籠の中の龍 7
「聖ちゃん、奥さん二人目妊娠してるんだって? 3年前はあんなに頼りなかったのに今じゃ立派な二児の父かー。若いのに感心だよ」
「大変なのはこれから……っすけどね」
「もう性別はわかったのか?」
「男の子らしいっす。……あの、俺今日はもう上がりますね。お疲れ様です」
ビルの外に出れば明るい光が世界を包む。
立ち止まり見上げた視線の先に広がっているのは青い空。
あまりの眩しさに目がくらんだ。
龍崇家当主が姿をくらましてから3年。
あの日、あの後、あちらの世界が、帝国が、龍崇家が、どうなったのかなんて何も知らない。
あれから毎日、警備の仕事をして、家に帰って寝て、警備して、寝て、警備して、寝て。
いつの間にかその中に子守りも入って、たまに家族で出かけたりして。
自分の素性を隠し人間として、この魔界でいう『普通』の生活を送っていた。
屋敷を出るまで身の回りのことは全部誰かがやっていたから、最初は大変だったがそれでも嫌になることはなかった。あの鳥籠のような世界に居た時よりも、生きているんだと実感できたから。
産まれた第一子は女の子だった。
涼と名付けた女の子は燐湖に似てふわふわの髪に、穏やかな性格。
最近はだんだんと会話もできるようになってきて可愛い盛りだ。
そんな時燐湖から「もう一人くらい欲しいなぁ」なんて言われて、それで気が付けば第二子。
父親としてもそれは嬉しいし、男児ならなおさら喜ばしい。
が、それと同時に悩みもできた。
魔界で暮らすようになってからも職業は変えず同じ警備の仕事を続けていた。
3人の今で特に不都合はないものの将来的な不安がぬぐえない状態だ。
基本的に夜勤だから時給はいいが、家族四人となるとどうだろう。
この仕事のままで大丈夫なのだろうか、とそんなことを悩んでいる。
もう少し給料のいい仕事を探さないとだめかもしれない。
未来について悩めるというのは、幸せなことなんだと思う。
そう理解していてもため息は止まらない。
借りているアパートの前までくれば、小さな娘と母がはしゃいでいるような、楽しげな悲鳴が聞こえてくる。
ため息は止まらないけれど、その声を聴くだけで元気が湧いてくるような気がした。
「ただいま」
「あーーっ! 涼ちゃん、パパが帰ってきたよ―!」
「キャーーーッ」
バタバタと走ってくる母親と娘。
可愛い悲鳴を上げながら駆け寄ってくる娘を抱き上げようとして、娘が握るおもちゃ剣に気が付いた。
最近話せるようになってきた涼が欲しがるのは、こういう武器のようなおもちゃばかりだ。
お人形とか、おままごととか、そういった類のものを与えても結局手に取るのはおもちゃの剣だったり、盾だったり、斧のようなものだったり……。
おもちゃだけじゃない。
燐湖の話によれば公園で男の子と喧嘩になったって、燐湖が負けることはないらしい。
自分から手を出すわけではないが、母親は娘の将来を不安がっていた。
「パパ! たたかうの!」
父の腕から逃れ、どこか自信ありげな顔で剣を構える娘の姿。
その姿を目の当たりにして、本来微笑ましいと思えるはずが笑えなかった。
拙いとはいえ完璧なのだ。剣の構え方が。
何かを見よう見マネでやっているような、上っ面のもんじゃない。
無駄のない力の入れ方。呼吸のしかた。
場数を踏み、死線を潜り抜けてきたような、熟練の剣士のそれだ。
燐湖は剣を使えない。自分も、涼に剣の構えを教えた記憶なんてない。
とはいえ心当たりがあった。
龍崇家の嫡流がもつ遺伝子の特徴の一つ。
正しい血の繋ぎ方をしていないから、発現されないと思っていた。
「後天的遺伝──」
勝負勝負と繰り返す我が子をこんどこそ抱き上げて、燐湖にそう告げる。
「武器みたいな玩具が好きなのも、喧嘩に負けないのも遺伝かもしれん」
「後天的遺伝?」
