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子爵令嬢との政略結婚なんてまっぴら御免なので、婚約破棄して平民の女性と静かに暮らすことにします

作者: 葵彗星

「ふぅー、今日も疲れた」


 いつものように公務を夕方頃に終えた俺は、私邸に戻った。


 でも今日は少し様子が違った。執事達が妙に慌ただしい、どうしたんだ。


「おぉ、ラインハルト様。お帰りなさいませ」

「一体どうした、何をそんなに慌ててる?」

「はい。実はあのお方が参りまして」

「あのお方……?」

「ご機嫌麗しゅうございます、ラインハルト様」


 なんと奥の部屋から女性が現れた。赤いドレスに身を包んだ金髪で青い瞳、子爵令嬢のシモーヌ・ヴェローナだ。


「何用かな、シモーヌ令嬢?」

「夜分遅くに申し訳ございません。わたくしと先日交わした約束、お忘れになったわけではないでしょう?」

「約束……」


 言われなくてもわかっていた。シモーヌとは明日、ドレスの微調整のかたわら両親と面会することになっている。


 シモーヌは港湾都市ヴェルガの市長ウェッジ・ヴェローナの長女だ。子爵家でもあり、港湾都市の市長でもあるヴェローナ家と、俺のピアース家とは古くから交友があった。


 そのシモーヌと俺は、婚約することになった。シモーヌは俺にさらに近づいた。


「ようやく長年の夢がかないますわ。わたくしもう眠れない日々が続いておりますの」

「それはいけませんね、寝不足は体に毒です。快眠魔法でも使ったらどうです?」

「魔法にはあまり頼りたくありませんの」


 シモーヌは意外にもプライドが高い。だけど俺にさらに近づいて、誘惑してきた。


「でも……あなたと一緒なら絶対ぐっすり眠れますわ」

「大変嬉しい言葉ではありますが、俺は今すごく疲れていて、今すぐにでも寝たいんです。一人にさせていただけないでしょうか?」


 俺の言葉を聞いて、シモーヌは不満を隠せない顔で離れる。


「……それは残念ですわ。では、明日はよろしくお願いします」


 彼女はそう言って、玄関の前まで移動した。ドアを開けようとした刹那、振り向いて俺の顔を見た。


「最近帰りが遅い日が続いているようですけど、そんなにお忙しいのですか?」

「人手不足でして。でも心配いりません、お気遣いありがとうございます」

「お体を大事なさってください。それではお休みなさいませ」


 港湾都市ヴェルガは多くの国や地域からの船舶が行き来する。貿易の要衝地点だ。ヴェローナ家と繋がりを持てば、そこの利権を確保し、強固な地盤をものにできる。


 俺の親父は王族とも繋がりがある。ヴェルガの利権を確保すれば、陛下からも厚い信頼が受けられる。


 はっきり言えば政略結婚だ。こんな政略結婚、相手女性が簡単に受け入れるか疑問だった。


 でも意外にも、ヴェローナ家の長女シモーヌは簡単に受け入れてくれた。俺に一目惚れしたらしい。


 双方がお互いに納得するような形で、話はとんとん拍子に進んでいった。


 そして結婚式は一週間後に迫った。


 両親たちが自分達の利権のために勝手に進めた政略結婚だ。正直俺はやる気が失せた。


 だけどシモーヌはそうではなかった。彼女は野心に満ちている。俺と結婚し、将来的にはピアース家、いやこの国を乗っ取るのかもしれない。


 シモーヌは以前こんなことを言っていた。


「この国の魔法軍は腐れきっていますわ。きっと長年魔神が攻めてこなくなったのが影響でしょう、私が最強の軍隊に仕立てて見せます。他国が攻めてこないとも限りませんから」


