67話 姫の護衛か、補習授業か
何処からともなく射す光が瞼を通して光彩を刺激する。
「んん……」
薄っすらと目を開けてみると見えてくるのは、木造でぼろっぼろの記憶にない天井。
昨日どこかに泊まったっけ?
眠と遠征でもしたっけ……?
ぼんやりとした意識のまま、千聖は寝返りを打とうとして、自分の顔の左側面に何かがあることに気が付いた。深く息を吸い込めば、包まれるのは嗅ぎなれない匂い。緩やかに覚醒していく意識は、頭の下と、それから自分の左側に温もりを感知し始める。次に、何かの上に頭を乗せているのだと気が付いてからは、意識も視界も一気にクリアになっていった。
天井をまっすぐ捉える視界。しかしその視界の3分の1は、もっと手前に映る何かで埋まっている。ぼやけて見えるその3分の1にピントを合わせれば──下から眺める、女の子の寝顔があった。今度は奥の天井がぼやけて映る。
近くの棚にもたれるようにして体重をあずけ、寝息を立てている銀髪の少女。
ちょっと待てよ、と冷静になる。
自分が今、枕にしているコレはなんだ?
右手でそっと、頭のあたりをまさぐってみれば、触れるのはほのかに暖かい人肌。
そこでようやく、自分はお姫様の膝を枕にしていることを知った。
「…………マジで」
外からはまるで馬鹿にでもしているかのように、カモメの呑気な鳴き声が聞こえてくる。
千聖は口元に手を当てて、自分の真上で寝息を立てている人物をまじまじと眺めた。この角度でも二十顎にならないの、すごい──じゃなくて。
「お、お姫様……」
これが膝枕ってやつか……まさかこんなところで人生初膝枕──じゃなくて。
「昨日……おれ……」
あれからどうしたんだっけ。
だんだんと、目が覚めて思い出してきた昨日の夜の出来事。姫から連絡がきて、魔力と電波を利用して助けに入って、喧嘩してなんとか追い返して……それで?
そこからどうしたのかまるで記憶がなかった。
なにか思い出すきっかけになるようなものを求めて、小屋の中をぐるりと見回してみる。
夜来た時に倒壊的な意味で結構危なっかしい木造建築だなとはおもっていたが、明るくなったことで想像以上にボロボロな小屋だったということがわかった。
魔法なんか使って派手にやってたら、ホント崩れてたかもしれない。
汚れた窓ガラスは割れてこそいないものの、天井や壁に使われている板がかなり傷み、曲がったり欠けたりしている。泥にまみれた窓なんかよりもその隙間から入る外の光の方が、室内を照らしていた。
室内にはしばらく使われていなさそうな網や浮き、壊れた木箱などが散乱しており、それらが放り投げられている床は、ありのままの地面──土の状態であるといっても過言ではない。自分が寝ているところには辛うじて煤けた毛布らしき布が敷かれていたが、よく見なくても砂まみれだ。ここで一晩過ごしたのかと思うと鼻がムズムズしてきたような、そんな気がする。
「……そもそも本当にあの後どうしたんだおれ」
視線をまっすぐ前に戻せば、アスガルド城の廊下ですれ違ったお姫様がいる。あの日はドレスだったが、今は制服を着ていて、どうみたって普通の女の子だ。その辺の女の子より、育ちはよさそうだけど。
壁の隙間から滑り込んで来る日射しに照らされる銀色の髪が眩しい。
普通にかわいいな。昨日話した感じも悪くなかったし。この子がおれの奥さんか──なんて、目を覚まさないのを良いことにまじまじとその寝顔を見上げていれば……。
「ん……」
ぴくりと一瞬、眉毛が動く。そしてゆっくりとその瞼は開かれていき──
「あ、おはよう……けが、大丈夫?」
千聖が寝起きの間抜けな顔から、顔をキメる隙すら与えられない程に、姫の覚醒は早かった。
女の子から寝起きを見下ろされ、更には目覚めてもそのまま膝枕を味わっていた事実がバレた。千聖は超絶恥ずかしくなる。そしてものすごいスピードで顔に熱が集まってくる。
「う、うん」
「起きれる?」
起きれ──ない、そう答えた方がいいだろうか。
起きれるなら、じゃあなんでずっと寝てたんだ、という問題に発展しかねない。自分の中で。多分姫はそんな意地悪なことは言ってこないだろうけど、内心で少しでもそう思われたら恥ずかしい。
ほんの1秒の間でそこまで逡巡し、結局姫の問いには何も応えず素早く起き上がる。いざ動いてみれば体中が痛いことに気が付いた。けど、そんなのは顔に出さない。
よく見れば自分の制服は泥だらけだし、所々破けてもいる。
「……大丈夫」
とりあえず問題ない旨だけ返答して、時間を確認しようと座ったままポケットを探る。
イヤホンは首にかかったまま、ポケットの携帯を取り出せば電池が切れていた。
膝枕されていた気恥ずかしさを紛らわすかのように、そういえばカバンにモバイルバッテリー入れてたはず……なんて倉庫の隅にぶん投げられたカバンへ近づいて、中をごそごそと探りだす千聖。
電池が切れたそれにバッテリーを差し込んだところで、姫に背を向けたまま気づかれないように深呼吸する。
だめだ、緊張する。
昨日は勢い余って抱きしめた気がするが、今思えば信じられない。
「昨日、いきなり気を失うからびっくりしちゃった」
後ろから笑い交じりにそんな事を言われ、千聖の動きはピタリととまった。
いきなり、気絶しただと……?
