籠の中の龍3
屋敷の者には、体調不良であると嘘をついた。
看病は燐湖にやらせるから、干渉する必要はない、と。
そして人払いをした後、燐湖は自分と聖我に姿消しの魔法を掛け、そのまま二人は一族が所有している林へと移動し、そこで魔界へ転送するための魔法陣を描き、発動させたのだった。
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聖我は、渡され耳に掛けられたサングラスというものを少しずらし、青い空を見上げた。
慣れない眩しさにぎゅうと瞼を強く閉ざしてサングラスを元に戻す。
もう何度も、同じことを繰り返していた。
透き通るような青い空に、心を奪われる。
今日初めて見た白い雲は、太陽の光を透かして輝いているように見えた。
「聖我さま、お洋服の着心地はいかがでしょうか」
「上は動きやすくなった。けど下が……ちょっと窮屈だな」
転送先は燐湖が魔界で借りているという部屋だった。
無事転送は成功。到着した部屋で聖我は、燐湖が用意してくれていた衣装に着替え、連れ出されるまま外に出た。
この格好は人間が身に着けているという男物の衣装だ。
袖が腕までの白いシャツに、下は濃い青色のジーンズというもので、帝国でも多くの者がこれと似たような服装をしているそうだが、龍崇家の屋敷に居るものとは異なった装いであるため、とても新鮮だった。
「なんだかその恰好は、歳相応って感じがしますねぇ」
振り返り、両手を合わせてわぁっと盛り上がる燐湖の様子に少しだけムッとする。
どうにも褒められているようには思えない。幼くなったと笑われているようだった。
2,3歩先を行く彼女の服装もいつもの着物ではなく、この世界に則した格好となっている。袖のない白色のシャツに、下は薄い桃色の長い……たしかロングスカートと言うやつだ。服装に関しては正直屋敷に居ながらでも知識として仕入れることができただろうが、単に聖我がファッションに疎いため、無知なのである。
とにかく黒色の着物姿しか見たことがなかったから、急に華やかな服を身に纏った燐湖に見惚れてしまっていた。
何度も何度も空を見上げている聖我だが、空と同じくらい燐湖の姿も眺めている。
もちろん、サングラスはずらして。
「それにしても、物凄い人だな。目が回りそうだ」
「えぇ、今日は祝日ですから」
燐湖の家で準備を整えた二人は、汽車に乗って街まで来ていた。
聖我にとっては汽車は見るのも乗るのも初めてのことで、まず切符を買う際に使用する券売機という装置の扱い方に目が回りそうになった。
燐湖いわく、ボタンを押すだけで簡単に購入できるらしいが、初見の聖我にとってはなにがなにやら全くわからない。次に、切符をつかって中にはいったのだが、目の前を通過する「カイソク」という種類の汽車の速度に腰を抜かしそうになった。何層にも連なった細長い電車は、中にたくさんの人を乗せて、大きさに見合わない速度で駆け抜けていく。
音も風圧も、何かの攻撃を受けているような錯覚さえした。
更にこれを動かしているのが魔法ではなく、電力という力をつかっているとのことだから驚きである。そして乗ってみて更に驚愕した。座席は柔らかく快適で、外からきいた音は暴力的なくらいの騒音と感じたが、中から聞いた音はそこまで大きくない。どころか揺れと合わさったカタンカタンという音が心地良くさえ思えた。
目的地に着いてからも驚きの連発だった。
四角く、見上げても先が見えないくらいの建物がそこかしこに乱立している。
行き交う人の量も尋常じゃない。今度こそ本気で目がまわった。
人の量だけじゃない、色の量にも驚いていた。世界が、こんなに鮮やかだったとは。
「さてさて、聖我さま、馴れましたでしょうか?」
「まぁ、少し。あの、なんていうんだ、その呼び方、ここじゃ可笑しくないか?」
「確かにそうかもしれません。ではどういった関係がぴったりくるでしょう! 男女ですので姉と弟、という設定は? 私の事をお姉ちゃんと呼んでみてください!」
丁度二人の隣を、10もいくかいかないか、といった程の少女と、それよりもいくつか幼そうな少年が通り過ぎていく。手を繋ぐ二人はいかにも姉弟といった感じだ。
二人の様子は大変微笑ましいが、それを自分たちと重ねるとなると不快である。
「悪いが却下だ」
「ふぅむ……ではどのようなものが良いですか?」
「……あれはどうだ」
次に目に写ったのは、寄り添い、のんびりとあるく男女のご老人の姿だった。
長年連れ添ったのであろうこの老夫婦の姿も大変微笑ましい。これならと思って提案した聖我だったが、今度は燐湖の眉間にしわが寄る。
「ご夫婦ですか……にしては、聖我さまが幼すぎます」
「なっ……!」
「下界では15歳が成人ですが、ここでの成人は20歳なんですよ?」
「そういう燐湖はいくつなんだよ」
「25になります」
「え!」
想像以上に離れていた事実に、聖我は思わず驚きの声を上げる。
年上だと分かってはいたが、まさか7つも離れていたなんて。
もっと近いと思っていただけにちょっとショックだった。
そんな聖我の目の前を通り過ぎていったのは、これまた寄り添って歩く男女。燐湖の目にもとまったのか、彼女も二人を目で追っている。
先ほどの老夫婦よりは距離感があるが、若い二人の年齢は、ぱっとみ聖我以上、燐湖未満といったところだ。
「あ……あの二人なんかいかがでしょうか?」
「あれは、恋人か?」
「えぇ、そのようです。何か聞かれたら、恋人ということにしてはいかがでしょう! 引き続き燐湖とお呼びください。私は聖我さんとお呼びしますので」
「よし……わかった、そうしよう」
