第5話 話すべきこと
ベルージュ侯爵夫妻との話し合いを終えた私達は、ファナト様とクルメア様と対面していた。
友人であり、この婚約を祝福してくれている二人には、堅苦しい挨拶などはいらない。私も割と気楽に、この場にいさせてもらっている。
「今回の婚約を私は祝福しています。ただ一つ問題があるとすれば、リメリアさんが私の姉になるということでしょうか」
「姉、ですか?」
「ええ、そちらの義兄は義兄ですからね。リメリアさんは、私の義姉になる訳です」
「それはなんというか、少し変な話ですね……」
クルメア様は、少しおどけた様子で話をしてきた。
私が彼女の姉になるというのは、あまり喜べることではない。先人として尊敬しており、姉のように思っていたクルメア様と立場が逆転するのは、良いことだとは思えなかった。
それについては、ファナト様に対しても同じことがいえる。義理の弟なんて、やはり変な話だ。
「年齢的に考えれば、当然そうなるのでしょうね。リメリアさんが、義姉ですか……僕としても、少し複雑かもしれません」
「というかよく考えてみれば、お義兄様は随分と若い奥様を得られる訳ですね?」
「年齢を理由にした訳ではない」
「あははっ、そうですか」
クルメア様は、バルハルド様に対して乾いた笑いを浮かべていた。
それに対して、彼の方も表面上だけの笑みを浮かべている。なんというか、この二人のやり取りはどこかトゲトゲしているような気がする。
そう思って、私はファナト様の方を見つめた。すると彼は、苦笑いを返してくる。
「リメリアさん、どうか気にしないでください。二人にとって、これはじゃれ合いのようなもので……」
「その言葉は聞き捨てならないな。私がいつどこで誰とじゃれ合ったって?」
「……兄というものは、寛大でなければならないと認識している。しかし、その言葉は許容範囲外だ。取り消してもらうぞ、ファナト」
「ほら、こんな風に息ぴったりでしょう?」
「なるほど……」
クルメア様とバルハルド様は、喧嘩する程仲が良いというような関係なのだろう。二人のやり取りは、受け流すくらいが丁度いいといった所か。
ただ、それを口に出すと二人は怒るだろう。という訳で、私は笑顔を浮かべておく。
「まあ、単純な話ですよ、リメリアさん。私とお義兄様は、相性が悪いんです」
「犬猿の中といっても、過言ではない」
「あははっ」
「あはははっ」
二人のやり取りに、私とファナト様は苦笑いを浮かべることになった。
クルメア様とバルハルド様は、似た者同士なのかもしれない。私はそんなことを思いながら、笑うのだった。
「……リメリア嬢には俺のことを話しておく必要があるだろうな」
クルメア様とのじゃれ合いが一段落ついてから、バルハルド様はそのように呟いた。
その言葉に、私は驚いた。知りたかったことではあるのだが、こんなにも早く聞かせてもらえるなんて思ってもいなかったからだ。
「兄上、本当にいいのですか?」
「別に隠しておく必要があることでもない。俺としては、このままリメリア嬢に色々と気を遣わせる方が申し訳ないからな」
「そうですか。わかりました。それなら、お話しましょうか」
バルハルド様の言葉に、ファナト様はゆっくりと頷いた。どうやら覚悟を決めたようだ。
そんな弟とは対照的に、バルハルド様は落ち着いていた。どちらかというと、これはファナト様の方が気張らなければならない話であるようだ。
もしかしたらバルハルド様としては、もっと早くに話しても良かったことなのかもしれない。なんとなくだが、彼はファナト様の許可が得られるこの場まで、待っていたような気がする。
「リメリアさん、兄上がベルージュ侯爵家の本筋ではないということは、既に知っていることだと思います。その事情について、僕から話させてもらいます」
「はい、よろしくお願いします」
「といっても、何から話したらいいのか……そうですね。まずは父上と兄上の母君との関係から、話しましょうか」
ファナト様は、少し神妙な面持ちで話し始めた。
バルハルド様の両親の話、それはなんとなく察しがついている。
ベルージュ侯爵は、悪い人という訳ではなさそうだ。バルハルド様の年齢から考えても、不貞を働いたとか、そういう訳ではないのだろう。
「僕の母上との婚約が決まる前に、二人は親密な関係にありました。貴族と平民の関係でしたから、決して結ばれる関係ではないと、お互いにわかっていたそうです。父上の婚約が決まれば、その関係は終わる。それを了承した上での関係だったようです」
「実際に、お二人の関係は終わったのですか?」
「ええ、しかし問題……という言い方は、良くないですが、とにかく兄上の母君は、兄上を妊娠していました。それは父上と別れた後に、わかったことであるようです」
ベルージュ侯爵は、バルハルド様と割り切った関係でいたつもりだったのだろう。
ただ彼は、詰めが甘かったといえる。決定的な失敗をしてしまったのだ。
いや、そういう言い方はファナト様の言う通り良くない。ベルージュ侯爵が貴族として落ち度がある行動をしたのは事実だが、バルハルド様のことを私は否定したくはない。
肯定的に捉えることはできないが、そうならない方が良かったとは思わないようにしよう。少なくとも私は、バルハルド様と出会えたことに感謝しているのだから、その方が絶対にいい。
