2-6. 消えた桐箱
俺は重い足を引きずって、母屋の中へ戻った。
広い玄関に入るとやはり空気の重さが違う。相変わらず小さな影もウロウロしていて、その数が増えているような気もする。
そのまま二階の子供部屋へと向かった。シロさんに言われたからじゃないけど、さっき泣きそうな顔をしていた夏美ちゃんのことが気にかかっていたから。母親の佑香さんが一緒に行っていたし、小さい子供の慰め方を知らない俺が行く必要はないと思う。でも子供部屋はこの家の中にあって唯一と言える明るい空間だったから、自然と足が向かってしまっていた。
静かに二階へ上がり、子供部屋の障子戸をそっとノックする。
「藤見です。あの、入ってもいいですか?」
「どうぞ」と、聞こえたのは大人の女性の声だった。
開けると、そこだけは一階の重苦しさが嘘のように、明るく柔らかな空気が流れていた。
「……あ、お兄ちゃん」
春斗くんが俺に気づいて声を上げた。ローテーブルの手前、ラグの上に夏美ちゃんを挟んで春斗くんと和美さんが座っていた。佑香さんはいないようだった。
和美さんは自分のスマートフォンを二人の間に置き、何か動画を見せているようだった。画面からは「ワン、ワン!」という犬の鳴き声が聞こえてくる。
「……夏美ちゃん、大丈夫?」
俺が声をかけると、夏美ちゃんは少し目を赤くしていたけれど、小さく頷いた。
「うん……今、ぷちの動画見てる」
近くへ行って覗き込むと、画面の中では小柄な柴犬が尻尾を振って走り回っていた。夏美ちゃんはまだ笑顔とまではいかないけれど、その様子をじっと見つめて、少しずつ落ち着きを取り戻しているようだった。
「あの、……先ほどは驚かれたでしょう。お見苦しいところをお見せして、すみません」
和美さんが申し訳なさそうに俺を見上げて言った。
「いえ、俺は大丈夫です。……あー、なんか、サキさん、機嫌が悪かったみたいですね」
こういうとき、シロさんだったらもっと気の利いたことを言うんだろうな。
「……昨日はもっと、こう……穏やかな感じ、だった気がするんですけど」
言葉を選んでそう言ったけど、もう正体が妖怪だと分かっている以上、自分で滑稽なことを言っている気がした。
でも和孝さんも和美さんも驚いているというよりは、怒ってる、怯えているようだったから、ああいう態度を見せたのは初めてじゃないのかもしれない。シロさんはそこまで賢い妖怪じゃないと言っていたし、感情のままに態度を変えていたのかも。
そんなことを考えていると、
「……私、彼女に嫌われているみたいなんです」
和美さんが、ふと自嘲気味に呟いた。
「えっ、そうなんですか?」
「ええ。私がいる時は、いつもああやって刺々しくて……。廊下ですれ違うときなんかは、露骨に避けられていました。……私、彼女に何か失礼なことでもしてしまったのかもしれません」
困惑したように眉を下げる和美さんを見て、俺は考え込んだ。
サキさん……野狐が、特定の誰かを嫌っているってことだよな。妖怪にも好き嫌いとかあるんだろうか。
和幸さんの痩せてやつれている様子を見るに、彼はたぶん取り憑かれている状態だ。厳密には「取り憑かれている」というのはちょっと違うのかもしれないけど、サキさんとずっと一緒にいることで、だいぶ影響は受けてしまっているんだと思う。生気が吸い取られている、とでも言うのか。
野狐が何匹いるのかは分からないが、家全体に影響が出ている結果が孝蔵さんの体調不良とそれが続いたことによる死なんだとしたら、個人的に影響が大きいのが和幸さんか。
和孝さんは、まだそこまで影響が出ていない気がする。時折様子がおかしくなることもあるけど、すぐ正気を取り戻すし……でももしかしたら多少の自覚があるからこそ、うちみたいな怪しいところに相談したのかな。
