73話 天罰は下る
姫の護衛を開始して4日目。
今日の千聖は、いつも通りの時間に玄関をくぐる。
昨日、ユキの行動範囲内で遭遇する敵の大半は買い取った。
しばらくは大丈夫だろうと睨み、今日こそ補習に参加しようと考えているのだ。
右手に持った自転車の鍵をくるくると回しながら階段を降りて、近くに止めていた自転車に鍵を差し込む千聖は上機嫌である。
昨日、姫の護衛を開始してから初めて無傷で過ごすことができた。
ひとまずはこの方法で人間をやり過ごし、余裕をもって諸悪の根源を突き止め、追い詰める。
始末するかどうかは一度交渉してみて、それから決めてもいいかもしれない。
どうしたもんかと思っていたが、意外と光が見えてきた。だから千聖は機嫌がよかったのだ。
しかし事が起こったのは、学生カバンを少々乱暴にカゴへと放り投げ、自転車にまたがった直後だった。
自転車を通して後ろに重みを感じたと思えば、背中を襲う柔らかな衝撃。
腰に回される腕、誰かが荷台に乗ったんだなと判断した。
そして「カチリ」なんて普段聞かない音が、下方向から聞こえてくる。
千聖は何者かの存在を感じる背後よりも先に、音が聞こえてきた真下へと視線を落とす。
黒く鈍く光る、銃身。千聖は、静かに息を飲んだ。
シリンダーが見えるからリボルバータイプの銃だ。
起こされている撃鉄から、先ほどの音はコレかと理解する。
そしてそんないつでも発射可能な銃が狙うのは──己の股間。
見事に銃口が押し付けられていた。
なんの冗談だ、これは。
いや多分、これは実銃だろうから冗談でもなんでもない。
なんでなんだ。なんでおれが……おれの股間が狙われてるんだ。
銃のグリップを握るのは細く小さな女の手。人物の心当たりは十分にあった。
「どうしておれのマグナムを狙っているんだ、舞」
「アンタのって言うほどマグナムじゃないでしょ。見栄張らないでくんない?」
心が狙撃されたんじゃないかと思えるくらいの衝撃。
今の返しは結構ダメージ喰らった。
──ところで、自分はいつ彼女を怒らせたというのか。
返しの声色で、彼女が怒っているのはわかった。十分に伝わってくる。
講習をサボったことについて怒るタイプとは思えないし、彼女とは長い付き合いで、それなりに喧嘩もしてきたが、ここまでこじれたことは記憶にない。
実際にこのマグナムが活躍するようなお熱い夜も彼女との間にあったが、しかしそれについて今になって何か言われる筋合いはないだろう。その頃は恋人だったのだから、マグナムをインサートするのも当たり前である。
「一部の区画で天使が人を買ってる件。あんた何か知ってるでしょ?」
舞の言葉で、ちょっと馬鹿になってた思考が一気に冷えていった。
「詳しく話が聞きたいの」
「この状態でか」
「怒らせないで。必要なことだけ喋りなさい」
「だったら銃口向けるなよ。スイングアウトして見せろ、じゃないと話さない」
面倒くさい──というか、まずいことになったな、とは思いつつ、少々強気な態度で舞に当たる。突きつけた銃は喋らせるための脅しだろうが、真面目にこのまま発砲されても困るので、引き金に指が掛かっていないことを確認してから、突きつけられた銃身を握って無理矢理上に向かせた。
舞は人間であるが──普通の人間ではない。
本来、人間には感知できないはずの天使や死神といった存在を感知し認識できる数少ない人間であり、その中でも彼女は人外に対して対等ともいえる戦力をもつ希少な存在だ。
相手とどういう関係であれ、その力を行使する際は一切の忖度がない。
脅しとはいえ、本気にさせるかどうかはこちら次第だろう。
「あたしがこのまま撃てばその手やけどするわよ」
「構わない。すぐ治る」
千聖の態度にため息をついた舞は、「放して」と冷たく言い放つ。その言葉に従い銃を離せば、舞は撃鉄を抑えたままゆっくりと引き金を引くことで、撃鉄を元の位置に戻した。そして千聖の要求通りシリンダーを外して見せる。スイングアウトされたことで実弾がフル装填されていたことを知り、千聖のこめかみに冷汗がつたう。
「あたしが何よりも嫌いなもの。アンタ知ってるわよね」
「人外が…… “魔界で人間に危害を加えること”」
「そう」
舞はこの世界で人外が人間に害を及ぼすことを異常に嫌っていた。
人にとって害悪と判断した場合には、その身を危険に晒してでも排除に動く──そんな女だ。
先ほど放たれた本題は、千聖にとって心当たりしかない。
しかし今彼女が語った情報だけなら、天使の問題でしかないように思えるが……何故自分にぶつけてくるのか。
隠しているだけでもっと詳細を掴んでいると考えるべきだろう。
一旦泳がせ、こちらの誠意を試している可能性もある。
「何故おれが関わってると思う? まどろっこしい言い方はやめてくれ」
「天使が買った人間を、更にアンタが金で買ったわね」
「どうしてそれを……」
二人の立つ場所からほんの2,3メートル先に広がる道路を、資源ゴミを手にしたサラリーマンが通過していく。
二人がまたがる自転車一台分の空間をのぞけば、いつも通りの朝を送る住宅街。
頭上では、スズメでもない、カラスでもない名の知らぬ鳥がキィキィと鳴いていた。
サラリーマンが通過するのを、鳥が鳴き止むのを、待ってから二人はまた口を開く。
「こっちの情報網馬鹿にしないで。そっちの事情は知らない、けどそれはアンタら異形の問題でしょ。それなのに、己の手を汚さずに人間同士で争わせた」
「死人は出してないはずだ」
