5話 帝国将軍
其処に居るのは帝国軍、将軍。
敵うわけはない、が。
半ば反射的に身体が動いていた。
逃げ果せるなんて思ってもいない。
闘わなければ死ぬほかないんだ。
地を蹴る足に魔法を掛けて、瞬間移動に近い程の速さで将軍の懐へ入り込む。
首筋目掛けて短剣を振るが、完全に見切られていたようでほんの少し身を翻しただけでかわされた。
「ん……」
まるで風が通り抜けただけとでも言いたげに、かわされたすれ違いざま、軽い吐息が聞こえてくる。
そのままルナは身体を捻って右手の短剣を将軍の背中に向かって投げ、頭上へと飛び上がった。
一瞬と呼ぶにも長すぎる一瞬。
将軍は腰にぶら下げていた短剣を抜き、背に放たれたルナの短剣を叩き落とした。
こちらが仕掛けるよりも先に柄に手を掛けていたとしても、その反応は想像以上に素早い。
こちらを見上げる瞳と視線が絡む。
紅い瞳に、縦に割れた瞳孔。
その眼に生物のもつ熱を感じなかったが、こちらを見据える眼光は鋭く突き刺すようだ。
自分の瞳とは異なる彼のそれには、今彼が見ているであろう自分自身の姿が映っている。
風に揺れる彼の青い髪。
容姿は、驚く程に中性的だった。
背丈も自分より少し高いくらいで女の子と言われれば騙されてしまうかもしれない。
それでも、射抜くようなその視線に肌がヒリヒリとした。
改めて、全身に緊張が走る。
たった一瞬で体感した天使と死神の生まれ持った身体能力、反射神経の差。
だけれど、此方が勝る能力だってある。
魔法を扱う力は、断然天使の方が長けている。
電撃でも浴びせれば、流石に身体能力も低下するだろう。
打つタイミングさえはかれば勝算は十分にある。
着地してルナは一瞬の隙も見せずに再度、敵の懐目掛けて飛び出した。
右手には再び創造した短剣を握り締め、もう一度振りかざす。
案の定将軍の短剣で弾かれ、手から抜けた得物は飛んでいって光と消える。
だが、今度は間髪入れずに左脚で蹴りを繰り出した。
勿論それも右腕でカバーされてしまうが、勢いのまま流れるように身体を捻り、今度は回し蹴りの要領で右脚の蹴りを繰り出す。
将軍は咄嗟に左手でカバーしようと身構えたものの、左手に握っていた短剣の柄がルナのヒールとぶつかり、手から抜けて遠くへと弾き飛んだ。
「あッ……」
ルナは一旦地面に足をつけ、すぐにまた上へと飛び上がる。
短剣を失った将軍は己の右手に、自身の武器である鎌を出現させようとしていたが、そんな隙は与えない。
将軍に右手を向ける。
この至近距離で、今自分が出せる最大の電撃を放てば、流石に逃れる事は出来ないだろう。
「はあぁぁあッ!!」
右手から放たれた青白い閃光が、将軍目掛けて迸る──が、
「らぁッッ!!」
後ろから聞こえる、獣の咆哮。
死神の顔の真横ギリギリを、何が通過していった。
あまりの早さに何が飛んできたのかはわからなかった。
だがその刹那、ルナには見えていた。
真っ直ぐに死神へと伸びていた閃光の軌道が突如、吸い寄せられる様にして飛んできた何かの方向へと変わったのだ。
そのまま死神には当たらずに消えていった。
飛んできた何かが消えた方向へと視線を向ければ、先ほどまで死神が使っていた短剣が、電気を帯びた状態で木に突き刺さっている。
咄嗟に振り返ると、将軍の狗──橙色の髪をした先程の青年が、いた。
「そんなっ……」
電撃が放たれた瞬間、落ちていた短剣を拾い上げて自らの主人ギリギリに投げ、避雷針代わりにする事で主人を電撃から守った、という事か。
剣を投げる速度も精度も規格外だし、この一連の流れにおいて将軍は、電撃にも、顔のギリギリを飛んでいった短剣にも、全く怯んだ様子は見受けられなかった。
それ程まで従者に対して信頼を置いているということか。
(こんなの、敵うわけ……)
気付いてる。
将軍はさっきから一歩も動いてない事。
言ってしまえば彼は“何もしていない”。
ルナは次の一撃など考える余裕もなく、ただそこに立っていた。
その様子を見てか、将軍が一歩こちらに歩を進め、立ち止まる。
「有難う」
さらりと放たれた一言目は全く意味を持たないままルナの脳を通り過ぎる。
従者に言ったのだろうと、ごく自然に理解していた。
だけど視線はこちらに向いているままだ。
自分の後ろに居るであろう従者も、動く気配が感じられない。
そこでようやく自分に向けられた言葉なのかと疑い始めた。
「え?」
「霊夢の魂を繋ぎ止めてくれた」
