぐ見返してくる神尾に大きくうなずく。
「そうだ。おまえのキャリアから考えたら、それにこれからしたいことを考えたら、…―普通の病院の臨床医は向いてないんじゃないのか。ここにいても珍しい感染症の患者なんて普通こないぞ」
まあ今回みたいな例外はあるが、と顔をしかめる滝岡に笑って。
「おい!」
「ええ、…そうなんです。こちらの病院に来られるのは普通の患者さんたちで、…先生がこちらに欲しいのはそういう普通の患者さんをみる医師ですよね?この病院に勤務してほしいと思ってるのは?」
「―…そうだ。来原先生が定年でやめられる。その後任をうちでは探している。感染症について研究する医者じゃない」
「でも、そう簡単に後任が決まったりはしないでしょう?実をいうと事務長から後任というか候補として研修医を数名引き受けられるときいています」
「…きいてるのか。なら」
「ですので、僕は嘱託医といいますかパートタイムとも違いますね、…臨時雇いの延長というのかな?」
「なんだって?」
神尾が懐から封筒を取り出して中をボードの上に広げる。
「読んでください」
「―――契約書?…――」
書かれた内容に滝岡が大きく眉を寄せる。
「どうでしょう。事務長が考えてくれた僕を臨時雇いする抜け道をみせてくれたときに僕が追加を思いついたんです」
微笑んで示す箇所に滝岡が眉を寄せたまま唸る。
「…―とんでもないな、…」
「こちらの病院に迷惑はかけません。僕としてもJCDCの方としても、これでしたら」
滝岡が唸ってボードを手にして睨むようにする。
「みてても、何も出てきませんよ?」
「…おまえな」
そういう神尾に滝岡が顔をあげて睨む。
にっこり、とそれに笑顔で。
「よろしくお願いします」
思いきり滝岡がそれをにらんで。
にっこり、笑顔で神尾が両手に布製の鞄を持って頭をさげて挨拶している。
「よろしくお願いします」
玄関に出てドアを開けて。固まっている滝岡に構わず神尾が、それじゃあ、といって中に入っていくのに動けずに思わず見送って。
慌ててドアを閉めて後を追いかける。
「おい?神尾?」
「結構広いんですね。これから、よろしくお願いします」
まるでモデルルームをそのまま使用しているような広いダイニング兼リビング。そして続くキッチンを感心しながらみて。
振り向いてにこやかにいう神尾に滝岡が疑問を顔に張り付けたままいう。
「神尾、おまえ、なんでここにいるんだ?」
「月曜からこちらの病院に勤務することはお話しましたよね?」
「事後承諾だけどな?まあ、――それにしても、事務長もよく考えたものだ」
病院で聞いて驚いたことを思い出して滝岡がいうのに。
鞄をダイニングの椅子に置いて神尾も少しあきれたようにうなずく。
「僕の身分が公務員なので困って、――つまり、」
「つまり、出向扱いにするとはな?まったく何を考えてるんだ。しかも民間病院に出向扱い?それって左遷だろうが」
いやそうに眉を顰めていう滝岡に笑う。
「いやですね。今回の場合、僕が希望してのことですから。JCDCに籍はある状態ですが、そちらの病院で診療行為をしたことについて問題にしない為にもその方がいいんです」
先日来の騒ぎを思い出して滝岡が渋い顔をする。
「それは、…ややこしいな、まったく、…―その上、期間が短いとまずいと?」
「ええ、一日は勿論、一週間や一ヶ月ではそんな短い期間の出向というのは却って扱い辛いという話で。事務手続きの問題ですが」
「…だからといって一年間というのはな、…それで、うちにくればおまえの必要としてる調査とやらもできるのか」
椅子を引いて座る滝岡に神尾もその前にテーブルを挟んで座り、大きくうなずく。
テーブルの上に手を組んで。
「お話しましたが、僕は臨床をもう一度経験したいんです。感染症を研究する上で防護策、海外からの感染症が増える中で、どのようにしたら尤も効果的な防衛方法がとれるのか、――防疫に関して、机上ではいくらでも考えつきます。それを実際にマニュアルにして、こちらのような病院へも配布される資料を作ってきました。けれど」
