第2話 侯爵家の汚点
出戻りというのは、なんとも言えない気分になるものだ。
懐かしいルヴァーリ伯爵家の屋敷に戻って来ても、私の心はちっとも明るくならない。
だが両親は、私のことを快く迎え入れてくれた。事情をどれだけ知っているのかはわからないが、とりあえずここにいることを許してくれたのだ。
「しかし離婚とは、驚きだ」
「ええ、本当に……」
そんな私の前には、今とある夫婦がいる。
私の兄と義姉は、心配そうに見つめている。その生温かい視線からは、少し目をそらしたくなってしまう。
「リメリアちゃんみたいな良い子と離婚するなんて、ウルガド君はどうしてしまったのかしら?」
「まあ、元々気性が荒いとは思っていたが……どうやらろくでもない奴だったらしいな」
「ランペル様、そういう言い方は良くありませんよ。お気持ちはわかりますが……」
ランペル・ルヴァーリとイファーナ、次期ルヴァーリ伯爵夫妻は、大のおしどり夫婦だ。
ファナト様とクルメア様も大概ではあるが、この二人程の仲良しではないと思う。いや、人前以外なのではそうなのかもしれないが。
「大切な妹がこのような扱いを受けたのだ。怒らずにはいられない」
「私も気持ちはわかると言っているでしょう? リメリアちゃんは、私にとっても大切な義妹なのだから」
「……そうだったな。すまない、一人ではやり過ぎたか」
基本的に、二人は妹思いである。
お兄様はもちろん、お義姉様もだ。幼少期の頃から交流があったため、私も本当の姉のように思っている。
そんな二人が心を痛めているということが、私にとっては辛かった。本当にどうしてこうなってしまったのか、私もまだ完全に理解できてはいない。
「ただリメリア、今回の件はお前が悪いという訳ではない。立派な妻だったと僕の耳にも入ってくるくらいだったからな」
「ええ、あなたはよくやったと思うわ。まあ、これからはゆっくりと休んで……」
「ああ、お前が良いなら、これからもずっとここにいればいいさ。僕もイファーナも、それでいいと思っている」
二人の言葉は、嬉しいものだった。
多分、心からの言葉だろう。それはその表情から伝わった。
しかし、そんな二人のためにも、立ち止まりたくはない。私はまだ、ルヴァーリ伯爵家に貢献していきたいと思っている。
「お二人とも、ありがとうございます。しかし私は、また次の結婚に臨もうと思っています。それが私がルヴァーリ伯爵家のためにできることだと思いますから」
「……立派だな、お前は」
「……あまり無理しちゃ駄目よ?」
私の言葉に、二人は少し呆れたような笑みを浮かべていた。
それに私も、笑顔を返すのだった。
◇◇◇
「今回の件に対して、私は憤りを感じている」
「……僕も、流石にこれはどうかと思っているよ。だけど、クルメア、落ち着いて」
私は、ベルージュ侯爵家を訪問していた。
離婚した件について、ファナト様とクルメア様から手紙が届いたからだ。
二人とも、ウルガド様の仕打ちには怒ってくれている。それは手紙の文面からも、伝わってきたことだ。
身重なクルメア様を気遣って、私から訪ねることにして良かったと改めて思う。
もしもそうしていなかったら、ただでさえ怒っている彼女に、さらなるストレスを与えていた所だ。
「ウルガドが馬鹿な奴であるということは、私も薄々わかっていた。しかしまさか、ここまでとは」
「クルメア様、落ち着いてください。私は大丈夫ですから」
「わかっている。しかし私は、君のことを妹のように思っていた。そんな君が侮辱された。それがどうしようもなく、腹が立つんだ」
クルメア様は、いつもとは違った砕けた言葉遣いでそう言ってきた。
恐らくこれが、元来の彼女なのだろう。それはなんとなく、わかっていたことである。
なぜなら私も、クルメア様のことは姉のように思っていたからだ。彼女も同じ気持ちで、嬉しいのだが、あまり興奮させてはならないので、冷静を心掛ける。
「だからといって、クルメアは安静にしておかないと……」
「君も君だ。まさか、まだあの男を擁護するようなことを言うのか?」
「そんなことは言わないよ。僕もウルガドには呆れている。流石にもう友達ではいられないかな……そもそもウルガドが僕のことを友達だと思ってくれていたかは、わからないけれど」
ファナト様は、少し悲しそうに呟いていた。
それは本当に友達だと思っていなければ、出せない表情だろう。
「いつも甘い君も、今回は流石に堪忍袋の緒が切れたか」
「僕にだって許容できる限度があるからね……」
「ふふ、なんだか怖いな。君は怒ると人一倍怖い」
「そんなことはないと思うけれど」
クルメア様の言う通り、ファナト様は多分怒ると怖いタイプだ。
今も笑顔を浮かべているのだが、その笑顔には圧がある。多分、相当怒っているのだろう。
「さてと……リメリアさん、僕達――これはベルージュ侯爵家ということですが、実の所リメリアさんにある話を持ち掛けたいと思っているのです」
「ある話、ですか?」
「ええ、せっかく来てもらったので、本人に会ってもらうのが早いですかね。少し場所を移動しましょうか」
「あ、はい」
そこでファナト様は、話を切り替えた。
その話の内容に、私は眉を顰める。一体ベルージュ侯爵家は、何を考えているのだろうか。
◇◇◇
私は、ベルージュ侯爵家の離れに来ていた。
その離れの一室には、一人の男性がいる。その男性は、やって来た私達を見て、読んでいた本を閉じた。
「兄上、お邪魔します。リメリアさんを連れて来ました」
「……そうか」
ファナト様の呼びかけに、男性はゆっくりと立ち上がった。
