第7話 婚約の報告
「いや、よく来てくれたな、二人とも」
「お久し振りです、エルヴァイン公爵……といっても、前に会った時からそんなに経ってはいませんか?」
「確かにそうだな。まさかこれ程まで短期間で君と顔を合わせることになるとは、思っていなかったが……」
私とバルハルド様は、エルヴァイン公爵家の屋敷にやって来ていた。
少し前に、私の近況を訪ねる手紙がルヴァーリ伯爵家に届き、バルハルド様の取引相手がエルヴァイン公爵の領地にいたため、せっかくなので訪ねてさせてもらうことにしたのだ。
エルヴァイン公爵は、人に訪問されることを喜ぶ方である。彼は私達の訪問を、盛大に歓迎してくれた。
「バルハルド、君も元気にやっていたか?」
「ええ、お陰様で。エルヴァイン公爵も、お元気でしたか?」
「まあ、元気過ぎるくらいだな」
ベルージュ侯爵家の妾の子であるバルハルド様とも、エルヴァイン公爵は顔見知りであるようだった。なんでも、公爵はバルハルド様の商会もよく利用しているそうだ。
エルヴァイン公爵の顔の広さには、いつも驚かされる。彼程に社交界に顔が利く人は、中々いないのではないだろうか。
「しかしまさか、君達が婚約するとは思っていなかった。ただ、改めて考えてみると、君達はお似合いだ。君達ならば、きっとお互いを尊重して生きてけるだろう」
「エルヴァイン公爵からお墨付きをいただけるのは心強いですね……」
エルヴァイン公爵は、私達の婚約をとても祝福してくれているようだった。
ウルガド様は怒らせてしまった訳だが、エルヴァイン公爵は基本的にはとてもお優しい方だ。基本的に笑顔を崩さず、その人柄の良さが伝わってくる。
「今回の婚約は、ファナトやクルメアの発案であると聞いたが……バルハルド、君は良き弟と妹を持ったな。二人のことも大切にするといい」
「当然、そのつもりです、エルヴァイン公爵。私はあの二人の幸せをどこまでも願っています。そして、自分の妻も幸せにするつもりです」
「結構なことだ。しかし、君自身の幸せも忘れてはならないぞ」
「心得ています。ただ、私は既に充分に幸せです。仕事も順調で、弟と妹に恵まれ、妻にも恵まれている。これ以上望むことなどありません」
「なるほど、それならその日々を維持することに務めるか……」
エルヴァイン公爵の言葉に、バルハルド様は真っ直ぐに言葉を返していた。
飄々と答えているが、それはきっと彼の本心であるだろう。それにエルヴァイン公爵は、満足そうに笑みを浮かべるのだった。
「さてと、リメリア。バルハルドの前で、こういった話をするのはどうかと思うのだが……君に伝えておきたいことがある」
「私に、ですか?」
エルヴァイン公爵は、バルハルド様の様子を伺いながら、すこし遠慮がちに言葉を発していた。
バルハルド様の前で話しにくいこと、その言葉によって何を話すかは大体予想することができる。恐らく、ウルガド様の話ということだろう。
「エルヴァイン公爵、私は別に構いません。むしろリメリアの元夫に関する話は聞いておきたいくらいです。奴はリメリアに対して失礼な真似を働いた訳ですからね」
「君にしては珍しい感情の動き方だな、バルハルド。なるほど、君は心底リメリアのことを気に入っているらしい。それは良いことだ」
バルハルド様の方も、何の話をするのか予想がついたようだ。
彼は、少し目を細めている。それはウルガド様のことを快く思っていないからだろう。
それは何も、私に関することだけが理由という訳ではない。ファナト様との関係なども、含めた感情であるだろう。
「それでエルヴァイン公爵、ウルガド様に何かあったのですか?」
「何かあった、という訳でもないのだが、彼は今苦境に立たされている」
「苦境、ですか?」
「君と離婚したことによって、数多の貴族から反感を買っている。それは当然といえば当然だ。今までウルガドは、その未熟さ故の過ちを君によって許してもらっていたのだからね」
