再び火は灯る
「本当に空気が読めない妹ね」
苛立った声が美影の口から溢れる。
『蠱毒』の外に出た美影の目に真っ先に映ったのは『蠱毒』を覆う大結界……『楼閣』だった。
今や『蠱毒』は美影の身体の一部にも等しい状態まで馴染んでいる。
おかげで、肉眼でこそ見えていないが、『楼閣』が卵の殻のように『蠱毒』を地中の根ごと覆い、封じ込めていることもわかる。
だからこそ、美影は苛立ちが募る。
「あぁ、とても不愉快だわ」
美影の口から溢れる言葉、そこには明確な怒りと不快感がこもっていた。
美影は『蠱毒』の根本より血濡れの花道を歩み始める。
『楼閣』は神代の一族の秘技だ。
だからこそ美影にはその秘技の細部まで全てがわかる。
術者が何人いてどこに居るのかさえも手に取るようにわかる。
これほどの大規模展開は普通なら多くの術者を媒介兼リソース供給元として行わなければならない。
だが、現状それは不可能だ。
何故なら、美影が既にほぼほぼ殺し尽くしたからだ。
『蠱毒』を成長させる際、ついでにこの町にいる脅威になりそうな術師共はわざわざ自ら出向いて念入りに殺した。
残っているのは脅威になり得ない残り滓の雑魚どもだけだ。
そう思っていた。
しばらく歩き、美影は対峙する。
無能な役立たず、殺す価値すらない雑魚、美影の願いを邪魔する者……光美に。
「無様な格好ねぇ?」
「姉……さん……!」
瞳から血を流し、息も絶え絶えで光美は答える。
対峙してなお、光美は地面に座り込み自らの両手を地に当てひたすらに『楼閣』へと霊力を流し込む。
霊力……即ち生命エネルギー、命そのもの。
本来、これほどの大結界を展開するには複数人の術者が必要なのには理由がある。
至極単純な話だ。
"一人ではエネルギーが足りない"からだ。
本来、生命エネルギーはどれだけ技術を磨いたものでも殆どはある一定までしか出せない。
身体が生存のために強制的にその供給を止めるからだ。
しかし、光美はそのラインを超えてしまった。
自ら生存を捨て、その魂全てを燃料として燃やし尽くす。
文字通り命を捨てる。
「無様ねぇ、本当に無様。だからこそムカつくわ」
美影の言葉に怒気が混ざる。
本人は気づいていないが、いつもの様な余裕のあるソレとは全く違う。
苛つきながらも美影が結界に指を触れる。
瞬間、触れた先から強烈な痛みが襲い、指が弾き飛ばされる。
「……」
美影は顔を顰める。
不快、光美如きが脅威になるなどと考えてすらいなかった。
才もない、誰からも期待されていない、誰からも求められていない無様な妹。
美影の後ろでいつも怯えて泣いていた光美。
それが今や美影の細やかな願いの邪魔をしている。
「あぁ……本当にムカつくわ」
美影の脳裏に不快極まりない記憶が想起される。
自分と一緒に生まれ、神代としての才は無い。
普通の女の子としてぬくぬくと育った妹が美影の邪魔をする。
不快で仕方がない。
神代美影には才がある。
だから求められた結果を出した。
結果を出したら皆んなが美影を褒めた。
そうしてもっと求めてきた。
父も母も他の奴らもみんなみんな求めてきた。
だから美影は頑張って結果を出した、神代の巫女として完璧に振る舞った、応えつづけた。
いつしかそれが当たり前になった、当然の事になった。
できなければ怒鳴られ、侮辱され、殴られた。
できるようになるまで嫌でも修行させられた。
皆んなが求めるのは美影じゃない、『神代美影』だった。
誰も美影を認めない。
誰も美影を欲しない。
誰も、誰も……
けど、一人だけ『神代美影』じゃない美影を認めてくれた雪奈がいた。
雪奈とずっと一緒にいるためにも『楼閣』は……光美は邪魔だ。
「黒蟲」
美影はふわりと浮かび上がり冷徹に号令を下す。
美影の影から蟲達が無尽蔵に湧き出でる。
「やれ」
その命令を聞いた蟲達が一斉に『楼閣』の外にいる光美めがけて襲い掛かる。
当然、『楼閣』に触れた蟲達は焼き消えていく。
しかし、止まらない。
影から蟲達は湧き出でる。
尽きる事なく止まる事なく影より湧き出で、寸分違わず同じ場所に襲い掛かる。
「ッ……!」
光美の口から鮮血が溢れる。
『楼閣』は光美が自らの命を燃料に張り巡らせたもの。
修復だってただで出来るわけじゃない。
直すのにだって燃料が要る。
燃料が切れれば壊れてしまう。
なら、燃料がなくなるまで壊し続ければ良い。
美影は休む間を与えることなく蟲達を呼び出す。
呼び出された蟲達が雪崩れ込むその様はさながら黒い津波。
「いつまで持つかしらねぇ?」
美影は光美に悪辣に問いかける。
「わた……し、はッ……!」
光美はより一層、結界に自らの命を注ぎ込む。
既に死にかけの身体、これ以上は本当に死んでしまう。
それでもなお光美は自らの魂を燃やす。
「ッッッ! 無様ねぇ! 無意味なのがわからないのかしら? アンタがどれだけ努力したところで無駄なのよ! アンタはワタシより劣っているの! わかったら無駄な足掻きなんてせずさっさと諦めなさいよ!」
美影は声を荒げて叫ぶ。
美影自身でもわからない程に苛立っている。
胸の奥が不快で仕方ない。
気持ち悪い。
「いや……だッ!」
がはっ、と光美は吐血しながらもそう叫ぶ。
不快だ。
不快極まりない。