 彼女は魔法学園を首席で卒業した優等生だ。そして指導者としての資質もあるとされている、この言葉はハッタリではないかもしれない。


 確かに彼女の言うことにも一理ある。この国はかつて魔神との戦争に明け暮れていた時代があった。魔神の配下とされる魔物の軍団となんど戦争したか、数え切れない。


 その魔神がある時を境に突然攻めてこなくなったのだ。魔物の軍団も消え、国境付近の治安は以前より遥かによくなった。


 多くの人は知る由もない。もちろんシモーヌだって知らないだろう、実はこの立役者は意外にもたった一人の女性だったのだ。


 俺はその女性に一か月前に出会ってしまった。



 一か月前、俺はいつものように公務を終え私邸へ帰ろうとした。その日はいつも以上に残業していたため、疲れが溜まって帰りの馬車でうっかり眠ってしまった。


 そして夜もかなり更けていたため、馬も疲れていた。御者が俺の公邸まで戻らず、途中にあった格安の宿に馬車を停めた。


 公爵家の身分である俺がそんな宿に泊まるわけにはいかなかったが、さすがに疲れが溜まっていたため、仕方なくその宿で一泊することにした。


 部屋を借りてベッドに横になり、眠りに落ちた。そして翌朝、不思議な音色が聞こえて俺は目を覚ました。


 その不思議な音色に導かれるように、俺はベッドから身を起こした。日が昇ったばかりの早朝で人もほぼいない、宿の一階の中庭にその女性がいた。


「……あの女性は?」


 女性は楽器を奏でていた。両手で弦を巧みに弾く、ハープの音色だった。


 これまでに聞いたことのないほど美しいハープの音色に、俺は思わず魅了された。そのままその場にとどまっていると、女性は演奏をやめた。


「ごめんなさい、起こしてしまいました?」


 俺に声を掛けた。ふと見た彼女の顔はなんとも美しい、シモーヌに劣らぬその美しい顔と琥珀色の瞳、さらに透き通るような白い肌、長い黒髪、全てが俺を魅了させた。


「とんでもない、とてもいい音色だ。もっと聞かせてくれ」


 彼女に促した。戸惑いながらも、またハープを奏でる。本当に美しい音色だ、時間が経つのを思わず忘れて、俺はそのまま聞き続けた。


 しばらくして、朝食をとる時間となり、俺は彼女と同席して食事をともにした。お互いに自己紹介を済ませた。


「まぁ、公爵家の……方だったんですか?」

「そうだね、一応は。君の名前は?」


 彼女の名前はアリーナ・カーター、この宿で使用人として働いている。


「こんなみすぼらしい姿で、申し訳ございません」


 彼女は自分の身なりを気にしていた。聞けば彼女は平民とのことだ。目の前にいるのが公爵家の人間だから仕方ない。


「気にしなくていい。俺は君のハープが好きだ、食事が終わったらもっと聞かせてくれよ」

「嬉しいですけど、お仕事に行かれなくてよろしいのですか?」

「幸い今日は休日だ。夕方まではここでのんびり過ごすよ」


 彼女は笑顔で礼を言った。そしてその日は夕方までアリーナのハープに癒された。


 それからも俺は仕事が終わるたびにこの宿へ向かった。連日訪れることに、アリーナは戸惑っていたが徐々に打ち解けていった。


 そしてハープだけじゃない。俺はいつの間にか、彼女の全てが好きになっていた。


 料理を手作りでもてなしてくれたこともある。高級な食材や調味料を使っているわけでもない。それでもうまかった。


 いつも私邸でメイドが作ってくれた料理を食べるが、それとは比較にならない。優しさやぬくもり、愛情が込められている。そんな気がした。


 俺はこの時初めて思った。これが恋なんだと。やっと心から愛せる女性ができた。


 ある日、俺は決心した。いつものようにアリーナのハープを聞き終えた後、彼女の手を握った。そして告白した。


「君と……ずっと一緒にいたい」

「ラインハルト……様」

「結婚してほしい、この僕と」


 彼女の瞳をじっと見た。あまりに衝撃的な言葉だったのか、彼女は困惑し言葉が出なかった。