にっこりと笑って直ぐ近くまで歩み寄り、何のためらいもなく跪けば、左手を胸に当てて頭を下げる。
「こうしてお会いするのは初めてですね、ルナ医療部隊長。私は帝国軍将軍、龍崇千聖。この度は私の部下を救って頂いた事、感謝申し上げます」
ルナは、言葉を失った。
この挨拶の仕方、天界の騎士団では目上の者に対し当たり前に行われているものだ。
だが、死神はたとえ目上に対しても頭を下げないと聞く。
しかも戦場のど真ん中で、将軍が敵軍の者に対して跪き頭をさげる事などあり得ない。
そのあり得ない事が今、目の前で、起こっている。
「どういう……つもり? 敵に頭を下げるなど……」
圧倒的なまでの力の差を見せ付けられた直後にここまでされると、馬鹿にされているような気持ちになってくる。
拳に力が入るのが、自分自身嫌でもわかる。
「誠意を伝えるためには言葉だけではなく態度で示す必要がある。騎士団の流儀に則って出来ていたかはわかりませんが……」
「っ!」
さくっと立ち上がった将軍と目があうと、ありがとうと再び小さく呟かれる。
これが、ずっと相手にしていた敵将。
“ヘルフィニスの帝国基地に救援要請を出すのも、手の一つです”
昨日、セイリオスが残した言葉がふと頭の中を流れていく。
今目の前にいるのは、ヘルフィニス帝国基地どころか、帝国軍の総指揮をとる将軍。
騎士団がずっと苦戦していた革命軍よりも、圧倒的に強い。
手を貸してもらえれば、確実に……。
「あぁ……見て回ったところ、騎士団にとっては結構厳しい戦いのようですね」
確実に騎士団は助かるのに。
そう思って、改めて自覚する。
勝つ・守るの問題ではない。
既に騎士団は、助かる助からないで判断するところまで追い詰められていること。
そしてその状態の騎士団の運命を背負わされて、自分自身も誰かに助けを求めたい気持ちでいっぱいだったこと。
全てにおいて不甲斐ない、自分に対しての悔しさで瞳に熱がこみ上げてくる。
「大切な部下の命を繋ぎとめて下さったご恩もございますし」
ぽたりと、ついに瞳から大きな雫がこぼれていった。
一つが落ちたせいで、次々といくつも、後に続いて落ちていく。
「私でよろしければ、力を……お貸し致しましょうか?」
零れていく涙が、足元の地面を小さく濡らしていく。
眺める足元の光景は、将軍の口から発せられた言葉のせいでよりひどく滲み、少しもしないうちに大きな一粒の涙として地面に落下していった。
雫となり落ちていっても、視界はずっと滲んだまま。またすぐに次の雫が落ちようとしている。
もう自分の意志ではどうしたって止めることが出来ず、たまらずにルナはその場にしゃがみ込んだ。
全てが悔しくて、情けなくてたまらない。
自分の力では仲間を守り切れないこと。
立場は人より上のくせに、まともな指揮もとれなければ、人の上に立つこと自体に怯えてること。
そもそも、仲間の生死を背負うことが怖くて仕方がないこと。
挙句、敵将に優しい言葉を掛けられ、気が抜けて涙が出ること。
そのすべてが、騎士以前に人として情けない。
「ぇ……あの、大丈夫……?」
先程までとは打って変わって、少々混乱した将軍の声が聞こえてくる。
見えてはいないが、声のする位置から一緒にしゃがんでくれているようだ。
敵にここまで気を遣わせること自体恥ずかしい。
何か言わなくちゃと口を開こうと思っても、情けない声を押し殺すので精一杯だった。
くやしい。
敵に力を貸してもらうしか方法がないのが、自分たちの力ではどうにもできないのが。
でも、どうすべきかはわかってる。自分が願う結果を得るには、どうするべきなのか、ちゃんと。
「……助けてっ」
ようやく絞り出した一言はひどく掠れていた。
なさけない。
それを選んだ自分を騎士達はどう思うのか、それすら怖いと考えてしまう自分自身と、この状況の、全てがなさけない。
「助けて、ください」
自分自身の肩を抱き、小さく震えるルナ。
ポン、とまるで励ますかのように将軍は、彼女の肩に軽く触れる。
驚いて顔を上げたルナが見たのは、真剣な将軍の顔。
「貴女の理想は?」
「理想……?」
「うん、この戦争をどういった形で終わらせたい?」
「……この地を守って、騎士たちを、生きて帰すことです……」
「だったらおれは、貴女が部隊を貸してくれれば、へーリオスは必ず守り切る。騎士もなるべく生きて国に帰すよ」
そして、こう付け加えた。
「大丈夫。おれを頼ったその判断を、必ず英断だったと言わせる、約束する」
