第1話 日常
朝起きて、長いロン毛の髪をゴムでアップポニテにして、まずパソコンをつける。なんてことは無い日常だ。パソコンの起動ボタンを押して、4桁のパスワードを入力。立ち上げる。
「うげぇ」
真ん中上、左、右と3つあるモニターのうち、左のモニターでいつも通りネットニュースのページを開くと、有名アイドルが不貞行為をおかして叩かれまくってるニュースが目に入る。朝一番からこんなニュースを目にするとは運が悪い。今日は厄日か?
「しかし有名女性アイドルが不貞行為ねぇ」
可愛らしいしょぼん顔の書かれたマウスを弄りながらニュースを読み進める。理由は特にない。興味もないが、世情を知るのはルーティーンのようなものだ。
どうやら某超有名女性アイドルが「恋人はファンです!」と言っていたのにも関わらず、自分は金に任せて男遊びをしていた、という事らしい。
「金に任せて男遊びねぇ……金?」
彼女は超有名アイドルだ。それこそ擦り寄ってくる男なんて星の数程いるだろう。なのに、金に任せて男遊び?まるで不思議な話だ。別に金なんて使わなくても良いんじゃないか?とも思うが……。
ネットニュースの画面はそのままに、6畳しかないワンルームからキッチンに向かう。俺の部屋は至極単純なアパートで、入ったら即キッチン。そして扉もなく6畳の部屋が一つ。キッチンの前にユニットバスに繋がる扉がある……という感じだ。一応キッチンと部屋を区切るカーテンを付けているが、気休めみたいなものだ。
朝のルーティーンとして珈琲をいれる。至極簡単なペーパードリップ式だ。粉も既に挽かれた物を買っているので、やかんでお湯を沸かすくらいしかやることはない。高校時代に友人に買って貰った珈琲カップに安物のドリッパーを取り出し、これまた安物のペーパーフィルターをセットして、やかんでお湯が沸騰するのを待つ。
時間が出来たので、パソコンの前に戻ってネットサーフィンに興じる。さっきの不貞行為ニュースはそこそこに、別のニュースも探す。
「……現代における痴姦の問題?」
そのうちの1つのニュースに目が止まる。ネットニュースに誤字は付き物。これもその一つだろうか? と思ったが、読み進めていくと痴姦という単語が多用されている。このネットニュースを書いた人が誤字ったとしても、意味が真逆になってしまい記事そのものが破綻してしまうんじゃ……一応検索してみよう。
《ばか者。特に、男にみだらないたずらをしかける女。》
「え?」
痴姦……痴姦?痴漢ではなく?そう言われると、先程の超有名女性アイドルの不祥事にも違和感が生まれる。痴姦に関するネットニュースを閉じて、他のネットニュースを探すと……出るわ出るわ女性が男性にみだらな行為をして捕まっただとかAEDを男性に行った女性が捕まっただとかそういったニュースが!
「これ……貞操逆転ってヤツじゃね?」
キューーーーッ! というやかんの沸騰する音がイヤに頭の中に響く。
現状を整理しよう。どうやら男女の貞操観念が逆転してしまったようだ。しかし、それ以外に世界に異常は見当たらない。少し歴史を漁ったら男だった英雄が女になったりはしていたが、男女比が偏っているだとかそういう生き辛い要素はなく、少ない友人の性別が変わったりもしていない……本当にただよくネット小説にある貞操逆転世界ってヤツになっていた。なんで……?
俺はそれなりにサブカルに詳しいし、なんなら俺は配信者だ。今日は今から仕事なので配信して確認とかは出来ないしそもそもフォロワーは少ないので人も来ないだろう。少し話が脱線した。兎に角、俺は一次、二次問わず貞操逆転モノの小説は嗜んでいた。多少だが詳しいつもりだ。
とりあえず、さっきから喧しい音を立てているやかんをおさめる為、火を止めた。ペーパーフィルターに既に挽かれた豆を入れ、その上からお湯を回し入れながら、これからの身の振り方について考え……いや、いいか。元より俺は楽観的な性格だ。「元々のこの世界の俺はどんな感じだったんだろう?」なんて、考えても詮無きことだ。珈琲を入れ終わり、フィルターを捨てて暖かい珈琲はそのままバルコニーに設置された金属椅子に座る。(俺の部屋は2階中2階なのでそんなに高くない。)
パソコンは付けっぱだが、いつもの事だ。金属椅子に座り足を組み、金属テーブルに珈琲を置いて、スマホで友人にLINEで連絡を取る。
『なぁ、なんか昨日から変わった事ある?』
数少ない高校時代からの友人にそうLINEを送るが、既読は付かない。ズボラな奴だからな。まだ寝てるのか。まぁまだ8時なので仕方ない。アイツは曲がりなりにも大学生だ。しかも医学部。ちなみに俺は22歳でコイツも22歳。記憶が確かなら今年大学5年生になる。6年制だからな。同じようなメッセージをもう1人に送る。こちらはすぐに既読が付いた。
『変わった事って?』
『いや、なんでもいいから』
『強いて言うなら昨日パチンコで6万負けたのは世界のバグかな?』
『変わってないか』
変わってないようで何より。(ヤケクソ)さて、数少ない友人は当てにならないな。ん? 二人しか居ないって? うるせぇなそうだが何か問題でも??
