1-7. 記憶の無い男
そして現在に至る。
心臓の鼓動が落ち着いた頃――間もなくして警察がやってきた。既に話を通していたらしく、気絶している男を連行し、俺とシロさんは事情聴取に呼ばれた。と言っても、俺はシロさんが話す内容を隣で聞きながら、時折警察官から質問されて頷くだけだった。
車内で聞いた通り、あの男は連続殺人犯だったそうだ。
関東近辺で履歴書のいらない仕事――期間工や日払いの仕事をして過ごしていた男たち三人は、あるときから若い女性を襲うようになった。乱暴して、殺して、重りをつけて川に捨てる。そんなことを何度かを繰り返しているうちに、重りをつけ忘れた遺体が見つかってしまった。
ある遺体の爪に、犯人の一人の皮膚が残っていた。
「うぇ……」
警察官に聞こえないように、小さく呻く。生々しい様子が連想されて、頭を振った。けれど、ついさっきまでその犯人と一緒にいたとは、にわかには信じられなかった。
三人のうち二人の男は、前科があったそうだ。DNA鑑定されたら、犯行がバレるかもしれない。そう考えた男――黒い靄の男は、二人を仲間割れで死んだように見せかけることに決めた。
黙って辞めてしまう人間が多い仕事だと、急に来なくなっても職場から探されることはまず無い。家族とはとうの昔に縁を切っていたし、東京へ出てくる前の故郷には十年以上帰っていない。行動をともにしていたと呼べるのは、殺した二人だけ。いなくなっても、探される心配はない。
杜撰な計画は上手くいったように思えて、東北の田舎へ逃げてきた。何食わぬ顔で生きようとしてた矢先、事故に遭い、記憶を失った。
シロさんが車内で語っていた通りだった。
事情聴取が終わって、警察署を後にする。
駐車場から見える月は、雲間から遠くに見えた。そういえば、今日はずっと曇りだった。
「……死ぬかと思った」
非難の籠る言葉を零しながら、心から安堵の息を吐き出した。一日がやっと終わった。白い息はふっと広がって、すぐ冷え込んでいる空気に溶ける。東北の三月はまだ寒さが残る時期だ。日中は日差しが暖かい時間もあるけれど、朝晩は冷え込む。肌に触れる空気の冷たさに、もう一枚着てくれば良かったと思った。
「死ななかっただろ」
平然と返してきたシロさんを睨みつけて、今度は溜息を吐く。
「でも思いきり肘ぶつけましたよ」
「すまん、それは悪かったな。傷や痛みがあるなら手当してもらいに戻るか?」
「傷は出来てない、と思いますけど……」
そっと触れて確かめたが、もう痛みはない。
運転席へ乗り込んだシロさんに助手席に促されたが、さっきまで殺人犯が乗っていた席には座る気になれなかった。俺は黙って、後部座席へ乗り込んだ。
石巖寺へ着いたのは夜の二十二時を過ぎてからだった。住職には「遅すぎる」とシロさんとともに叱られ、家に帰っては母に「遅くなるなら連絡しなさい!」と怒られた。
長時間緊張していたせいか、布団に入ると気絶するように眠りについた。
翌日、相談所の扉を開けると、和華子さんが駆け寄って来た。
「昨日大変だったんだね、大丈夫? まさか殺人犯とドライブしてたなんて驚いちゃった……もうシロさんってば!」
和華子さんはシロさんや荒屋敷さんたちから経緯を聞いたそうで、シロさんに怒ったり俺を心配してくれたりと忙しかった。
「黙ってて悪かったよ。本人を目の前にして『怪しいから様子を見ている』なんて言えないだろ?」
コーヒーを口にするシロさんは悪びれなく笑ったけれど、今回の件は未成年を夜遅くまで連れ回したことを理由に俺に特別手当を出すようオーナーに言ってくれたらしい。
シロさんはあの男を見かけたときに、俺と同じように男の顔を覆う黒い靄に気付いた。顔が見えないほどではなかったが、何かに憑りつかれているのか、祟られているのか。一応話だけでも聞いておくかと思い、声をかけた。そして、男が視線の先に二人の男を見ていることを知った。
「二人の男、って何ですか?」
「ああ、殺した男たちの姿を見ていたらしいんだ」
病院で見かけたとき、何もない受付の横を気にしてチラチラと気にしていたらしい。シロさんには何も見えなかったが、見えているふりをして話を聞けば、「男が二人立っている」と言ったそうだ。
「その時点では、何を見ているのか分からなかった。俺には見えなかったしな。ただ明らかに何かに憑かれているような様子だったし、偶然呪われた善良な市民なのか、祟られるべくして祟られているのか、確認してみようと思ったんだ」
少し様子を見て、前者なら助けてやろう、後者なら状況次第で考えよう、と。シロさんはそう言って、「しかしまさか殺人犯だったとはなぁ」と感心したように呟いた。
シロさんは東京で行われていた捜査協力に所員二人を合流させ、情報を逐一報告させていたらしい。男から聞き出した男二人の詳細が、遺体の状態と合致していたため、目の前の男は偶然にも事件と繋がっていると確信したそうだ。
「化粧台は今朝、住職が供養して燃やしてくれたそうだ。女性の幽霊が憑いていたんだろうな。同棲していたカップルの女性が殺されていたことから見ても、恋愛関係の縺れや恨み、負の感情を抱えて長い間存在し続けていた」
「……あれ、そういえば運び出すときに紐で縛ってましたよね? あれってしめ縄じゃなかったんですか?」
簡易的にでも封をしていたなら、あの男の元に行ったのはおかしいような……。そう思ったが、シロさんは「家具を縛る用の紐を借りたんだよ」とけろりとしていた。ただの紐だったのか。
「あ、ちょうどやってますよ」
俺のところへ紅茶を運んできてくれた梨奈さんが、テレビを指差した。つられて視線を向けると、ローカル放送のニュースが流れていた。テロップには、『女性連続殺人 犯人の身柄を確保』と表示されている。無音のテレビ画面で、アナウンサーが深刻な表情で読み上げる内容を、文字起こしが語っていた。あの男のことだった。
「ひどい……」
ぽつりと呟いたのは、和華子さんだった。ニュースによると、片手じゃ足りない数の女性が殺されていたらしい。
幽霊や妖怪は、怖い。
脅かされることは多いし、単純に気味が悪くて、理屈の通らない恐怖がある。昔から見えないものが見えていたせいで、人から気味悪がられることも多かった。
けれど死んでいる人間より、生きている人間のほうが怖いと思うこともある。
そういえば、遺品整理業社で連絡の取れなかった従業員ってどうなったんだろう……。
ふと湧いた疑問は、ドアベルが鳴り新たな相談者が現れると、どこかへ行ってしまった。
第1章『記憶の無い男』 完




