それからの第二話『死ねない勇者は神に背いた』
レイユさんは真剣な顔で、顔以外が動かない俺を見つめている。
「死にたい勇者とは、やっぱり国と教会は俺の思う事もお見通しってわけですね」
「その心は察せますよ、流石にね。モーガスくんなんかは、分からないでしょうけれど」
レイユさんは今までのような温和な笑みで、帽子を俺の机の隣に置く。
出会った頃はまだ白髪混じりだったが、今は心労が祟ったのか、白髪になって、その姿や立ち振舞もも四十代とは思えない程丁寧で、かつ老けても見える。
「ねぇルキフさん、結局私達は、神の名の元に堂々と生きていられるのでしょうか」
「司教様の告白に正しくこたえられる程、俺は人間出来ちゃいませんよ。レイユさんも人が悪い」
軽く茶化してみても、彼の表情は真剣なままだった。
「僕はね、ルキフさん。あれからあらゆる魔法の……魔族が持つ資料も含めて貴方の呪いの解き方を探してきました。そうして、今はそれを諦めました。この意味を、分かってもらえますか?」
「えぇ……まぁ、あの魔王が無いというのなら無いのだろうと、思っていましたからね。俺にそんな時間を割いてくれた事に、感謝をしますよ」
そう言っても、彼の顔は真剣、かつ曇っている。
「尊厳死は、神が許さぬ行為だと、分かっているつもりです、ですが、それでも……私は納得が出来ない。きっとこれは、あの死地を、魔王を見た者にしか、分からない話なんだ」
興奮気味に、レイユさんは語る。
神に仕えながらも、今の俺の状態は、死を望むなら死するべきと、きっと彼は思ってくれているのだ。
「レイユさん。気持ちはありがたい、ありがたいけれど、貴方は司教だ。そんな事を、言っちゃあダメですよ」
「だけれど、神に背いてでも、私は貴方に、貴方が望む救済を捧げたい。貴方がすべき事を全て成した後、どれだけ時間が経っても、救済に導きたいと、そう思っています」
真剣そのものだった。その目には、怒りと悲しみの炎すら見えるようだった。
「それでも、俺は一人では絶対に死ねない。誰かは罪になるんですよ。それを押し付けてまで、死ぬわけにはいかない。いくら、この姿のまま生き続けるのが辛いとしても」
「だから、時間をください。この前、教会を訪ねて来た娘がどうも手に負えなくて、しかしどうも勇者に会いたがっていました。どうやらその日暮らしの賊で、身寄りも無いようです。だから、その子に勇者の教えを説いてやってはくれませんか。その代わりに、少しずつ、なんとかして魔法で検知出来ない毒薬を生成して、運ばせます」
それならば、罪には問われないかもしれない。
「勇者は戦を望む者の呪いで亡くなった。私はそう発表します。であればきっと、後世にも教訓が残り、きっと誰も傷つかずに、済むはずです」
流石に俺達よりも多く歳を重ねている事はあると思った。彼が言う作戦であれば、問題なく事は進むだろう。
「毒薬は、帽子のこの隠しポケットに蓄えさせます。長い時間がかかるかもしれない。だけれど、必ず私は、貴方を救済します。神に背き、神の名の下において」
そう言って、レイユさんは帽子の裏側の隠しポケットを俺に見せてから、その帽子を表側に置いて、遮断魔法を解いた。それと同時に「もう構いませんよ」という声で、彼は世話係達を部屋に引き戻した。
「とても静かでしたが、何をお話なさっていたのですか?」
職務上必要な事なのだろう。おそるおそるフィロンがレイユに尋ねる。レイユは、丸で今していた会話が嘘かのように、温和な笑みを作って嘘をついた。
「静かに、神に祈りを捧げていたのですよ。崇高な神の御下で大声を出すのは教えに反しますから」
「まぁ、俺は神に背いているからいらないって言ったんだけどな。その代わりにその帽子の方が気に入ったよ。貰っていいかい? レイユさん」
俺の憮然とした態度にフィロンは少し驚いた素振りを見せていたが、レイユは静かに頷いて、立ち上がった。
「ルキフくんは相変わらず不信心ですね。しかし帽子くらいは差し上げますよ。では、またいつか」
「えぇ、いつか」
神に背いた勇者と司教は、神罰に値するだろうか。
それでも、俺であれ、レイユさんであれ、数え切れない程の生物を殺してきた。
信仰は人を強くするが、現実は揺らがず、信仰から讃えられる事は無い。
それが教えだからと、思考を停止した人間は、言うなれば神の傀儡だろうか。それとも敬虔な信者だろうか。元々信心の無い俺には分からない事だ。
だけれどレイユさんのような、信心深い人間があの魔族と人間の戦争を見て思った事は、計り知れない。
もしかすると彼はもうずっと、ずっと前に自身が神に背いてしまっていると思いながら、魔族と戦っていたのかもしれないと、そう思った。
