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80話 掴みたいもののために

挿絵(By みてみん)

「ユキ!」


 千聖の叫びが後ろから聞こえたのと同時に、飛んで来た矢が前に出たユキの胸に当たる──と思って身構えたユキだったが、実際は当たった衝撃などなく、そのかわりに飛んで来た矢が赤い光となって、まるで弾かれたかのように四方に飛び散って消えていった。

 もちろん、痛みなどみじんも感じない。


 "魂に直接攻撃食らった感じ"


(そういう事ね……)


 千聖(ちあき)の感想を思い出して、気がつく。

 これは、物理攻撃でも魔法でもない。もっと特別な “氣” のような何かだ。

 それぞれ体に宿った魔力を消費して使用する魔法は、ある程度の知識があれば誰でも行使が可能なもの。それに対し、氣というやつは魔力や体力ではなく、生命力を消費する手法であって一部の特別な人間に使えるものと言われている。

 その者の魂に起因するそれは、天使や死神が自分の武器を何もないところから生み出したり、獣人がその姿を完全なる獣に変化させたりする力に近いものだ。


 神の血を引く故、魂という概念を無意識のうちに理解しているユキだからこそ確信する。

 これが、自分にはなんの脅威でもないということを。


「千聖……いや()()、此処はおれに任せて」

「え……平気なのか?」

「大丈夫」


 ユキは、千聖に断りをいれてから矢を放った謎の少女に向かって一歩距離を詰める。

 放った張本人でありながらも跳ね返された事が信じられないらしく、立ち姿こそ凛としているが構える少女は狼狽えていた。


「ちょっといいかな」


 ユキは"千聖"を演じて少女に話しかける。

 キッと睨み付けられもう一度、ユキを的として矢が射られる。

 しかし先ほど同様、ユキに触れた瞬間矢は粉々になって消滅する。それは何度繰り返しても変わらなかった。


「貴方、跳ね返したわね? ヒトでも()()でもないってこと?」

()()? おれらの事総じてそう呼んでんのかはわかんないけど、御覧の通りおれにその矢はアタらない。あなたの"氣"か何かだろそれ」


 距離を詰めていけば、少女は悔しそうにぐっと奥歯を噛み締めているような、そんな表情をする。


「あなたの魂よりおれの魂の方が、遥かに位が上だからだよ、いくらやったって変わんないから諦めた方がいい」

「何を……ッ」


 睨みつける目付きは変わらずとも、こちらの発言に心当たりがあるのか理解はしたらしい。

 今度はユキではなく、後ろで腕を押さえたまま大人しくしている千聖に照準を合わせようとしている。その動きに気付いて、ユキは真っ直ぐ、弓に向かって手を伸ばした。


挿絵(By みてみん)


 触れていないが手のひらが向いた先、少女の肩と弓にパキパキと音を立てて霜が降り始める。


「あなたの言う通りココはあなた方の世界だ。人間に対して危害を加えるつもりも、この世界を荒らすつもりも更々ない。あなたが何者で、何があっておれらを消そうとするのかは分からないけど、ここは見逃してくれないか」

 