なんとなく二人の設定も決まったところで、楽しそうな燐湖に手を引かれるまま人混みの中を進んでいく。人々が歩いている道は柵のようなもので区切られていて、柵の外側を車という箱が人を運んでいる。車が通過する速度から、危険なため道が別けられているのだろう。
汽車より攻撃的ではないが、人間が生身でぶつかればただでは済まなそうだ。
「これからの予定は?」
「まずはランチにしましょう。ファストフードなんていかがかなあと! その次は服を見に行きましょう。聖我さんのお好きな服を選びませんか? そのあとのご予定もたくさん用意しております。のんびりしていると時間が足りなくなります! 急ぎましょう!」
連行されたファストフード店というところも、すべてが想像以上だった。
紙に包まれた状態で出てきたハンバーガーには箸がついておらず、そのまま齧り付くという食べ方にも驚いたが、それよりも店内の込み具合に驚かされた。
ところ狭しと並べられた座席はほぼ空きがなく、お目当ての席に辿り着くのも一苦労だった。
次に連れていかれたのは巨大な、ショッピングモールと呼ばれる建物の中に在る服屋。
燐湖が用意してくれたのは白のTシャツだが、他にもTシャツというジャンルだけでも色はもちろん、形状も種類があるようだった。体にぴったりとしたものから、ダボッとした緩やかなものまで。聖我よりも燐湖の方があれこれ選んで楽しんでいたようだが、いつのまにやら店の人まで参加してきて、着せ替え人形のようにあれこれ試着させられた。
服屋を出てからは、興味が引かれた露店によっては食べての繰り返し。
とっくに腹は一杯だったが、味わってみたいという願望の方が強かった。
色々回ったが、聖我が気に入ったのはクレープという薄い皮に甘味を包んだ菓子。そのことを意外に思ったらしい燐湖が妙にはしゃぐ姿につられ、段々と聖我の口数も増え、声を上げて笑うようになっていった。
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「すごいな……これが夕焼けか」
サングラスをずらす仕草にもすっかり慣れた頃。
今までとは比べ物にならないほどの人の波にもまれながら、オレンジ色に染まり始めた空を見上げる。本当に、空の色が青色から暖色へと移り変わった。
それこそ魔法みたいだ。
こんなに大きく広がる空の色が変わるのだから。
「燐湖、この人混みは何待ちだ?」
「それはですねぇ……まず、あそこに建物があるの、見えますか?」
「あぁ、だいぶ小さいが見える」
「あそこに、天皇がお見えになるのですよ」
人混みの中、燐湖が指さす方向には確かに建物が見える。
天皇、ということはこの国の象徴たる人物ということか。それであれば、今の自分と同じ立場の者があそこに立つという事だ。
「今日は天皇誕生日、という祝日なのです。私たちはここで天皇のお言葉をいただくのです。皆はそれを待っているのです」
「国の象徴……俺と同じって、ことか」
「はい」
国民の象徴とされる人物の姿とお言葉を待つ。そう聞いて改めて周囲の人間を観察してみれば、皆どこかそわそわし、今か今かと待っているようだった。この場所は、天皇が現れるという場所からは離れている為、目を凝らしてようやく人物が見えるかどうか。それなのに皆目が輝いているようでもあった。
これが、象徴を待つ民衆の表情なのか。
「あ、聖我さん!」
燐湖に声を掛けられたその時、どこからともなく歓声が上がり、それは波のように聖我の周りまで広がった。皆手を上げ、旗を振りながら天皇の名を呼んで沸いている。
この場を包む歓声の中、小さく見える人物がそっと手を振れば、更に民衆の声は大きくなる。
まるで夢でも見ているかのような、物語の中にでもいるかのような光景だった。
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「すごかったですね、聖我さん」
「泣いている者もいたな……」
人の流れに乗って、二人も帰路につく。
一日の夢も、もう終わりに近づいていた。
今日一日だけで色んなものを見て、食べて、経験した。
どれも思い出になるものばかりだったが、それでも一番聖我の心に残っているのは、天皇と呼ばれる存在を前にした民衆の姿だった。
天皇が姿を現しただけで、ほんの少しの言葉を述べるだけで、人はこんなにも心を動かすのか。聖我自身も、今だ興奮冷めやらぬ状態だ。あそこに立った人間は、聖我の周りを取り囲んでいた人間と同じはず。それなのに、何故かその姿は人の心を、初めてこの世界に降り立った聖我の心すらも掴んだ。
「俺たちの一族も、当主の誕生日には文書を出した」
「えぇ、民衆は皆集まってその言葉を聞いておりますよ」
「でも、姿を表したりはしない。俺は……変えるべきだと思う」
空は、暗くなり始めている。
真上に広がりつつある紺色は見慣れているはずだが、この町に普及している電力のおかげか、暗さが全然違っていた。夜の光景も綺麗と言える。
「やはり、ちゃんと姿を見せるべきだ。象徴として、自身の言葉は自身で届けるべきなんだ」
「わたしも、そう思います」
思いもよらない同意に、聖我は思わず足を止めた。
それに気が付いた燐湖も足を止め、聖我を振り返る。
「もしかして、今日を選んだのは……」
「貴方にこの光景を、見てもらおうと思ったからなのです」
ふふっと笑って、風によって顔に掛かる髪の毛を手で退けながら、燐湖は続けた。
「私も、龍崇家は変わるべきだと思っていたもので。貴方と同じ考えを持てたこと、誇らしく思っているのですよ」
鼠色の彼女の髪は、こちらの世界で見れば空の色に合わせて様々な色に変わるのだと、この時初めて知った。
登場人物紹介のイラストを差し替えました!
もしよければ見ていってください!