「すまない、突然こんなことを言ってしまって」

「いえ、いいんです。お気持ちは……すごく嬉しいです。でも……」


 アリーナは俺の顔をじっと見つめて言った。


「私は貴族ではありません。平民ですが……それでも大丈夫ですか?」


 その言葉は、俺にとってくだらないことだった。


「構わない。君が平民だろうが、奴隷だろうが、なんだっていい。俺は本当に君が好きなんだ」

「ラインハルト様……ありがとうございます」

「様なんてつけなくていいよ。アリーナ、これからはお互い呼び捨てだ」


 戸惑いつつも、彼女の顔はじきに笑顔に変わった。


「……ラインハルト」

「アリーナ」


 彼女も了承してくれた。これで俺の本当の婚約者が決まった。


「でも、ご両親に相談されなくてよろしいのですか?」

「それはわかっている。近いうちに大事な行事があってね、その日に打ち明けよう。君を連れて」

「自信は……ありますか?」


 アリーナは不安を隠せない声で言った。


「大丈夫だ。君のハープに込められた魔力、あの魔神をも退ける力が込められた音色、それを聞いてもらえれば……」



 翌日、遂にその日がやってきた。


 シモーヌのドレスの微調整、そしてお茶会のために、俺は実家に訪れる。そしてシモーヌの両親と彼女もすでに来ていた。


「ご機嫌麗しゅうございます、ピアース卿」

「こちらこそご機嫌麗しゅうございます、ヴェローナ卿」

「今日はお越しいただいて誠にありがとうございます」


 シモーヌの両親が深々と頭を下げた。俺の両親も頭を下げる。事実上、俺とシモーヌの結婚を両親同士で正式に決定する日だ。


 いつも以上に豪華で煌びやかなドレスに身を包んでいたシモーヌは、俺の顔をずっと見ている。彼女は結婚後の俺との生活を想像しているだろう。


 だけどその夢は叶わない。シモーヌの父親のウェッジ市長が俺の顔を見た。


「ラインハルト殿、どうか私の娘を末永く幸せに……よろしくお願いいたします」


 ウェッジ市長は深く頭を下げて言った。そしてシモーヌも頭を下げた。


「……どうした、ハルト?」


 本来俺も頭を下げて同意しなければいけない場面だ。俺は頭を下げなかった。


「おい、ハルト。頭を下げんか」

「父上、そしてヴェローナ卿。残念ですが……お断りいたします」


 両親達を目の前にして、俺はきっぱり言い放った。 


「い、今……なんと言った?」

「誠に申し訳ございませんが、シモーヌ令嬢との婚約を破棄いたします」


 場が凍り付いた。全員の顔が青ざめる。


「……なんですって?」

「ハルト! 気でもふれたか? せっかく進んでいた縁談を」

「父上、俺は正気です。わたくし、ラインハルト・ピアースはこちらの女性、アリーナ・カーターと婚姻の契りを交わします」


 アリーナが部屋に入ってきて、俺は彼女を紹介した。全員が呆気にとられる。アリーナも頭を下げ、自己紹介した。


「……まさかその女性……」

「平民ではなかろうな」


 一応服装には気を付けたつもりだが、やっぱりみすぼらしい外見には違いなかった。化粧もそこまで力を入れてないし、ましてや高級な装飾品もつけていない。


「……よろしくお願いします」

「そういうことだ。俺はこちらのアリーナと結婚する、もちろん彼女は了承済みだ」


 シモーヌの顔からは完全に笑顔が消え、俺への怒りが剥き出しとなっている。


「一体どういうことなの!? そのようなはしたない女性と婚姻ですって!? あなた正気なの?」

「正気さ。俺は彼女を……愛している」


 シモーヌはガクッと膝をついた。シモーヌの母も頭を抱える。


「ラインハルト殿、教えていただきたい。一体彼女のどこに惚れたのであろうか?」


 一同が悲しみに明け暮れる中、ウェッジ市長だけが俺に質問した。


「彼女の美しさ、心の清らかさ……そして何より、彼女の奏でるハープです。アリーナ、頼むぞ」


