それからの第一話『死ねない勇者は仲間と別れた』
魔王が死んだ。
ベッドの上で、いつもと変わらない景色を見ながら、あの日からの出来事をよく考える。
人類が戦争に勝利したという人類にとっての吉報はすぐに世界中へと伝わり、抵抗していた魔族達も幾分か鎮圧されたようだった。余程魔王という存在が大きかったのだろう。一枚岩では無いのは確かだったかもしれないが、それでも信頼に値する王だったのだ。
だが、人類の勝利の報よりも大事な事は、世界の統一化だった。
俺は魔王の遺志を強く汲み取り、如何なる事があっても殺しはするなという報もまた、直々に送りつけた。
『戦争を終結する為の、仕方のない犠牲だったのだ』と、俺なりの気持ちを述べ、魔王との最後のやり取りの真実を、自分の状態以外を隠して伝え、魔王が……シフルが最後にこの世界に望んだ言葉も添えて、人類の王、俺が仕えている主の命も聞かずに、無理やりその報告を世界へと広めた。
魔界から人界へ、そして自国へ戻るまでの道中、自身では話す事以外に何も出来なかったのは悲しいが、後に聞いたのは、魔王を信頼していた魔族が多かった事。
反魔王派の殆どは俺達が倒してしまっていた事によって、暴動などは最小限に抑えられたというだけだった。
そこから先、どうすべきなのかは、これから考えるべきことだ。
――これから先、俺がどうするのかもまた、これから考える事だ。
一方、俺を含めた魔王討伐軍の凱旋は、あえて厳かに行われた。
どうしたって一番目立つ場所に据えられるのは魔王を討ち取った俺だ。だが俺の身体はもう既に首から上以外一切動かなくなっていた。
だからこそ、人類にはバレないように、ごく一部の関係者にのみに事実が伝えられ、専用の椅子で、微笑む事だけを続けた。
手も振れないという事が辛く感じたが、それ以上に辛い現実を、帰還に要した時間で理解していたから、心はそこまで傷まなかった。
首から下の身体の感覚が、一切無い。つまりは痛みも感じなければ、痒みも感じない。熱い、寒い、湿っている、乾いている。
黄色い水が流れている。汚物が、纏わりついている。 その全てが、もう俺には理解出来なかった。
勿論、臭いでは分かる。周りにも、だが、それを処理したい人間がいただろうか。
そうして、それを処理されている自分自身に、慣れる日は来るのだろうか。
帰還の最中は、ミアが甲斐甲斐しく世話をしてくれた。不甲斐なく思いながら、それでも涙を流しているミアの手前、歯を食いしばって、優しい屈辱に耐えた。
本当だったら、自国に戻ってからは結婚すら考えていた相手だ。だけれど俺の中では、もうその意思も消えていた。後はいつ伝えるか、どう伝えるかだけだ。
自国に帰った俺は、関係者だけが知っている国の端に小さな家を貰い、そこで生涯を過ごす事にした。
我が国の王は俺の望みを全て叶えてくれた。
――尊厳死を望む事以外は。
この国では神の教えを強く信じている。俺自身がその教えの元に生きていたわけではなかったが、国としてはそうではない。魔界への旅路で、多くの時間を共にした仲間の中でさえ、神の教えを元に魔法を使う教会の信徒を加える程度には、信仰心の厚い国なのだ。
それでも、この風体なのだからいつか安らかに逝きたいとは思っている。何故なら魔王を殺したのだ、俺も死んで然るべきだと、そう思うから。
だけれど、俺にはまだ、時期国王となるルーフに伝えなければいけない事がある。
だからそれまでは、と思いながらも、動けない身体、ひたすらに思考が巡る頭の中で、自身に与えられるべき死という褒章を密かに考え続けていた。
ただ、それは国としても察していた上に、危惧もしたのだろう。
国からは、フィロンという細身の優しい聖職者と、ニーナという少し勝ち気な料理人の、二人の世話係が充てがわれた。ミアも王に志願したらしいが、断られたらしい。
つまりは、フィロンとニーナは名目上俺の世話係ではあるが、俺の死を回避させる為の密かな国策のようなものなのだろうと思った。
それくらいに、この国では自死や尊厳死の類を厳しく取り締まっていた。
身内の自死には、家族や近親者に罰則とまではいかないものの、厳しい取り調べと聖職への促しがあるくらいには、厳しい。
「いつも悪いね、フィロン」