和美さんは嫌われているとは言うけど、彼女本人に様子がおかしいことはない。会ってまだ数時間だけど、至って普通の人に見える。あ、でも孝蔵さんが体調を崩すようになってから、和美さんもこの家に来ると少し具合が悪くなるって言ってたっけ。
「サキさんって、いつから和幸さんと付き合ってるんですか?」
「え?」
聞き返されて、あまりに不躾な質問だったかと思ったが、和美さんは斜め上を見るように視線を動かしながら十秒くらい考えると、
「たしか、お父さんが倒れてから……数ヶ月後だったと思います。私は初めて彼女を家に連れてきたときはいなかったので、どういう雰囲気だったのか分かりません。でも兄さんから話には聞いていました。『和幸が彼女を連れてきた』って」
この兄さんは和孝さんのことだよな。やっぱり和孝さんと和美さんはけっこう仲が良さそうだ。
「……その、こんなこと聞いていいのか分からないんですが、あの二人ってどういう風に知り合ったんですか? なんか……けっこう歳が離れて見えるなって思って」
失礼なこと言ってるかもしれないと思ったが、和美さんは特に気にした様子もなく答えてくれた。
「『家の近くで知り合った』って言ってたそうです。あ、家ってこの家です。年齢が離れているのは見てすぐに分かったので、兄さんも不思議に思って聞いたみたいなんですけど……詳しいことはあまり」
そう言いながら、子供たちを気にしてちらりと視線を夏美ちゃんと春斗くんへ向けたが、二人はスマホの画面に見入っていた。
「最初は感じの良い人だったみたいなんです。美人だし、いつもニコニコしていて、『和幸があんな美人捕まえるなんて』って父も喜んでいたみたいで。でも兄さんは『和幸が付き合うにはちょっと若すぎるんじゃないか』って……サキさんのいないところで、和幸兄さんに言っちゃったみたいで。『本当にちゃんと付き合ってるのか』って、兄さんなりに心配していたみたいなんですが、ちょっと正直すぎるんですよね。もう少し上手いこと聞けばいいのに……」
そう言って口を閉じた和美さんは、寂しそうに目を伏せる。
和孝さんはサキさんのことを、妖怪とは気づかなくとも、ある意味怪しい存在として警戒していたのかもしれない。
佑香さんはよく分からないけど、子供たちは何の影響も受けてなさそうに見える。さっきはサキさんに怒鳴られて泣いていた夏美ちゃんも、春斗くんも至って普通、健康そうに見えるし。
何よりこの子供部屋が明るくて、空気が綺麗だ。
なぜなんだろう、場所の問題とか? だったら他の二階の部屋も見せてもらったほうがいいかな。でも今はシロさんいないし、案内してもらってない部屋に勝手に入るのは良くないよなぁ……。
結局、桐箱はまだ見つかってない。もう一回くらい書斎と寝室を見ておいたほうがいいのかな。でも和孝さんが探したって言ってたから、俺一人で探したところでたいした収穫は得られなそうな気もする。
このあとどこに行くか考えたとき、ふと思い出した。
玄関で鍵の仕舞い場所を教えてもらったとき、和孝さんはこう言ってた。
『この中に鍵を入れているんです。車の鍵、家の鍵、蔵の鍵……引き出しの鍵もここに置いていました。これです』
この家には蔵があるんだ。和孝さんは何も言ってなかったけど、探したのかな。もし和幸さんや博さん、身内が盗んだなら持ち出す前にこっそり隠してたりしそうな気もするけど。
庭の方かな、和孝さんに聞いてみよう。
・
早く帰りたいな。それか、どこか別なところに行きたい。
一番広いはずの客間は、家族四人でいたらそのありがたみも失せてしまう。ただでさえ、お父さんもお母さんも人の倍の横幅があるんだもん。