 アリーナはハープを取り出した。そしてハープを奏で、素敵な音色を響かせる。全員が思わずうっとりしてしまった。


「なんと美しい音色だ。聞いたことがない」

「素晴らしいですわ。不思議と、心が安らぎます」


 さっきまでの悲しさが若干和らいだ。アリーナも嬉しそうだ。


 でもシモーヌだけは違う。むしろさっきよりもさらに憎悪に満ちた顔で睨み返した。


「何がハープよ! 何が素晴らしい音色よ! ばかばかしい、そんな音色私にだってできるわ!」


 そう言うと彼女はアメリアからハープを取り上げた。そしてハープを魔法で宙に浮かせると、同じく魔法の力で弦を華麗に弾いて音色を轟かせた。


 確かに美しい音色だった。美しいというより迫力、力強さがある。良質な音楽という意味では、確かにこれでも十分だろう。


「おほほほ! お聞きなさい、アリーナと言ったかしら? あなたにはこんな美しい音色は不可能でしょう?」


 アメリアは笑いながら自慢し、アリーナを侮辱する。


 でも俺の心には響かなかった。シモーヌの奏でるハープには不可能なことがある、それを俺は知っていた。


「シモーヌ、残念だが君は一つ誤解しているな」

「誤解? 一体何を言っているの?」

「アリーナのハープには……不思議な力が込められているんだ。今からそれを証明してやろう」


 俺は指を鳴らした。そして入口のドアが開いた。黒い布を被せたかごを持った執事が入ってきた。


「ラインハルト様、本当によろしいのですか?」

「かまわない、やってくれ」


 執事はそう言うと、かごを床に置いた。俺は被せてあった布を取っ払った。


「きしゃあああああ」


 かごに入っていたのは一体のコウモリ型の魔物だ。光が目に入り、暴れまわっている。


「そ、それは!?」

「魔物ではないか? どういうことだ、ハルト!」

「あなた、一体何をするつもり!?」

「落ち着いてくれ。これからこの魔物を静めようと思う」

「静めるだと? 一体どうやって?」

「アリーナ、頼む」


 アリーナはそのままハープを奏でた。さっきと同じ心地よい音色が響き渡る。


「なんでハープなんか? そんなことで魔物が静まるわけが……」

「いや……見て、あなた」


 シモーヌの母が早速異変に気付く。なんとさっきまで暴れ回っていた魔物が、急におとなしくなった。


「おぉ、なんと……」

「本当に鎮めたのか? 信じられん」

「これが彼女の力……邪気封印です」

「邪気封印だと? それは失われた古代人の力と言われているが……」

「彼女にはその力があります。その力は楽器を奏でることによって最大限に引き出され、このように邪気がある魔物達の動きを静めるのです」

「では、魔神がこの国に攻めてこなくなったのも、彼女のおかげだったのか」


 そういうことになる。ようやく全員が彼女の力を理解してくれた。


 でもシモーヌだけは違う。相変わらず怖い顔のまま、俺達を睨んでいる。


「信じられないわ、そんな話! 信じられるものですか!」

「ではシモーヌ。君がハープを奏でたまえ。君にも同じことができるというのなら、俺は何も文句は言わない」


 俺はハープをシモーヌに渡した。シモーヌは渋々受け取り、さっきと同じ要領でハープを奏でる。


 また同じような音色が響く。魔物はさっきとは正反対に、また暴れ回った。シモーヌは思わず演奏をやめる。


 シモーヌの顔はショックを隠し切れない。手も震えている。嫉妬しているのだろうな。


「……どうだ。これでわかっただろう、彼女の力の凄さが」

「だから、何だって言うのよ?」

「なんだと?」

「だから……そんな小型の魔物を静めたところで何が凄いって言うの?」

「お前……まだそんな」

「あなたは大事なことを忘れているわ。邪気封印の力、確かにアリーナにはあるかもしれない。でもね、魔神の邪気は比較にならないほど巨大よ。彼女ごときが、魔神を封じきれると思って?」