言葉を切る神尾に滝岡が右手に顔をあずけていう。
「おまえは齟齬を感じ始めていたというわけだろう?実際に実効性があるのか、――新しい感染症が広まるのを防ぐ為の防疫方針は、果たして本当に実行することができるのか」
「効果があるのか」
滝岡の言葉を継いで神尾が視線を伏せる。
「そうなんです、…―空港や港、海外から旅行客等が来る際の関門を中心とする従来の防疫政策では限界があることについては、実は誰もがわかっていることだと思うんです」
視線を伏せたまま考えるようにして。
「実際に今回はモデルが崩壊しました。患者さんが直接病院に来てしまって。検疫所を通して保健所にまず報告されて、病院への搬送は感染症指定病院に隔離して搬送してから陰圧室へと運ぶ。その手順が総て狂ってしまった」
神尾の言葉に滝岡が頷く。
「たったそれだけのことだが、…――」
「実際にいまのマニュアルは理想的な状況をしかみていないんです。もし渡航者でない人が感染して、それが今回のように病院を受診してしまったら。その際は何の準備もできずにその感染症であることを疑うことすらできずに対応することになります」
神尾が陰圧室へと患者を運ぶ際にいった冗談、を思い起こして。
「…寒すぎるホラーだな。実際にもありえる話だが」
いやそうにくちを曲げて向こうをみる滝岡に少し神尾が微笑う。
「おまえな」
眇めた目でそれをみる滝岡に微苦笑を零して。
「いえ、…でも、その悪夢はいつでも現実に成り得るシナリオでもあります。不顕性の患者が入国して国内で渡航歴の無い人が。そこからもし感染したら」
「不顕性の患者が一人いるだけでウイルスを撒き散らしてるようなものだからな。本人には症状が無いから自覚が無い。けれど、感染力のあるウイルスを外に放出している。不特定多数の人が集まる場所等で、そうした患者と接触して感染する可能性は常にある」
深い黒瞳が沈むようにして、何かを見据えるように沈黙する滝岡を神尾がみる。
「…僕は、そうした際に何が出来るのかを考えなくてはならないと思っています。それは不測の事態ではないんです。誰もが恐れていて、…―どう対応したらいいのか、わからないでいる」
「わからないか」
黒瞳があげられ、正面からしずかに滝岡が神尾をみる。
それに苦笑を返して。
「わかりません。どうしたらいいのか。僕は、いまの日本は感染症に対して…ある意味、防御策が成功した状態が続いてきた為の危機に陥っていると考えています」
「…――危機か」
「ええ」
神尾が何かを噛み締めるようにしながらいう。
「結核を見逃す医者が多くなって、――結核を過去の病気と捉えるあまりにそうした信じられないような事態が起こっています。診断を誤った為に、風邪と誤診された患者が多くの人に集団感染を引き起こす事態も連続して起きています。衛生的になりそれらの感染症が減って、それを総て過去のものと捉えて対処する方法をおろそかにして教育に重点を置かなかった結果です」
滝岡がしずかに語る神尾をみている。
「…――けれど、日本が克服して過去の病としたはずのそれらは、けして過去の物ではありませんでした。それらは流行国からいつでもすぐにやってくることができる時代にとうになってしまっている。数時間で日本と海外の流行地が結ばれる」
微苦笑を、痛いように零して神尾が言葉を切る。
「…流行地から発症する前に感染してすぐ症状が出る前に到着することができる状況です。いま空港等でサーモグラフィで熱を計ったり帰国の申告をしてもらったりしていますが。…発熱がなければ、チェックすることはできません」
「今回のマラリアの患者さんもそうだが、―――潜伏期間に検疫を擦り抜けることになった」
「ええ、そうです」
「…今回の患者さんは、まだよかった。NARSを疑われた為にマラリアの判定が早く出た。治療開始が遅れなかった」