「悩んだ結果、兄上の母君は兄上を生むことに決めたそうです。父上に対する思いがあったのか、授かった命を大切にしたかったのか、それはわかりません。ですが、兄上は生まれました」
「……そこからは、俺が話すとしよう」
ファナト様の言葉が終わって、バルハルド様はゆっくりと口を開いた。
彼の表情は、いつもとは違う。ただそれは、話すことを躊躇っているという感じではない。どちらかというと、昔を懐かしんでいるように見える。
「母がどのような意思で俺を生んだのかは知らない。だが、母が俺に対して愛情を抱いていたことは疑いようのない事実だ。少なくとも俺は、母のことを恨んだことはない。父親を求めたことがない訳ではなかったが、それでも母の元で生きていた」
バルハルド様にとって、母親との思い出は大切なものであるのだろう。
ただ、その裏には悲しい出来事が隠れている。それはバルハルド様がここにいて、彼の母親がここにいないということによって、前々から察していたことだ。
「しかしある時、母は病に倒れた。その時だ。俺が自らの出自を知ったのは……」
「父親がベルージュ侯爵だと、知ったのですね?」
「ああ、その時から俺の中には、父親に対する憎しみが芽生えた。母は父のことを悪く言わなかったが、俺からしてみれば、母を捨てた男でしかなかった。俺はそれから、復讐のために成り上ることを決めた。我ながら、子供染みた考えだ」
バルハルド様は、いつもの自嘲気味な言葉を口にした。
そこで私は理解する。彼のそういった発言の根底にあるのは、妾の子だからということではなく、復讐をしようとしたことにあるのだと。
その是非はともかくとして、今の彼は、それを恥じるべきことだと認識している。だからいつも、自虐的なのだろう。
「そんな俺を変えたのは、そこにいるファナトだ。俺のことを知ったファナトは、俺を何度も訪ねて来た。俺が何度突っぱねようとも、こいつは諦めなかった。俺の方が折れたのだ」
「兄上は、僕のことは粗悪に扱ったりしませんでした。恨んでいるのはあくまで父上であると思っていたからでしょう。だからこそ、僕は兄上と歩んでいくことを選んだ。その選択は、間違っていなかったと思っています。今はこうして、兄上と笑いあえていますから」
「全ての事情を知り、父上からも謝罪の言葉を受けた。俺は父上を許した。心のどこかではわかっていたからだ。母はそんなことを望んではいないと……」
バルハルド様とファナト様は、笑顔を浮かべていた。
この二人は腹違いの兄弟ではあるが、そこには確かな絆があるということなのだろう。
だからバルハルド様がここにいる。それはきっと、二人にとって一番良い決着だったのだろう。
「お義兄様の件については、私も苦労させられましたよ」
バルハルド様の話した一段落した時、クルメア様が言葉を発した。
彼女は、少し呆れたような笑みを浮かべている。それに対して、バルハルド様は少しだけ不愉快そうな表情をした。
「義妹殿に苦労をかけた記憶はないが」
「いえ、そんなことはありませんよ。義兄殿は、いつも不機嫌そうにしていましたからね。そのことに落ち込んだファナトを慰めるのは、私の役目でしたから」
バルハルド様の言葉に、クルメア様は露骨な程に嫌味を含んだ答えを返していた。
ただ、それはよく考えてみれば、ただの惚気だ。ファナト様が顔を赤くしていることに、クルメア様は気付いていないのだろうか。
ただ、クルメア様の言葉がどうしてそんな感じなのか、その意図は理解できた。
彼女は恐らく、重くなった空気を和らげてくれているのだ。決して、バルハルド様を煽る隙を見つけたから言葉を発したとか、そういう訳ではないと思う。
「ただ思い返してみると、あの頃のお義兄様は今よりも紳士的だったような気がしますね。少なくとも、そんな風に睨んでくる人ではなかった」
「それは順序が逆というものだ。あの頃の義妹殿が淑女であったから、俺もそのように振る舞っていたに過ぎない」
「おやおや、私は今でもしっかりとした淑女ですよ?」
「淑女にしては、荒々しいことばかり言っていると思うが、もしかして淑女というものへの捉え方が異なっているのだろうか?」
「女性である私の方が、淑女に対する造詣が深いのは当然のことです。恥じる必要はありませんよ、お義兄様」
私が色々と考えている内に、二人は言い合いを始めていた。
それにファナト様は、苦笑いを浮かべている。
このまま止めなければ、二人はいつまでも言い合ってそうだ。その場合、どちらが先にばてるのだろうか。それは少し、気になる所だ。
「まあ何はともあれ、僕とお義兄様、それにクルメアは今はこうして仲良くやれているんです。色々とありましたが、丸く収まったといっていいでしょう」
「そのようですね。私も、お三方の輪に入れるようになりたいものです」
「……そういうことなら心配はいらない。あなたはもう入れている」
「お義兄様に同意するのは癪ではありますが、彼の言う通りです。リメリアさんは、既に私達の家族の一員ですからね」
私の言葉に、バルハルド様とクルメア様は、すぐに言葉を返してくれた。
その言葉が嬉しくて、私は笑顔を浮かべるのだった。