「……それは」


 俺はアリーナを見た。アリーナは思わず目を背ける。もしかしたら、シモーヌの言っている通りだというのか。


「アリーナ、君ならできる。たとえ相手が魔神だろうが関係ないだろ」

「ハルト……」

「くぅ! きやすく愛称で呼ばないで!」


 シモーヌが攻撃魔法を仕掛けた。俺は咄嗟に防御魔法で防いだ。


「シモーヌ。君が何と言おうが、婚約は破棄させてもらう」

「まだそんなことを……ではピアース卿、あなたはどうなさるおつもりなの?」


 シモーヌは親父に確認を取る。親父は俺の顔を見た。


「ハルト……本気なのか」

「本気さ。俺は彼女を愛している」

「そうか……どうやら揺るぎなさそうだな……ならば……」

「あなた……まさか」


 親父は目を瞑った。そしてそのまま何も言わず、俺に背を向けた。


「お前は……廃嫡だ」


 衝撃の一言だった。その瞬間、俺は貴族としての身分を失った。


 親父はウェッジ市長、そしてシモーヌに謝罪した。代わりに弟のガブリエルとの婚姻を了承させた。


 なんと手際のいいことだ。もしかしたら親父は知っていたのかもしれない、俺がアリーナと付き合っていたことを。


「ハルト……ごめんなさい。私のために……」


 アリーナが俺に身を寄せながら謝罪した。


「平気さ、気にするな。俺は……覚悟していたよ」

「ハルト……」


 そうだ。こうなるのは仕方なかった。平民と公爵家の人間は結ばれない。アリーナと結ばれるなら、俺は貴族ではいられない。


 それがこの国のしきたりだ。


「ハルト、その女と一緒にどこへでも好きな場所へ行け。その代わり、二度と私の前に顔を見せるな」


 親父はそれだけ言い残した。そして翌日、俺は荷物をまとめ私邸をあとにした。


 俺の私邸は弟のガブリエルが継ぐことなった。そして今後は弟とシモーヌが同居することになる。


 弟は俺がいなくなることに最初戸惑っていた。だけど弟はシモーヌが好きだった。そう、俺よりもずっと。


 俺がいなくなったことで、弟が代わりにシモーヌと結ばれることになる。これでよかった、弟のためにも。


「じゃあな、ガブリエル。シモーヌと一緒に幸せに暮らせよ」


 俺は弟に別れを告げ、私邸をあとにした。


 玄関を出る時弟は見送ってくれたが、シモーヌは顔を見せなかった。でも玄関を出て、しばらく歩き後ろを振り向いた。


「……シモーヌ」


 二階の窓からシモーヌが顔を出していた。しばらく俺と目が合ったが、すぐにカーテンを閉めた。


 一瞬だけ見えたシモーヌの顔はとても寂しげだった。こんな形で別れることに納得がいかない気持ちはわかる。でも俺はもう貴族じゃない。


 これからどのくらい時間がかかるのかわからないけど、彼女の心の傷が癒されるのを願おう。





 それから一か月が経った。


 俺とアリーナは王都から離れた、郊外にある小さな村で家を建て同棲していた。なにを隠そう、アリーナの故郷だ。


 質素な家だった。階段もない、広くもない。本当に小さな家だ。それでも幸せな日々を送っている。


「ただいま、アリーナ」

「お帰り、ハルト。今日は早かったのね」


 廃嫡され、平民となった俺は連日この村で彼女の両親と一緒に農作業に従事している。前職に比べれば、肉体的にきつい。


 俺も昔は魔法騎士として名を馳せていたが、やはりデスクワークが続きすぎたせいもあって、すっかりなまってしまったようだ。


「お父さんが無理させちゃったみたいね」

「でも驚いたよ。もう六十近いんだってね」

「お父さんも昔は騎士団だったのよ。でもあなたにはかなわないと言っていたわ」

「そうか……それは嬉しいな」

「明日も仕事でしょ。今日は早めに寝てね」

「わかってる。でもその前にいつものあれ、頼むよ」

「ふふ、いいわよ」


 その後食事を済まし、風呂にも入って、ベッドに入った。


 ベッドに入るのが今ではすっかり楽しみだ、彼女と寝ることではない。


「じゃあ、始めてくれ」


 彼女が椅子に座ってハープを奏でた。相変わらず美しい音色だ。心が癒される、寝る前はもうこれが日課だ。


 彼女は歌も歌ってくれる。美しい歌声だ、楽器だけでなく歌もうまい。彼女の歌とハープの音で、眠りに落ちる。どんなに疲れていても、これで熟睡できる。最高だ。


 ずっとこんな日々が続けばいい、そう思いながら眠りに落ちかけたその時。


 ドンドンドンドン!


 激しく玄関のドアを叩く音が聞こえ、目が覚めた。


「こんな夜遅くに一体誰?」

「俺が出るよ」


 しぶしぶベッドから起き上がって、玄関まで足を運んだ。


 ドンドンドンドン!