しみじみと噛み締めるようにしていう滝岡に神尾が頷く。
「本当にそうです。最初は風邪や胃腸炎と間違いやすい症状が出ることもあります。そうして対応が遅れて劇症化して海外で罹患した患者さんが死亡した例もあります」
無言で滝岡が考えるようにする。
神尾が続ける。
淡々と、何かを噛み締めるようにして。
「到着時での発症を検査するだけでは限りがある。それは無理だと。それで防げる訳はないと。では、どうしたらいいんでしょう?」
疑問をくちにして真摯な表情でくちを噤む神尾に滝岡が黙って視線をおく。
それに、僅かに息を吐いて。
「僕は、考えていただけでは結論はでないと思うんです。でも、いつかは本当に世界中に新しい感染症が広がり、この国にもやってくることになります。いままでが運が良かっただけなんです。SARS、ブタインフルエンザと呼ばれたH1N1/2009、MARS、それに今回の、…あるいは、エボラやマールブルクといった出血熱」
言葉を切り、静かに続ける。
「或いは夏の短い時期とはいえ、蚊による感染が確認されたデング熱のような亜熱帯地域でのみ流行していたと思われていた熱病。単に見逃されていたのか、いつから日本に生息していたのか不明なマダニに刺された患者が西日本で発症しているSFTS―――」
神尾が静かに感染症について語るのを滝岡が見つめる。
「僕は医療の中で何かを変えていかなくてはならないと思うんです。少なくとも感染症に対する防護について、多くの事を考え直さなくてはいけない時期に来ているのは確かだと思います」
真剣にいってから、視線をあげて神尾が滝岡を見る。
「僕は、…―それには臨床を知るしかないと思うんです。これまで研究をしてきて実地に実際に行うには難しい机上の理論でだけ防疫が組み立てられてきた気がします。それではいけない、――。ですが、僕は現場を知らないんです」
真面目な顔で見つめてくる神尾に滝岡が僅かに眉を寄せて息を吐く。
「おまえな」
「真面目すぎますか」
微苦笑を零していう神尾に、あきれてみて。
「それで、うちの病院に感染研から出向扱いにして臨時職員として一年間勤めることにするんだからな」
「それは、出向ということにすると丸くおさまると事務長さんがいわれたことで思いついたんです」
楽しそうにいう神尾にあきれて横を向いて滝岡がいう。
「まあな、…ったく事務長も、――それならだが、調査とかだけを時々やりにくるのではだめなのか」
「どうなんでしょう?わかりませんが、…やってみないとわからないこともあると思うんです。アメリカや他の国で勤めてみたときもそうでした」
「おまえな、…熱心すぎるぞ、…けどな、神尾」
「はい」
見返す神尾に真剣にいう。
「おまえが調査のつもりだろうが、患者さんにとってはそれが本番なんだ。一度きりの。いまそこにいる患者さん達にとって、おまえが研修医であろうが出向中だとかそんなことは関係無い」
まるで怒っているように厳しい視線でみていう滝岡に。
「――――…はい」
僅かに眉を寄せて、真摯に見返す神尾に。
「…―まったく。おまえに初診は任せないからな?しばらく高井先生他の下についてもらう。構わないな?」
「はい、勿論です。僕も初診につくのは怖いですから」
「…―なんで、おまえみたいなのの面倒をうちでみなければいけないことになるんだ、…」
「すみません」
「笑っていうな!」
「…――はい」
思わず少し微笑って応える神尾を、滝岡が睨む。
そして。
「で、どうしておまえ荷物を持ってるんだ?つまり今日は相談に来たのか?相談というか今後の、――」
「ああ、それなんですけど。僕、今日からここにお世話になることになったので」
「…――――」
あ、御茶あります?といいながら席を立つ神尾をおもわず滝岡が見送る。
システムキッチンの棚を探しながら勝手にカップを出したりなどしている神尾を思わず眺めて。




