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70話 路地裏の激闘

 ──昨日よりイカれた奴じゃないか。


 千聖(ちあき)は静かに短く息を吐くと、構えは解かずに肩の力を抜く。

 昨日の喧嘩でいくつか学んだことがある。

 昨日の敗因は “喧嘩に勝とう” としていたことにある。

 勝とうと思うこと、それがそもそもの間違えだった。

 そして人間──というよりは、民間人を少しだけ甘く見ていた。

 たかが喧嘩の強い民間人が軍人である自分に敵うわけがない、なんて見下していたから。

 ちょっと殴られる程度だろう、なんて構えだったから駄目だった。


 今は、本気で牙を向けてくる敵から “護身する” ことだけを考える。

 そのうえで、最優先は相手を無力化すること。

 ロケーションは路地裏。これは最悪と言える。

 狭い路地裏では横に逃げ場がない。とれる回避法としては相手の脇をくぐって抜けるか、後ろに下がるかだ。壁際に追い込まれたら最悪。


 千聖は男の直線上で構えたまま、相手から仕掛けてくるのを待っていた。

 男は口角を上げて、ナイフを片手にゆらりゆらりと揺れながら距離を詰めてくる。

 その動きは薬物でもやってんのか、なんて思えるくらいに不安定で不気味だった。

 何の前触れもなくいきなり加速し、突きの体勢で突っ込んでくる。

 千聖は身をよじって男の脇をすり抜け後ろをとる──が、男は突進の勢いを殺すことなく遠心力を利用し振り返る。そして間髪入れずに今度は払いの攻撃で追ってきた。

 壁を背にしない様に注意しながら躱すも、一歩離れればその分一歩踏み込んでナイフを振るってくる。想定していたよりも相手の攻撃の出が速い。

 順手で握られている分、ナイフの軌道は見切りやすいが、不安定で不規則な動きは先が読みにくい。しかし、そこはさすがに潜り抜けてきた死線が違う。体重の乗せ方、力の逃がし方、それらから次の一手が何処からくるのか見抜くのは簡単だった。

 ただ……

 千聖は肩越しに、ちらりと後ろを確認する。

 これ以上下がってしまうと見張りをしているもう一人の男に近づきすぎる。


「余所見げんきーん!」

「速っ……」


 愉快そうな口調とそれに似合わない速度で突っ込んできた。薄暗い空間の中、千聖の左肩を狙った刃が、表の通りからこぼれる光を受けてキラリと一瞬光る。咄嗟に肩を引いて逃げたが、引っ掛かった刃先がシャツを裂いていった。