「ふざけないで! 死人が出てからじゃ遅い。ここはね、人間の世界なの。あんたらみたいな異形の族が好き勝手していい場所じゃない。アンタたちの戦いをここに持ち込まないで欲しいの。ましてや今回、金で釣って人間を買い駒にしてる。完全に巻き込んでるのよ」
「非を認める。悪かった」
舞の言うことに間違いはない。
昨日までは正直、こちらも対価を払っているのだから構わないだろうくらいの考えでしかなかった。しかし人間側からこう聞かされてしまえば、対価を払っているからいい、なんて問題ではないのだと気が付かされる。そもそも人間は関係ないのだから。
金を支払い、こちらと繋がりを持ってしまった時点で、彼らは人間以上の力をもった存在から理不尽に殺される可能性も発生する。舞の言う通りだ。
この魔界にいる人外の中には人間の姿を借り、善良な一般市民として生活するものもいれば、人間を格下と見下し、影で好き勝手に暴れる人外も少なくはない。
彼女は後者の様な人外を監視し、取り締まるのを趣味としているような存在だ。
彼女に「害悪」と認定されてしまえば、千聖だって排除対象になってしまう。
これは明らかに警告だ。
「ただこっちの状況も説明させてくれ。元はおれが狙われてる側なんだ、おれっていうか、厳密にいうとおれの知り合いが天使に命を狙われてる。舞が知ってる通り、奴らは人間を使っておれたちを襲わせた。襲われたからといっておれらは人間を殺すことはできない、そこはちゃんとわかってるつもりだ」
「でも最終的にはアンタも金で人間を買った。命ある無関係な人を駒にした。どんな人間だろうが関係ない、その命を危険に晒した」
「わかった。もう二度と人間を使わない」
「キチンと誠意を見せて」
誠意を見せる──つまり、千聖がすでにマークされているという忠告でもあるのだろう。
答えによっては敵になる。
彼女やその同志とは敵対したくない。それはだけは避けたい。
彼女が求めている答えは考えなくてもわかる。だがそれは、姫の求めている答えとは真逆のことだ。
敵が増えるか増えないか、選ぶのは一つしかない。
「……この件についてはおれが責任をとる。人間を金で買った天使を見つけ出して始末し、この件を完全に終わらせる。これでいいか」
「それでいいわ。ただ、今の話はあたしが納得しただけ。他の奴らはどうか知らないから、他は他で話を付けて頂戴ね」
千聖の回答に満足した舞は、慣れた手つきで銃をどこかにしまい込む。
その動作を肩越しに見届けて一旦はほっとする千聖だったが、続けられた雲行きの怪しい内容に気は休まらない。一体どういうことかと問い詰めようとしたところで、舞の両手が千聖の腰に回った。
「え、なにしてんの」
「さっさと学校連れて行きなさいよ」
「え、なにいってんの? おれ乗せてくの? お前のこと」
「行き先同じなんだからいいじゃない」
相変わらずの不愛想さを披露するその声に、先ほどまでの狩人のような鋭さはなくなっていた。
降りてくれといったところで従わないだろうし、もうそろそろ出発しないと遅刻だってするかもしれない。諦めて足で自転車を車道まで進めた千聖は、舞を乗せたまま学校に向かってペダルを漕ぎ始めた。
聞きたいことは色々あるが、話の流れ的に結局自分はマークされたままみたいだし、多分それは何をどうしたって変わらないだろう。そんな事実、直接聞きたくなんかない。
聞いてしまったら何も行動できなくなってしまうから。
何かあったらその時対応しよう。
そう思うことにした。もう考えるのはやめよう。学校に行こう。補習だ補習。
自転車がスピードに乗ってくれば、前方からくる風が体に張り付いたシャツをはがしてくれる。
感じる風は生ぬるいが、心地よかった。
花に水をやる近所のおばさんとも軽く挨拶をかわし、千聖の気分は徐々に一般市民へと戻っていく。
ただ学校を目指すだけの男子学生になりつつある千聖の脳に浮かぶのは、先ほどのやりとりとは少しベクトルの違う疑問。学校に向かう道、赤信号で止まった際に、千聖は思い切って聞いてみることにした。
「舞、一個聞きたいんだけど」
「なに」
「おれのって小さい……か? 普通に平均はあると思ってたんだけど」
これを聞くには結構勇気がいった。
しかしそんな気持ちを知ってか知らずか、返ってくるのはため息のみ。
二人の目の前には、別に無視してもいいんじゃないかと思えるくらいの小さな横断歩道。通過する車もほぼいない。二人の会話を邪魔する音はないはずなのに、舞からの返事は聞こえない。
「ちょっと! なんか言えよ!」
しばらく二人の間に沈黙が流れ、信号は青へと変わる。
「わかった、これただのツンデレだ。本当はおれのが忘れられなかったからぶっ飛ばそうとしてたんだろ、普通あーゆー時ってこめかみとか背中に突き付けるもんな。だけどおれの股間狙ったのはそーゆー意味があったからだろ。コンバットマグナムだけに!」
「……アンタ、わかるんだ」
「おれすごく好きだからああゆうの。すっげぇかっこよかった、是非ともあとで触らせてほしい」
「いいわけないじゃない。免許もってない奴には渡せないから」
「へーぇ……そーゆーところだけ真面目なんだぁ」
ぐちぐち文句を言いながら再びペダルを漕ぎだす千聖、舞はその背中に体重を預けて目を瞑る。その背中に何を思ったのかは、彼女しか知らない。
「男ってほんっと馬鹿よね」
そうぼやく少女の顔は、どこかホッとしているようでもあった。




