404号室飯塚真一
飯塚と山下の妻は食事も早々に切り上げ二人で風呂に向かった。
この303号室も404号室も同じ作りだとすると、二人で入るのは狭いだろう。
私はこのまま画面を見るべきか迷った。
2人はやがて戻ってくる。
そして、ここで情事にふけるに違いない。
女が見ず知らずならさほど良心も痛まない。
だが、今飯塚の部屋にいるのは山下の妻なのである。
案の定、二人は早々に風呂から上がると私に見られているとは知る由もなく、痴態を繰り広げた。
飯塚は仰向けに寝っ転がるだけで何もしない。
ひたすらに山下の妻が甲斐甲斐しく奉仕している。
どうやら彼女は飯塚に相当入れ込んでいるようで、山下には悪いがこれはもう、と思わされる内容だった。
二人の交わりが中盤に差し掛かった頃、また隣人ニュースが入った。
画面がに分割されると、そこに中山優香の部屋が映し出された。
隣人ニュース:303号室中山優香自慰開始
このマンションの防音性能は低い。
どうやら淫音に当てられた中山が堪えきれなくなったようだ。
左の画面で飯塚と山下の妻が、右の画面で中山優香の痴態が繰り広げられた。
中山優香の自慰は相変わらずだ。
部屋の電気を消しているせいもあるだろうが、これほど色気のない女の自慰も珍しい。
酔いがまわってきた私は画面内で繰り広げられるをただ眺めた。
私は随分長い間一人で暮らしてきた。
もう十年くらいは独りである。
公私ともに自分の生活だけに追われてきた私は、隣人など気にした事はなかった。
独りである事は快適であり、孤独である。
それは幸せであり、不幸せでもある。
世界と折り合いがついているようで、ついていないようでもある。
今画面の中にいる三人も、同じなのかもしれない。
飯塚は会社の先輩の女房に手を出し、その女房はあれだけ愛妻家の山下を裏切り続けている。
中山優香は若くて美貌もありながら今日も自分で慰めている。
私はいつの間にか彼らに親近感を覚えていた。
缶ビールが無くなりそうになり、もう一本の飲もうかと歩きだすと、また隣人ニュースの音がした。
隣人ニュース:403号室田中辰雄殺人行動開始
画面は三分割され、画面上側に痴態の二部屋、下側に田中の部屋が映し出された。
田中は自分の部屋と飯塚たちのいる部屋を仕切る壁に何度も頭を打ち付けている。
田中の右手には包丁が握られている。
包丁はプルプルと震えていた。
随分情緒不安定なのだろう。
頭突きの勢いがどんどん増していく。
壁伝いにこの部屋まで何かを打ち付ける音が響いている。
404号室の飯塚を見ると、飯塚は気にしているようで壁を見ているが山下の妻はお構いなしに飯塚の上でくねりまくっている。
山下の妻の嬌声は次第に大きくなり、窓から漏れた声が303号室まで聞こえてくるようになった。
その時、田中が大きな奇声を発した。
田中の声は腹の底から出ていて、なおかつ裏返っている。
正常な人間の声でないと誰もがわかる。
まるで祈祷師が悪霊を追い払うかのような気合いとえも言われぬ迫力があった。
山下の妻の動きが止まった。
中山優香の動きも止まった。
なんなら飯塚と私の動きも止まっていた。
さらに、田中は自分の声に驚いたのか、自分自身も壁にピタリと頭をつけたまま停止している。
田中の奇声は自分も含め、周辺の人間全ての動きを止めたのであった。
少しして、飯塚が山下の妻を押し退けると、裸のままベランダに出た。
そして隣に向かって怒鳴った。
「おい!うるせえぞ!黙れ!」
飯塚が田中にキレた。
部屋では山下の妻がその様子を静かに見ている。
中山優香はベッドの上で動かなくなったままだ。
田中を見ると、顔がプルプルと震え始め、赤くなってきた。
怒っている。
包丁を持つ手に力が入っている。
このままでは危険だ。
田中によって飯塚と山下の妻が殺されてしまう。
正直、二人にはさほど思い入れはない。
だが、このまま殺人を見過ごすわけにもいかない。
私は咄嗟にベランダを開けると、腹の底から目一杯の奇声をあげた。
「キエエエエエェェェェェl」
自分でも驚く大声で、田中の声とそっくりの奇声だった。
急に羞恥心が襲ってきて、すぐにベランダの戸を閉めるとテレビの画面を見た。
飯塚と山下の妻は顔を見合わせ、中山優香はこちら側の壁を凝視している。
田中は随分驚いたのだろう。
目を見開き、床を見つめている。
飯塚は自分の部屋に戻るとベッドに潜り、山下の妻が覆いかぶさるとそっぽを向いた。
中山優香は立ち上がるとそのまま風呂へ行き、田中は包丁を持ったまま床にへたり込んで何やらブツブツと言っていた。
ともあれ、私の奇声により、田中の殺人事件は回避された。
またしても私は隣人達を救ったのである。
画面はまた元に戻り、夜のニュースでは、山城代議士の辞職のニューが流れていた。