 あ。と思ったのもつかの間、相手の重心がほんの僅か後ろに寄り、右足が上がる様子を捉える。

 みぞおちを狙った押し蹴りか? 壁に叩きつけるつもりらしい。

 千聖はさらに左半身を引いてなんとか蹴りの軌道から胴体を逃がす。脇腹を掠めていったその足を左腕で抱え込んだ。

 大きくバランスを崩しながらも繰り出される、顔面を狙った右手のナイフ。

 右手の掌で相手の右肩を押し返し、完全に相手の動きを止めた。

 そして、千聖は相手の股間めがけて膝を入れる。

 しかしあまり手ごたえはなく、浅い。

 ダメージが入っていないとわかり、すぐに相手を押して距離をとる。


「──ッぶなッ! 股間はなしでしょ普通!」

「腰で履くとかセンスないね」


 何度もぶんぶんとナイフを横に薙ぎ、振り回し距離を詰めてくる男。

 時々突きも織り交ぜながら、千聖に反撃の一手を考える時間なんて与えない。

 幾つかの薄い切り傷を千聖の身体に刻み込みながら、少しずつ確実に路地裏の奥へと押し込んでいく。

 千聖が後ろの少女を気にする素振りを見せた一瞬の隙、眼球を狙った突きを繰り出した。

 男の狙い通り、うあっなんて小さな声を漏らして、千聖は地面に膝をつく。


 男は、斜め下へと叩きつけるようにナイフを振るう。

 咄嗟に左手で拳をつくった千聖は、こちらも叩くように男のナイフを持つ右手首にぶつけて一撃を凌いだ。

 男が次の攻撃に移る前に、ぶつけた左手で相手の手ごとナイフの持ち手をつかみ取り、内側に捻り上げる。その手の甲を、千聖は空いている右手で思い切り叩いた。

 瞬間、握力を失った男の手から、ナイフがぽろりと落ちていく。

 カラーンと甲高い音が響いた。


「さては君、軍人さんか何かかな?」


 男は地面に転がる得物を、表を見張っているもう一人の男の方向へと蹴って飛ばす。

 回転しながら地面を滑っていったそれは、見張りの男の足に当たり、それによって気が付いた男は得物を手にとってこちらへと身体の向きを変えた。

 それを見た千聖は、思わず舌打ちをする。

 千聖の中では、落ちた得物を奪いとるところまでを一連の流れとして描いていたのだが、落下した位置が悪かった。それに、相手も馬鹿ではないらしい。

 これでめでたく二対一。最悪だ。

 そもそも敵が二人いる状況で、一対一で相手してもらっていたことが奇跡だったとはいえ、ちょっと戦法を考えないといけない。じゃないと、昨日の二の舞だ。

 それにこれから参加してくるであろう二人目の動きも、これから見ていかないと──と、そこまで考えた千聖だったが、外的要因によりそこで思考を停止することになる。


「うりゃあああぁあぁぁ!!!」


 突如路地裏に響いた甲高い声。

 ゴッ……なんて、鈍い音が続く。


 「いったぁ……!」


 千聖の目の前にいた男の身体が大きく傾き──

 頭を抱えてうずくまる男の後ろには、両手で千聖のベルトを持ったユキの姿。


「二対二なんだからっ!」

「ナイス!」


 叫んで、千聖は急いで倒れ込む男から離れる。

 気絶まではしてないが、しばらくは動けないだろう。


「おいおいおいおいマジかよ」


 見張り役だった男が、ナイフを手にゆっくりと歩み寄ってくる。

 ジェスチャーでユキを奥に行かせ、千聖は相手の動きを見ようと構えたまま動かない。

 先ほどまで相手をしていた奴よりもガタイがよさそうだ。力じゃ勝てない。

 体格といい武器といい、完全に分が悪い。

 しかも、あまりにも堂々と真正面から迫ってくる。

 どうくる!? 初手はなんだ? と頭をフル回転させている間にも詰められる距離。

 伸ばされる左手は打撃でも、手刀でもなく……千聖の右肩を掴み、力ずくで横の壁に押し付けてきた。


「でぁっ」


 叩きつけられた衝撃で頭も強く打ち付ける。

 それでも視界だけは確保しなければと、意地でも目を閉じない。

 左腕で千聖を抑えつけたまま、ナイフを握る右手を引く。刃先が狙うのは胴体、高さで言えば(へそ)よりも少し上。

 昨日の様な打撃ならある程度の耐性があるが、刺突となれば話は違う。

 絶対にくらうわけにはいかない。

 男が腕を引き、勢いをつけて攻撃に移るほんの数秒間を、千聖の脳は危機的状況と判断した。

 危機を回避するためにより多くの情報を得ようと、集中力をぐんと上げた本能が、すべての光景をスローモーションのように見せる。


 攻撃を開始すると同時、千聖を抑えつけていた左腕は、その拘束を解いた。

 左手が向かう先は右手に握るナイフ──その柄尻。

 あてがわれる掌。

 刃先は少しの迷いもなく腹部──肋骨の下あたりを目指す。

 途中、角度が変わる刃先。およそ45度、予想されるのは下からの突き上げ。

 これは、ただの刺撃ではない。的は肝臓。肋骨の隙間から狙っている。

 確実に殺りにきている。

 蹴って押せ、遠ざけろ。いや間に合わない。

 視界の隅にベルトを振り上げるユキ。狙いはナイフを持つ手。

 叩き落とすつもりだろうが、多分こっちも間に合わない。

 身体の位置を微妙にずらして肋骨に当てるか?

 いや、あきらめるな。

 受けることを考えるな。

 防げ──無理だ。避けろ──間に合わない。

 逸らせ──……弾け!


