表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/37

【第四話】 土俵の外の女たち


シンデレラ、十六夜咲の二連勝。


そのニュースは、ネオジャパンのスポーツ紙や週刊誌の見出しを派手に飾っていた。だが、週刊誌『週刊文寸ぶんすん』の契約記者、涼風涼子すずかぜりょうこ――通称“ゴシップお涼”は、その熱狂を冷めた目で見ていた。


彼女が陣取るのは、国技館の記者席ではない。国会図書館の、カビ臭い書庫の一角だ。目の前には、過去数十年分の『月刊マンコ相撲』のバックナンバーが山と積まれている。


(十六夜咲、十六歳。田舎の無名部屋、十六夜部屋の所属…。クリーンすぎる。シンデレラストーリーなんて、大衆は喜ぶけど、あたしが欲しいのはそんな上っ面じゃない)


ハイエナのような鋭い目で、彼女はマイクロフィルムの画像を睨む。欲しいのは、シンデレラのガラスの靴に隠された、泥や垢だ。

「あった…」

お涼は、今から三十年前の古い名鑑に、一つの名を見つけてほくそ笑んだ。


【元大関・十六夜いざよい 撫子なでしこ


咲の師匠であり、祖母。その記録の末尾には、こう記されていた。

【理由非公開のまま、協会より追放処分】


「…引退じゃなく、“追放”。これよ、この匂い…」

お涼は、獲物を見つけた肉食獣のように、不気味に口角を吊り上げた。


その頃、ネオジャパン最強の力士たちが集う名門、龍炎寺部屋は、静かな緊張感に包まれていた。

最新鋭のトレーニングマシンが並ぶ稽古場。中央の土俵では、若い力士たちが汗を流している。しかし、その空気は殺伐としていた。


「あら、ごめんなさい。手が滑ってしまったわ」

部屋のナンバー2である麗華れいかが、四股を踏んでいた下級生の足元に、わざと給水ボトルの水をこぼす。下級生はビクリと体を震わせるが、何も言えずに黙々と稽古を続ける。

その光景を、横目で見ながら、別のグループの力士たちが囁き合う。

「聞いた? 咲とかいう小娘、天知さんの解説だと、横綱の『万物吸引』を破る可能性があるんですって」

「馬鹿らしい。横綱が、あんな田舎娘に負けるものですか」

「そうよねぇ。でも、横綱ももう三十二歳。そろそろ…ねぇ?」


嫉妬、羨望、そして野心。横綱という、たった一つの玉座を巡る女たちの欲望が、ねっとりとした瘴気のように稽古場に渦巻いている。


その空気を、たった一人の人間の登場が、一瞬で切り裂いた。

龍炎寺貴和子。

稽古着姿の彼女が、すっと稽古場に足を踏み入れた瞬間、全ての私語が止み、空気は氷のように張り詰めた。


貴和子は、渦巻く欲望の中心にいながら、その何一つにも興味を示さない。ただ、冷たく、そして絶対的な女王として、そこに君臨している。


「…随分と、楽しそうじゃないの」


静かな、しかし芯のある声が響く。


「お喋りする時間があるなら、その口で互いの性器でも舐め合って、感度でも高めておいたらどうかしら? それとも、四股を追加で五百回、踏みたいのかしら?」


「「「申し訳ありませんでした!!」」」

力士たちが、蜘蛛の子を散らすように稽古に戻る。貴和子は、その光景に鼻を鳴らすと、自らも土俵へと向かった。

(小娘一人の勝利で、揺らぐ程度の忠誠心…。我が部屋も、焼きが回ったものね)

その瞳には、咲への苛立ちと共に、自らが作り上げたこの「城」の脆さに対する、微かな失望の色が浮かんでいた。


深夜。お涼は、馴染みの情報屋――協会を不祥事でクビになった元職員の男と、安酒場で向かい合っていた。


「…十六夜撫子のこと、ねぇ。お嬢ちゃん、またヤバいとこ突っつくねぇ」

男は、お涼がテーブルに置いた分厚い封筒を懐にしまいながら、声を潜める。

「あの名前は、協会のタブーだよ。特に、龍炎寺部屋の前ではな」

「どういうこと?」

「昔、どっちが先に横綱になるかって、撫子と龍炎寺部屋の先代――つまり、今の横綱の師匠が、そりゃあもう壮絶なライバル関係でね。人気も実力も、完全に二分してた」

「……」

「だが、ある年の『天下一番相撲会』の決勝で、事件は起きた。撫子が、龍炎寺の先代を“壊しちまった”んだよ。再起不能になるほどの、えげつない“禁じ手”でな。その結果、撫子は追放。龍炎寺部屋は、絶対的な権力を手に入れた。…表向きは、そうなってる」

「表向き?」

お涼の目が、鋭く光る。

男は、酒をぐいっと煽ると、さらに声を潜めた。


「…妙だと思わねえか? その決勝戦の映像、なぜか協会から完全に消されてんだよ。そして、その試合の行司…当時の人気ナンバーワンだったんだが、試合直後に、謎の失踪を遂げてる」


禁じ手。追放された伝説の力士。消された映像。失踪した行司。

そして、その伝説の孫娘が、三十年の時を経て、龍炎寺の女王が君臨する土俵に上がってきた。


「はっ…!」

お涼は、思わず笑い声を漏らした。点と点が、線で繋がり、巨大なスキャンダルの輪郭を描き始める。


「面白くなってきたじゃないの…!」


シンデレラの物語は、復讐劇の序章に過ぎなかった。

土俵の外で、静かに、しかし確実に、新たな戦いの火蓋が切られようとしていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