「はいはい、今出ますよ」


 俺は玄関を開けた。背の高い鎧を着た男性が、怖い顔で俺を睨んでいた。


「ラインハルト・ピアース殿でございますね」


 突然出てきたその男の姿を見て、俺は驚いた。なんと宮廷直属の騎士団の一人だ。


「……いや、人違いだ。俺はピアースじゃない」

「では、こうお呼びした方がいいのですか? ラインハルト・カーター殿と……」


 カーター、それはアリーナの姓だ。まだ正式に結婚していないが、いずれそうなる予定だ。


「……わかった、こんな夜遅くに何の用だ?」

「申し訳ございません、ラインハルト殿。私は王宮騎士団のジャック・マートンと言います。今すぐに王宮へお越しいただけないでしょうか?」

「王宮へだって?」


 耳を疑う言葉が出てきた。


「俺が廃嫡されたのは知ってるだろう? 王宮へ戻れるだなんて思えないが」

「戻るのはあなただけではありません。あなたの奥様もです」

「アリーナも!?」


 思わず大声が出てきた。奥で話を聞いていたアリーナも飛び出す。


「ハルト、一体どういうこと?」

「アリーナ殿ですね。あなたとラインハルト殿を今すぐ王宮へお連れ致します、詳しい事情は馬車の中でお話します」

「今すぐ行けと言われても、今日はもう疲れているんだ。さすがに日を改めてほしいな」


 俺は玄関のドアを閉めようとした。でもジャックは俺の腕を強引に掴む。


「駄目です、緊急事態なのです! 今すぐ王宮へお越しください!」


 ジャックが大声で叫んだ。緊迫感が嫌でも伝わってくる。そしてさらに衝撃的なものを目にした。


「きゃあ!」


 思わずアリーナが叫んでしまった。なんと後ろにいた騎士が血を流している。


「治療はしています、心配いりません」

「わかった。ただ事じゃないんだな」

「そうです、今すぐお連れ致します。出発の準備を済ませてください」


 断ることはできない。俺とアリーナはすぐに準備を済ませ、騎士達の馬車に乗り込んだ。


 馬車に乗って移動している最中、ジャックから事情を説明された。


「王都が襲撃されたって?」

「はい。一週間前に突然魔物の軍勢が大挙して押し寄せてきました」

「そんな……国境の警備はどうなっていた?」

「ここ数年、全くと言っていいほど実戦経験がありませんでしたから。昔の戦争を経験した騎士達も引退していたので、とても抑えきれませんでした」


 恐れていたことが起きてしまった。だけど俺には心当たりがあった。


「アリーナ……やはり君が王都を離れたから」

「そんな、私の力はそこまで大きくは……」

「いいえ。アリーナ殿にはあります」


 ジャックが口を挟んだ。


「ラインハルト殿が廃嫡された日、確か邪気封印の力を披露されましたね」

