それまで『そうして一つの最終話』
どんな理由があれど、相対する確固たる意思を持つ者同士は、やはり相容れない。
俺はずっと、そう思っていた。
それでも、魔王軍との戦いは果たして必要だったのだろうかと、いつまでも思い続けるだろう。
人類を率いた、たった一人の勇者として、思い続けるだろう。
魔界に生まれたか、人界に生まれたかだけの違い、肌の色こそ違えど、共通の言語を話す俺達は、お互いの生存の為に、皮肉にも殺し合い続けた。
人類は、魔族に抗う必要があった。
何も魔王が世界征服を企むだなんて、そんな夢物語のようなことを語っていたわけでは無い。
人間は平和的に、野菜を作り、野生生物を狩り、文明を築いていく事によってその生命を維持し続けた。一方魔界に生まれた生物は、人の生命力を奪わなければ生きていけないという相容れない生存の理由。
――俺達はただ、食事の方法が違ったのだ。
人類は魔界から見ればどうしたって食物であり、人類は種の存続の為にそれに抗う必要があった。
戦うべくして、戦うことになってしまった宿命だったのだ。
魔界に進軍してから知った事だが、人間を生かさず殺さず、ある程度の待遇を以て適度に生命力を奪う施設が多くある事に、驚いた。
魔族達も、割り切っている。救出した後の人間に話を聞けば、生命力こそ奪われても、死人はなるべく出さぬようにと、手厚い保護を受けていたという。
そうして、奪われた生命力は瓶詰めされ、魔界独自の製法で液体に変えられ、戦闘を好まない魔族はそれらを使って生命維持、つまりは食事を摂っていたようだ。
勿論、魔界と接している人界に潜り込み、人間を襲う魔族も多くいたが、それは人類も似たような物、ギルドのような組織によって魔族退治に賞金をかけていたから、荒くれた傭兵達は金銭を得て食事にありつけた。
結局は、魔族達がやっていた事も、人類がやっていたことも、どっちもどっちなのだろうと、魔王シフルを眼前に、思っていた。
「来たよ、魔王。俺達はもう、戻れない所まで来たみたいだ」
「ああ……我々は、殺しすぎたな」
お互いに、思っている事は一緒のような気がしていた。
どちらの立場であれ、仕方ない事ではあったが、必要な事だった。
生きる為に必要だったのだ。共存の道は無かっただろうかと考える。きっとあっただろう。
――こうなってしまう前ならば。
もうこれは俺の世代よりずっと前から続く戦争だ。やっとたどり着いたこの魔王の前での出来事の後。魔界と人界がどういう関係になるかは分からない。
それでも、この瞬間に共存という道は無い。
魔界か人界、どちらかのトップが、責任と取らされる。無慈悲だと思った。
魔界の状況を見る限り、人間を邪険にはしていない。むしろ人間の方が魔族を倒していたくらいだ。
――だけれど、それが人としての正義だった。選ばれたなら、俺がやるしかなかった。
それでも俺はそう信じて、魔王の前に立つ。意味があることなのだと。
何かを変えたり、やり直すのは、きっとこの地獄のような戦争を終わらせてからなのだと。
長い銀髪をなびかせなながら、魔王シフルは、大広間の奥にある大椅子から、長剣の鞘を杖代わりのように地面に突き立てて、立ち上がる。その顔こそ始めて見たが、凛々しい顔の男性だった。
ただ、紫色の肌が見えるというだけで、翼も、角も、牙も無い。ただの大人の男性、そう見えた。
俺の周りには、数人の仲間達、俺が十七才の時から、実に三年もの間苦楽を共にした仲間達だった。
飛び出しそうになっている仲間を制して、俺は一人、前へと歩み出る。
