第10話 義母への挨拶
バルハルド様の故郷の村であるアキードは、ラプリードから馬車で二時間程で着く村であった。
比較的大きな町であるラプリードと比べると、アキードは田舎だといえるだろう。しかし空気が澄んでいて、過ごしやすい場所である。
「バルハルド、随分と久し振りだな?」
「バルハルドが帰って来たって?」
「おいおい、今はバルハルド様だろう」
バルハルド様の帰還に、村の人々はかなり喜んでいるようだった。
それだけで、彼と村の人達の関係が悪いものではないとわかる。この村で育ったからこそ、バルハルド様は優しさに満ち溢れた人になったのかもしれない。そう思える程の歓迎だ。
「確かに帰って来るのは、母の命日以来になるか……皆、元気にしていたか?」
「ああ、それはもちろんだとも。そうだ。ライルスとレペルナに娘ができてな」
「ほう、それは後で祝いにいかなければならないな」
「おっと、そうだそうだ。それでバルハルド、そちらのお嬢様は」
そこで村の人達の視線が、私の方に集まった。
身なりからして、私が貴族であるということは理解しているのだろう。皆少しだけ、遠慮がちになっているような気がする。
「……俺の婚約者だ」
「婚約者? って、バルハルド結婚する気になったのか?」
「おお、それはめでたいな。しかし、あのバルハルドが結婚か」
「……別に結婚願望がなかった訳ではないのだがな」
「いやだって、お前はなんとなくずっと独り身みたいな感じがしていたから……」
バルハルド様は、結構多くの人達から結婚しないと思われていたようだ。
彼には申し訳ないが、そういう人達の気持ちがわからない訳ではない。バルハルド様は、そういう雰囲気を持つ人ではあると思う。
結果的に、私はそんな人の心を開いた。そんな風に自惚れても、いいものだろうか。いや、本人が否定しているので、それは的外れか。
「……それで、彼女が母に挨拶をしたいと言ったから戻って来たのだが」
「ああ、そういうことか。できた人だなぁ」
「おい、失礼だぞ? あの人は多分……」
「あ、私はアーガント伯爵家のリメリアといいます。でも、そんなにお気になさらないでください。私はバルハルド様の婚約者なのですから」
「あ、いや、その……すみません。俺達礼儀とかには疎くて」
「一緒にしないでくれよ。まあ、疎いのは確かだけど」
アキードの人々は、私のことも好意的に受け止めてくれているようだった。
これからもここには来ることになるだろうし、できれば良好な関係を築いていきたいものである。
◇◇◇
私とバルハルド様は、村の片隅にある墓地に来ていた。
そこにある一つの墓に、バルハルド様のお母様は眠っているらしい。
「レスティア様、挨拶が遅れてしまって申し訳ありません。私は、リメリアと申します。バルハルド様と結婚の約束をさせてもらっています」
「……母上、リメリア嬢は良き人だ。俺もやっと落ち着くことができる。母上も喜んでくれるだろうか」
私は、レスティア様にゆっくりと挨拶をした。
それに続いて、バルハルド様も母親に語りかける。その口調は、いつにも増して穏やかで優しさに満ちている。
今は亡き母に、バルハルド様は深い愛情と尊敬の念を抱いている気がした。立場故に色々と大変だっただろうし、そういった事柄が関係しているのかもしれない。
「幼少期の頃、俺にもいつか良き人が現れると言ってくれたことがあったな。父のいない俺にとって、結婚とはそれ程幸せなものではないと思っていた故に、あの時俺は母上に反発した。しかしだ、今はこうしてリメリア嬢と巡り会えた。どうやら母上の言ったことの方が、正しかったようだな」
「えっと、バルハルド様が仰っている程、良き人なのかどうかはわかりませんが、彼の妻として立派に努めていくつもりです」
バルハルド様は、私を褒め称える言葉をお義母様にかけてくれた。
