【夏のホラー2025】井戸の底
夏、田舎、肝試し、そして井戸。ホラーの王道を、俺なりの調味料で仕上げてみた。読んだ後、水が怖くなっても、俺は知らねえぜ。
じりじりと肌を焼くような夏の日差しと、どこまでも続く蝉時雨。僕、ケンタが生まれ育ったこの田舎町は、退屈だけが取り柄のような場所だった。
そんな町で、僕たち子供の間でまことしやかに囁かれている噂が一つだけあった。町の外れ、廃神社にある「のぞき井戸」の伝説だ。
「あの井戸を、満月の夜に覗き込むと、水面にもう一人の自分が映るんだと。そいつと目が合ったら、魂を抜かれて、入れ替わられるんだってよ」
くだらない。子供だましの、ありふれた怪談だ。そう思っていた。だから、同級生のダイキが「今夜、肝試しに行こうぜ」と言い出した時も、僕は、余裕たっぷりに頷いてみせたのだ。
その夜。僕たち三人は、懐中電灯の頼りない光だけを頼りに、廃神社へと続く、獣道を進んでいた。湿った土の匂いと、草いきれが、じっとりと肌にまとわりつく。
「……ここだ」
鳥居は朽ち果て、社は蔦に覆われている。その脇に、古井戸は、まるで黒い口を開けたまま、静かに佇んでいた。満月が、不気味なほど青白く、苔むした井戸の石垣を照らしている。
ジャンケンの結果、僕が最初に覗き込むことになった。
「べ、別に、怖くなんてねえよ」
強がりを言いながら、僕は井戸の縁に手をかけた。ひやり、と、石の冷たさが汗ばんだ手のひらに伝わる。ゆっくりと、身を乗り出し、暗い、暗い、井戸の底を覗き込んだ。
ひゅう、と、下から、カビ臭い、冷たい空気が這い上がってくる。
井戸の底は、暗闇だった。月明かりは、その深い闇の、ほんの上澄みを撫でるだけ。水面は、どこにあるのかさえ分からない。
僕は、目を凝らした。闇に目が慣れてくると、ぼんやりと、水面らしきものが光を反射しているのが見えた。そして、そこに映る、僕自身の影。
なんだ、やっぱりただの噂か。
そう思った瞬間、ぞくり、と背筋が凍った。
水面の僕は、僕と同じ動きをしていない。僕が息をのむと、水面の僕は、にやり、と笑ったような気がした。そして、まるで、僕を井戸の底へと引きずり込もうとするかのように、水面の影が、ぐにゃり、と歪んだ。
僕は、悲鳴をあげそうになるのを必死でこらえ、井戸から飛びのいた。
「どうした、ケンタ?」
「……な、なんでもねえよ。ただの古井戸だ。何も映らねえ」
震える声を悟られないように、そう答えるのが精一杯だった。
帰り道、僕は、ずっとおかしかった。友達の声が、どこか遠くに聞こえる。自分の足が、まるで自分のものではないように、フワフワと覚束ない。まとわりつくような夏の夜の熱気が、なぜだか、ひどく冷たく感じられた。
家に帰り、シャワーを浴びて、布団に潜り込む。だが、眠れない。あの、井戸の底の、黒い闇が、瞼の裏に焼き付いて離れないのだ。
夜中、耐え難いほどの喉の渇きで、僕は目を覚ました。まるで、何日も、砂漠を彷徨っていたかのような渇き。
僕は、ふらつきながら台所へ向かい、蛇口をひねって、ガラスのコップに水を注いだ。冷たい水が、コップを満たしていく。
それを、一気に飲み干そうとして、僕は、動きを止めた。
コップの水面に、僕の顔が映っている。
だが、その背景は、僕の家の、見慣れた台所ではなかった。
苔の生えた、丸い、石垣。
水面の僕は、僕の部屋着ではなく、学校の制服を着ている。そして、その顔は、恐怖と絶望に歪み、助けを求めるように、こちらを、下から、見上げていた。
コップの中の水は、井戸の底と繋がっていたのだ。
水面の「僕」が、声なく叫ぶ。
『助けて』
だが、コップを持っている「僕」は、ただ、その光景を、無感情に見つめていた。
窓ガラスに映る、僕の姿。その口元が、ゆっくりと、三日月のように吊り上がっていくのを、僕は、どこか他人事のように、眺めていた。
じっとりした、嫌な汗をかいただろ? 自分のいる場所が、本当に「こっち側」なのか、たまに不安になるよな。それが、ホラーの面白いところだ。