それから彼は、ゆっくりと私の方に近寄ってきた。背の高い端正な顔立ちの男性は、私に視線を向けて来る。
「あなたが、例のヴォンドラ伯爵夫人か。いや、既に元伯爵夫人か」
「……あなたは、バルハルド様ですね」
「俺のことを知っていたか。まあ、知らぬはずもないことではあるが……」
私の言葉に、バルハルド様は目を瞑った。
何か思う所があるのだろう。その表情は、少し暗い。
彼のことを、私は知っている。こうして顔を合わせるのは初めてではあるが、ベルージュ侯爵家のバルハルド様は、それなりに有名だ。
「しかし念のため、改めて自己紹介するとしよう。俺の名はバルハルド……ベルージュ侯爵家の汚点だ」
「兄上、そのような言い方は……」
「妾の子である俺が汚点であるということは、紛れもない事実だ。否定した所で、どうにかなることでもない」
バルハルド様は、ファナト様に対して呆れたような笑みを浮かべていた。
しかし心なしか嬉しそうだ。弟が自分を汚点ではないと思っていることが、嬉しいのだろうか。
それらの会話から考えると、兄弟の仲は少なくとも良さそうだ。デリケートな話だと今まで聞いたことはなかったが、それはいらぬ気遣いだったのかもしれない。
「お義兄様は相変わらずですね」
「クルメアか。お前の方も変わっていないらしいな」
「ふふ、ええ変わっていませんとも。人間ちょっとやそっとでは変わりませんからね」
一方で、クルメア様との関係は微妙な所だろうか。
二人の間には、なんというか刺々しい空気が流れている。
とはいえ、険悪なようには見えない。これはこれで、仲が良いと考えても良いのだろうか。
「えっと、それでリメリアさん、あなたに持ち掛けたい話というのは……」
「バルハルド様との婚約……ですか?」
「ええ、その通りです」
ここに来た時から、薄々察していたことではあるが、やはりこれは婚約の話であるようだ。
それは恐らく、ファナト様やクルメア様が働きかけてくれたことだろう。わざわざこのような話を出す意味も薄いと思うし、多分そうだ。
ベルージュ侯爵家との繋がりができることは、正直とてもありがたい。ルヴァーリ伯爵家にとっても、それは利益になるだろう。
ただ問題は、目の前にいるバルハルド様が不服そうな顔をしていることだ。
もしかしたら、彼の方はこの婚約に乗り気ではないのだろうか。
「……リメリア嬢、はっきりと言っておこう。俺は今回の婚約に乗り気という訳ではない」
「そ、そうですか」
バルハルド様は、私が思っていた通りの言葉を発した。
彼は私に、少し気まずそうな視線を向けてきている。それは申し訳なさの表れだろうか。
ということは、原因は別に私にあるとかではなさそうだ。もしかしたら彼は、自分の出自を気にしているのかもしれない。
「知っての通り、俺は妾の子だ。ベルージュ侯爵家の正当なる血筋ではない。そのような者と結婚などしても、苦労ばかりだ。世の貴族達から、何を言われるかわからん」
「それは……」
バルハルド様の懸念は、やはり出自にあるようだった。
残念ながら、それは事実ではある。妾の子というのは、やはりどうしても立場が悪い。それ由来の苦労も、もちろんあるだろう。
「私も同じですよ。バツイチの令嬢なんて、扱いにくいでしょうからね」
「む……」
「バルハルド様の出自など、私達ルヴァーリ伯爵家は気にしません。私という厄介な立場にある娘を嫁がせることができて、ベルージュ侯爵家との繋がりができる。メリットしかないと思えるくらいです」
私は、少し大袈裟なことをバルハルド様に述べた。
実際の所、私の扱いがどれくらい厄介かなどはわからない。しかしここは、断定して話しておいた方がいいだろう。
今回の婚約は、どう考えても成立させた方がいいものだ。それは間違いないのだから。
「多少の風評は、覚悟できます。ですから、バルハルド様が懸念しているようなことで、この話をなしにしてもらいたくはありません」
「なるほど……」
私の言葉に、バルハルド様は目を細めていた。
彼は、私の目をしっかりと見つめている。それは何かを見定めているかのように思えた。
それなら私は、このまま彼に覚悟を見せるとしよう。
「バルハルド様としては、実際どうなのですか? 妻を迎えたりしたくないのでしょうか?」
「いや、そういう訳ではない。俺も立場上、妻は迎えるべきだと思っている」
「それが私ではいけませんか?」
「なるほど……あなたの覚悟はわかった。それなら改めて願うとしよう。俺の妻になってもらえるか?」
「ええ、もちろんです」
バルハルド様が差し出した手を、私はしっかりと握った。
とりあえず、これで話はまとまった。もちろん、正式に婚約するためには両親などに話を通さなければならないが、その辺りは多分大丈夫だろう。
「さて、ファナト。俺はそろそろ出なければならない。後のことは任せられるだろうか」
「ええ、兄上、頑張ってくださいね」
「……バルハルド様は、どこに行かれるのですか?」
話が一区切りついて、バルハルド様は近くに会った鞄を手に取った。
これからどこかに出掛けるということなのだろう。その行き先が、私は少し気になってしまった。
「……せっかくの機会だ。リメリア嬢には俺のもう一つの顔を教えておくとしよう」
「え?」
「あなたにも同行してもらう。構わないな?」
「え、ええ……バルハルド様がいいなら、別にいいですけど」
私はバルハルド様に手を握られて、そのまま歩み始めることになった。
こうして私は、訳が分からないままバルハルド様に付いて行くのだった。