ここに来てからずっと、溜息ばかりついてる気がする。スマホを眺めても、欲しい友達からの返事はきてないのに、どうでもいいクラスメイトのタイムラインの通知が並んでいる。充電の残りはあと二十三パーセントしかない。すぐ無くなっちゃうじゃん。コンセントはお兄ちゃんが繋いだままスマホのゲームしてるから、充電したいって言ってもどうせ代わってくれないだろうな。
せっかくの春休みなのに、お通夜の日からずっと孝蔵おじいさん――今はもう、和孝おじさんの家だ。
「朱里、どこ行くの?」
立ち上がって障子に手をかけたら、お母さんが声をかけてきたけど、視線はテレビに向いていた。私の方は見てない。
「……トイレ」
それ以上何も言われなかったから、私は部屋を出た。
孝蔵おじいさんが亡くなったのは、急だったと思う。なんとなくそう思うだけかもしれないけど。
孝蔵おじいさんは、それまでも病気がちで寝てることが多かったけど、病名がちゃんとついてたわけじゃない。お父さんは「おじさんも歳だからな」って言ってたけど、その度に何か知ってるような含み笑いをうっすら口元に浮かべてた。心配してるような振りしてお見舞いに行っていたけど、本当は心配なんてしてなかったと思う。
私のおじいちゃんはよく、孝蔵おじいさんの悪口を言ってた。
「兄貴だけずるい」
「兄貴は幸運を呼ぶ何かを持ってる。そのおかげで成功してる。兄貴の実力じゃない」
「俺もあれがあればきっと上手くいってた」
「さんざん自慢したあとに、『たいしたものじゃない』なんてもったいぶりやがって」
「結局中身を教えてくれないし、見せてもくれない」
「俺の幸運もあいつに持っていかれてるに違いない」
同じように、お父さんも孝蔵おじいさんと和孝おじさんの悪口ばっかり言ってた。
子供の頃は時々、お正月や夏休みにこの家へ来ていた。
悪口ばっかり言っていたくせに、お父さんは何かあるとこの家へ来ていた。嫌いなら会わなきゃいいのにね。
初めて来た時、すごく大きな家だと思った。立派なお金持ちの家だって。いるのかいらないのかもよく分からない物で溢れてて、掃除もちゃんと出来てない狭いアパートに暮らすうちとは大違い。
でも孝蔵おじいさんのこと、悪い人だと思ってた。ずっと悪口を聞かされて育ったから。嫌な人が暮らす家だから、「周りは田んぼばっかり」「大っきくても、古くて畳の部屋ばっかりなんてダサい」ってお兄ちゃんと笑ったりしてた。
私が小学生のとき、和孝おじさんが結婚した。佑香さんのこと、お父さんとお母さんも「地味でつまらない人」って言ってた。そうなんだ、つまらない人なんだって思ってた。
でも佑香さんは優しくて、お母さんより料理が上手だった。お正月や何かあってこの家に来る時、お母さんは手伝わずに文句ばかり言ってたけど、佑香さんは嫌な顔はしないで、美味しいごはんを用意してくれた。
この家の人と比べたからってだけじゃなくて、学校に行くようになって、友達と遊んだり、部活をするようになって、その家族に会ったり接すると、嫌でも徐々に理解するようになった。道徳や、世間一般の常識的なものさしで測ったら、自分の親のほうが『良くない』人たちで、その親が悪口言ってる人達が『良い』人たちなんだって。
でも理解したくなかった。
だって私は、生まれた時から『良くない』グループに所属してるってことだから。
一階の客間から廊下を渡ると仏間がある。
そこを抜けて孝蔵おじいさんの書斎や寝室側に来れば、縁側から庭が見える。反対側にも庭はあるけど、こっちのほうがなんとなく好きだな。庭園みたいに広い庭じゃないけど、昔はここで鬼ごっことか隠れんぼした。まだすごく小さかった夏美ちゃんと春斗くんと遊んだ記憶はそれくらい、二人が小学生になってからは全然しゃべったりもしなくなった。
縁側の窓を開けて、サンダルで庭に出た。
ちょっと寒いな、風はないけど、昼過ぎでも気温は低い。いつ春になるんだろ。もうすぐ新学期なのに、四月になったら暖かくなるのかな。