それ自体は嬉しく思うのだが、少々過大評価であるような気もする。母親の前であるため、少し大袈裟に言ってくれているのだろうか。
とはいえ、私もそれに応えられるようにならなければならない。お義母様に心配をかけないように、私も努力するとしよう。
「今の言葉でわかったかもしれないが、彼女はとても謙虚だ。俺にはもったいないくらいの婚約者だといえる」
「そ、それは流石に聞き捨てなりませんね。私はバルハルド様だからこそ、妻になりたいと思ったというのに……」
「む、それはそうかもしれないな。いや、すまない。母上、どうやら俺もまだまだのようだ」
「バルハルド様は、本当に素晴らしい人です。謙虚というなら、バルハルド様の方が謙虚だと思います」
私とバルハルド様は、お義母様の前で色々と話した。
これでお義母様も、少しは安心してくれるだろうか。私はこれでも、バルハルド様と結構相性がいいと思っているのだが。
「……あれ?」
「リメリア嬢? どうかしたのか?」
「え? ああいえ……」
そこで私は、風が吹き抜けていくと同時に奇妙な感覚に陥った。
その風が吹いてきた方向を向いてみると、誰がいたような気がした。
それは、ただの気のせいなのかもしれない。しかし私は、それがお義母様が反応してくれたのではないかと、思うのだった。
◇◇◇
お墓参りから帰ってきた私とバルハルド様は、アキードの村の人達の誘いで、こちらの村で昼食をいただくことになった。
私達の前には、野菜や魚、肉などを使った料理が並んでいる。その量は膨大だ。とても二人で食べきれる量ではない。
そもそもの話、村の人達が正座で見守る中、食事なんてできるものだろうか。これだけの量があるなら、皆でいただく方が良いと思うのだが。
「まあ、皆も身分が違うということはわかっているからな。本来ならば、歓迎の宴会でも開くつもりだったのだろうが、一緒に食事をするのは失礼なのではないかということで、こういう形になったのだろう」
「いやでも、なんだか気まずいです。歓迎されるなら、普通に宴会の方がいいです」
「ああ、そうだろうな。皆にそう言ってこよう」
私の言葉を受けて、バルハルド様は村人の中心にいる初老の男性と話に行った。
彼はそれからすぐに、こちらに帰って来る。苦笑いを浮かべながら。
「一度仕切り直すべきだと進言しておいた。もう少しだけ待ってもらえるだろうか?」
「ええ、それはもちろんです。別にそんなに焦っていませんから、ゆっくりでもいいくらいです」
「そういう訳にもいかないだろう。料理が冷めるのは本意ではないからな」
「ああ、それもそうですね」
私が立ち上がると、周囲の人達がてきぱきと準備を始めた。
元々一緒に食べる案はあったのか、準備自体はスムーズだ。これならそう、時間はかからないだろう。
「リメリア嬢、どうもすみません。こちらの不手際で……」
「ああいえ、気になさらないでください。そもそも、こうして歓迎していただいていることがありがたいことですから」
「そう言っていただけると助かります。ささ、準備ができましたから、どうぞお席に」
「はい、失礼します」
程なくして、私は再び席に着くことができるようになった。
このような短時間なら、料理が冷めたなんてこともないだろう。
私としては、別に冷めていてもいいのだが、村の人達が申し訳なく思ったりするのは気が引ける。故に準備が早く終わったのは、私にとってもありがたいことである。
「リメリア嬢、すまないな。騒がしい村で」
「いえ、楽しくて温かい村だと思います。バルハルド様は、ここで育ったからお優しい人になったのでしょうね……」
「俺が優しいかどうかはともかく、この村が温かい村であることは事実だ。気に入ってくれたなら、俺としては嬉しい限りだ」
バルハルド様は、私の隣に笑顔を浮かべていた。
彼もこの村のことが好きなのだろう。それがその笑顔から伝わってきた。