「あの……すいません、ほんと」
はぁぁぁと声にならないため息をつきながら、千聖はたまらず顔を覆い隠す。
さすがに情けなさすぎだ。将軍ってバレてなくてよかった。かっこよく登場した癖に、喧嘩は弱い。ボコボコにされながら何とか追い返したと思えば気絶。
こうなってくれば果たして登場シーンすらもかっこよかったかなんて謎だ。
こんな男、自分が姫の立場だったら正直絶対無理。
可愛らしい笑顔を向けて心配してくれている彼女の隣に正座して、なんとか向き合うが、徐々に下に向いてしまう千聖の目線は、最終的に現実逃避するかのように彼女の左手薬指に到達する。
しっかりはまる指輪は、改めて見てもサイズがぴったりのようで驚きだ。
「前にすれ違った時は、髪セットしてたからイメージ違うね」
「え、そ、そーぉ?」
自分が今どんな髪型をしているかわからない千聖は、変な声を出しながらさり気なく自分の頭に触れてみる。記憶では出会った時と同じセットだったはずだが、触ってみれば確かに予想もしてない髪型になっていそうだった。
暴れている毛束を戻すように、姫の指が髪に触れる。
昨日も一応セットしてたんだけどね。喧嘩してめちゃめちゃになってるけど。なんて内心考えながら、口には出さずににこにこと笑った。
「あ、そっか! たしかに、あれだけもみくちゃにされたら崩れちゃうね」
「……えっ? おれ、今……」
「ところで、今何時かわかる?」
「あ、あぁ……えぇっと」
そろそろ起動しているだろうスマホへと、二人は視線を落とす。
そして液晶に映し出された数字の並びを見て、ユキは小屋を飛び出した。
「どうしようっ! 私このままじゃ講習遅刻だよ!」
「このままじゃっていうかもう遅刻じゃない? おれもなんだけどさ」
焦るユキとは対照的に、諦めたようにゆっくりと外に出てきた千聖。
辺りを見回せば、そこは港。
潮の匂いと、カモメの鳴き声。真上に広がるは青い空。うっすら浮かぶ白い雲。
耳に届くのは、テトラポットに打ち付ける穏やかな波の音。
中途半端な時間であるせいか、比較的大きめな港に関わらず人影はない。
すべては、のどか の一言に尽きる光景だった。
「千聖、走ってきてくれたんだよね? 道とか覚えてない?」
「夢中だったから全然。それに、最終的にはワープしたから。とりあえずナビ出してわかるところまで移動しよう」
早速スマホ片手に歩き出した千聖を追って、ユキも歩き出す。
千聖が手にしている携帯の画面には、既にここから近くの駅までの道案内が表示されている。覗き込めば、画面の下方に映るのは移動手段『徒歩』、到着予定『45分後』、目的地までここから『約3キロ』の文字。移動手段『交通機関』での経路は調べないのだろうか、とその画面を見つめるユキだったが、迷うことなく『徒歩』のまま『出発』ボタンを押す千聖に、何も言わずについていくことにする。
歩くのは別に嫌いじゃないし、なんなら千聖の事をもう少し知りたかったから、内心では賛成だった。
本当の事を言ってしまえば、ユキが千聖のスマホを覗き込むより前に、千聖は『交通機関』を移動手段とした場合の経路を確認していた。しかしこの近くにあるバス停を通るバス、これが2時間に一本という鬼畜仕様であったうえに行ったばかりときたもんだから、徒歩を選んでいたのだが、そんなことをユキが知る日はこないだろう。
港から出れば、どこまでも続いているような道路が左右に真っすぐ伸びている。左の道路は片側には海、片側には木が生い茂った森という自然に囲まれた道。右はといえば、高く盛られた砂の山の奥に、ガスを貯蔵する球型の大きなタンクがいくつも置かれている。遠くの方にはまるで蜃気楼のようにゆらゆら映る白い建物が見える、工場地帯のようだ。
千聖はナビにしたがって、自然あふれる左の道を選択した。