「……そうなりましたか」
ウルガド様の現状を聞いて、私はゆっくりとため息をついた。
ひどいことを言われて離婚した訳ではあるのだが、別に彼の現状を聞いてもそれ程スッキリするという訳でもない。
なんというか、呆れてしまっている。こうなることは予想できただろうに、本当にウルガド様は一時の感情で、大きな過ちを犯す人だと思ってしまう。
「とはいえ、それらの反感もヴォンドラ伯爵家を沈める程のものではないといえる。問題となるのはここからだ。失敗ばかりのウルガドだが、彼はある一点において多くの者達を欺いていた。これに関しては、私も君もまったく気付いていなかった重大なことだ」
「……どういうことですか?」
「まあ、言葉で説明するよりも先に会ってもらった方が早いだろう。エルガド、入り給え」
エルヴァイン公爵は、そこでゆっくりと手を叩いた。
すると部屋の戸が開き、一人の痩せた青年が部屋の中に入って来る。
その青年の顔を見て、私もバルハルド様も驚いた。なぜなら彼のその顔からは、明らかなヴォンドラ伯爵家の血筋を感じたからだ。
「エルヴァイン公爵、彼は一体……」
部屋の中に入ってきた青年の顔に驚いていた私だったが、なんとか冷静になって、エルヴァイン公爵に質問することができた。
彼の顔は、ウルガド様とよく似ている。ほぼ確実に、彼はヴォンドラ伯爵家の人間だ。
しかしヴォンドラ伯爵家には、ウルガド様以外に子供はいない。公的にそうなっているし、妻として嫁に入った私も、そう認識している。
「彼の名前はエルガド。ヴォンドラ伯爵家の隠し子だ」
「隠し子……」
エルヴァイン公爵の言葉に、バルハルド様は目を細めていた。
彼にとって、その出自は他人事ではない。色々と思う所があるだろう。
しかし私の方は、そんな彼を気遣う余裕がなかった。エルヴァイン公爵が先程言っていたことから考えると、私はとんでもない見逃しをしていたことになるからだ。
「リメリア、賢い君なら既にわかっているかもしれないが、ヴォンドラ伯爵家は彼のことを認識していた。いやそれ所か、屋敷に住まわせていたのだ」
「そ、そんな……私は、彼のことなんてまったく……」
「そうだ。ウルガドは、彼のことを君すら隠し切っていた。その手腕は見事といえるだろう。もっとも、その所業はひどいものだと言わざるを得ないが」
私が予想していた通り、私は目の前にいるこの青年を同じ屋根の下で暮らしていたようである。
広い屋敷とはいえ、人一人を隠すなんて、そう簡単なことではないはずだ。それなのに私は、彼の存在にまったく気づかなかった。それはなんとも、間抜けな話だろう。
「……リメリア嬢、あなたが気付かないのも無理はありません」
私が自分自身に呆れ返っていると、エルガドが声を発した。
彼は、少し申し訳なそうにしながらこちらの様子を伺っている。顔はよく似ているというのに、その表情はウルガド様とは正反対だ。
「兄上が隠すのが上手かったというのもそうなのかもしれませんが、何より僕も自分のこと隠していました。あなたやファナト様やクルメア様に見つからないように心がけていたのです」
「なっ、どうしてそんなことを……」
「全ては、ヴォンドラ伯爵家のためでした。ひどい扱いを受けていたと思われているかもしれませんが、これでも僕は幸せを感じられていたのです。少なくとも、父は僕のことを息子として可愛がってくれていましたから。その父に報いるためにも、家の汚点となる自分を隠すことに不満はありませんでした」
エルガドはとても淡々と、それでいて力強い言葉を発していた。
彼の根底には、ヴォンドラ伯爵家への思いがある。それが言葉の節々から感じられた。
ただ同時に、深い悲しみも読み取れる。それは隠されていた彼がここにいるということから、理解できた。彼の思いは、既に過去のものなのだと。




