四日目 2
結局、フランシーユの軍服正装執務はアンセルムの大反対によって中止となった。
ヴィオレーユの衣装部屋の服に対して「こんな地味な服は女王にふさわしくない!」と騒ぐフランシーユのために、マリアンヌがプルミエ公爵家のフランシーユの衣装部屋から仕立てたばかりの外出着を持ってこさせた。初夏らしい水色と白の縞模様に、小花を散らした柄、首元と七分袖口にはたっぷりとレースで襞飾りをつけ、腰には青い絹のリボンを結んだものだ。
女王の普段の装いにしては派手だが、「軍服で王宮内を歩き回るよりは断然まし」とアンセルムが言い、宰相も「脳筋将軍が仕事の邪魔をしにくるよりは良い」と言ったので、女王の日常着が多少華やかになるだけの変化となった。
それでも女王の執務室で働いている補佐官たちには衝撃だったらしく、フランシーユが執務室に入ると皆が目を丸くした。
「陛下、今日はどなたかお会いになるご予定がありましたか?」
女王の筆頭秘書が女王の予定表を見ながら尋ねたほどだ。
「いいえ」
素っ気なく答えながらも、フランシーユは新しく仕立てた服に袖を通せたことで機嫌を直していた。
髪型はヴィオレーユ女王の普段の結い方なので地味だが、そこは我慢することにした。
なにしろ、すべてを一度に変えてしまうと、女王が別人になったと気づかれてしまうかもしれないのだ。
アンセルムは、執務室の廊下で警護をしている護衛官たちに「もし将軍が訪ねてきても絶対に扉を開けるな。絶対に中に入れるな。全力で追い払え!」と厳命していた。
クレール公爵の人柄は悪くないのだが、近衛師団が絡むといろいろと面倒臭くなるらしい。
将軍としてのクレール公爵をほとんど知らないフランシーユは、アンセルムがなにを警戒しているのかはよくわからなかったが、とりあえず彼のしたいようにさせておくことにした。軍官嫌いの女王が、突然嬉々として将軍を執務室に通して面会するというのも、確かにおかしいことではある。
女王の衣装部屋の服が派手になっていたり、護衛の隊士たちの顔ぶれが変わっていたりしてもヴィオレーユが戻ってきた際に元に戻すことは可能だが、女王が将軍と意気投合していたと聞かされればヴィオレーユは卒倒し、また失踪すると言い出すかもしれない。
(さすがにねぇ、それはまずいわよね。お兄様だって困るでしょうし)
フランシーユはクレール公爵とも仲が良いが、それは将来の義父として親しいのであって、彼の仕事ぶりを知っているわけではない。
近衛師団の競技会に関しては、個人的には開催して欲しいと思っているが、宰相はアンセルムから将軍の計画を聞くなり「軍事費の無駄遣い」と一蹴したので、さすがに女王の一存で許可するのは難しそうだと判断した。
さらに、昨日ドゥジエーム大公に前国王の親衛隊の面倒を押しつけた手間もある。前国王の親衛隊は追放しておきながら近衛師団に接近したとなれば、女王の態度を訝しむ貴族たちも出てくるはずだ。
(そういえばわたしは、あくまでも身代わりの女王なのよね)
宰相がフランシーユの好きに行動させているところが多々あるため忘れがちだが、彼女は失踪した女王が戻ってくるまでの間の代理だ。
万が一ヴィオレーユが戻ってこなかった場合、フランシーユはヴィオレーユ女王にならなければならないが、いまのところ宰相の態度からは可能性として低いと彼女は考えていた。
(そもそも、ヴィオレーユ女王がお父様の目をかいくぐって駆け落ちしたなんて話そのものがうさんくさいのよね)
この三日間、王宮で生活をしている中でフランシーユが感じたのは、世間知らずの女王がいくら住み慣れた王宮とはいえ、協力者がいるとはいえ人目につかずに姿を消すのは困難、ということだった。
もちろん、王宮内には隠し扉や隠し通路、隠し部屋がたくさんある。
使用人たちが普段から使っている隠し扉や隠し通路から、王族と宰相しか知らないものまであるらしい。
近衛隊の隊長であるアンセルムも、王宮内の構造すべてを知っているわけではない。あるていどは把握しているが、近衛隊にも知らされていない部分があるそうだ。
それで警護ができるのかとフランシーユが尋ねると、「いまは平和だから」とアンセルムはさらりと答えた。