「宗家の力は水龍の力だけじゃない。宗家の遺伝には特徴がある。後天的遺伝と呼んでいて、親が生まれてから子を産むまでの間に習得した戦うための技術を、子は引き継いで生まれる」
龍崇家がずっと敷地内に引き籠り、王家の模倣を恐れる本当の理由は、水龍を降ろす力をコピーされることだけではない。遺伝子の情報を複製されたところで、水龍を継承する条件がそろわなければそれは叶わないのだから。
大きな理由は、その遺伝の仕組みにあった。
宗家の遺伝は、親の獲得形質を子が継承する。
つまり代々継いでいるのは水龍だけではなく、様々な武器や武術を使った戦闘の記憶を継いでいるのだ。そしてその戦闘の記憶が刻まれた遺伝子を、多くの組織が狙ってる。
「親が剣術を習得したなら、子は既に剣の扱いを生まれつき知っている。その子が槍の扱いを習得したなら、さらにその子の子は剣と槍の扱いを知って生まれてくる」
「むむ……と言いうことはつまり……代が続けば続くほど、強くなっていく……?」
「そういうことだ」
一連を聞いた燐湖は黙り込み、ただ静かに自らの腹を見下ろしている。
こんな遺伝子をもつ子供がいるのなら、それを狙う組織があって当たり前だ。
見た目は普通の子と大差なくても、何も知らない無垢な子供は自分の力を周りに披露してしまう。そうなれば死神はおろか事情を知らない普通の人間たちの中でも、狙うやつらが現れるかもしれない。
燐湖はただ生まれ落ちるだけで命を狙われるかもしれない子供に、愁いでも感じているのだろうか。
「じゃあ君は……パパが習得した警備のスキルをもって生まれてくるんだねえ」
あまりにも呑気な燐湖に聖我は……崩れ落ちそうになった。
***************
その日の夜の事。
仮眠の後、出社の準備をしている聖我の横に娘を寝かしつけ終えた燐湖が座る。
「チアキなんてどうかなぁ」
「ちあき……?」
何の話か理解できてない聖我の様子に、燐湖は小さく笑ってから「子供の名前」と言い足した。燐湖の手は腹に添えられている。
『チアキ』という響きは、悪くないと思った。生まれる予定は秋なわけだし。
いいんじゃないだろうか。
「千に秋とかいて千秋か?」
「うーん……千までは一緒かなあ。後ろは、聖とかいて、千聖」
聖我はふと、虚空をみて考える。
千に聖とかいて千聖。……一般的には読めない。
むしろチサトじゃないか。
「それで読めるか?」
「聖でアキラとも読めるのだから、アキと読んでもいいはずなの!」
フンスッなんて荒い鼻息が聞こえてくる。
もう3、4年もの付き合いになればわかる。これはもう何と言っても引かないパターンだ。
「この前男の子だとわかって、あぁ。やっぱり龍崇の子なんだなあって、思ったの」
「必ず男女が生まれる……というやつか」
「そう。だからね、もしこの子が将来『オレは父さんと違って龍崇家を継ぐんだ』とか『水龍の力を借りたい』って思った時にそれが出来るよう、聖は名前に入れておいた方がいいかなって」
「宗家の血は半分しか流れてないんだから、出来るかどうかなんてわからないぞ?」
そう言ってやれば今度はムッとして頬を膨らませた。
聖我にしてみれば真っ当なことをいったつもりであったが、燐湖はお腹を撫でながら、「貴方のパパは、面白みのない男の人なんですよー」と貶して聞かせている。
「それから千のほうはね、代を重ねれば重ねるほど強くなるという話を聞いて、それじゃあこの子は『千代目でーす』ってくらい強くなってほしいなって思って選んだの! お父さんと同じく、好きな人生を生きて欲しい。そのためには強くないといけないからね。どーですぅ? 私の名付け、完璧では?」
続いて見せたのは、それこそ完璧なドヤ顔だ。
さっきから表情がころころと変わって忙しい奴だと思わず笑ってしまうが、燐湖が考えた名前は確かに完璧かもしれない。よく考えられた名前だと思う。
「千聖か──燐湖の言う通り、完璧な名前だな」