 この少女は、少なくとも今の自分達の敵ではない。ユキはそう判断した。

 彼女からしてみればこちら側の存在は片っ端から敵なのかもしれない。ひょっとしたら彼女と幾度となく命を懸けたやりとりをする未来だってあるかもしれない。

 それでも、出来れば同年代の女の子とは闘いたくないというユキの深層心理が、戦う相手ではないという結論に至らせたのだろう。


「もちろん、闘いたいなら相手をする。だけどこちらに部があるのは見ての通りだよ。どうする?」


 賭けに出たユキの発言に、沈黙が流れる。


「……解ったわ。見逃すというよりは見逃されている感じが腑に落ちないけれど、私の実力が足りてないのも事実」


 少女は意外にもあっさりと引いた。


「しつこいようだけど此処は貴方方の世界じゃない。これは、私自身にも言えることだけど……次はないと思って」


 単に目的外だったのか、それとも彼女が賢いだけなのか。


「わかった、ありがとう」


 未練も感じさせないほどに颯爽と背を向け去っていくその後ろ姿に、ユキは礼を述べ、どうやらこの場は収束に向かう形となったようだ。

 彼女の姿が完全に消えるのを待って、ユキは千聖の元へと駆け寄っていく。


「千聖! 大丈夫!?」

「ユキが庇ってくれたから大丈夫。ありがとね」

「どってことないよ」

「とりあえずは見逃された……のか?」


 千聖の謝辞を受け取るユキの表情は複雑だ。

 その理由は、彼女の視線の先にある。


「うん、けど……」


 肩越しに消えゆく天使の亡骸を見て髪をいじる仕草をするユキだが、無意識に触れようとした髪がない事に気付いてその手は空を掻いた。

 そこで自分がいま千聖の姿を借りている事を改めて思い出したようだ。


「あぁ……気が付いたら殺されてた。あの黒髪の子、もしかしたらおれの知り合いの仲間かも」

「簡単に誰かを殺すようなひとたちなの?」

「人外をその字の通り人と思ってない。多分、害虫駆除程度の認識だ」

「が、害虫!?」

「仕方ないよ。人間を下等生物とみなしてこの世界で好き勝手やってる奴らが要るのも確かで、そういう奴がいる以上、駆除されたって文句は言えない」


 千聖は未だに痺れる右手を眺めて、先ほどの光景を思い出す。

 優先的に天使にとどめをさしていた事、こちらの事はアッサリと諦めていた事から狙いは元々天使だったのだろうが、あの子は間違いなく人間だ。

 それに聞こえた会話やユキの様子から、あの弓はユキには効いてない。

『魂の位』なんて言葉が聞こえてきたから、ユキには効果がないことについても魂に起因する問題なのは確実だ。

 というか、自分には有効なのにユキには無効ということは、つまり千聖の魂の位とやらはユキよりも下らしい。今そんな事を気にしている場合じゃないということはわかっているが、少しだけショックだ。


 それに問題はあの少女だけじゃない。

 千聖の正体を知る敵を一人、逃がしてしまった。

 逃げた彼が本当に本件の『大元』であるなら別にどうだっていい。

 だが、今手合わせしてわかったことがある。

 こいつらは確かに、人間を差し向けた件については『大元』かもしれない。

 ただ姫暗殺の件で言えばただの下っ端だろう。あまりにも雑魚すぎる。

 闘っているときの動きや表情から、姫は闘う力を持っていないと思っているようだった。

 千聖自身も知らなかったが、ユキ本人が使った凍てつかせるチカラについても、知っていたならユキの姿を借りた千聖との戦闘時、中身が姫ではないと気が付くまではその能力を警戒していたっておかしくはない。が、そんな素振りはみられなかった。

 そんなことすら知らない奴が、姫を襲おうだなんて考えるだろうか。


(最終的に、こっちの戦力をみるために使い捨てられたか?)


 もしこの憶測が当たっていたなら、戦いはこれからもっと激しくなる。

 敵が分からない以上、姫の身柄については騎士団はもってのほか、王国に任せるのも危ないかもしれない。

 帝国の王に相談し、帝国で身柄を預かり王国に報告する……?

 とはいえ下界の血をひかない者は、転送魔法で直接下界に転送することはできない。

 下界の帝国に連れてくるには、一度彼女の出身であり、騎士団のいる天界を経由することになるし、姫一人では帝国まで来られないだろう。

 もちろん千聖が直接天界に行くこともできないから、もう一度合流するまでの間、ユキを一人にしてしまうことになる。

 それなら、まだ魔界にいたほうが安全だ。


 直接帝国につれてくる方法を探すか、このまま魔界にとどまり逃げ続けるか。


「本来私たちは魔界(ここ)には居ない存在だから、こっちの世界で死んじゃったら身体はあんなふうに消えていっちゃうんだね」


 方向性は違えど、物思いに耽っていたのはユキも同じだったようで──


「どうしてみんな殺し合うのかなぁ」


 ユキが零した疑問に、静かに風が通り抜けていった。

 さわさわと、来た時となんら変わらず木の葉を揺らす音がする。


 聞こえてきた彼女の疑問に、千聖は一度、自分が抱いていた悩みを放棄することにした。

 放棄というか、今のところは「帝国に連れてくる方法を見つけるか、相手を根絶やしにするまで魔界で守り続けるしかない」という答えしかないから。


 声が聞こえてきた方向へ千聖は顔を向ける。


「殺しあう理由か……わからないな」


 わからないけど、そういえば殺し合いのない世界を望んだ事なんてあっただろうかと千聖は自問する。

 思い返せば自分にそんな願いは無かった。

 大切な仲間を奪われ憎んだが、根本的に殺し合う実情を憎んだ事は無い。


「目の前に居たのに……なぁ」

「全員守る必要なんてない。手が届く距離には居なかっただろ。ていうかそもそもあいつはユキの事殺そうとしてたんだぞ」

「うん……いや、でもね。同じ国の人だから……」


 だが姫はそうではないらしい。


「千聖の身体、足が物凄く速いから。立ち止まってちゃ手が届かなくたって、走れば届くんだよ。ちゃんと見てれば、あの人にも届いたかもしれない」


 聖人、悪人問わず生きる事を、争いのない世界を望んでいる。

 自分とは生きる世界が違うのか、単に彼女が何も知らないだけなのか。


 もう一度、生ぬるい風が髪を靡かせる。

 湿った肌に張り付いたシャツを、剥がす。


(おれの身体なら、届く……か)