ミアが、モーガスが、レイユさんが、俺のようにならなくて、本当に良かった。
何故ならきっと、俺は勇者という立場を持っていたとしても、きっと皆に、死を与えてしまっていただろうから。
勇者の乱心、国の乱れ。それは、望む所ではない。だけれど俺はやはり、緩やかに死を望んでいた。
だけれど、レイユさんとの約束は大事な約束だ。ミアもモーガスも、きっとそれぞれが強い心を持って生き続けて、すべき事を成してくれるだろう。
なんていったって、俺の大事な仲間だったのだから。
現国王も、亡き魔王との重鎮と上手くやっているようで、安心した。
人間の生命力を吸い取る場は、魔族の管理指導の元、人間が操作し、元々魔族を狩る事で生計を立てていたような傭兵達が主にその生命力を分け与えているようだ。それで人間は収入を、魔族は食料を得る事が出来るようになった。
本来ならば、こういう事が早く実現していればよかったのだと思う。それでも、種族の違いというのはどうしても拭えない物なのだろうと思った。
魔王の重鎮も、穏健派だったようで、魔王の死から半年近く経った今も、暴動という暴動は起きていない。ただ、魔族の側でも、人類の側でも、戦争を望む者は存在しているらしく、定期的にそのような者達が捕まっているという話は聞いた。
危険因子ではあるものの、もう戦争は起きていない。それが重要な事なのだと、そう思った。
誰も責任を取る必要は、無い。
最後の最後に、俺が勝手に責任を取って、戦争は本当の意味で終わるのだと、思う。
そうしてその夜、暑いから窓を開けておいてくれという指示にすんなり従ってくれたニーナのおかげで、夜の勇者の家に賊が忍び込んでくれた。
「アンタが勇者?」
「あぁ、そうだよ。君が例の、レイユさんの所の子で、良さそうだね」
そう言うと、小柄な彼女は、月明かりに金色の短い髪をなびかせて笑った。
「さぁ? 勇者の家に忍び込んできた盗賊かもよ? 金目の物だってありそうじゃない?」
「だったら好きに取っていけばいいさ。なんせ俺はこの通り、手足の一本も動かない」
つまらなそうに、彼女は自分が入ってきた窓を閉めて、俺のベッドに腰かけた。
「まぁ、そうね。アンタ、死にたいんだよね? 殺したげよっか?」
「勘弁被る、君程度の盗賊が上手く逃げ仰せられるとは思わない。それに拾ってくれたレイユさんにも、迷惑がかかる。約束通りにしようじゃないか。君は薬を届ける。俺は……何をすればいいんだ?」
彼女はやれやれといった風に帽子をひっくり返して、雀の涙程の薬剤を薬包紙に包んだ。
どうやら、死ねるのはだいぶ先のようだ。
「まず、私はフルール。アンタを殺す為に来たの。レイユのおじさんに我儘言ってね。して欲しい事は……話かな……アンタが魔王を殺すまでの話をしてよ」
「楽しい話なんかじゃないよ。殺して、殺されて、殺して、殺されて、それが続くだけだ」
その言葉に、フルールは顔を軽くしかめる。それでも彼女は俺の傍を離れようとしなかった。
赤い瞳が珍しいなと、そう思った。
「盗賊なんかしなくても、生きていけそうなもんだけどな」
「……どういう事?」
「金色の髪に真っ赤な瞳、何処の国の出かは知らないけれど、妙に君には惹きつけられる所がある。それに武術もある程度心得てるだろ? だったら人に迷惑をかけない選択も出来たはずだなってな」
それを聞いて、彼女は小さく笑った。
「この容姿が足を引っ張る事だってあんのよ。勇者様らしいったらないわね。お優しい事、この上ない」
彼女はより深く俺の身体によりかかるようにベッドに体重をかけるが、その感覚もない。
「冗談、俺は優しくなんか、ないさ。魔王殺し、魔族が崇める、王を殺したんだから」
「うん、だからその話をしてよ。どんな気持ちだった? あんま長くいられないんだから、さっさと話してよ」
その日から、俺とフルールの夜会が行われる事になった。
語り尽くすには長すぎる、旅の話。それでもフルールは事細かに話を聞きたがった。
ゆっくりすぎる毒薬の生成に、時は経つ。だけれど話もまた、ゆっくりすぎるスピードで進んだ。
それでも俺達は、時折目的の為に出会い、話をした。
仲間達の話はしばらく聞く事が無かったし。もう出会う事も無かった。
無為な日々が続き、いつのまにかフルールとの夜会が楽しみになっていた頃には、もう魔王を討伐して、三年が経過していた。
怪しまれないように一回につき、数分から十数分の会話では三年経ってもまだ、魔王を殺した日の事まで語る事は出来ていなかったが、死ねる程の毒薬の生成までもう少しになったと聞かされたとある日、とうとう魔王の話をしようと思っていた。
そんな頃に、平和だったはずの世界で、犠牲を払って、何としても平和を掴もうと足掻き続けたこの世界で、戦争が起きた。