「いいえ、勇者様の為になるなら」
ニーナの料理の腕は抜群だった。だけれどそれを口に運んでくれるフィロンとの、味のしない会話。時折元の仲間達が訪ねて来てくれるが、俺の姿と、部屋から離れないフィロンとニーナを見て、居心地が悪そうに帰っていく。
それでも通ってくれる仲間達に、嬉しさを感じる反面、俺の心はすさんでいくのも感じていた。
そのうちに、きっと俺はこの大事な仲間達を、言葉で汚してしまうだろう。
だからその前に、一人ずつ別れを告げた。
「ミア、君にはまだいくらでも未来がある。だから……もう、此処には来るな」
「でも……! でも……!!」
縋り付くように俺の身体を触るミアの手の力も、今の俺には感じ取れない。
「世話係、志願してくれたんだってな、ありがとう。でも、それが通らなかったって事は、分かるよな?」
言いながら、部屋で俺達を見ているフィロンとニーナに視線を送ると、二人は気まずそうな顔をしていた。
「だから、二人に任せるんだ。三人目の世話係は、きっと国が許さない」
俺の言葉を聞いて泣きじゃくるミアを横目に、フィロンとニーナは口を固く結んでいる。
「仲間だとは、思っているよ。それでも、それでもだ。俺に人生を費やすんじゃない」
それは、世話係の聖職者フィロンと料理人ニーナにも言えた事だった。いくら国からの勅令だからといって、もう役に立たない勇者の為に、健やかな身体を持つ人間の人生を奪うのは、俺としてもうんざりだった。
「その代わり、ルーフを。あの子を立派な王にしてやってくれよ、皆でさ」
その言葉に、嘘偽りは無かった。次期国王であるルーフと実際に二人で喋る事が出来たならそれが一番良かったのだが、それもそうそう叶う事ではない。
世話係の二人はピンと来ていないだろうが、それが俺の強い望みだという事は、魔王討伐後の帰路で皆に詳しく語っていた。だからこそ、俺の意図を汲み取ったミアは、泣きながらも何度も首を縦に振っていた。彼女の着古しの黒い生地に白い装飾がついているローブがその涙で色濃く滲んでいく。そのローブは、俺が買ってあげた物だった。ネックレスも、そうだ。その長い髪をまとめている髪留めも、そう。
――でも、次会う時は全部、違う物であればいいと、そう思った。
彼女程の優しさと強さ、そうして力があれば、王子の何かしらの指南役や、講師になることだって、可能なはずだ。
マナー講師だっていい、魔法の指南役だっていい。彼に接触して、勇者と魔王の遺言とも言える遺志を強く伝えて、平和な世を作って貰う。俺はもう、その事だけにやっきになっていた。
だから俺は、彼女に小さな期待を込めて、さようならをした。
「よう色男、ミアを振ったんだって?」
幼馴染のモーガスとは、よく喧嘩をした。子供の頃はよくミアが俺達を止めたものだ。
剣の腕では俺に勝てないと知った彼が、斧を振るい始めて十年以上、俺に並ぶ勇者パーティーの一員になった日は、ミアと三人で軽い円陣なんてものを組んだ事もある。
懐かしいようで、あっというまの日々。思えば私服のモーガスを見るのも久しぶりだ。旅で伸びた髪もさっぱりと切り落として、英気を養って戻ったキリリとした大きくと鋭い目付き、短髪と薄手の服からこれでもかと筋肉を見せているあたり、彼の自己顕示欲が見て取れる。
「あぁ、振ったよ。お前の事も振るつもりだ」
「言われなくてもだっての。お前は脳まで腐っちまったのか? 魔王をヤッてから、人が変わったぜ?」
実際、人が変わったと言われても仕方が無い。
それでも、そのくらいの変化だったのだ。それくらいの、重荷だったのだ。
何故俺が勇者だったのだろうと思う日も、どうして戦争の終結に死が必要だったのかと思う日も、沢山あった。その結果俺は、こんな酷い人間として、仲間達と一人ずつ決別して行こうと決めた。
「実際、俺は人が変わったよ。現実が変わっていくのと同じでな」
「相変わらず難しい事考えていやがんな……クソッタレがよ」
「はは、実にその通り、今の僕はクソを垂れても分かりゃしな……」
「言い返せよ!!」
モーガスの怒りは尤もだと思った。こういう時は、言い返して、軽い喧嘩をして笑い合うのが俺達のいつものやり取りだったから、だけれどそれはもう、通用しない。
