第15話 これからも隣で
「エルヴァイン公爵には、俺の抗議も左程意味がなかったようだ。のらりくらりと躱されしまった」
「そうですか……まあ、そうなりますよね」
私とバルハルド様は、与えられた客室でお茶にしていた。
公爵家であるため、客室であってもとても広く豪華な部屋だ。このような部屋を与えてもらったことには、感謝しなければならないだろう。
といっても、バルハルド様が不服そうにしている意味も理解できる。私達はまだ正式に結婚しているという訳でもないのだから、このような形は本来取るべきではないだろう。
「それにしても、あなたは本当に良かったのか?」
「ええ、もちろんです。というか、本当に嫌だったら、流石に私も抗議しますよ?」
「……言っておくが、俺は別にあなたとの同室が嫌だったという訳ではない」
「それもわかっています。バルハルド様は紳士ですからね」
バルハルド様は、基本的には礼節などは重んじるタイプである。
宿を取る時も部屋は別にしてくれていたし、私から訪ねなければ、夜に顔を合わせたりすることもない。そういった意味で、ある種一線を保っていたのだ。
その線引きを他者に無理やりに越えさせられたとなれば、怒るのも仕方ないことだろう。
「まあ、今回は大目に見るということで、良いのではありませんか? 何れはこうして、同じ部屋で生活をすることになるのでしょうし……」
「……そのことだが、別に俺は寝室をともにしようと考えてはいなかったのだが」
「え? ああ、言われてみれば、そうする必要もないのでしょうか?」
バルハルド様の指摘に、私は思わず固まっていた。
夫婦であっても、寝室が別。それは珍しいことでもない。というか、ヴォンドラ伯爵家では私もそうだった訳だし。
しかし私は、自然と同じ部屋で過ごすものだとばかり思っていた。両親も兄夫婦も、ファナト様とクルメア様もそうしていると知っているからだろうか。頭が自然と結論を出していたようだ。
さらに言えば、私はバルハルド様から今言われたことに、少し寂しさを覚えている。
どうやら私は、バルハルド様と生活をともにしたいと心から思っているらしい。それはウルガド様の時には、考えもしなかったことだ。
「ふふっ……」
「……リメリア嬢、どうかしたのか?」
「いえ、わかったことがあるのです。とても大切なことを、私は今やっと理解できたような気がします」
「大切なこと?」
私は、思わず笑みを浮かべていた。
自分が今何故そう思ったのか、その理由が理解できたからだ。
その理由は、とても単純なものである。だからこそ笑ってしまったのだ。私は少々、鈍感だったのかもしれない。
「バルハルド様、いきなりこんなことを言われたら困るかもしれませんが……」
「うん?」
「私はバルハルド様のことが、好きなのだと思います」
「……」
私の言葉に、目の前にいるバルハルド様は固まった。
彼にしては珍しい程に目を見開いている。かなり驚いているというか、面食らっている様子だ。 そんなことを思っていると、バルハルド様はゆっくりと動いた。目の前にあったティーカップを手に取り、口に運んだのだ。
「……言葉の真意を測りかねる。リメリア嬢、一体あなたは何が言いたいのだ?」
「一人の男性として、お慕いしていると言っているのです」
「……」
バルハルド様は、どこか私に対してはぐらかそうとしているような気がした。
だから私は、彼から逃げ道をなくす。勘違いで済ませることができないように、決定的な言葉を口にした。
するとバルハルド様は、再びティーカップを口に運んだ。それから彼は、ティーカップを置いて、真剣な顔で私を見つめてきた。
「……俺もあなたのことは一人の女性として愛している」
「バルハルド様……」
バルハルド様は、私が割と意を決して言った言葉を涼しい顔で口にしていた。
その言葉には、戸惑いなどが一切ない。もしかしたら彼は、かなり前にその思いを自覚していたのかもしれない。自分の気持ちにさえ鈍感な私と違って、彼は聡明な人である訳だし。
「お気持ちに気付かれているなら、もっと早く言ってくださっても良かったのですよ?」
「それに関しては、すまなかった。しかし俺は、あなたから逃げ道をなくしたくなかった」
「逃げ道?」