どれだけ足掻こうと結果は変わらない。
結界は壊れ、光美は蟲達に喰われて死ぬ。
なら、逃げた方がまだマシだ、賢い選択だ。
なのに、光美は足掻く。
「ッッッ! いい加減にしなさいよ! どこまで邪魔をすれば気がすむの⁈アンタなんて……」
美影の言葉が止まる。
言う言葉は決まっていた。
わからないけど、声に出せない。
出したくない。
「くッ……」
光美は身体に走る激痛に思わず声を出す。
瞬間、ビシッという音と共に結界にヒビが入る。
いかに即座に直そうと、それ以上のスピードで攻撃を加えられたら意味がない。
何より、美影と光美には全てにおいて圧倒的なまでの差がある。
「姉さんは私のことが大嫌いだったんだね……」
光美は両手を地面から離し立ち上がり、美影を見上げる。
霊力の供給が無くなった結界は途端にその強度が弱まっていく。
ひび割れはさらに大きく広がっていく。
「それでも……」
結界が完全に破壊される。
蟲の津波が襲いくる。
「私は大好きだったよ……お姉ちゃん」
言い切ると同時に光美は蟲の津波に飲み込まれる。
これで邪魔者は消えた。
不快極まりない妹は死んだ。
清々しいはずなのに、そうであるはずなのに。
胸の奥が痛い。
蟲達に飲み込まれる瞬間、一瞬だけ光美の顔が見えた。
その表情は怒りでも恐怖でも無い、申し訳なさそうな顔で泣いていた。
なんで……
「……還れ」
美影は蟲達に命令を下す。
瞬時に蟲達は美影の影の中へと還っていく。
残されたのはボロ雑巾のような姿で死にかけている光美だけ。
まだ死んでこそいないが、もはや動くことすらままならない状態だ。
……だから、このまま放っておけばいい。
わざわざ自らの手を下す必要はない。
美影はそう自分に言い聞かす。
遠巻きに二匹、式神の気配が急に現れたがどうでもいい。
白犬風情が勝手に出てきたところでもうどうでも良い。
光美の命令すらろくに聞けない駄犬共だ、脅威では無い。
「……犬ども、後は好きにしなさいな」
そう言い残して美影は踵を返し、『蠱毒』へと歩いていく。
酷く気分が悪い。
イライラする、全然快感無い。
「ッ⁈」
そんな美影の思考を裂くようにそれは起こった。
肌でわかるほど莫大な力が嵐のように渦巻いている。
『蠱毒』の遥か上、赤黒い雲を突き破ったその先より降り注ぐ魂の力が。
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身を裂くほど冷気がアキルの身体に突き刺さる。
遥か上空、白楼に乗りアキルは仁王立ちの状態で目を瞑っていた。
たった一日にも満たない時間で起こった様々な事に思いを馳せる。
今、自分に出来ることを成すために。
アキルの瞳が開く、同時にアキルは白楼から飛び降りた。
今のアキルに出来ること、それは……
「全力でぶん殴るッ!」
叫ぶと同時にアキルは自らの右手に魔力を込める。
副王の拳とは違う。
より自分に合わせた、それでいて自らの命を、思いを、その全てを乗せた絶大の一撃へと組み替える。
込められた魔力によって大気は歪み、魔力で編まれた巨大な拳はさながら超巨大隕石が如き質量を得た。
アキルは落下しながらも拳を強く握り締め、今、振り下ろす。
———天より振るわれた拳によって空を覆っていた雲が割れる。
痛み、苦しみ、嘆き、絶望、恐怖……それら全てを破壊し尽くさんが為に振るわれた少女の願いが呪いの桜に鉄槌を下す。
『蠱毒』の枝葉が跡形もなく消し飛んでいく。
しかし幹は少し潰されど砕けない。
それどころか、触れた拳を伝ってアキルの魂を直接蝕み始める。
殺された人々の恐怖が、絶望が、苦痛が、一気にアキルに襲い掛かる。
「ぁッ……!」
常人なら発狂しかねない死者達の感情に侵食されてもなお止まらない、止めてはならない。
それに、わかったことがある。
誰もいないと思っていた呪楼の中で一人、雪奈が泣いている。
「雪奈ァ!」
アキルは雪奈に向かって叫ぶ、自らのを思いを。
「私はアンタ達の過去に何があったかなんて知らない! けど! 今のアンタのことは知ってる! 誰よりも優しくて、誰よりも頑張り屋で、誰よりも強い雪奈を!」
拳をさらに強く握りしめる。
更に魂を込めろ。
命を燃やせ。
「アンタが絶望しているのは拳を通してわかってる! それでも、今だけは……」
自らを焼き尽くすほどの熱量を。
「戦いなさいッ……戦ってよ、雪奈ァァァァア!」
魂を燃やし尽くす程の叫びを拳に乗せる。
だが……
「ワタシの願いを邪魔をするなァ!」
美影の叫びと同時にアキルは気づく、腹部を襲う激しい痛みに、自らの体を突き破る一匹の大ムカデに。
「オマエは無様に潰れて死ね!」
美影はムカデを引き抜き、アキルは再び地面へと落下を始める。
傷は既に致命傷、もはやその命も殆ど使い切ったアキルは天を見上げながら落ちていくことしかできない。
視界がぼやける、体が冷たくなってきた。
ゆっくりと確実な死が迫ってくる。
結局、あれだけほざいておいてアキルは何も出来なかった。
そう思った瞬間。
『蠱毒』を焼き尽くすほどの巨大な火柱が燃え盛る。
身を焼くほどの、それでいて優しい炎。
それを感じたアキルは満足げな笑顔で地へと落ちていった……




