81話 悲しみの宣戦布告
千聖とユキは、二人並んで眼下に広がる景色を眺めていた。
太陽はそろそろ真上に到達する頃だが、この展望公園には相変わらず人の姿がない。
敵とはいえ目の前で一人が殺され、どうも釈然としない空気のまま。
そして二人の姿も入れ替わったまま。
お互いの姿を借りた状態のまま、特に会話もなくただ街並みを見下ろしていた。
千聖が考えていることは主にふたつ。
ひとつ目は、これからの事。これからどう二人で行動していくのか。
いまのところは何とか凌いできたが、もし千聖が予想している通り、天使との戦いが激化していくのであればこれから先一人で彼女を守っていくのは難しい。
強い力をもっているのはわかったが、実践で使いこなせるかといえば、戦力として期待するのは危険だろう。
信頼できる戦力がすぐにでも必要だ。
頭に思い浮かぶのは一人。
ユキとも面識があるみたいだし、あいつがいてくれるとかなり心強い。
しばらく帝国にいると連絡を受けていたから、彼を召喚するには一度この世界から抜けないとならない。その間ユキを一人にしてしまうことにはなるが──
こちらの正体が割れた以上、さすがにそれなりの準備をしてからアクションを起こしてくるだろう。彼を連れ戻すくらいの時間の猶予はあるはずだ。
そして考えていることふたつ目。
どちらかといえばこちらの方が早急に解決する必要がある。
──この姿、どうやって元に戻ればいいんだろう。
今、千聖とユキは魔法によりお互いの姿を借りている状態だ。
実際に入れ替わっているわけでなく、己の姿を一時的に変化させる手法を使っている。
ちなみに着ている服はお互いのものだ。
だからこそ困っていた。
どのタイミングで魔法を解き、どのタイミングで服を返せばいいのか。
このまま千聖が魔法を解けば、借りているユキの服は、ただでは済まない可能性がある。
弾けるまではいかないが、キャパシティーオーバーしたぴっちぴちのセーラー服を脱ぐことができない気がする。さらに下着まで上下借りている状態なので、下着が弾ける可能性が高い。先に脱いでから戻った方がいいに決まっているが、ユキの身体を晒すことになる。自分は目を瞑るなりしてユキに脱がせてもらえばいいが、紳士(自称)として屋外でそれは避けたい。
っていうかそもそも、今、千聖の姿をしているユキは下着を身に着けているのだろうか。
女性ものは多分入らない。
改めて向かい合う自分の姿をまじまじと眺め──先ほどと同じ疑問が頭を巡り始める。この身体は、どこまで忠実に再現されているのだろうか。
これ……ひょっとしておれ、ユキに全裸見られてないか?
こういう場合によく、男はそんなに気にしてないだとか、恥ずかしくないだろうと思われがちだが、絶対にそんなことはない。
中には眠みたいに全く気に留めない野郎もいるかもしれないが、少なくとも千聖は、見られたいとは思っていない。ていうか絶対ごめんだ。
千聖はついに、最も気になっていた、むしろこのせいで全て気が気じゃなかったと言えるくらいに気になっていた話題を切り出すことにした。
「あのぉ、ユキさん。おれとしては1つ、どうしても気になることがありまして」
「なんでしょう……?」
「今ユキが使っているその魔法は、おれが使ったものと同じなの?」
直球で聞くのではなく、少しずつ外堀から埋めていく作戦だ。
あまりにも急な問いかけに、ユキは一度フリーズする。
「あ、それはね、一緒! 千聖が私の身体をコピーした時、私も千聖の身体の情報を記憶したの。それで……千聖が使う魔法、見てたから、どんな構成なのか解析して……真似した」
ポツリポツリとユキがこぼす言葉が意味するのは、どれも信じられない事だった。
この姿をコピーする魔法はいうなれば常用ではない高度な魔法である。
