第6話 『焚き火のそばで』
森に残る血と焦げた匂いが、戦いの余韻を強く漂わせていた。
アイリスは剣を鞘に戻しながら、まだ速く打つ心臓を抑えるように胸に手を当てる。さっきまでの死闘の緊張が解け、膝がわずかに震えていた。
「……危なかったね」
小さく漏らした彼女の声に、ルシアンは背を向けたまま答えない。代わりに影がふっと収まり、彼の姿が闇から浮かび上がる。
「あなたが……いなければ、私は死んでいた」
アイリスは真っ直ぐにその背に声を投げかけた。
「やっぱり、あなたは……悪なんかじゃない。人を救える力を持ってる」
ルシアンは振り返らない。だがその横顔は、焚き火に照らされて微かに歪んでいた。
「……救う? 俺が?」
低く、嘲笑のような声。
「俺は魔王だ。人を滅ぼし、世界を絶望に沈める存在だ。……そう刻み込まれている」
その声には、どこか自分に言い聞かせるような硬さがあった。まるで「悪でなければならない」と必死に自分を縛り付けているように。
アイリスは首を横に振った。
「それは違う。さっき、あなたは私を助けてくれた。あれがもし“本当の悪”なら、わざわざ影を操って守ったりはしない」
「……」
「それに」
アイリスは少し息を飲み、勇気を振り絞って言った。
「さっき戦ってるとき、背中がすごく頼もしかった。もし、あなたが……その力を人を護るために使うなら……私は——」
言葉は途中で途切れた。自分でも何を言おうとしているのか、まだ分からなかった。
ただ一つ、心に芽生えたのは「この人を信じたい」という強い想い。
ルシアンはそんな彼女の瞳を一瞬だけ見つめ、すぐに視線を逸らす。
胸の奥に、忘れていた感情がかすかに疼く。
だが、彼はその芽を必死に踏み潰そうとした。
「……勘違いするな。俺は“魔王”だ。人間と馴れ合うつもりも、更生するつもりもない」
冷たく突き放すように言い捨てる。
だが、その声音には揺らぎが混じっていた。
アイリスはそれを敏感に感じ取る。
「……ふふ」
彼女は小さく笑った。
「じゃあ、私は勝手に信じるわ。たとえあなたが魔王だとしても、私にとっては……命を救ってくれた人だから」その言葉に、ルシアンの心臓が不意に跳ねた。
彼女の真っ直ぐすぎる眼差しを見ていると、胸の奥の黒い鎖が少しだけ軋むのを感じる。
ルシアンは苛立ちを隠すように焚き火に背を向け、低く吐き捨てた。
「勝手にしろ」
だがその背中は、先ほどよりもほんの僅かに——弱々しく見えた。