庭の木は冬だから枯れてるし、葉も茶色。冬の景色ってちょっとつまらない。それに昔はもっと、冬でも木の葉の形が綺麗に整ってた気がする。昔は定期的に孝蔵おじいさんが手を加えていたらしいけど、最近は誰もやってないのかな。
庭の隅にある植え込みは少しだけ形が崩れていた。
眺めてたらなんとなく、孝蔵おじいさんの顔を思い出した。
今思えば、孝蔵おじいさんは特別優しい人じゃなかったけど、本人を前にして嫌だとか怖いって感じたことはなかった。お父さんとおじいちゃんが言うから嫌な人なんだと思い込んでたけど、私自身何かされたことも言われたこともない。優しいと思ったこともなかったけど、それは私がお父さんの子供だったからかな。時々おじいちゃんやお父さんとは喧嘩してたみたいだし。
……嫌いな相手にお金を借りに行くって、どんな気持ちなんだろ。
よくこの家に来ていたのは、貧乏だったから。お正月とか、ここに来れば美味しい物が食べられた。「いっぱい食べなさい」ってお母さんが言ってて、そうしてたけど、だんだん恥ずかしくなった。だってうちは何も持ってこないし、お金も払ってないのに、親戚だからって当然のように美味しいもの出してもらって食べてるの。お父さんは「この家にはお金があるんだからいいんだ」って言ってたけど、私はそれは違うと思った。なんだか恥ずかしいことをしてるって思ったけど、なぜなのか上手く説明は出来なかった。
だから中学に入ってからは、「部活があるから」「友達と遊びに行くから」って理由を作って、私だけはなるべく一緒に来ないようにしてた。
庭の砂利道を、ゆっくりとサンダルで歩く。
歩くたびに小さく石と石がぶつかる音がする。靴下につっかけサンダルって、滑って歩きにくい。
孝蔵おじいさんが死んだって聞いた時、悲しいとは思わなかった。お年玉もくれたし、お世話になってるって頭では分かってるんだけど、あんまりその実感はなくて。
それに、少し前――中学3年生の夏くらいに来たときから、この家はどんよりした空気で暗くなっていた。孝蔵おじいさんが病気になったから、そういう雰囲気に見えるのかなって思ったけど、それにしても、全体的に見えないカビが生えてるみたいな、気持ちの悪い感じがした。だから余計来たくなかった。
もちろん孝蔵おじいさんが死んだことを嬉しく思ってるわけじゃない。けど、ちょっとだけホッとした。抱えてた罪悪感が楽になった気がした。
孝蔵おじいさんとの個人的な思い出は一つだけ、といっても一方的なものだけど。
まだ小学生だった私は、おじいちゃんとお父さんが言っていた、孝蔵おじいさんが持っている幸運を呼ぶ物が気になっていた。中身が何か分からないけど、それがあればお金持ちになれるって思った。それにもし中身が何か分かったら、おじいちゃんとお父さんが喜んでくれるかもって。
たしか春斗くんが産まれたばかりで、孝蔵おじいさんも茶の間にいたとき。トイレに行くって言って、私はこっそり孝蔵おじいさんの書斎に行った。お父さんは「キリ箱」って言ってたけど、その頃の私はキリが何なのかよく分かってなかった。でも木の箱だってことはなんとなく分かったから、引き出しを順番に開けていった。たぶん鍵がかかっていなかったのは、本当にたまたま、掛け忘れていたんだと思う。
一番下の大きな引き出しの中に木の箱があった。薄い茶色の木目の箱で、なんだか高級そうに見えた。そっと蓋を持ち上げると、中には……。
「えっ」って声が出た。だって、まさかこれが幸運を運ぶすごいものだとは思えなかった。てっきり神様の形をした置物とか、金色の石とか、宝石で出来た飾りとかが入ってるんだと思ってた。だから間違えたのかな、この箱じゃないのかもしれないと思って、蓋を戻した。