まるで心の中をすべて覗かれたみたいだった。
それくらい、自分で気づかないくらいの深層で求めていた言葉。
鷲掴みされたかのように、心臓がきゅっとする。
返す言葉が、全く出てこない。
「ん。よし、泣き止んだ。立てるなら、オレを騎士団の所に連れて行ってもらえる?」
立ち上がった将軍から、差し出される手。
彼の言葉や差し出されたその手に、ほっとしているワケではない。でも、さっきまでずっと心を覆っていた不安の霧は、徐々に薄れていっているのは確かだ。
手の甲で涙の跡を拭って、あえて差し出された手は取らずに、ルナは立ち上がる。
もう一度将軍と向かい合って、立たせるため差し出されたその手を握り、“握手”へと変えた。
頼ったとしても、甘えるわけではないのだという決意。
同じ戦場に立つ武人として、足がある以上は自分の力で立ち上がる。
「はいっ……よろしくお願いします」
一度驚いたように目を見開いたが、すぐに将軍は口角を上げる。
決意がちゃんと伝わったのだとルナは理解した。
「で、ちょっと待てオレの事はそっちのけか!」
割と、静かに淡々と進んだ会話の終わりに響いた声。
二人の握手を裂くように現れたのは、琥珀色の髪に狼に耳を生やした青年。
先程ルナを庇ってくれた人狼──将軍の狗だ。
どちらも完全にその存在を失念していたらしく、その姿にルナも将軍も、一瞬びくりと肩を揺らした。
「完全にオレを蚊帳の外まで追い出したな」
「いやこのシーンにお前の存在必要あった?」
「ねぇよ、ねぇけどそーじゃねぇよ! ちょいこっち来い」
びっくりしたまま瞳をぱちくりさせるルナとは対照的に、睨みつけるような鋭い視線と冷たい言葉を送る将軍。狗は自分に浴びせられるそれらを全く気にすることなく将軍の腕を引っ張り、すぐ傍に立つ木の裏に連れ込んでいった。
ルナの視界から外れたことを肩越しに確認して、狗は将軍に耳打ちする。
もちろん、話の内容は聞こえないよう、細心の注意を払った音量で。
「お前、帝都出る前に騎士団に協力するつもりはないって言ってただろ」
「言った、けど気が変わってさぁ」
「気が変わったって……確かにあの娘すっげー可愛いけどよ」
「あ、やっぱ思う?」
「やっぱ思う? じゃねーよ……」
木の陰からちらりとルナの様子をのぞき込む将軍のマントをぐぃっと引っ張り、木の陰に戻す狗の顔は少々呆れている。
狗から放たれた大袈裟なため息を聞いた将軍は、腕を組んで木の幹に背を預け、小さく咳ばらいをしてから、口を開いた
「思ってた以上に戦況が革命軍に傾いてた。正直ってこのままじゃへーリオスが落ちるのも時間の問題だよってかもう、落ちてる……おれたちがちょっと乱入したくらいじゃ何一つ変わらないだろ」
「霊夢が治療されて、騎士団側に加勢する丁度いい理由が出来たってことか?」
「霊夢がやられたのはムカつくから仕返しするにしても、ここで騎士団に貸し作っといて損はないだろうなって、思っただけ。それにへーリオスが落とされて、次にヘルフィニスが狙われてから軍を出すのも面倒だし、だからって今すぐ参戦できる準備はしてこなかった。引き返す時間もないし、ここで騎士団の人員を貸してもらえるなら今潰しちゃった方が楽じゃん」
少しだけ強気に、口の片端を釣り上げて狗を見上げる将軍。
俗にいうドヤ顔だが、語る理由に間違いはない。
ちゃんと考えることは考えているらしかった自らの主人に対し、疑ってかかっただけに居心地がわるくなった狗は、ぽりぽりと首筋を掻いた。
「あぁ……全くもって、その通りだな……疑ってわるかっ」
「ってゆーのが表向きな理由──」
──まるで目の前にある何かを両手で挟み、脇に置くようなしぐさをみせる将軍の脳天に、何を言おうとしたか察した狗は手刀を振り下ろす──
「──でしッてえぇぇ! 殴るなっ!」
「やっぱ裏あんかよ」
もう一度、今度は声に出して大きなため息をつきながら、狗は将軍を置いて木の陰から表へと出た。
呆れて見せてはいるが、別に本心から呆れているわけではない。
表向きな理由さえ聞ければそれでよかった。
彼の判断には何一つ文句はないし、なによりこれから始まるであろう騎士団との共闘なんて滅多にない機会、存分に楽しませてもらうつもりだ。
「えーと、ルナだっけか。オレは眠。よろしく頼むぜ!」
依然として心細そうに佇む少女に近づき、狗は改めて手を差し出す。
少女は、ぎこちない笑顔で「お願いします」と、その手を取った。