「はい。でも、あくまで弱い魔物だけです。強力な魔物に有効かどうか……」

「その反応だと、証明されたんだな」


 ジャックは無言で頷いた。アリーナも信じられないような顔をした。


「誠に……申し訳ございませんでした。あなた様の力の凄さを少しでも疑ってしまったばかりに、このようなことになってしまって」


 ジャックが必死で頭を下げている。だけどここで謝っても仕方ない、俺は王宮へ急ぐよう指示した。



 時刻はすっかり真夜中、だけど王都は異様に明るかった。襲撃され、あちこちで火の手が上がっていたのだ。


 魔物の死体もあったが、人の死体もあった。アリーナは思わず目を背けた。


「これでも被害を最小限に抑えたつもりですが……」


 何が最小限だと、俺は心の中で叫んだ。でも今は罵倒なんかしている暇はない。王宮へ着いた俺は、いち早く国王陛下の前まで案内された。


「ラインハルト・ピアース卿、そしてアリーナ・カーター殿、此度の緊急招集に応じてくれて誠に感謝する」

「挨拶よりも、いま現状どうなっているか、そして俺達を呼んだ理由を教えていただきたい」

「そうであったな。まず王都の被害状況は……」


 国王から簡単な被害状況を説明された。王都の中で最も被害がひどいのが北部、ここが国境に最も近い場所で、高さ50メートル近くある防壁が破壊されたという。


 その破壊された防壁から、大量の魔物が侵入した。王都騎士団の精鋭たちがが第一波はかろうじて退けたが、撤退していった魔物達が大量にいるため、まだ第二波が来ると予測される。


 そして俺が次に気になったのが、身内のことだ。北部と言えば、ちょうど俺の実家と私邸があった地区にあたる。


「家族は……ガブリエルや父、シモーヌは?」

「安心したまえ、全員王宮に避難した」


 仮にも公爵家だから、やはりいち早く安全な王宮内に避難できたのだろう。


 そして俺は気づいた。広間の片隅に、ボロボロの服を着た傷だらけの女性が蹲っているのを。


「あれは……シモーヌ!?」

「あぁ、ラインハルト様……」


 俺は思わず彼女のそばに駆け寄った。


「無事だったんだね、それにしてもひどい傷を……」

「あぁ、ラインハルト様。私のせいです、全て私が悪かったのです、どうか……お許しを……」


 シモーヌが泣きながら詫びている。


「アリーナ殿、すまぬ。余も疑ってしまった、やはりそなたにしか魔物、いや魔神の邪気を封印できぬ」


 国王まで頭を下げた。そして側近の一人が、差し出したのは巨大なハープだった。


「なんて大きなハープ、まさかそれで……」

「そなたの演奏が王都で途切れて一か月、その間に魔物の力がこれまで以上に活発化されてしまった。今までと同じハープでは無理がある、この大型のハープを奏でて鎮めてくれ」