 手が届かないなら走ればいいとか、自分なら届くとか、そんな事を意識して考えた事がなかった。そんな風に思える彼女が、逆に羨ましいとすら思ってしまう。


「その価値観は、羨ましいな」

「そうかな? 私は千聖の身体が羨ましいけどなぁ」

「へぇ……あげよっか?」


 自分の姿を目の前に、千聖は"ユキ"ぽくにっこりとイタズラに笑って首を傾げてみせた。

 そんな"ユキ"を見たユキ本人は顔を赤くして視線を逸らす。


「ぁ、な、何を……もう! 私の身体で変なこといわないでよっ!」

「それにしてもほんっとうに世間知らずなお嬢様だ」


 真面目な思いもあるなかで、あぁおれって照れたらこんな感じなんだってそんな下らない感想を千聖は抱く。


「何にでも手を伸ばせるわけじゃないんだよ」


 届くはずだった。なのに気が付いた時には手が届かなくなってたものだってあるんだよ。

 目の前にあったって、届かない事もあるんだ。

 全てに手を伸ばせば、何一つ手が届かなくなってしまうことだってあるんだ。

 時には、何かを諦め、捨てなきゃならないときだって。


「おれが色々教えていかないとね」


 ヘタクソに結ばれたネクタイに指をかけてスルスルと解き、上目遣いでちらりと様子を窺えば、目の前には顔を真っ赤にして、焦点の定まらない自分の顔があった。

 胸に耳を当てれば、心臓が破裂しそうなくらいバックバクと音を立てている。

 側から見れば情けない男だ。


「まずはネクタイの結び方から、だな」

「あ、あのね、千聖」


 ネクタイを綺麗に締め直してやりながらも目の前の自分の顔に、何があってもこれから先こんな顔だけはしないようにしようと、固く心に誓う。

 それにしても本当に酷い顔だ。絶対に眠には見せられない。


「掴みたいものに手、伸ばしていいんだよ」

「え……?」


 ユキが零した言葉は、千聖の心の奥底に沈んでいる重たい塊のような何かを、ぎゅっと掴んできた。


「たまに千聖、難しい顔してるから。きっと今だって、何かを選ぶかわりに何かを諦めて、ここに居るんだよね?」


 心の中を覗かれるような感覚に、整えられたネクタイの結び目から視線を上げることができない。


「今のわたしの身体が千聖のコピーだったから、この手は千聖に届いたんだよ。私の身体だったなら、間に合わなかった」


 そう呟きながらユキは、千聖の肩をそっと掴む。

 ちゃんと力を加減してくれているのか、今度は痛くない。


「それにあの夜、千聖が走ってきてくれたから私は助かった。他の誰かだったなら、きっと間に合わなかった」


 とても小さなその声は、まるで千聖の考えている事を全て悟っているかのようだ。

 心の奥を覗かれるなんて、普通なら恐ろしくてゾッとする。

 そのはずなのに、なぜだか嫌な感覚にはならなかった。


「貴方が諦めないで走ってくれたから、私に届いたんだよ。全部、貴方だから届いているんだよ。他の誰にも叶わないことでも、貴方にしか届かないものがたくさんある」


 ユキと向き合えば、ニッと強気に笑う顔がそこにある。


「ユキにはおれの何かが見えてるのか?」

「さあ。でも、千聖にしか届かないものがあるなら、私にしか見えないものもあるんだよ」


 自分の心の中に在る、沈んで冷たくなった黒い塊が、温かい何かで掬われていく。

 自分ではどうすることもできないそれが、やさしく溶かされていく。

 まるで太陽の光にあてられた氷みたいに。


「だからね、これからは全てに手を伸ばしていいんだよ。千聖なら届くんだから。私が "おれ" なら、どんな時だってそうするから」


 これは、好きだとかそういう感情とは違う。

 ユキと出会ってからのこの数日間、彼女という存在の、その先にあるものを守るために闘っていた。

 つまり千聖が守ってきたのは彼女であって彼女ではない。


 だけど今この瞬間ただ純粋に、この人を守るのも悪くはないとそう思った。

 世間知らずで考えは甘い、この状況でも危機感は薄そうだが。

 それでも平和な世界に、あるいは平和のための世界に、彼女の存在は必要なのかもしれない。


「掴みとりたいもののために走ってみてよ」


 真夏の太陽の下、生まれて初めて見た自分の笑顔は、眩しかった。







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