 刃が千聖のシャツに触れた一瞬。刃先の少し下を起点に、防御魔法を展開。

 瞬間、展開される光の壁(プロテクト)が、刃先を上に押し上げた。

 はじける甲高い音。弾き上げられたナイフが宙を舞う。

 残された男の拳が光の防壁を叩く。その拳に、ユキの振るったベルトの金具がさく裂。

 流れを崩さぬうちに光の壁を消失させた千聖は、今度こそ目の前の男の股間を蹴り上げた。


「がぁッ……!?」


 直ぐに壁と男の間から抜け出し、スラックスのポケットからハンカチを取り出すと、ハンカチを持ったその手を地面に転がるナイフへと伸ばす。


 今の一撃で分かった。

 この男は違う。

 最初にナイフを取り出した先ほどの男とは、次元が違う。


 掠め取る際に勢いを殺しきれず、足元が滑って転びかけるが何とか堪えて、間髪入れずに地面を蹴った。向かうのは、大きく態勢を崩し、股間を抑える男の背中。


挿絵(By みてみん)


 一人目の男は、相手を切ることにためらいがなかった。

 こいつは、殺すことにためらいがない。

 それはつまり、殺したってどうにでもできるから。

 どうにかできるツテをもっているから。


 リザルトしたナイフはハンカチ越しに逆手で握り、距離を詰めるその刹那、大きく息を吸った。左手は、先ほど男がしていたように柄尻にあてがう。


 ようするに、マトモじゃない、堅気じゃない、民間人とは言い難い。

 マジで殺しにきてる。迷っている場合じゃない。

 こっちも殺る気でいかなきゃ、ココから逃げることすらできないぞ。


 息を吐きながら、体当たりをするかのように全体重をかけた切っ先を男の背中に突き立てる。ここまでの動きに一切の躊躇はなかった。

 聞こえる音は、男が吐く、声にならない呼吸(ひめい)のみ。


「ひっ……!?」


 続いたのは、呆然としたユキの小さな悲鳴。

 その悲鳴には躊躇いなく相手を刺した自分に対しての疑問も含まれているのだろう。

 しかし、彼女の視線の先は自分を追い越した先にあると気付く。

 振り返ろうとする千聖だったが、ユキの声を聞いた直後、全身に衝撃が走り、意志とは関係なく身体がびくりと跳ねた。

 鋭く冷たい痛みが体中を駆け巡る。

 肩越しに聞こえてくるバチバチという不穏な音、身体を襲う衝撃でなんとなく何が起きたかわかる。


(スタンガンか)


「ちょっと。君さっきから男のくせに股間狙いすぎじゃない?」


 耳元で囁く男の声を聴きながら、千聖はゆっくりとその場に崩れ落ちる──と見せかけて両手を地面に付き、下半身を持ち上げて相手の顎を蹴り上げる。その勢いで上体を起こし、逆に崩れ落ちる男の手から新たに取り出された武器をもぎ取った。


「狙わないのが暗黙の了解ってのは喧嘩の場合の話だろ」


 そんな台詞を吐き捨てながら、奪い取ったスタンガンをチラリと確認する。

 正直死神にとってスタンガン程度の電流などは全くもって凶器などには該当しない。が、一応痺れはするため、進んで当たりたくないものには変わりない。

 刃物が出てきた時点で喧嘩の域超えちゃってるから。と男に向けた言葉を零しながら、地面に座り込んだまま立ち上がってこない男へと視線を向ける。絡む視線から感じ取れるのは敵対なんかではなく、わかりやすい困惑の感情。

 多分コレで動きを封じられると思っていたからだろう。

 目前の男は完全に戦意喪失しているし、今のうちにユキをつれてここから逃げるしかない。

 今度は男からさらにその奥にいるユキへと視線を向け──察する、後ろの殺気。

 振り向こうとする途中、スタンガンを持った右手が視界から入る情報を待たず、半ば反射的に動き出す。

 結構深く刺したはずだが、思いのほか復帰が早い。

 左耳のすぐ横を大きな拳が風を切りながら通過していくのと、スタンガンの電極を、起き上がったもう一人の男の肩に当てがったのはほぼ同時。


「千聖ッ……」


 親指がトリガーに触れ、押し込もうとした瞬間だった。

 後ろから白く柔らかい手が千聖の右手に添えられる。

 触れた手から魔力のような流れを感じたものの、勢いを止められず親指はそのままボタンを押し込んだ。その直後、ドンッと強い、まるで落雷のような衝撃が路地裏を襲う。

 電流を当てられた男は悲鳴をあげる事すらままならずドサリとその場に倒れこんでしまった。


「ぇ……」


 何が起こったのか理解が追い付かないものの、右手の中にあるスタンガンの電極から、煙が上がっているのを見つけた。

 今のは明らかにスタンガンだけの威力ではない。

 本来スタンガンの威力では人間を気絶させることは出来ないはずだが、どう見ても目の前の男は白目をむいて意識を飛ばしていた。

 そういえば、手に触れられた瞬間、彼女の魔力を感じた。

 魔力で威力を増幅させたと考えるのが妥当だが、それでもスタンガンなどの武器系統はそれが出来ないよう複雑な強化(エンハンス)防止魔法(・プリベンター)が掛けられているはずだ。


(まさか一瞬でEPを解除して威力をあげた……?)