 アリーナは戸惑いながらも、その大型のハープを受け取った。俺の顔を見た。


「……ハルト、私にできるかどうか……」

「大丈夫、君ならできる。俺は信じてる」

「最上階に展望台があります。そこからなら、あなたの音色も届きやすいでしょう」


 側近の一人が道案内をしてくれた。アリーナは覚悟を決め、階段を上って行った。


 しばらくして美しい音色が王宮内に轟き始める。またあの音色だ、俺は毎夜聞いているが、やはり王宮の皆、いや王都の全員にも聞かせてあげたい。


「なんと……美しい音色だ」

「凄い、心が落ち着きますわ」

「これでやっと魔物達も鎮められる。すぐに北部にいる駐屯軍に知らせろ!」


 国王が命令を下して、ジャック達がすぐに王宮をあとにした。


「ラインハルト・ピアース殿、そなたの廃嫡の件は余も耳にしている。そこで相談だが……」

「いや、俺は今のままでいい。彼女と一緒に静かに暮らしたい」


 これから国王が何を言うか、だいたい想像がついた。本来一度貴族から廃嫡された人間は、復権できない。しかし国王の命ならば、いつでも復権できる。


 かなりの特例事項ともいえる。だけど俺には興味がない、今更貴族に戻りたくもなかった。


「それは……しかしアリーナ殿の力なくして、王都を守り抜くことはできない」

「それはわかっていますとも。勘違いしないでください。俺は……騎士団としてもう一度戦う。そして……」


 アリーナと静かに暮らすには、それしか選択肢がない。魔物を率いる魔神を倒す、それが俺の使命だと悟った。


「ラインハルト・ピアース殿、お主の意気込み、誠に嬉しい限りだ。だがいくら平和を取り戻したいからと言って、魔神を倒すのは……」

「いいえ。陛下は誤解しておられます、アリーナの力は邪気封印だけではありません」

「それは一体どういうことだ?」

「こういうことです。はぁああ!」


 俺は剣を抜いて、両手を広げ気を込めた。おびただしい量の闘気で俺の体が満たされるのを感じた。


「おぉ、それは……!?」

「なんという闘気の量! 信じられん、あなたは騎士を引退して久しいというのに」

「これが……彼女のもう一つの力です」

「まさか、潜在能力を引き出せるというのか!?」


 その通りだ。これは俺が農作業中に味わった、彼女がハープを奏でていた間、不思議と力が漲っていた。


 今は巨大なハープで奏でている、そうなると引き出せる力は通常の十倍以上にも膨れ上がる。


「これは凄い。本当に魔神を倒せるかもしれぬ」

「ラインハルト様、私もお供します!」


 王宮内にいた騎士団達がこぞって俺に寄ってきた。さすがは精鋭部隊ともいえる、漲る闘気が全員尋常じゃない。


 だけどその中に意外な人物も混ざっていた。


「わたくしも……戦いますわ」

「シモーヌ」

「だてに魔法学園を首席で卒業してはいません。このまま負けたままでは気分が悪いですから。それに……」


 彼女はアリーナが上がっていった階段を見た。


「彼女にも……負けたくありませんから!」


 やはりシモーヌはプライドが高い。まだ対抗心を燃やしているようだ、でも俺はなんだか安心した。


「それなら明朝、さっそく北部へ出発だ。いいな!?」


 俺の言葉に全員大声で返事をした。戦いが始まる、これから新しい戦いが。





 明朝、日が昇りかけた時刻俺は王宮の前の広場にいた。久しぶりに鎧を着た、この感触を久しぶりに味わう。


 俺が現役の頃は戦争などなかった。せいぜい国境付近に近づいた小型の魔物を、何体か駆除した程度だ。


 でもこれからは違う、本当の戦争だ。俺達は国境を越え、魔神が潜む北の魔境へ旅立つ。


 見送ってくれたのは、ほかでもないアリーナだった。聞けば昨日のハープの音色が効いて、押し寄せてきた第二波の軍隊も撃退したらしい。


 騎士団達も普段よりずっと動きがよくなっていた。全てはアリーナのおかげだとも知らずに。


「本当に、行くの?」

「行くさ。君にこれ以上負担をかけさせたくないからね」

「私は平気よ、ハープを奏でるのは好きだもの」

「そうか。でも俺は、あの場所がいい。君の故郷が気に入ったんだ」

「ハルト……」


 俺はアリーナを抱きしめた。しばらく彼女の温もりが味わえなくなるのが、俺にとっても寂しい。


「必ず帰ってきてね、約束よ」

「あぁ、約束する。魔神を倒して、今度こそ平和を取り戻す」


 そして俺は馬に乗り、北部へ旅立った。アリーナは最後まで見送って、手を振ってくれた。


 移動してしばらく経つと、またあの音色が聞こえてきた。


 そう、俺は一人じゃない。常にアリーナが見守ってくれる。怖いものは何もなかった。

異世界恋愛、短編二作目です。


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