「本当にありがとう。私、それなりに魔法の勉強してるはずなのに何もできなかった……頭が真っ白になっちゃって」
コンクリートに移る自分の影を見つめながら、ユキが思い出すのは昨日の出来事。
主犯格に掛けられたであろう動きを封じる魔法。今となっては、あの魔法を使えば解けたかも、とか、あの魔法でなんとかできたかも、なんてことが次々に浮かんでくる。
それから拉致されて目覚めた後、千聖が助けに来てからも……。
ずっと、千聖の姿を見ていただけだった。今思えば、手は拘束されていてもできる援護はあったはずなのに。されるがまま、守られるがままだったのが、本当に情けない。
「来てくれた時のテレポートも、ほんとにすごかった……」
「あれは電話が繋がってたからその電波を利用したんだよ。変換魔法は上手な人が使えば酔わないんだけど、おれはあの手の魔法が苦手だから、すごく酔った」
独り悶々と後悔するユキの一方で、千聖は自虐的な笑みを零しながら、姫を相手にどのような会話をすればいいのかなんてことを悩みながら、ジリジリと夏の日差しが照りつけるコンクリートの坂道を登っていく。
姫と二人きり。何を話したらいい?
お姫様扱いするべきか、それとも普通の女の子として接するべきなのか。
若干落ち込んでいるのは見て取れる。が、そこに触れるのは正解じゃなさそうだ。
他愛もない会話を何か。周りには何がある? 話題にできるものは?
左手に広がるのは、太陽光を反射させてキラキラ輝く海。
右側は、セミの鳴き声が止まない森。
「海がキラキラしてて綺麗だね」違う、おれがキラキラしてどうする。
「セミうるせーな」いやこれただの愚痴だろ。
自然から話題を探すのは難しそうだ。
これだけ存在感を出しているのなら、話題の一つや二つくれてもいいんじゃないか? とひたいに手の甲を当てながら海の上で輝く太陽を睨みつければ──くしゃみがでた。
「なんか、太陽見るとくしゃみでない?」
「あの……もし違ったらごめんね? 千聖って、眠の友達?」
唐突に、ユキから投げかけられたその問いに、千聖は思わず足を止めた。
すっげースルーされた。いや、そんなことより──
「あいつの事知ってるの?」
太陽から、ユキへと視線を滑らせば、涼しげな深緑色の瞳と視線が絡んだ。
天界ですれ違った時、彼女の瞳は黄金色だった記憶がある。
天使の国のお姫様だから姫も天使かと思っていたが、天使の瞳はもれなく青色のはずだ。
そういえばアスガルド王との謁見の後、フォールハウト達との食事中の会話で、アスガルド王の種族は天使ではない、なんて話題が上がっていたし、現に彼の背には天使の羽根が生えていなかった。だとすれば姫も天使ではないのだろうが、ならば一体何なのか。
天使の瞳は青、死神の瞳は赤。であるが、黄金色の瞳を持つ種族とは出会ったことがない。
……が、種族なんて関わっていればそのうちわかることだろう。
今はそんなことより、何故眠を知ってるのかだ。
多分アスガルド城へ挨拶に行った時に会ったのだろうけど、もしかしなくても最近毎日会ってる女の子ってのはユキの事かもしれない。
どおりでしつこく補修終わりに会わせようとしてきたわけだ。
詳しい説明もなしに会わせようとしてくるあたり、アイツらしい。
「やっぱりそうだったんだ! 眠のたった一人の友達って、千聖だったんだね」
驚きを隠さない千聖の表情で、ユキは自分の予測は合っていたのだと確信しているご様子。
眠と千聖が友達である事に間違いはないが、その言われ方の不備さに一度吹き出しそうになる。
(たった一人の友達……なんかあいつ可哀想な奴だな)
「おれもあいつ以外友達いないから、お互いたった一人の友達だったみたいだ」
「そうなの? なんか二人とも友達多そうな感じするよ」
「あいつはコミュ力高いからな。実際友だちはかなり多いかもね」
