第3話 もう一つの顔
私はバルハルド様に連れられて、市場に来ていた。
そこには多くの人々がおり、大変賑わっている。
しかし、何故ここに連れて来られたのか、正直まったくわからない。
ここがバルハルド様の目的地であるようなのだが、何か欲しいものでもあるのだろうか。
「バルハルド様、いらっしゃいましたか」
「ベルザス、首尾はどうだ?」
「上々でございます」
私が何を買うのかとか呑気に考えていると、初老の男性が近づいて来た。
その男性に対して、バルハルド様は妙なことを聞いた。首尾とは一体、何の首尾なのだろうか。
もしかしてバルハルド様は、出品者側なのかもしれない。珍しい私物などを商会を通して売っているという可能性はある。
「そちらの方は?」
「俺の婚約者だ。まだ暫定ではあるがな」
「婚約、ですか? バルハルド様が妻をお迎えになるとは、少し驚きです」
「妻がいる方が体裁的にいいからな。結婚するつもりはあった。もっとも、良き相手が見つからなければその限りではなかったがな」
「なるほど、彼女は良き相手ということですか」
ベルザスと呼ばれている男性は、私の方に視線を向けてきた。
身なりや会話からして、恐らく彼は商人であるだろう。そんなことを思っていると、ベルザスさんは私に一礼してきた。
「私はベルザスと申します。バルハルド様の秘書を務めています」
「秘書?」
ベルザスさんの言葉に、私は眉を顰めることになった。
彼は今、秘書だと言った。それは何に対するものなのだろうか。
貴族の業務であるとは考えにくいし、なんだかよくわからない。
「どうかされましたか?」
「ああいえ、私はルヴァーリ伯爵家のリメリアと申します」
「ルヴァーリ伯爵家……あのラルバルーズの」
とりあえず私は、自己紹介をした。
するとベルザスさんは唸った。そういった反応には慣れている。ルヴァーリ伯爵家と英雄が結びついている人なら、よくある反応だ。
そこから話を広げられるというのも、私達ルヴァーリ伯爵家の強みであるだろう。といっても今回は、他に聞きたいことがあるので、その話はしないが。
「えっと、バルハルド様、そろそろ教えていただけませんか? 一体、バルハルド様は、何をされているのですか?」
「バルハルド様、まさかリメリア様に何も伝えていらっしゃらなかったのですか?」
「ふっ……」
私の質問に驚くベルザスさんに、バルハルド様は笑みを浮かべていた。
そういった面において、彼は結構子供っぽい所があるのかもしれない。
「俺は貴族として生きていくつもりなどなかった。故に己で生きていく術を身に着けていた。俺は商人として、生きていこうとしていたのだ」
「それって、まさか……」
バルハルド様の言葉に、私は再度市場を見渡した。
この市場が誰によって開かれたものなのか、それを理解した私は、ゆっくりと息を呑むのだった。
◇◇◇
「驚きました。まさかバルハルド様が、商会の長だったなんて……」
「驚くのも無理はないことだろうな。我ながら中途半端な限りではあるがな」
「中途半端なんて、そんなことはありません。これ程の商会の長になるなんて、そう簡単にできることではないでしょう。バルハルド様の立派さが伝わってきます」
バルハルド様は、相も変わらず自嘲気味に笑みを浮かべていた。
彼の根底には、恐らく妾の子としての負い目のようなものがあるのだろう。だから、自分の努力などを素直に認められないのだ。
私からしてみれば、そんな風に考える必要などはないと思ってしまう。だが、彼からしてみればそうではないのだろう。
その辺りは、私にはわからないことだ。正当なる血族である私には、きっと一生理解することはできないことなのだろう。
「もちろん、俺も自分の成果は誇れるものだとは思っている。だが、これはそもそも、ベルージュ侯爵家への当てつけで始めたことだ。復讐と言い換えてもいいか。俺は自らの力で成り上り、母を弄んだ父の所業を世に知らしめようとしていた」
「……権力得て、潰されないようにした、ということですか?」
「ああ、だが、そのようなことをする必要はなかった。父が自ら俺の存在を認知したからな。結局俺は、ベルージュ侯爵家の一員となった……」
バルハルド様の言葉に、私は彼の言動にある程度納得した。