「食事が違う。それだけの違いで、これほどまで熾烈な事になるんだな」
「あぁ……ままならぬものだ。我もまた良き王にはなれなかった。善処こそしたがな」
魔王は、長剣の鞘を振るい捨て、赤い刀身を片手でジリリ、と地面に這わせた。
俺もまた、それを見て長剣を納めていた鞘から、青い刀身の聖剣を引き抜く。
「俺も善処はしたつもりだ。だけれどやっぱりお互いに、殺しすぎたな」
「責任はついて回る。どちらかが死ぬのは、定めだろうな。これが戦争という呪いだ」
魔王が一歩ずつ、剣を這いずって、こちらへと近づいてくる。
俺も、聖剣を構えて、応じる構えを取った。
「……どうあれ、決着はつけなきゃいけない」
「フン、茶番だ。この場所まで辿り着かれた時点で、我の敗北は必定。しかしお前は、最期の茶番に剣戟を交わさせてくれるらしいな?」
確かに魔王の言う事は尤もだった。いくら魔王とはいえども、数の暴力には圧倒される。
それに、人類軍が魔界に侵攻した時点で、魔軍は抵抗をやめていた。
つまりは、その時点で魔王は直々に、敗北を悟っていたのだ。
だからこそ、魔界での戦闘は殆ど避ける事が出来、不必要な殺し合いは起きずに済んだ。
「その前に、言いたい事は無いのか?」
「自身の死後を気にする程、我は王としての器ではない。ただ、失敗した。それだけ……だッ!」
魔王の剣戟が俺の首元を狙う。赤い刀身と、青い刀身が、十字に合わさり、高い金属音を上げた。
「ルキフ!」
心配そうに俺の名前を叫ぶ声は、俺の事を一番よく理解し、支えてくれていて、子供の頃から共に鍛錬を重ねて来た幼馴染のミアの声だ。
パーティー内では主に回復魔法を使い、味方をサポートをする役だっただけに、前線に出がちな俺とはよく付き合いがあった。恋愛的な意味でも、周知の中だった。
ミアの声を聞き、魔王は彼女を一瞥した後、「フン」と笑う。
おそらく、この状況の打破の方法が一瞬でも頭をよぎったのだろう。どうせ負けるかもしれないのなら一人でも多く相手に手傷を……という悪魔の考え。
だが相手は魔王だとしても、決して悪魔では無かった。即座にミアの方向に刃を向けて一撃を入れる事も出来ただろうに、俺の聖剣に向けて、彼は力を込める。
「愛情、か。そのようなものにうつつを抜かす暇が、人にはあったのか」
「魔族にも、そんな日は来るさ」
その言葉を聞いて、目を見開いた魔王シフルは、心底呆れたように笑い、その長剣から力を抜いた。
「後のことは任せてくれ、金を渡せば、生命力を渡す人くらい集められる。人はそうやって少しずつ、上手くやっていく」
魔王の長剣を弾き飛ばし、聖剣でその首を跳ねようとした刹那、魔王は最期の足掻きとはまた違うような、苦悶の表情で、俺の聖剣をその手で掴んだ。青い血液がボタリと落ちる。
「ならば待て、魔族も一枚岩では無い。我の首には呪いがかかっている。後ろの主らも、此奴と絆か、愛とやらを結んでいるのであろう? ならば聞け、選べ。我の首を取る者を、主らの中から選ぶのだ」
その言葉を聞き、俺は疑問を浮かべながら、聖剣から力を抜く。
すると魔王は血液を振り落とすだけで、長剣すら拾わずにこちらを真っ直ぐに見据えた。
もう、勝負は決したのだろう。
魔王は反撃する素振りも無く、そのまま言葉を続けた。
「王城の近くで、魔族の一軍に狙われたのは、記憶に新しいだろう?」
「あぁ……全面降伏だと思っていたから、手を焼かされたな」
それを聞いて、魔王は忌々しげな表情を浮かべる。
「あれは降伏を選んだ我に愛想を尽かしたのだろうな。魔族としての間違った矜持を掲げた、賊のようなものだ。我の手には、酷く余った。不甲斐ない話よ」