「お前が、俺より早く魔王の首を取れなかった。それが全てだ。弱かったんだよ。お前が俺よりも早くアイツの首を取ってたら、今此処でクソを垂れ流してるのはお前だったんだぜ?」
最後のあの瞬間、俺が弾いた弱々しい剣撃の正体は、モーガスのそれだった。
彼はこと剣については俺に負け続けた事で及び腰になっていた。だから剛腕の持ち主である彼ですら、聖剣を持つだけでも緊張しただろうし、それを振るうとなると尚更、弱々しい一撃にしかならなかった。
あの時の俺が、簡単に弾き飛ばせる程の。
「……ックソ! 口ばっかり減らねえ、そいつに触れるのは、無しだって決めただろうが!」
剣を怖がり斧に逃げたのだ、彼は。だからこそ剣についての話は、いくら小さな喧嘩が絶えなかった俺達でも、タブーとしていた。だから今、俺は彼の逆鱗に触れていることになる。
「今更、知ったことじゃないね。でも、お前はソイツを持っていけ。雑魚のままいるんじゃねえよ。次があったら、お前が俺の役をしろ、あの時踏み出したんだからよ」
俺はそう言って、壁に立てかけられている剥き身の赤い長剣が入った鞘に目をやる。
それは、かつて魔王が持っていた剣だった。そうして俺がモーガスの一撃を弾き飛ばした剣でもある。
「勇者様……それは……」
「いいんだフィロン。それが此処にある意味は、無い」
逆に、聖剣は魔王城に安置されている。互いの国の神具を預けることによって信頼の証としていた。
「あぁ? なんで俺が魔王の剣を……」
「魔族に俺の顔を知ってるヤツなんざ極少数しかいないんだ。もしもの時に、振るえるくらいにはしとけよ。そもそもガキの頃のお前は剣筋が分かりすぎただけで、決して弱くはなかったんだ。もしまた何か大きなコトが起きた時にはお前がこの国の旗印だ、覚悟しろよ?」
それを聞いて、モーガスの顔つきが変わる。
――相変わらず、直接言わなきゃ聞かないヤツだな。
モーガスがミアを好いている事も、本当は剣を鍛錬したなら俺に匹敵する剣士になれた事も、そうして口こそ悪いが優しいヤツだって事も、俺は知っていた。
だからこそ、あえて俺は厳しい言葉で彼を送り出す。
「ビビんなよ。ソイツは隠しておいても構わないが、勇者は剣だって、相場は決まってるらしいからな。それに、傷心の魔法使いもいる。お前がやることは、ミアの涙を拭く事と、いつかの為に剣を振るう事だよ」
――そのどっちも、俺には出来ないとは、言えなかった。
モーガスは少し難しい顔をしたあと、無言で立ち上がって、魔王の剣を手に取る。
「ミアと、国を頼むな、相棒。二度と、来んじゃねえぞ」
「るせーよ。俺は俺で勝手にやらぁ」
彼は、背を向けたまま、ドアを消し飛ばして、いなくなった。
仲間が一人ずつ消えていく。その代わりに、届くか分からない願いを一つずつ託していく。
本当は俺がやるはずだった事を背負わす罪悪感はあった。それでも、本来は戦争に勝った人類全てが背負うべき事なのだ。
そうして最後の一人の仲間が、軽く部屋をノックした。
「ルキフくん、加減はどうかな? というのも酷な話か」
「レイユさん……まぁ、程々ですね。早い引退ではありますが」
――元々、国から派遣されていた教会の大神父レイユ。
彼との対話が、きっと一番の鍵だと思っていた。
国直属で雇われているフィロンとニーナが、レイユに頭を下げる。
「二人とも、此処は私だけで構わない。下がりなさい」
その声は静かで、それでも威厳のある声色だった。一瞬驚いた表情を見せた二人が、返事をしてすぐに部屋から出ていく。もう彼の地位は大神父どころではないかもしれない。今に教会を統べる人間になるだろうとも思った。
そんな彼は、俺が寝ているベッドの前に椅子を持って来て座り、小さな遮断魔法をかけた。
意外だった。彼は今からする話を、密談としようとしているのだ。
「さぁ、ルキフくん。話をしよう。僕もそうそう多く此処には来られない、だろう?」
「そう、ですね……それにレイユさんと言えども、何度も人払いをしていれば怪しまれる」
全て悟ったようにレイユさんは首を縦に振る。
「だから、外にいる彼らが怪しむ前に、話をしましょう。死にたい勇者、ルキフ」
この日から静かに、俺が熱望する終わりへの、誰も傷つかない作戦が動き始める事になった。