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偽りの幸せ

作者: Y

―偽りの幸せ―


私は都内の1Rに住んでいる、保険会社勤務の独り身だ。今年で28歳。この歳にもなると周りが結婚やら婚活やらで忙しくなってくる。でも私は不思議なもので、結婚にはまだ焦りはしない。が、少し前から人肌が恋しくなっている。「おかえり」の声はいつ聞こえるのだろうか。

いつものように仕事が終わり、帰宅した。壁に掛けた茶色い枠の丸時計には「PM 19:00」の表記。そそくさと冷蔵庫からチューハイを取り出し、「今日も頑張った。」と、ソファーに腰を掛け、プシュッという音と共に、また今日も戦士の休息が始まる。最高の時間だ。そして、いつものように「なにか面白いのやってないかな〜」とテレビを付ける。一目散に私と休息を共にしたかったのはミステリー番組だった。どうやら犬や猫の殺処分について考えるコーナーらしい。「なんかおもしろそう」とチューハイをごくりと飲み、ふと思考を巡らせた。


「ペットって本当に幸せなのかな?」

私はよく動物について考える。同じヒトにも言えるが、感情が分からないからだ。犬や猫、俗に言う人に飼われている「ペット」は真に幸せと呼べるのだろうか。本来、野生として繁殖していた動物達だが、人間の文明の発展が故、所謂「癒し」や「寂しい」はたまた「かわいい」という人間の感情を癒す為に、飼われるのが大々的だ。生き物を商品とするビジネス、つまりエゴだ。ヒトにも言えることだが、犬や猫の感情は現代技術では、到底知る由もない。勿論、真に飼い主から愛され、はたまた、真に飼い主を愛しているペットもいるはず。だが、本来飼われなくとも、野生の環境下で生きてきたのが動物だ。タイムトラベルでもしない限り分からないが、元々は野生で育つはずが、無理矢理人間社会に入れられ、ショーケース内でされたくもない品定めをされる。客が気に入ればその日から犬や猫は「商品」ではなく「ペット」になる。

勿論、飼い主がよくしていればショーケースの中より快適で、好きなモノも食べれるし散歩もさせてくれる。本当に「好き」なのかは別だが。が、それは人間社会という刑務所の中で刑期を全うしていて、そこに真の自由はない。という見方も出来る。

心から笑っているペットは、真の幸せと呼べるのだろうか。野生として生きていった先には、野生としての無限の幸せの可能性があった。勿論、それはペットとしても無限の幸せの可能性があるのも間違いない。だが、本来の文化が崩され、違う文化や環境下におかれたモノの本当の笑みは本来なかったものだ。運命を人間が変えたことになる。しかもその人間は当の動物の感情など分からない。また、飼い主がペットに愛を注ぐ。というのは至極当たり前のように感じるが、その行為によって、養っている。という支配欲求の元、ヒト自身が快感を得ているという見方も出来る。勿論、真の愛があったとしても一方的な愛の可能性もあるかもしれない。ということだ。いくらエビデンスがあると言えど、科学にはは介入出来ないものもあるだろう。

ペットとしての幸せは、偽りの幸せなのか。それとも必然的なのか。真の幸せはどこにあるのだろうか。と、いろいろと頭がこんがらがってきたので、私はリモコンを手に取り、テレビを消した。ある意味、真の休息だ。もう一度ソファーに深く座り、安堵の表情でため息をつく。


―全く、ペットも大変だな―


そう思いながら

私は今、愛猫を撫でている。

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