「妻にするなら、あなた以外にはいないと思っている。だが、俺の妻になるということは苦難の道を歩ませることになる。いざという時、俺を切り捨てて逃げることに躊躇って欲しくはない」
バルハルド様は、いつものように自嘲気味に笑っていた。
きっと今まで色々とあったのだろう。妾の子ということで、窮地に立たされることもあったのかもしれない。
そういった経験から、バルハルド様は距離を作っていたのだろう。その線引きを越えたら、一緒に落ちる所まで落ちるしかなくなってしまうから。
「……バルハルド様、私はあなたと一緒にいたいと強く思っています。楽しい時でも苦しい時でも、その気持ちは変わりません。私をバルハルド様の隣にいさせてください」
「……俺は愚かだったのだろうな。結局の所、あなたを幸せにできるという確信をどこか持てていなかった。情けない限りだ」
「そのようなことは……」
「改めて誓おう、リメリア嬢。俺はあなたを幸せにしてみせる。そのために、どんな苦境にも立ち向かって勝ってみせる。不思議なものだ。今はそうできると思える。それはきっと、あなたが俺の隣にいてくれるからだ」
「バルハルド様……」
バルハルド様は、笑みを浮かべていた。
それはいつもの自嘲気味な笑みとは違い、自信に満ち溢れた笑みだ。
その笑みを見て、私は大丈夫だと思った。今の彼なれば、例えどんな苦難が待ち受けていたとしても、それを乗り越えられる。そう確信できたのだ。
◇◇◇
薬指にある指輪を見ながら、私は不思議な気持ちになっていた。
以前につけていたものを見た時は、こんな気持ちにはならなかった。それはつまり、この二度目の結婚が私にとっては、幸せなものであることを意味している。
「リメリア嬢、どうかしたのか?」
「バルハルド様、すみません。少し感傷に浸っていました。この指輪を見ていると、なんだか心が安らいで」
「指輪か……確かに不思議なものだ。アクセサリーの類も身に着けたことはあるが、これはそれらとは違うものだな」
引っ越しのための荷解きの最中に手を止めていたからか、バルハルド様が私の元にやって来た。
理由を話すと、同じような思いを語ってくれたが、彼はすぐに表情を切り替える。それは作業がまだ終わっていないからだろう。
「しかしリメリア嬢、いつまでも感傷に浸っていてはいられない。思っていたよりも荷物が多いからな。このままでは寝る場所もままならない」
「そうですね。まあ、私の荷物が多すぎるというか……」
「いや、俺の荷物も大概だ」
私とバルハルド様は、ラプリードの家で暮らすことにした。
色々と話し合ったが、それが一番丸い形だと思ったのだ。
私も彼も、家を継ぐような立場ではない訳だし、いつまでも貴族の屋敷にいられはしない。
バルハルド様には仕事もある訳だし、こちらで暮らすのが一番良い形だ。それは正式に結婚する前から、思っていたことである。
「お兄様やお姉様には、こちらの家はそんなに広くないと言っておいたんですがね……」
「ファナトやクルメアなど、実際に来たことがある。だというのにこれだ。そもそもの話、生活に必要なものは揃っている故に、余計なものなどはいらないと言ったのだが……」
「結婚の祝いに、皆張り切っていたのでしょうね。まあ古くなっているものは変えた方がいいのかもしれませんし……」
「そうだな。しかし、家具などを出すのも一苦労だ」
という訳で引っ越した訳なのだが、お互いの兄弟が張り切った結果、家の中が大変なことになっている。私は現実逃避して、感傷に浸っていたくらいだ。
「エルガドを呼ぶか。奴も欲しいものなどがあるかもしれない……いや、商会そのものに掛け合うか。欲しいものは持ち帰ってもらうとしよう。これは俺達だけは捌ききれん」
「ファナト様やクルメア様には申し訳ありませんが、そうした方が良いですね。このままでは本当に寝る場所にも困りそうですし……」
ただ、これは一応嬉しい悲鳴だといえる。兄弟が結婚を祝福してくれているということなので、悲観することでもないだろう。
事実として、私もバルハルド様も笑っている。今この瞬間も、私達にとっては楽しい時間なのだ。
これからもその楽しい時間は、続いていくだろう。そんなことを思いながら、私は作業を再開するのだった。
END