不純な動機で始めたことを素直に誇ることができないのは、当然といえば当然だ。
彼がここまで成り上がれたのは、憎しみが原動力だったのだろう。その根底が否定された今、どうしていいのかわからなくなっているのだろう。
「……それでもすごいことだと私は思います。バルハルド様は、こうして未だに商会を支えているのですから」
「む……」
「投げ出すことだって、できない訳ではなかったはずです。でも、バルハルド様は続けている。そこには誇りがあるからでしょう。今までの短い間でも、私にはそれがわかりました」
今日見たバルハルド様の商人としての一面は、ほんの一欠けらでしかないはずだ。
しかしそれでも、私はそこに彼の矜持を見た。それが伝わってくる程に、彼は真摯に向き合っているということだろう。
動機は不純なものが含まれていたのかもしれないが、今はそれだけではない。それだけは確かなことだ。
「ふっ……リメリア嬢、あなたを妻に迎え入れられることを改めて嬉しく思う」
「そうですか?」
「あなたには、俺以上に誇りや矜持といったものがある。英雄の血筋は伊達ではないということだろう」
「ええ、もちろんですとも」
私はバルハルド様の言葉に、笑顔で答えた。
彼に改めて認められたという事実は、嬉しく思う。なんというか、これからもバルハルド様とは上手くやっていけそうだ。
◇◇◇
ヴォンドラ伯爵ウルガドは、エルヴァイン公爵の元に赴くことになった。
先日の失言の謝罪をしなければならないからだ。
若きウルガドは、これまでも何度か失敗していた。彼は未熟者であり、色々と気が回らないことが多かったのだ。
しかし、そういった時も真摯に謝罪すれば許してもらえる。ウルガドはそう認識していた。
今まで彼のことを許さなかった者はいない。若さや先代である父の影響でそうなっているのだと、ウルガドは思っていた。
「エルヴァイン公爵、先日は本当に申し訳ありませんでした。自分の短絡的な発言を深く反省しております」
「……反省、か」
「どうかお許しください。決してカルナック男爵のことを侮辱した訳ではないのです。私はただ、彼のような英傑が亡くなるのを惜しんでいただけで……」
ウルガドは先日、民に尽くし過労で亡くなったカルナック男爵のことを侮辱する発言をした。
民に尽くしてその結果亡くなるなんて愚かだと、ウルガドは思っており、それをそのまま口にしてしまったのである。
それは、エルヴァイン公爵の逆鱗に触れてしまった。カルナック男爵が誇り高き貴族であったと思っている彼にとって、ウルガドの発言は許せないものだったのだ。
「まあ、良いだろう。その件について、私は既に許すと決めた。その考えを覆すのは、彼女に免じてよしておこう」
「彼女に免じて?」
「だが、私は君が先日離婚したということに関して、少し言いたいことがある。もっとも、それは個人の問題である故に、必要以上に言うつもりはないが」
エルヴァイン公爵の言葉に、ウルガドは目を丸めていた。
目の前にいる高貴な男性が、何を言っているか彼にはわからなかったのだ。
「先代のヴォンドラ伯爵は、ルヴァーリ伯爵家との婚約を成立させた英傑だ。その息子である君がそれを蔑ろにしたことにひどく心を痛めていることだろう」
「な、何をおっしゃっているのですか?」
「リメリアは英雄の末裔だ。ラルバルースは、王国が成立する前から活躍していた英雄だった。ルヴァーリ伯爵家には、他の家以上の伝統がある。そこには大きな力があった。それをまず君は理解していなかったのだろうな」
エルヴァイン公爵は、ウルガドに対して冷たい目を向けてきた。
その視線に、ウルガドは怯える。まだ若い彼にとって、長年公爵だったエルヴァイン公爵の気迫は受け止め切れないものだったのだ。
「何よりも、リメリアは強かな女性であった。彼女の支えがあってこその自分であると思わなかったのか?」
「わ、私は……」
「しかし、もう何もかもが遅いか。君はある意味、全てを失ったともいえる。これからは色々と困難が降りかかってくるだろう。まあ精々、頑張り給え」
突き放すような言葉に、ウルガドは固まっていた。
しかし彼は、まだ理解することができていなかった。自分が一体、何をしたのかということを。