 千聖は煙を上げながらピクリとも動かず倒れ込んでいる男と、それから後ろにいるユキへと交互に視線を向ける。

 今度こそただただ呆然としているユキの表情を見て、我に返った千聖は焦げたスタンガンをポケットに押し込むと、ユキの手を取って路地裏から飛び出した。

 もしかしたらマジで殺ったかもしれないと思い、去り際に男の魂を視たが、とりあえず身体の中に存在していたから大丈夫だろう。多分。

 さすがに最後の一撃が派手だったせいか、近くを歩く数人はこちらに視線を向けている。とはいえ皆足を止める程暇ではないのか、すぐに前に向き直り──もしくは手の中のスマホに視線を落とし、何事もなかったかのように去っていく。もしかしたらこの辺りは治安が悪くて、喧嘩なんか日常茶飯事なのかもしれない。


 大通りを行きかう人々に紛れ、それでも急ぎ足で路地裏から離れようとする千聖。

 ユキは何度か後ろを振り向きながら、繋がる千聖の左手を強く握った。


「だ……大丈夫?」

「大丈夫。振り向かないで」

「わかった……これ、お返しするね」


 ユキから差し出されたベルトを受け取り、歩みは止めずにズボンへと通しながら千聖は考える。ユキの心配している大丈夫って、あの男たちのケガのことなのか、それともあんな戦い方をしてしまった自分たちのことを指しているのか、どっちなんだろう。

 もしかしたら、どっちもかもしれない。


「殺してない、大丈夫」

「正当防衛?」

「……どうだろう、主張はできるけど」


 スタンガンは回収した。ナイフだって、最初に掴んだ時は相手の手の上から押さえていた。その後も直接は触れてない。あの路地裏を映す監視カメラもなかった、と思う。

 毛髪や繊維は残っているだろうが、ただの喧嘩だったと主張できるはずだ。

 そもそも奴らから警察を呼ぶのは考えにくい。救急だって。


 ──いや。自分が今考えるべきことは、そんなことじゃない。


「一旦、何処かお店に入ろう」


 提案しながら、千聖はポケットで揺れるスタンガンに触れつつ視線だけで周囲を警戒していた。

 意識しなくても分かる程に下手くそな尾行。はやくも別のやつらに付けられている。

 やはり主犯の天使は人間を言葉巧みに操ってユキを狙ってきているみたいで、直接危害を加えてくるのが人間である以上こちらの打つ手も限られてきてしまう。

 ポケットの中のこれはもう使えないだろうが、スタンガンみたいに相手が死なないよう制限された電気で応戦すれば結構簡単に切り抜けられそうだ。

 だけど、大元をなんとかしない限りは同じことの繰り返しになる。


 まだ帝国の者が姫の護衛についてるなんて事は知られていないだろうから、こちらの動きにくさを狙ったわけでもなく、単に"天使ではない者の仕業"にするための作戦としてこんな手を使っているようだ。


「人の目を気にして人混みの中じゃ直接仕掛けてはこないと思う」


 死神以上に天使は、人間の命を奪うことを禁止されていると聞く。いくら作戦がうまくいかずにヤキモキしようとも、人混みの中にいれば天使が直接、派手に仕掛けて来るなんて事はないだろう。今尾行している奴らとの連戦を避ける為にも、一旦何処か落ち着ける場所に入りたい。


「あそこに喫茶店があるよ!」


 ユキが指し示したのは、道路を挟んだ向かい側にあるこじんまりとした喫茶店。

 いかにも個人経営です感がにじみ出ているその店の窓ガラスには軽食の文字。その横にカレーやオムライスと思われるイラストが、"軽食" の文字と同じ一色で描かれている。


「よし、作戦会議と洒落こもうか」


 こんな状況でなんだが、千聖はお腹が空いていた。

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[良い点] ふぉーっ! [気になる点] ふぉーっ!フォーッ! [一言] フォオオオオオッッッ!!! もんのすごくリアル、かつかっこいいバトルパートでしたゾー!金的最強!道具上等!喧嘩花道男浪漫!!!…
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