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二日目 1

 目を閉じた次の瞬間に、フランシーユは朝を迎えていた。


(まったく眠った気がしないわ。時間だけは身分に関係なく平等に流れるというのは嘘じゃないかしら)


 母マリアンヌの「おはようございます、陛下」の声で叩き起こされたフランシーユは、寝台の上で上半身を起こしたままぼんやりと女官たちの仕事ぶりを眺めていた。

 窓掛け(カーテン)が開け放たれた窓からは眩しい朝の日差しが爽やかに差し込んでいる、

 硝子窓の隙間から流れ込んでくる風は温かい。

 窓の外からは宮殿内の木々に棲み着いている鳥たちの鳴き声が響き渡り、女官たちが寝室を歩き回る衣擦れの音が耳障りに聞こえた。

 プルミエ公爵家では、フランシーユの朝は遅い。

 寝台横の脇机に置かれた時計に視線を向ければ、普段のフランシーユの起床時刻よりも一刻は早かった。


(枕が変わると寝られないんじゃないかとか心配する暇もなく朝が来てしまったけれど、疲れはとれていないし、眠くてたまらないし、こんな早起きをさせられるなんて聞いてないわ)


 あくびをかみ殺しながらフランシーユが恨めしげに母を見つめると、優しい笑顔のままプルミエ公爵夫人は無情に告げた。


「さぁ、陛下! いますぐお着替えをなさって朝食を召し上がってくださいませ。今日からわたくしが陛下の生活習慣をきっちりと管理してまいりますからね!」


(……つまりは、ヴィオレーユ陛下はこれまでまったく早起きをしていなかったということよね?)


 どうやら、プルミエ公爵夫人は将来の息子の嫁である女王を指導監督するという名目で、フランシーユがこれまでの女王とはまったく違う行動をしても周囲が怪しまないようにするつもりらしい。


(でも、さすがにもうちょっと寝たいのだけど)


 あと半刻だけでも、とフランシーユが母に訴える前に、女官のひとりがフランシーユの寝間着を脱がせにかかった。


「ちょ……っ」


 フランシーユが抗議の声を上げる前に、ドロワーズ、シュミーズを着せられ、寝台から下ろされて顔を洗い、コルセットで腰を締め上げられた。


「朝の食事は一日の活力の元ですからね。たくさん召し上がってくださいな」


 着替えが済むと、寝室の隣にある居間に連れて行かれた。

 円卓の上には十皿は超える料理が並んでおり、プルミエ公爵家の普段の朝食よりも豪華だった。


「わたくしも一緒にいただきますね」


 ひとつの皿に盛られた料理を給仕係の女官が取り分け皿に載せてマリアンヌに渡した。

 どうやらプルミエ公爵夫人みずから毒味係を引き受けているらしい。


(お母様も昨夜はわたしが眠るまで一緒に起きていらしたから寝不足でしょうに……元気だわ)


 さすが元王女、とフランシーユは感心した。

 しかも、いつもよりも生き生きしているように見える。

 プルミエ公爵夫人として公爵邸で使用人たちに囲まれておっとりと過ごすよりも、女官たちを指揮している方が性に合っているのかもしれない。

 プルミエ公爵家の令嬢としてのんびり育ってきたフランシーユにはついていけない世界だった。


(朝からコルセットで胃を締め上げられていると、全然食欲がわかないんですけど!)


 皿の上に盛られたハム、目玉焼き、生野菜、果物、パンなどを眺めながらフランシーユはため息をついた。


     *


 朝食後、執務室へ連行され、一刻の間ずっと書類に署名をする作業に没頭した。

 女王の補佐官たちは、これまで仕事に対して適当だった女王が昨日に引き続き政務に精力的であることに驚いていたが、フランシーユは周囲の視線を意識している暇などなかった。


(あー、右手が痛いわ。ペンを握るのが辛くなってきたわ。字がなんかゆがんできてるわ)


 誰の目にも明らかに署名の文字が雑になってきている。

 昨日の疲れが残る状態で字を書いているせいか、ペンが紙の上をなめらかに滑ってくれないのだ。


「陛下。そろそろ一度休憩をされてはいかがでしょうか」


 フランシーユが署名を書く速度が遅くなってきていることに気づいたプルミエ公爵夫人が声をかける。


「えぇ、そうします」


 すぐさまフランシーユがペンを放すと、補佐官がペンをインク壺の横に置く。

 執務室付きの侍従が飲み物と軽食を運んできた。


「今日の陛下はとても仕事熱心ですな」


 フランシーユが執務室に入る前から中で待ち構えていた宰相が、わざとらしく(ねぎら)いの言葉を掛けてくる。


「……えぇ」


 寝不足で機嫌が悪いフランシーユは、むすっとしたまま答えた。

 元々ヴィオレーユ女王は家臣たちと日常的にあまり喋らないようなので、会話が続かなくても周囲が妙に感じることはないと思われた。


「宰相。このあと、すこし散歩をしてきても良いかしら」


 凝った肩を回したり、腕を伸ばして背中を反らしたりしたいところだったが、それが女王らしい振る舞いかどうかわからず、フランシーユは目の前に並べられた紅茶と焼き菓子を手元に引き寄せながらプルミエ公爵に尋ねた。


「散歩、ですか。どちらへ?」

「近衛隊の(とん)(しょ)を視察に」

「近衛隊、ですか」


 プルミエ公爵は部屋の隅で待機しているアンセルムにさっと視線を向けた。

 その目つきから、どんな入れ知恵をしたのか、と睨み付けている様子がうかがえたが、対するアンセルムは素知らぬ顔をしている。


「どうせ散歩をするならついでに視察でもしてはどうか、とランヴァン卿が薦めるものだから、一度くらい行ってみようかと思って」

「それは良いお考えですね。近衛隊の隊士たちの士気も上がることでしょう」


 反対する理由が見つからなかったのか、宰相は首を縦に振った。


「ところで、どのように屯所まで行かれるおつもりですか」

「え? それはもちろん、歩いて……」


 散歩なのだから当然歩いて行くものだと考えていたフランシーユは、なにを尋ねられているのか理解できないまま答えた。


「北の端の屯所まで? 陛下の足では、四半刻ほどかかりますが」

「……………………気分転換に歩くわ」


 今度はフランシーユがアンセルムを睨み付けながら、低い声で答えた。


(屯所まで片道四半刻って、うちの庭を散歩するのとはわけが違う距離じゃないの! そりゃ、陛下だってなかなか足を伸ばさないわよね!)


 日常的に散歩はしているが、深窓の令嬢の運動というのは一日五百歩も歩けばたくさん歩いたと言える。


(帰りは馬でも用意してもらおうかしら)


 俄然、視察を面倒に感じ始めたフランシーユだった。

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