仕方ないので仕事に向かう準備を始める。俺は趣味に生き趣味で完結してる男だ。住む場所も仕事もなにもかも自分の好きなもので埋め尽くしている。
住んでいるのは神奈川県藤沢市、江ノ島近くの海の見える古アパート。働いているのも江ノ島島内の飲食店。フリーターだが収入には満足しているし問題もない。1月なので肌寒い。寝間着からヒートテックを上下着てその上から白いワイシャツを着て、スウェットを履く。靴下を履いて珈琲を飲み終わったカップをシンクにおいて、カバンを持ちながら部屋から出る。鍵束から家の鍵を探して鍵を締め、階段を降りて電動自転車に跨りアパートを出る。
あー潮風が気持ちいいなぁオイ!(現実逃避)
あっ、パソコン付けっぱじゃん。
「おはようございま〜す。」
「おはよう朝陽くん。」
俺、松風朝陽はいつも通りバイト先の飲食店に顔を出す。昨日は夜遅くまでFPSの配信(もちろん常連数人くらいしか居ない過疎配信)をしていたので少し眠い。朝の珈琲ドーピングが気付けになっているが。
「朝陽くん眠そうだね」
「昨日夜遅くまでゲームしちゃって」
「ダメだよ〜男の子が夜までゲームしちゃ。肌に悪いよ」
う〜ん。バ先の店長こんな事言う人だったっけ? やっぱ貞操逆転の影響は少しは出ているようだなぁ。
「先輩おはようです!」
「おはよ」
同じ早番の後輩にも同じように挨拶をする。これといって関係性はない。本当にただのバ先の後輩って感じ。LINEも交換してないし。
食材の仕込みをして、開店まで暇を持て余す。もう始業はしているが開店はまだなので暇だ。
「先輩、先輩」
「なに?」
いつもは挨拶以外会話のないさっきと同じ後輩女子が話しかけてくる。
「先輩、今日夜飲み行きません?」
「……お前と? 2人で?」
「い、いや! 私と華さんと先輩です!」
「そう」
なんで慌てて……あっそっか。前世界に置き換えれば、男子大学生が少し年上のお姉さんを飲みに誘っている感じになるのか。2人きりはお姉さん側が警戒するから、一応店長も誘って……って所か。今店にいるのは俺と店長とこの子だけだし。うちは小規模なんだ。一瞬だけ華さん? となったが、店長の名前が北川華な事を思い出す。
ちなみに俺は高校卒業から4年近く働いていて、社員への打診もあったが土日祝強制出勤が嫌で承諾していない。
「いいよ」
「ホントですか!? やった!」
制服を着た年下JDがぴょんぴょこアホ毛を動かしながらてってこ走っていく。これだけ見るならめちゃくちゃ眼福だし、なんならめちゃくちゃ嬉しい。しかし何故か知らんが今日からここは貞操逆転世界。別に俺は清楚ぶるつもりもないし男なりに性欲もあるのでお酒の場でサラッと誘われたら行きかねない……というのが怖い。酒は好きだが苦手なんだ。
「はーい。開店するよ〜。朝陽くん、陽菜ちゃん、準備して〜」
「は〜い!」
俺と後輩女子……朝鶴陽菜が同時に声を出して合図を送る。
その日の休憩時間。
「朝鶴さん、店決めてある?」
「まだ決めてないです。私の事は陽菜でいいですよ」
中番の人と交代して休憩をとる。今は俺と朝つ……陽菜の休憩時間だ。距離感の詰め方エグいな。貞操逆転前は挨拶と仕事上の会話、休憩時間が被ったら少し話すくらいの間柄だったのに。
「じゃあさ、近くに夜中までやってるBARがあるんだけど、どうかな?」
「良いですけど、先輩はどこに住んでるんです? 自転車ですよね? 大丈夫ですか?」
「こっから自転車で15分くらい。自転車は別に置いてってもいいし、BARはこっから歩いて20分くらいかな。江ノ島駅の向こう側。」
「片瀬?」
「いんや、江ノ電の方。」
「良いですよ! 行きましょう! 店長に伝えてきます!」
あの子あんな元気だったかなぁ。
仕事終わりに、約束通りそのBARに向かった。