トイレに行くって言って出たから、遅いと怪しまれるかもしれないって思ってそのあとすぐ戻ったけど、今思えばたぶんあれで合ってたんだと思う。
砂利道を進んでいくと、この家と同じ黒い小さな屋根が見えてくる。石の塀に囲まれた庭の奥には、小さな蔵がある。昔隠れんぼしたとき、たまたま鍵が開いていたこの蔵にこっそり隠れたら、なかなか見つけられなかった春斗くんが泣き出しちゃったんだっけ。
十畳くらいの蔵の中には、たしかアルバムとか和孝おじさんと和幸おじさんが昔使ってた子供用の自転車とか、そういう要らないけど捨てられない物が入ってた。埃が多くて、隠れんぼのあとしばらく、くしゃみが出た気もする。
孝蔵おじいさんのお通夜とお葬式が終わってから、和孝おじさんが「父の大事にしてた桐箱を知りませんか」って、私たちが泊まってる客間に来た時は、ちょっとびっくりした。
すごく焦ってるみたいだったし、お父さんとお母さんへ向ける視線はちょっと疑ってるみたいだったし。お父さんたちもびっくりしたみたいで、「無くなったのか?!」って。
お父さんは桐箱を欲しがってた。桐箱の中身が手に入れば、仕事で成功して大きな家に住めるんだって。
孝蔵おじいさんは無理でも、和孝おじさんなら言いくるめて貰うか盗ってくるか出来るって、お母さんと二人で話してるのを聞いたことがある。
貰ったって無駄なのに。私の言うことなんて信じないから、中身のことは言わなかったけど。
結局いつの間にか無くなってた桐箱は見つからなくて、その後どうなったのかは分からなかったけど、昨日遺品整理業者って人たちを呼んでた。
大人を集めた茶の間で紹介される前、お父さんとお母さんは既に聞いてたみたいで、会う前からぶつぶつ文句を言ってた。
「しらばっくれちゃって、どこに隠したのかしら」
「いや、もしかしたら本当に和幸が持ってったのかもしれない。桐箱が無くなったら、わざわざ家にあんなものを置いた意味がないのに……」
「本当に効いたのか分かんないけどね」
「効いてるだろ、現に孝蔵おじさんは……」
何の話をしてるのかは分からなかったけど、お父さんもお母さんも桐箱が欲しいから、この家にいる滞在期間が伸びてるのは分かった。
遺品整理業者は二十代後半くらいの男の人と、もっと若い、お兄ちゃんと同じくらいの男の人の二人。どっちも思ってたより若かった。作業着を着たおじさんたちがいるんだと思ってたから。
紹介されている間、和幸おじさんも、お父さんもお母さんも嫌な態度をしていて、居心地が悪かった。私は関わりたくなくて、ずっと下向いてスマホを見てた。
桐箱が無くなったって、本当なのかな。お母さんは「しらばっくれて」って言ってたけど、和孝おじさんはそんなことしなさそうだけど。
和幸おじさんが盗んだのかな。だとしたら中身を見てがっかりしたかもしれない。
一応ご利益がありそう物ではあったけど、仕事が成功するとかお金持ちになれる、なんてそんなすごい効果のあるものじゃないと思うから。
それにさ、幸運を運ぶものなんかじゃないって、ちょっと考えれば分かるじゃん。
和子おばあさんは交通事故で死んじゃって、和孝おじさんと和幸おじさんは昔からあんまり仲良くない。いくら仕事が上手くいったって、それって幸せなの? 孝蔵おじいさんは病気で死んじゃってるし、幸せになってないじゃん。
あれは孝蔵おじいさんは頑張ろうと思える、やる気の源だったのかもしれないけど、お父さんやおじいちゃんが持ってたって意味ないよ。いつも悪口と文句ばかり言ってるような人は、きっと頑張れない。
だって、あれは……
「あ、朱里さん?」
急に声をかけられて、びくっと体が跳ねた。
砂利に落としてた視線を上げると、蔵の前に男が立っていた。
昨日和孝おじさんに紹介された遺品整理業者の、若い方。その人が一人で蔵の前に立って、こっちを見ていた。