戦時となればまた別なのだろうが、平時はできるだけ王宮内の隠し通路などは限られた者しか知らせないようにしているらしい。
もちろん、フランシーユも教えてもらってはいない。
ヴィオレーユはそれらを知っているだろうが、女王が協力者とふたりでその隠し通路を使って執務室から姿を消したとしても、宰相であればその出口を知っているはずだ。もしくはマリアンヌから教えてもらっているはずだ。
(絶対、お父様はなにか隠しているのよね。陛下の居場所だってあるていどは把握しているはずよ。そうでなきゃ、あんなに平然としてわたしに女王の仕事をさせるはずがないんだもの)
宰相の態度からは、なんとしても女王に公式書類の山を片付けて欲しいという政務に対する意欲しか感じられない。ヴィオレーユ女王の安否を気にしたり、シリルからの連絡を待ちわびたり、良い知らせも悪い知らせも入ってこないことに苛ついたりする様子もない。
ただただ、フランシーユが書類に署名をし続けて、毎日百枚を超える書類が処理され、滞っていた様々な案件が動き出したことに喜んでいる風でしかない。
(アンセルムは、わたしが女王の仕事をしすぎるって困っているみたいだけど、そもそもヴィオレーユ女王が仕事をしなさすぎだったのよ)
フランシーユの目には、ヴィオレーユの女王としての怠慢ぶりがこの王宮の旧態依然とした空気を生み出しているように思えた。
女王は変化を好まない性格らしい。
とはいえ、父王が亡くなった以上、たったひとりの子供であるヴィオレーユが王として国を統治していくしかないのだ。いくら王制が形骸化しており、女王が宰相の傀儡だとしても、王は国の象徴として必要なのだ。
(大陸の中には君主制じゃない国もあるけれど、デュソール王国みたいに古い国って貴族がたくさんいるから、王制の方が都合が良いのよね。王が暗愚だと、革命が起きて王家が変わったり、君主制そのものが壊されたりすることもあるけれど、シス王家はそういうところは貴族と平民の均衡を保つようにして長年デュソール王国を統治してきているから)
王が政治に疎い若い女王でも、身代わりの女王でも国が混乱しないのは、デュソール王国の政治基盤が安定していることを意味している。
(別に王がいなくても困らないけれど、王という目に見える形でのデュソール王国の旗印があった方が国民が一体化するから、王家はなくならないし、ヴィオレーユ女王も必要なんでしょうね)
あまり革新的な王では、保守的なこの国に混乱をもたらすため、ヴィオレーユ女王くらい政に消極的な王の方が理想的なのかもしれない。
ドゥジエーム大公が王に向いていないと多くの貴族から判断されるのも、彼によって大きな改革がなされれば、国が混乱することが目に見えているからだろう。
国を変えていくにしても、いまは水面下でゆっくりと変える必要がある。国民たちが変化に気づいたときには、それが彼らに馴染んでいるくらいがちょうど良い。
(あら? そうなると、わたしが女王を続けるとなると、ヴィオレーユのようにおとなしくしていないといけないってことになるんじゃないかしら。戦時ならともかく、平時ならヴィオレーユくらいおとなしく、浪費をせず、公務はほどほどに力を抜いて、たまーに視察に出かけて女王の存在を周囲に認知してくれるくらいが最良ってこと!?)
どうしても全力を尽くしたくて仕方ないフランシーユは、書類に署名をしながらはたと気づいた。
(だとしたら、わたしに女王は無理だわ。書類に署名をするだけならいくらでもできるけれど、女王を続けていたらそのうち大臣たちの仕事ぶりに口を挟みたくて仕方なくなるだろうでしょうし)
自分の性格をそれなりに正しく把握しているつもりのフランシーユは、ペンを持つ手が痺れてきたのでいったん休憩をしながらため息をついた。
(大臣たちを信頼して適度に仕事を任せて、必要最低限だけ女王の仕事をするのが理想だとヴィオレーユ陛下は考えているんでしょうね。そして、そういう雰囲気がこの王宮にはあるんだわ)
そうやって無気力な女王としての役目を一生こなしていくことをヴィオレーユは良しとしていたのだろうか、と考えながらフランシーユはペンを握り直した。