「よっ、お久」
「朝陽じゃないか。会うのは3日ぶりぐらいだろ。……と、どちら様かな?」
「は、初めまして……」
陽菜はまだしも、バ先の店長までビクビクしてる。BARは10席もない小さなBARで、カウンターしかない。BARの店長はベリショの青髪ピアスバッチバチ眼帯女だ。
「ゆーちゃん、怖いっしょ」
「い、いえ全然?」
「あんまビビらせるような事言うな、朝陽」
青髪ベリショピアスバッチバチ眼帯女という厨二病丸出しのバーテンダーの名前は愛園美優。本人曰くあまり好きな名前じゃないらしい。なので、仲のいい人は名前以外の好きな言い方で呼んでいる。でもゆーちゃん呼びも度々注意される。前から思ってたけど、多分ゆーちゃんは女扱いされるのを嫌っているんだと思う。だから女っぽい名前が好きじゃないし、見た目もヴィジュアル系の男性に寄せている。……ん? つまり貞操逆転世界となったこの世界はゆーちゃんにとってとても都合が良いのでは……? まさかコイツが主犯か?(疑いの目)
「朝陽が人を連れてくるなんて珍しい。……というか、初めてなんじゃないか?」
「今日、陽菜と店長に誘われて」
「朝鶴陽菜です……」
「どうも、北川華です」
店長の名前久しぶりに聞いたなぁ。年齢は知らないです。隠してるわけじゃないと思うが、俺が単純に興味が無いだけです。ごめんなさい。今度聞きます。
「ココ煙草大丈夫ですか?」
「構わん。私も吸うしな」
「ありがとうございます」
「陽菜吸うんだ」
「先輩は吸わないんですか?」
「吸わないなぁ」
「私も吸う〜」
陽菜と店長が煙草に火をつける。ゆーちゃんが適当なおつまみを作り、俺達の前に置いた。
「で、何飲む?」
「俺はいつもの。2人は?」
「生で」
「私も!」
いつもの。というのは、ジンのソーダ割りだ。大体最初はこれを飲む。次にレモン系のカクテル。俺は酒に詳しくない(流石に本職バーテンダーには届かない)ので〇〇系のカクテルが飲みたいと言えばそれに応えたものを出してくれる。ゆーちゃん様々。
「しかし本当に珍しいな朝陽。お前が人と飲むなんて」
「さも俺にコミュニケーション能力がないみたいな言い方しないで貰えるか? 一人で飲む方が気が楽なんだよ」
「へぇ。私はいいのか?」
「バーテンダーはノーカンだろ」
「おかわりを…………お二人は仲良いんですか?」
生ビールを豪快に飲み干した陽菜が2杯目を所望するのと、俺達の仲を問うてきた。店長はまだ半分くらい残しながら、枝豆を食べている。
「まぁ、高校からの付き合いだよ」
「え!?店長さん先輩と同い年なんですか!?」
「意外か?まだ22だぞ」
おつまみを粗方作り終え、ビールのおかわりを持ってきたゆーちゃんが少し眉を顰める。確かに、ゆーちゃんはアラサーと言われても不思議じゃない。肌はまだまだ若いが、小さいが湘南エリア(しかも海の近く)にBARを出しているという点でも年齢は上に見られがちだ。
そして自分の煙草に火をつけた。
「おい。曲がりなりにも客の前だぞ」
「知るか。私の店だから私がルールだ」
別にいいけどさ。俺と飲む時はいつも吸ってるし。でも初見の陽菜とか店長の前でも吸い出すとは。まぁ、陽菜と店長が吸い出したから吸い出したという可能性も高いけど。
「店長さんは何吸うんですか?」
「私はラッキーストライクだな」
「いいですね。私はピアニッシモです」
「センスはいいな」
……なんかゆーちゃん機嫌悪そう。
「ゆーちゃん、おかわり作って。後ぼんじり」
「あい」
アレ。ジンソーダじゃなくてレモンサワー出された。しかも生ジョッキで。
「ゆーちゃん。流石に飲みきれない」
「潰れたらいつも通り家まで送ってやるよ」
「…………」
な、なんか陽菜とゆーちゃんバチバチじゃない?怖い……
……味濃ッ!!
配信者要素はまだないです