魔法が一般的に知られるこちらの世界でも、悪用防止のためなのか授業なんかじゃまず習わないし、市販されている魔法書なんかにも載っていない。魔法の構成も難しい為、やり方を知っているからといって誰でも簡単にできるものではないはずだ。
何故千聖がこれを習得しているかと言えば、戦争における何らかの作戦において使えるかもしれないと思ってこの手の魔法を調べ回っていた時期があったから。図書館を巡り、様々な文献を漁って、時には裏サイトなるものまで活用し、眠と一緒に必死に研究した。
そんな魔法を、その場で解析して真似するなんて聞いた事がない。というかそんな事が出来る魔法使いなど出会ったことがない。
「完璧だよ……魔法」
魔法の解析については、彼女が神と呼ばれる男の血を引いている故に可能な芸当と説明されればなんとなく納得できる。ただ、やっぱり凍てつかせるチカラについては、それとはまた別物の気がする。
彼女の母親に、なにか理由があるのかもしれない。
とはいえ、今はそんなことを気にしている場合ではない。
もっと大切で、重大な問題に立ち向かわないとならないからだ。
今一度隅々、下から上まで舐め回すように自分の身体を眺める。ホントに完璧な出来。
完璧という事は、やはり聞きたい事がある。
「こんなこと、聞いていいのかわからないけど」
このせいで色々と集中を欠いていたくらいだ。
それほどまでに聞きたいが、しかし聞きたくないことがひとつ。
「なに?」
ついに意を決した千聖は、無言で、目の前にいる自分のシャツを捲った。
「ひゃあぁぁぁななななにを!?」
やはり、フワリとシャツが持ち上がった隙間から、ちらりと鮮やかな差し色が見える。
(間違いない、これはおれのパンツだ)
一度、しっかりと息を飲んで、口を開いた。
「あの、さぁ……こ、このパンツどうやってはいたのか聞いてもいい?」
訪れる沈黙。
地面の何処かを見つめるその顔は、どんどん赤くなっていく。決してこっちは見ない。
たらりたらりと汗が額から溢れてくる。
それが、ある意味で答えともいえた。
「パンツ、は……自分で、履きました」
大変気まずそうに、当たり前といえば当たり前の回答を頂いた千聖が、その場に崩れ落ちる。
「うわあぁぁっ」
「大丈夫! 大丈夫だよっ……」
「え、何が? 一体何が大丈夫なんだよ!」
地面にしゃがみこみ小刻みに震える千聖の背中を、ユキがさする。
そりゃ結婚すればいつかは、と思えば何も気にすることではないのだろうが、それは絶対、今ではない。しかも自分の知らないところで一方的に見られたとなると、もう立ち直れない気すらした。
「あーもう、おれどんな顔してっ」
若干叫びながら顔を上げて、背中をさする彼女を見るが、飛び込んでくるのは……
「あ! おれじゃん……」
自分の顔である。
「あッ……なんか、なんかおれ平気かも……」
「そ、それならよかった!」
先に立ち上がったユキが、落ち込む千聖の手を引いて立ち上がらせる。
「でもココに、こう……何かあるのって変な感じするね! なんか!」
と、言いながら右手を股間の位置に持ってきたユキはそのまま、むんぎゅと鷲掴む。
軽く触れる程度ではない。見ていた千聖が思わず「うっ」と声を漏らすくらい、思い切り鷲掴みにしたのだ。
「おまっ、なんで掴むんだよ! それセクハラだからな!」
結局、デリカシーのかけらもないユキの行為により、千聖は女々しくも情けない悲鳴を上げながらまた地面に伏せることになる。もういっそ、目の前でこの胸をもんでやろうかとすら考えたが、余計ムキになられたら面倒くさいし、乙女のスイッチを刺激してしまい泣かれても困る……と、ひとかけら残った冷静な自分が自分を諭す。
「いつか……覚えとけよ……泣かせてやるからな……本当に……」
ぶつける先のないよくわからない感情を拳に乗せて地面をたたく。
零したそんな宣戦布告は、本人に届くことなく、地面に吸い込まれていった。