たった一人の友達からも笑われたとなると、さすがに眠も可哀想だと思った千聖は、笑いそうになった事への贖罪の意を込めてフォローしておく事にした。
さてと、どうしたもんか──。
千聖はもう一度空を見上げる。
姫の暗殺に失敗したとわかれば、主犯はまた彼女を狙ってくるだろう。
狙う理由なんて考えなくてもわかる。
婚姻の反対、和平の反対の為だ。
聞いた話や条件を総合すれば、彼女を殺して上手いこと帝国や革命軍の所為にし、死神を悪者扱いしようとしているのがうかがえる。
狙いは和平協定の破談。そして “死神を恨んだアスガルド王” の意志による光と影の全面戦争でも引き起こしたいのだろう。
だけどこの魔界で死神の所為にするのはなかなか難しいとわかって、今回は人間の所為にしようとした。そのことから、怒りの矛先を操作するのは二の次、最優先事項は姫という存在の抹消ということがわかる。
千聖からみて、やっぱり騎士団という組織は怪しく思えた。
帝国でも革命軍でもないという姫の話をきいて、すんなり騎士団を疑えるくらいには。
そもそも婚約の話は帝国ではまだ公にしていないし、帝国も革命軍も、アスガルドに姫がいるなどと知る者は居るのだろうか。千聖ですら婚約の話を聞いた時に初めて知った。
国政に関して彼女の存在は、それくらいに空気といっても過言ではなく、むしろ、この婚約の話で一気に存在感を放ったとも言える。
ではあればやはり、そんな彼女を襲うメリットは、和平条約を知らない段階の帝国や革命軍にはないはずだ。
そのうえで姫の居場所が魔界だなんてことは、誰が知っていただろうか。
それこそ天界だって王家か、王家に近しい騎士団くらいしか知らないだろう。
王家か騎士団上層部に情報を漏らしたやつがいるか──主犯格がどちらかに所属しているというのはほぼ確定と思っていいかもしれない。
さすがに王家の誰かの差し金、なんてことは考えたくないし……ヘルミュンデでの出来事やヘーリオスでの動きを見るに、怪しいのは騎士団側。
ただ王の意志に反発している者がたまたま騎士団のメンバーだっただけなのか、そもそも暗殺自体が騎士団そのものの意図なのかは、現段階では謎。
とにかく、姫が何者かに狙われてるというのは変わらない事実だ。
前向きに考えればこれは、姫との距離を縮める絶好のチャンスでもある。
今回のボコられる失態はさておき、守り通して強い姿を見せつけることができれば、惚れてもらえるかもしれない。護衛とかいってエスコートし、デートを重ねれば惚れてもらえるかもしれない。繰り返される奇襲がつり橋効果のような効果を生んで、惚れてもらえるかもしれない。こうなってくれば、ナイス騎士団、ナイス敵襲である。
──が、残念ながら千聖には学校の補習がある。……もちろん、補習か姫の命かでいえば姫の命が優先であるが……かといって補修を蔑ろにしていいかというと、その両者を天秤にかけて釣り合ってしまう程度に、千聖は真面目な生徒であった。
非常に残念であるが、ここは姫とも面識のある眠に護衛を頼もう。
彼ならこの夏休み、暇を持て余しているはずだし。千聖が予測している通り、眠が最近よく会っていると話していた女の子がユキなら、このまま彼に護衛してもらった方が、千聖的にも楽──というか、眠の方が喧嘩は強いし、女の子の扱いは慣れているからいいに決まっている。断じて、補習か護衛かを天秤にかけた時、補修の方が楽そうだったとか、実際ちょっと面倒くさいなとか、そんなふうに思ったわけじゃない。
眠が何かしらの予定を入れてしまう前に、お姫様護衛のスケジュールをぶち込んじまえ。
そんな事を考えながら、彼に電話を掛けながら、灼熱のアスファルトを登っていく千聖。
しかし、非常に残念なことに、その電話が繋がることはなかった……。