確かに、数年間戦ってきた魔族の中でも選りすぐりの精鋭が集まっていたような気はしていた。だからこそ警戒すらしていたのだ。魔王シフルはまだやる気なのだろうかと。
だがその実、彼は人間味のある、寂しい顔で遠くを見ていた。
残酷な事実が、魔王の口から語られていく。
「数の利、種族の情、か。主も……そうだな。その後ろの仲間全員に牙を剥かれて全員を八つ裂きに出来ると思うか?」
「いいや、無理だろうな。つまりは……」
魔王が嘆息する姿を見るとは、意外だった。つまりは魔王もまた、人とそう変わらない、感情を持った一人の存在なのだ。
「負けは、しなかったであろうな。だが我は、この広間が同胞の血で穢れる事を嫌った。だからこそ、王としての器が足りなかったのだ。結果、我の首を取った者には、その生涯を、全身不随で生きる事になる」
「あの、魔術師か……」
戦った精鋭を指揮していた魔術師は、戦ってきた魔族の中でも取り分け質の悪いヤツだった。
おそらくはその魔術で、強制的に狂化という名の強化を施し、その狂戦士達と共に俺達を強襲してきた。
「あやつは我の元を去る前に、我に呪いをかけた。我にも、主らにも何の得が無い。執念だけの呪いをな。平和的な降伏など望めもせぬ、ならばこそ我は見極めたかったのだ。だがいくらか話して……勇者ルキフと言ったか、お主に魔界の今後を託す事を悪い事とは思わん。呪いは強固だ。我は自害も解除も出来ぬ、だがこの首など捧げよう。だが、その首を取る人間は、選ぶべきだ。感覚を失い、人の手を借りて一生を過ごす覚悟がある者が、我が首を跳ねろ」
――残酷な、選択だった。
魔王は、優しい王だったのだ。同胞を手にはかけられない。
その甘さが、忠臣だったであろう同胞に愛想を尽かされる結果になった。
甘くとも、その心根がどうであろうとも、話している事は事実なのだろう。何故ならば、彼はこの魔界を統べていた魔王なのだから。
「さぁ選べ人間、我の死と共に人生を捨てるのは誰だ!」
その声と同時に、後ろから駆け出す音が聞こえた。
魔王がチラリと放り投げてあった自らの長剣を見て、目を細める。
「お前は死を払うんだ。どちらかが勝つなんて、フェアじゃあないよ。魔王」
俺は、右から飛んで来た弱々しい長剣の一撃を聖剣で払い除ける。
「悪いな、皆。後は頼むよ。なぁ魔王、喋る事くらいは、出来るんだろ?」
「そうだな、喋る事くらいは出来る」
ならば、彼の首を斬る役目は、自分しかいない。
俺が率いてきた。
俺が連れてきた。
俺を愛していた。
俺と戦っていた。
――そんな仲間達が、担う役目では、無い。
俺を信じようとしてくれた。
俺を優しいと言ってくれた。
――そんな彼だけが、苦しみを担うのも、嘘だ。
「シフル。その首、貰い受ける」
「ルキフ。この世を、頼む」
互いに軽く微笑みあった後、もう俺達は魔王と勇者という立ち場では無くなっていた。
ただ、この後の世を思う生物同士、だがそれでも責任は誰かが取らなければいけない。
俺は、渾身の力を込めて、最期の一撃を放った。
砂と化して行く魔王の上で、俺は動かなくなった身体に小さく絶望しながら、そうして戦乱の歴史が終わり、創造の歴史が始まる事を静かに祈りながらながら、息をしていた。
死の間際に笑う魔王と、呪いをその身に笑う勇者。
きっと俺も、そうして魔王もまた、優しかったのだろう。
泣き声と、唸り声が後ろから聞こえる。
それは悲しくも新しい世界の幕開けの音で、もうこの世には必要のない、魔王と勇者が世界から消えた瞬間だった。